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[31] 異世界と交信

 近所に、四角公園と呼ばれる公園がある。


 正式名称は知らない。

 俺が生まれる前からある公園で、近所の子供は必ずと言っていいほど、ここで遊んでいた。公園集合な、と言えば、ここに集まるのが暗黙の了解でもあった。


 七年経った今でも、ほとんど当時と変わらない状態を保っている。


 いくつかの遊戯は撤去されていたが、その分だけ、広く空間が使えるようになっていた。


 俺は転がっていた棒切れを拾い上げると、地面に大きな円を描いた。

 夜だが、あっちの世界とは違い、街灯があるため地面もはっきり見ることができる。

 俺は円を描いてから、その中心に向けて何本かの線を引いた。

 その上に向こうの世界で習った文字を綴り、髪の毛を二本、中央に置いた。

 それから棒を半分に折って、東西に一本ずつ突き立てる。


「――朱色に輝く精霊の尾を、我は見た。その弧は描く、無限の螺旋を、終わることなく、永遠に、永遠に、永遠に」


 詠唱に魔力を乗せつつ、魔法を発動させた。

 純粋な魔力が地面に描かれた魔法陣に流れ込み、薄っすらと光を放ち始める。

 それはやがて光量を増し、夜闇を照らすほどになっていた。とはいえ、普通の人間に見えるものではない。純粋な光ではなく、魔力の輝きだからだ。


「繋がれ。我が声を、永久の世界へと届けるために」


 そして、詠唱を完了すると同時に、ふっと魔法陣の上に人の姿が現れる。


『――え?』

「よう」


 それは、花瓶を持ったまま固まっている、リリミィだった。

 花でも差し替えようとしていたのだろうか。いきなり現れたであろう俺に唖然としてから、弾かれたように身を乗り出してきた。


『コ、コウヤ!? コウヤなのですか!?』


 目の前にはリリミィがいるものの、本物ではない。

 異世界に映像と声だけを繋げたのだ。

 向こうからも、俺の姿と声が認識できているはずだ。テレパシーを応用したものだが、異世界でも問題なく繋がるらしい。


 リリミィは目尻に涙すら浮かべると、感激に声を震わせた。


『よかった……! 心配していたのです! 無事なのですね……!』

「無事とは言い難いけどな」


 宝珠はなくても、会話することくらいはできる。とはいっても、今の俺の魔力は限界があるから、ずっとというわけにはいかない。

 俺は端的に用件を告げることにした。


「ルビーが来た。いきなり俺の妹に襲いかかって来たぞ。どういうことだ?」

『え……?』


 思わず花瓶を落としそうになったようで、リリミィは慌ててそれを抱え直す。

 しかし、驚きは隠せないようで、


『そんな……ルビーにはただ、コウヤを力ずくでも、場合によってはちょっと怪我させてもいいから探して連れ戻してください、とお願いしただけなのに……』

「物騒なお願いをするな」


 妙に好戦的だったのは、お前のせいか。


「つまり、妹を狙ったのは、ルビーの独断ってことだな?」

『おそらくは……けれど、あのルビーがそのようなことをするとは、とても信じられません』


 リリミィの言う通り、あの女騎士は姫の言うことには絶対服従だった。

 独断専行で動くことなどなく、むしろ慎重に行動をするタイプだ。その慎重さに助けられたことも少なくない。


『これは、推測なのですが』


 リリミィは口元に手を当てると、言葉を選びながら答えてきた。


『魔王の意志に憑りつかれているのかもしれません』

「魔王の意志?」


 聞き慣れない単語だ。

 リリミィは花瓶を置いて居住まいを正すと、ゆっくりとした口調で語り始める。


『あれから、コウヤが倒した魔王の亡骸を念のため調べさせたのです』

「後から息を吹き返す魔物もいるからな。けど、あの魔王からは、もう魔力の欠片すら感じられなかったが」

『そう、問題はそこなのです』


 リリミィが言うには、つまり、こういう問題が転がっていて。


『あれほど強大な力を持っていた魔王の亡骸に、微塵も魔力が残っていなかったことが、とても不自然なのです』

「……確かに、それは妙だな」


 あの時は元の世界へ還ることばかり考えていたため、そこまで気が回らなかった。

 相手が死んだからといって、急に魔力が消えるわけじゃない。

 魔力は自然に昇華してゆき、やがて世界樹へと集約されていくのだ。世界樹はそれを取り込んで浄化し、再び世界へ供給するという、循環器のような役割を担っている。


『魔王が死んだ時、同じ場所にいたのは私たち四人です。死の間際、魔王が誰かに憑依する魔法を使ったとしたのであれば』

「ルビーの奇行にも説明がつく、ってことか」


 あそこで、ルビーにとりついた、というのがリリミィの推測だ。

 確かに、その可能性は否定できない。というより、かなり高いような気がしてきた。


「ルビーを吹き飛ばせばいいのか?」

『いえ、仮にそんなことをしても、また別の誰かに憑依されてしまう可能性があります』

「なら、どうすればいい」


 こと魔法の知見については、リリミィはあの世界の中でも、屈指の知識量を誇っている。

 少し悩んだ素振りを見せてから、リリミィはこう告げてきた。


『ルビーの意識の中に潜り込んでください。魔王が憑依していのであれば、そこに魔王の意志がいるはずです』

「深層意識の中で叩け、ってことか」


 魔法と精神は大きく関係している。

 意志の力で操作するのが魔法だ。その魔法の制御は、精神そのものと言っても過言ではない。


『当然、かなり危険を伴います。それに、いくらコウヤが強い魔力を持っているとしても、外からサポートする者が必要です』

「それなんだけど」


 手を握ったり開いたりしながら、俺はリリミィに問いかける。


「こっちに戻ってから、徐々に魔力が減ってる気がする。というより、使った分が回復できなくなっているんだが、これってやっぱり、世界樹がこっちにないからな?」

『その通りです』


『魔力の源は、その多くが世界樹から供給されるもの。そちらの世界に世界樹がない以上、魔力を補充できる環境は著しく制限されます』

「魔力を戻せないってことか?」

『はい。コウヤはいわば、巨大な魔力を溜める瓶なのです。今はなみなみと魔力で満ちているでしょうが、使えば使うほど、それは減っていきます』


 昔、こっちの世界で魔法が使えなかったのは、そういう事情か。

 いくら器が大きくても、それを補充するものがなければ、空のまま。雨が降らないダムのようなものだ。


『そのため、魔王の意志を除去するチャンスは、一度きりだと思ってください。その一度で、コウヤの中の魔力はほとんどを使い切ってしまうでしょう』


 確かに、戻って来た時よりも魔力は減っている。

 しかし、これ以上、妹に危害が加わらないなら、魔力なんて惜しくはない。


「そういえば、この辺りで昏倒する奴が多く出てるんだが、何か関係があるのか?」

『魔力の源は、世界樹から供給される以外にも、なくはないんです』


 リリミィが言うには、自然界にはもともと、魔力が漂っているのだという。

 世界樹はそれを集めて効率よく循環させているだけ。つまり、魔力がこっちの世界ではゼロ、というわけではない。


『それは、人間の強烈な感情。特に、不安や恐怖といった感情から、魔力を錬成する術が知られています。もしかしたら、魔王が魔力を集めている余波なのかもしれません』


 大体理解できた。

 魔力をこれ以上無駄に消費するわけにはいかないから、一度切るぞ、と言って通信を遮断する。リリミィは何か言いかけていたが、大したことじゃないだろう。


「あ、いた!」


 地面に描かれた魔法陣を足で消していたところに、慌てた様子の杏が駆け込んできた。

 息を切らせ、肩を弾ませながら、こちらの腕を取ってくる。


「? 杏、どうした?」

「どうした、じゃないわよ!」


 家の方を指し示しながら、杏は悲愴な声を上げた。


「ナズナがいないの!」

「何……?」


 公園の時計を見上げれば、もう、午後十時半を回っていた。

 いくらなんでも、小学生が散歩するには遅過ぎる時間だろう。


「トイレじゃないのか?」

「トイレもお風呂も屋根裏にもいなかったわ! 今、林檎と手分けして捜してるんだけど……!」


 俺は軽く目を閉じて、魔力を広範囲に展開してみる。

 魔法を使ったソナーみたいなものだ。見知った相手であれば、半径五キロくらいならこれで探し当てられるのだが――


「……いないな」

「だから、そう言ってるじゃない!」


 そうではない。五キロなんて、そう簡単に移動できる距離じゃない。

 それでも見つからないならば、圏外に抜けているか、もしくは、誰かが意図的に妨害しているかだ。


「前にも、こんなことはあったのか?」

「前? えっと、どうだったかな……」


 杏が考え込む。しかし、なかなか答えは出てこなかった。

 何かがおかしい。

 違和感が、胸の中から消えない。ちりちりとした嫌な予感が、俺の神経を逆撫でしてくる。


「とにかく、探すぞ。心当たりはないのか? 行きそうな場所とか」

「あの子が行きそうな場所……? どこだろう……」


 歩き出しながら、杏は悩む。しかし、やはり結果は同じだった。なかなか言葉が出てこない。


「どうして……? 何も思い浮かばない……あれ……? あの子、どこの小学校だったっけ……?」

「おいおい、大丈夫か? まさか、魔法が」


 杏の頭に手を当てて、変な魔法がかかっていないかを調べる。

 こういう魔法は得意じゃないが、杏に異常は感じられなかった。


「……特に呪いなんかはかかってないみたいだな」

「うん……でも、思い出せないの。ナズナのこと。どうして……?」


 杏も違和感を覚え始めた様子で、必死に悩んでいる。

 そもそもとして、最初から変ではあったのだ。しかし、それを変とは思わなかった。

 それが何故なのかに思い至ろうとしたところで、


「お兄ちゃん!」

「林檎」


 今度は林檎がすがりついてきた。

 悲愴さを前面に押し出した表情で、俺の胸元にすがりついていくる。


「どうしよう……! ナズナが、ナズナがいなくなっちゃったよぉ……!」

「落ち着け。大丈夫だ」


 頭をぽんぽんと撫でてやるも、林檎はイヤイヤするように頭を振るだけだった。


「でも、でも……! ナズナがいなくなっちゃったら、私、私……!」


 誰かを失うことを、極端に恐れている。杏が言っていたことは、本当に正しかったようだ。


「まずは見つけてからだ。行くぞ」


 もう一度、魔法で探索をかけてみる。

 すると、さっきとは別の魔力反応が引っかかった。ナズナのものでもない。ルビーのものでもない。これは――


「この魔力は……魔王の……!」


 間違いない。

 強烈過ぎて、大陸の端にいても感じられるほどの魔力だった。人々はその魔力に怯え、恐れ、そして、ただただ畏怖していた。

 そんな強烈な魔力が、こちらの世界で具現化し始めている。


「あの光、何……? 川の方で凄い光ってるけど……」


 普通の人には見えない、魔力の光だ。

 夜を照らさんばかりに光り輝いているが、魔力の光を普通の人間は認識することはできない。


「杏、あれが見えるのか?」

「え? だって、光ってるじゃない」


 何を言っているんだ、とばかりに、杏が眉をひそめる。


「そういえば、魔力の強さは遺伝することが多いって、リリミィが言ってたな」


 もしかしたら、杏には魔法の才能があるのかもしれない。


「なあ、杏」

「な、何?」

「さっき、ナズナのことが思い出せないって言ってたよな」

「え、ええ。でも、きっと、慌ててるからで……」

「林檎はどうだ」


 何を言われているかわからない、と首を傾げた林檎に、俺は改めて問いかける。


「もしかして、ナズナの昔のこと、思い出せないことが多いんじゃないか?」

「そ、そんなこと……」


 答えようとして、林檎は口ごもった。

 やっぱりそうだ。杏も林檎も、ナズナのことを思い出せていない。

 いや、そうじゃない。

 最初から、何も知らないんだ。


「誕生日は? 通っていた幼稚園は? 血液型は? 一緒に遊んだことは? 好きな食べ物は?」

「それは……それは……」


 林檎が困惑したように下を向く。ど忘れとは違う。探しても探しても、その片鱗すら見つけられないのだ。


「やっぱり、思い出せない。どうしてだろう。頭に霧がかかったような……」


 思考の渦に入った林檎を止めて、俺は改めて二人に声をかける。


「とにかく、行こう。あそこに、ナズナがいるはずだ」


 場所は、すぐ近くの河川敷。

 俺の予想通りであれば、あいつがそこにいるはずだ。


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