[34] ヤツの正体3
「な……!?」
それは異様な光景だった。
首筋に飛びついたナズナは、林檎の首に犬歯を立てる。一瞬だけ魔力が溢れたかと思うと、次の瞬間、小さなナズナの身体が崩れ落ちた。
「――擬態、完了なのです」
その声は、林檎の口から聞こえてきた。
手を握ったり開いたりして、感触を確かめている。その身体からは、林檎にはなかった魔力が大きく揺らめいていた。
「お前、林檎に何をした!?」
「身体を貰ったのですよ」
ニヤリと、林檎の――いや、魔王の口元が三日月に揺らめく。
身体を乗っ取る魔法がある、というのは聞いたことがあった。そうやって千年の時を経てきた魔族がいることも知っていた。
それがよりによって林檎をターゲットにするとは……!
「この女は、不思議なことに魔力の源となる負の感情に溢れているのです。これで勇者も手出しはできないですし、ボクの器としては、最適な身体なのです」
魔王は、林檎の身体で深く黒い魔力を練り始める。
こいつの言う通り、これじゃ手出しができない。精神だけを攻撃するなんて芸当は、少なくとも、俺には無理だ。
「く……っ、どうする……!」
「この女の身体を傷つけられたくなければ、動かないのです」
自分の首に手刀を当てながら、魔王が牽制してくる。
俺が少しでも動けば、こいつは容赦なく林檎の首を飛ばすだろう。クソ、どうすればいい?
「今からじっくり、お前をいたぶって殺してやるのです。仲間たちの仇、ここで討つのです」
「――そうはさせません!」
割って入ってきたその声と共に、突如として、魔王の足元が光り始めた。
「……!?」
次の瞬間、地面から這い出てきた茨の蔦が、魔王の身体を拘束し始める。
前に、俺がルビーに使った魔法だ。バインド。相手の動きを束縛し、もがけばもがくほど拘束が強くなる魔法。
「動きが……!? これは、神聖魔法……!?」
「まさか――」
振り返った先、河川敷の上に、一人の少女が立っていた。
コスプレにしてはでき過ぎている神官服に、大げさな宝石のついた杖を持っている。流れるような蜂蜜色の金髪は、月の光を反射して眩く輝いている。
その少女はこちらを見ると、安堵したような表情を作って駆け寄ってきた。
「姫!?」
「リリミィ!」
「間に合いました……」
神官服の裾をはためかせ、ここにいるはずのない少女――リリミィが俺の隣に立つ。
「……また新しい女が出てきた」
杏が何故か、怖い目でこちらを睨んできている。そんな目で兄を見るのはやめてくれ。ぞくぞくしちゃうじゃないか。
「どうして姫がこちらに!?」
「魔力の補充が完了したので、宝珠を使い、わたくしもこちらの世界に転移してきたのです」
その手には、件の宝珠が握られていた。
アークプリーストであるリリミィは、油断なく魔王を拘束しながら、魔力をさらに込めていく。
「王女……! 一度ならず、またボクの邪魔をするつもりです……!?」
「何度でも、あなたの凶行は阻止いたします。それが、わたくしの使命ですから」
魔王とリリミィの視線が激しくぶつかった。
リリミィとしては、魔王は国の敵であり、世界の敵だ。激しく憎悪するのもわかる。
しかし、今はそんなこと、俺にとってはどうでもよかった。
「リリミィ! 林檎の身体が魔王に乗っ取られた! 取り返す手段はないのか!?」
「……なくはありません」
言葉を選びながら、リリミィが慎重に答えてくる。
「先ほども申し上げた通り、意識の中へ直接潜り込み、大本となる魔王の意識を切り離すのです」
「させないのです……!」
魔王は、全身に強大な魔力を漲らせ、無理矢理拘束を引き千切ろうとする。
それを、リリミィは同じく魔力を込めて阻止した。しかし、想像以上に魔王の力は強かったのだろう。わずかにバランスを崩す。
「姫!?」
「……っ、わたくしが抑えていられるのも、長くはありません! コウヤ、急いでください!」
ルビーに支えられながら、リリミィが苦しそうに叫ぶ。
「意識の中では、自分を強く持ってください! そして、その身体の持ち主の不安や悲しみを取り除いてあげることが重要です! 魔王はきっと、そういった部分に付け込んで身体を乗っ取っているはずですから!」
「わかった!」
やってやろうじゃないか。
魔王だか何だか知らないが、俺の妹に手を出したことを地獄で後悔させてやる。
そう思って、一歩踏み出そうとした俺の腕を、杏が掴んできた。
「ま、待って!」
事態が完全には飲み込めていないが、それでも、やるべきことは理解しているようで、杏が懇願してくる。
「よくわかんないけど、林檎を助けるんでしょ? なら、わたしも手伝う!」
「手伝うって、杏、危険なんだぞ?」
「だから何よ!」
強い瞳で俺を見上げ、杏が叫ぶ。
「林檎はわたしのお姉ちゃんなのよ!? だったら、わたしが助けてあげるのが当然じゃない!」
「杏……」
結局、杏は杏なんだ。
七年前の時から、何も変わっていない。姉想いの優しい女の子なのだ。
兄として、俺はその想いを汲み取ってやらないといけない。なら、俺がするべきことはただ一つ。
「よし、なら、二人で林檎を助けるぞ!」
「ええ!」
話が纏まったのを待っていたのか、リリミィが叫ぶ。
「詠唱はわたくしに任せてください! コウヤは魔力の流れに乗るイメージを作ってください! ルビーはわたくしの守護を!」
「わかった!」
「御意!」
バインドを維持したまま、リリミィは新たな魔法の詠唱を始めた。
朗々と、詠うように魔法が紡がれてゆく。
「祖は理を示し、理は輪廻を司る。我は世界樹と共に生きる者。全ての生者に祝福を、全ての死者に祝福を」
「く……っ、させないのです!」
魔王の右手から、魔力の塊がリリミィに向けて伸びる。
「姫には手出しさせん……!」
それを弾いたのは、ルビーだった。巨大な剣を一振りして、魔王の攻撃を弾く。続けざまに放たれた魔力の塊も、鋭い剣技で全て撃ち落としていた。
リリミィもルビーも、自分のするべきことを成している。なら、俺は俺で、やるべきことをするだけだ。
「意識転送――マインド・トランスポート!」
詠唱が完了し、神聖魔法ではない独特な魔法が俺と杏を包み込む。
「行くぞ、杏! はぐれるなよ!」
「うん!」
俺たちを包み込んだ淡い光と共に、そのまま、林檎の身体へと吸い込まれて行った。




