[33] ヤツの正体2
「――ようやく、気づいたのです? でも、少し遅過ぎたのです」
にやり、と――
口元を三日月にしながら、ナズナが嗤った。それは、純粋無垢な、少女の笑みではない。
残虐で、鋭い刃を思わせる笑み。こいつが笑った顔を始めて見た。そりゃそうだ。
俺は顔を見る間もなく、一瞬でこいつを殺したはずなんだからな。
「ナズナ……?」
林檎は事態が読み込めていない。
しかし、そんなことは最早どうでもよかったようで、ナズナは淡々とした口調で語り始めた。
「あなたに消し飛ばされた瞬間、ボクは意識を異世界へ飛ばしたのです。この世界に繋がったボクは、時空と記憶を操作して、この家の妹になりすましたのです」
「……復讐のためか?」
「それ以外、何があるのです?」
ナズナが、くすくす嗤う。
「あと少しで、世界樹が手に入るところだったのに……。ボクの軍勢をことごとく消し去り、四天王まで呆気なく屠ったあなたを、配下たちが何と呼んでいたか、知っているのです?」
おぞましいものでも見るかのように、ナズナが俺を睨んでくる。
「――殺戮者。あなたに親を殺され、子を殺され、友人を、恋人を吹き飛ばされた者は、数えきれないほどいたのです」
「そりゃお互い様だろ?」
人間やエルフ、ドワーフにウンディーネも、相当数殺された。
中には、絶滅しかけている種族もいる。そうでなけりゃ、俺が呼ばれることもなかったんだろう。
「そうなのです。お互い様だからこそ、あなたも死ぬべきなのです」
ナズナにとっては、それが自然の摂理であり、当然の報いらしかった。
「多くを殺したあなたは、殺されるべきなのです。ただそれだけが、死んでいった者たちへの手向けとなるのです」
「ふざけるなッ!」
激昂して叫んだのは、ルビーだ。
こいつの両親は、立派な騎士だったらしいが、魔王軍に殺されたそうだ。それだけに、魔王の物言いは許しがたいのだろう。
「貴様らが我が国へ攻め込んできたことが、そもそもの原因だろう!? 貴様らが、一体どれほどの人を殺したと思っている!? それを、言うに事を欠いて、被害者面など――っ」
「口が過ぎるのです、下郎」
一瞬だった。
魔力が膨れ上がったかと思うと、ルビーの身体がゴム鞠のように弾き飛ばされ、河川の壁に叩きつけられる。
「が……っ!?」
「ルビー!?」
かろうじて倒れなかったようだが、その衝撃は相当なものだったようだ。
ふらつく身体を剣で支えながら、悔しそうに吐き捨てる。
「実態を失ってなお……これほどの魔力を有しているとは……!」
「失ってなどいないのです」
ナズナはほくそ笑むと、指揮者を思わせる仕草で両手を広げた。
「殺戮者。お前が消し飛ばしたのは、ボクの影武者でしかないのです。我が肉体はこの姿のまま、半永久的に生を享受し続けているのです」
「魔王が不老というのは、本当だったのか……!」
魔王はもともと、力の弱い魔物だったという。
それが長い年月をかけて魔力を練成し、力をつけ、強大な力を持つようになった。
しかし、決して目立たぬよう、忠臣の部下以外には、その姿を見せることはなかったという。
二目見られぬ異形だからだとか、実態がない霊体だからだとか、いろいろな噂があった。
それがまさか、こんな子供の姿をしていたとは。俺も想像していなかった。
「それに、被害者面をしているのはお前たちの方なのです、女騎士。お前たちが抱えて離さない世界樹は、もともと、我々のものだったのです」
「……っ、嘘をつくなっ!」
「本当のことなのです」
ナズナは相変わらず淡々とした口調で、己の見てきた真実を語り始める。
「我々魔族は、魔力が存在しなければ生きていくことができないのです。力の強い存在は内部に魔力を蓄えることができますが、弱い存在は世界樹から放出される魔力に頼って生きるしかないのです」
それは聞いたことのある話だった。
だから、魔王軍は世界樹を何よりも欲しがっていると。しかし、俺が聞いていた話とは、弱冠違った歴史があるようだ。
「ボクたちは、世界樹の側で、零れる魔力の恩恵に与りながら、細々と生きてきたのです。あの日が来るまでは」
遠い日を思い出すように、ナズナが目を細める。ナリはこんなのだが、おそらく、何百、何千年と生きているのだろう。
「人間――そう呼ばれる、魔力は弱いけれども、繁殖力だけは凄まじい者たちが、他所の大陸からやって来たのです」
エルフは長命で、子供の数も少ない。
ドワーフはそこまで長生きしないものの、生活の場をほとんど移さないので、広がることはあまりなかった。
ウンディーネは人間よりも短命で、生きられる環境も極端に狭いので、あの世界では最も少ない数しか生きていない。
しかし、人間だけは違った。
「奴らは言葉巧みにボクたちへ近づき、世界樹の種を奪っていきました。そして、あろうことか、世界樹に火を放ったのです」
俺が知っている世界樹とは、別の世界樹。
大きな戦争があって焼け落ちたと聞いていたが、どうやら、そうではないようだ。
「世界樹を失ったボクたちは、途方に暮れたのです。次々と、力の弱い仲間たちが死んでいきました。一方で、新たな世界樹を植えた人間たちは、瞬く間に増殖し、国を作り、ついには我々の領域にまで手を伸ばしてきたのです」
「そんな……そんなのは嘘だ……!」
「嘘ではないのです。お前の国の王女に聞いてみるといいのです」
「この……ッ!」
ルビーが斬りかかる。
その斬撃は、これまで見た中で最も鋭く、そして、最も速かった。魔王軍でさえ、一目置いていたルビーの一撃は、飢えた狼の牙がごとく、一瞬でナズナの首筋へ叩き込まれようとする。
「ダメ……!」
「林檎!?」
その線上に林檎が割って入った瞬間、俺は魔法を発動してルビーを弾き飛ばした。
地面を転がったルビーは、怒りに満ちた声で怒鳴ってくる。
「く……っ、何をするのだ、コウヤ!」
「うるせー、黙ってろ」
妹が危ない状況になるなら、たとえ仲間だったとしても、それを見過ごすわけにはいかない。
俺は林檎に向き直ると、努めて優しい声で告げた。
「林檎、こっちに来い。そいつは妹じゃない。みんなの記憶を書き換えてたんだ」
「そんなことないもん……!」
林檎は大きく頭を振る。それは盲信とも違う、何かに縋りつくような、そんな仕草に見えた。
「ナズナは、私の妹だもん! ナズナは大事な家族なんだもん!」
「いや、だからそれは魔法で」
なおも否定しようとする俺に、林檎が究極の一撃を放ってきた。
「そんな酷いこと言うお兄ちゃんなんか、大っ嫌いだもん!」
「な……っ!?」
――お兄ちゃんなんか、大っ嫌いだもん!
――お兄ちゃんなんか、大っ嫌いだもん!
――お兄ちゃんなんか、大っ嫌いだもん!
その一言が、俺の心臓を容赦なく打ち砕いた。
どんな魔剣よりも、どんな禁呪よりも、強烈で、無慈悲な一撃。
俺の中で全ての思考が停止し、そして、あらゆる価値観が音を立てて崩れてゆくのを感じた。
「大……嫌い……? 林檎が……妹が……俺のことが大嫌い……?」
ははは。まさか。そんなはずない。ないよな? あってたまるかってんだよ。ね?
「……よし、死のう……死んでしまおう……」
「待ちなさい」
入水自殺をしようと川へ向かい出した俺を、杏が襟首掴んで止めてくる。
「信じられないけど、何となく、理解してきた。確かに、わたしたちに妹なんていなかった。少なくとも、ここ数日以前の記憶はまったく残ってないわ」
杏は冷静だった。
少なくとも、ナズナが妹ではないことに気づいている。魔力の支配は断ち切られているんだろう。おそらく、元来の魔力が高いのだ。
「記憶の改ざんをする魔法は、そんなに難しいわけじゃない」
実際、俺もスーパーや学校でも似たようなことをした。
魔法を知っているヤツが相手なら話は違うが、今回のケースのように、魔法なんて存在自体がない世界では、誰でもかけ放題だ。
「なら、俺が戻った時、世界が七年進んでいたのは」
「ボクがやったことなのです」
ナズナがしてやったりという笑みで、肩を揺らす。
「さすがの勇者も、時魔法は操れなかったようですね? この魔法は、代々の魔王に伝わる、究極の魔法として引き継がれてきたものなのです」
「そんなことができるなら、自分の世界を過去に戻して、もう一度人間と戦えばいいだろう?」
「当然、それはもうやったのです」
魔王軍の敗北が決定的になった瞬間、時間を巻き戻す。
それくらいの大魔法が使えるからこそ、こいつは魔王たり得たのだろう。
しかし、だからといって、運命まで変わるかと言われたら、そうじゃないらしい。
「しかも、数えきれないほどに。しかし、その度に、異世界からの勇者――お前が現れ、ボクの仲間たちを虐殺し、あっという間に城へと駆け上がってくるのです」
俺は召喚されてから、三ヶ月で魔王を討った。
もしかしたら、別の時間軸の俺は、二ヶ月で討伐していたかもしれない。
長くかかった時もあっただろう。半年? 一年? 仮に二年かかっていたとしても、結果は同じだ。
魔王軍の敗北。
それが決まる期間が長いか短いかなんて、時間を操れる魔王には、それこそどうでもいいことだろう。
「この魔法は、膨大な魔力を消費するので、使える回数に限りがあるのです。最後の一回になった時、決めたのです。滅びの運命が変えられないのであれば、新たな世界を開拓するしかないと」
時を遡るのではない。
異世界の時を進めて、そこへ自分も飛び込んでしまう。
ナズナの容姿的に、家族として不自然にならない程度の時間。それが、七年ということだったのだ。
「ボクは、この世界で再び魔王になるのです。生き残った仲間たちを呼び集め、ここで新たに生きていく。そのためには」
すっと、剣でも突きつけるような動きで、ナズナは手をこちらに向けてくる。
「あなたが邪魔なのです、勇者。この世界であなたの弱点を突くために、ボクは妹に成りすまし、殺すタイミングを窺うつもりだったのです」
思いの他、早くバレてしまいましたが、と魔王は嗤う。
しかし、ナズナの思惑がわかったのなら、もう何も迷うことはない。
「そんなこと、させるわけないだろ? 正体がわかった以上、お前をここで消し炭にするだけだ」
右手に魔力を集中させる。世界樹からの供給が断たれたからって、ヤツを消し飛ばすだけの魔力はまだ残ってるんだからな。
しかし、相手は魔王だけあって、狡猾だった。
突然、泣き出しそうな顔をすると、林檎にすがりつく。
「林檎お姉ちゃん……お兄ちゃんが、意地悪するんです……」
「な……っ!?」
予想外の行動に、せっかく集めた魔力が霧散した。
「ズルいぞ、お前!?」
「お兄ちゃん、酷いことしちゃ、メッ!」
「はい、ごめんなさい!」
ああ、怒った林檎も可愛いな。
「しっかりしろ、コウヤ!? 我々の国の惨状を思い出せ! この世界を、同じにしていいと思っているのか!?」
「だって、妹が」
「妹と世界、どちらが大切なんだ!」
「え、妹だけど?」
そんな当たり前のことを聞かれても困る。
「魔王軍の侵攻で、数え切れない人々が命を落とした。脅威が去った今も、家や田畑は滅茶苦茶な状態が続き、人々はみな貧困に喘いでいる。お前の大切な妹とやらも、その被害者となるということなのだぞ!?」
確かに、あちらの世界は酷いものだった。
特に魔王城に近い領は、多くの村が壊滅し、逃げ延びた人も全てを失い、途方に暮れていた。
あんな状況に、妹たちを置けるのか? いや、そんなこと、できるはずがない。
「ちっ、仕方がない……!」
俺は再び、右手に魔力を集中する。
それを見たナズナは、鼻先で嘲笑してきた。
「いいのですか、勇者? この女の首を飛ばすくらい、わけないのですよ?」
「林檎に何かしようとした瞬間、お前の身体を分子レベルでバラバラにしてやる」
脅しではない。
それくらいのこと、俺ならできるし、躊躇なく実行することは、ナズナもよく知っているはずだ。
「よほど、この女が大切なようなのです。なら」
「え……?」
しかし、だからこそ。ナズナは、切り札を躊躇なく使ってくる。
「その身体、ボクがもらうのです」
そう囁いた、次の瞬間――
ナズナは、林檎の首筋に噛みついたのだった。




