[32] ヤツの正体1
河川敷は、増水した時の為に広く取られている。
実際、大雨が降ると増水し、橋が通行止めになることもあるほどだ。
逆にいえば、平時は広い場所が確保できる。この建物が乱立している現代社会でも、魔法陣が自由に描ける場所は、ここや公園など、かなり限られる。
だから、ヤツがこの場所を選んだのも、偶然などではないのだ。
「ナズナ!」
その小さな背中が見えてきた。
林檎が大声で叫ぶと、ナズナがこちらを振り返ってくる。
「林檎お姉ちゃん? どうかしたのです?」
「よかった……! 無事だったんだ……!」
安心した様子で、林檎がナズナに駆け寄る。ナズナはきょとんとした様子で、それを眺めていた。
どこにも不思議な事はない。時間が真夜中で、人のいない河川敷で、ふらりといなくなったのが小学生の妹であること以外は、全然不思議でもなんでもない。
だが、問題はそんなことじゃなかった。
「っ、林檎、止まれ!」
「え……?」
俺は叫ぶのと同時に、一瞬で林檎に駆け寄って、その身体を抱き寄せた。
すぐその眼前を、一陣の風が通り過ぎる。
それは、巨大な剣を持ったルビーだった。
一瞬遅れて、剣の風圧が肌を叩く。少しでも遅れていたら、誰かが斬られていただろう。
「――惜しいところだったのに。邪魔をするな、コウヤ」
「お前こそ、俺の妹に手を出してんじゃねぇ」
睨み合いは一瞬。
ルビーはその切っ先を、俺たちに向けてはこなかった。
「勘違いをしているようだが。私は、お前の妹に手を出すつもりなどない」
「……やっぱり、そういうことか」
違和感の正体。
それは、ルビーに対するものではない。こいつは、何も変わってなどいなかった。
変わっていたのは、最初からずっとそこにあった、違和感の元凶だ。
「そこの女、どけ。そいつは、何としてでも殺す必要がある」
「ど、どうしてそんな酷いことを言うんですか……!? ナズナが、妹が、一体何をしたっていうんです!?」
ナズナに駆け寄った林檎が、両手を広げてナズナを守ろうとする。
しかし、ルビーは抑揚のない声で、その事実を林檎に突きつけた。
「それは、お前の妹ではない」
「何を言って――」
「林檎」
俺はルビーの隣に立つと、林檎に向けて言葉を重ねる。
「残念だが、その女騎士の言うことは正しい」
「え……?」
きょとんとした顔の林檎。それはそうだろう。いつも味方だった兄が、いきなり変なことを言い始めたのだ。
「お兄ちゃんまで、何を言ってるの……?」
ゆるゆると首を振って、林檎が拒絶の色を示す。
しかし、どれほど辛いことでも、言わなきゃならない。俺は、林檎の兄なのだから。
「最初から不思議だったんだよ。どうして、俺の妹大好きセンサーがナズナに反応しないのか」
「……言われてみれば」
背後にいた杏が、妙に納得した口調で頷いている。
そう。俺はこっちへ戻ってきてからも、林檎と杏に構いまくっていた。杏に殴られたり蹴られたりしても、気にもしていなかった。
しかし、ナズナに対してはどうだ。
正直、いてもいなくても、さほど気にも留めていなかった。俺が世界一愛する妹なのに、だぞ? いくら新しい妹だからといって、そんなこと、太陽が爆発したってあり得ない。
となれば、導き出される結論は一つ。
「答えは簡単だったんだよ。こいつは、俺の妹じゃない」
「…………」
指差されたナズナは、表情を変えず、じっとこちらを眺めていた。
色のない、冷たい眼差し。氷のように冷え冷えとした、深淵を思わせる底知れぬ眼だ。
俺はこいつを知らない。が、会ったことがないわけではない。
「な、何言ってるの、お兄ちゃん? ナズナは、私たちの妹で、お兄ちゃんの妹でもあるんだよ?」
「なら、教えてくれ。ナズナは今、何歳だったっけか?」
少し考えてから、先日の会話を思い出して林檎が告げる。
「ナズナは、八歳だよ。お兄ちゃんにも言ってたでしょ?」
「ああ。そう言ってたな」
そう、ナズナは八歳。本人がそう言っていた。
しかし、それはあり得ないんだ。絶対に。
「だが、それはおかしいんだ。俺がいなくなったのは七年前。ナズナが八歳なら、俺がいなくなる前に生まれているはずなんだよ」
あの時は、そもそも七年後に来たなんてショックが大きくて、そんな深刻には考えていなかった。
けど、よくよく思えば、変なのは間違いない。
「だから、俺がナズナを知らないはずがない。最初はナズナが歳を数え間違えているんだと思った。けど、そうじゃなかったんだ」
ちょっと数え間違えている、程度の話だったら、どれほどよかっただろうか。
しかし、俺の妹レーダーが反応しなかったのは、こいつを心のどこかで警戒していたからだ。
「ナズナなんて妹は、最初からいなかったんだよ。こいつは、俺たちの妹じゃない」
そして、そうだとするならば、その正体はこいつに決まっている。
「そうだろ? 魔王」




