[27] バイト2
バイトは夕方まで続き、そこで終了となった。
『お疲れさまでしたー!』
着替えを終えた俺たちは、裏口から外に出た。
夕方のバイトの人と交代してから、店長が見送りに来てくれる。
「いやー、今日は本当に助かっちゃったよ」
「いえ、こっちこそ楽しかったっす」
なかなか新鮮な体験だった。
意外なことに、そこそこお店は繁盛しているらしく、ひっきりなしに客が訪れていた。
ほとんど休みを取る間もなく、走り回っていた。俺と林檎はホールもキッチンもこなせるので両方に顔を出し、杏はホールとレジを忙しく往復し、たまに脱走しそうになる愛玩動物たちを魔眼で脅しつつ、無事にバイト終了の時間と相成った。
「ネコちゃん、またねー」
「子犬くんも、バイバイ」
店長が抱えているネコと子犬が、疲れた様子で鳴く。
「……にゃー」
「わん……わん……」
翻訳すると、こんな感じだ。
『二度と来るな、この疫病神め!』
『今度来たら、バックからヒィヒィ言わせてやるからな!』
「あ?」
『はい、すみませんでしたッ!』
懲りない奴らだ。
そんな腕の中で大人しくしている動物たちに、店長は首を傾げる。
「どうしてか、この子たちも大人しかったからねー。お客さんの評判もよかったし」
いつもは逃げ出したりするそうなのだが、今日に限ってはそんなこともなかった。自主的に曲芸まで披露してくれたほどだ。
「あ、そうそう、はい」
「? なんすか、これ」
「バイト代だよ、バイト代」
茶封筒を渡しながら、店長がほくほく顔で頷く。
「臨時だったし、この間のお礼もあるから、弾んであるよ。といっても、ウチも厳しいから大したことないんだけど」
「いえ、あざっす。助かります」
「ありがとうございます、店長さん」
「……どうも」
素直に嬉しい。これで、スマホなるものを手に入れるのに一歩近づいたな。
「そういえば、ナズナは?」
「奥のスタッフルームで寝てるよ。起こしてこよっか?」
「いやいい。俺が行くよ」
俺は一度戻ると、パイプ椅子に座ってすやすや眠っているナズナの肩を揺らした。
「ほれナズナ。帰るぞ」
「むみぃ……?」
寝ぼけた声を上げたナズナは、ぱちぱちと瞬きをしてから、こちらを見上げてきた。
「お仕事、終わったのです?」
「ああ、ばっちりだ。腹減っただろ? スーパー寄って帰ろう」
「はいです」
ぴょんと椅子から飛び降りて、てとてと走ってくる。この子も、不思議な子だな。何というか、掴みどころがない。最近の子って、みんなこんな感じなのか?
「じゃ、行こうか」
店長に改めて礼を言ってから、俺たちは帰路についた。
しばらく歩いたところで、林檎が俺の裾を引っ張ってくる。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「ん?」
「はいこれ」
差し出してきたのは、先ほど店長から受け取った茶封筒だ。
「これって……林檎のバイト代じゃないか」
「うん。お兄ちゃんスマホ買うんでしょ? 一人じゃ足らないと思って」
「いや、確かにそうだけど、これは林檎が稼いだものじゃないか」
「いいのいいの」
林檎はにこにこと笑顔を浮かべたまま、言ってきた。
「だって、私もお兄ちゃんとラインしたいもん。だから、ね?」
「林檎……!」
何ていい子なんだ。こんな天使のような子が他にいるだろうか。いや、いるはずもない。何せ、俺の妹は世界で一番可愛いんだからな。
「……林檎がするなら、わたしもしないといけなくなっちゃうじゃない」
ぶすっとした表情で、杏も茶封筒を俺に押しつけてくる。
「杏……いいのか?」
「別に、お小遣いは貰ってるし。バイトは楽しかったし。その、連絡が取れないと困る時があるかもしれないし」
「杏……!」
茶封筒を受け取った俺は、感涙を止められず、だーっと涙を流し続ける。
「うおおお……俺は……俺はなんて素晴らしい妹を持ってしまったんだ……!」
「ちょっと、やめてよ恥ずかしい!?」
杏は真っ赤になって慌てるが、こんな嬉しいことを我慢できるはずがない。
俺はごしごしと涙を拭うと、
「早速買いに行くか!」
「はーい!」
「しょうがないわね」
「ナズナも行くのです」
行き先を変更。そのまま駅前にある電器屋へと直行した。
あの時から、キャリアの数も種類も変わっていない。
ただ当時と違ったのは、並んでいる機種のほとんどがスマホになっていることと、その値段だ。
前は五万円を超す携帯なんてほとんどなかったのに、むしろ、五万円を下回るスマホがほとんど見当たらない。
しかも、消費税が上がってる。みんな、よくこんなのほいほい買えるな。
「それで、林檎印のはどれだ?」
「私とは関係ないけど……これだよ、これ」
店の一番目立つところに置いてあった、四角い長方形の物体。
ふむ、なるほど。他の奴との違いがわからん。
「アイホン。オシャレだしサクサク動くから、持ってる人も多いみたい」
「なるほど。じゃあこれで」
店長がバイト代に色をつけてくれたおかげで、なんとか買えそうだ。分割払いも出来るみたいだから、残りは追加のバイトで払うか。
そう思い、見本のスマホを手にした、その刹那。
「…………!」
俺は弾かれたように背後を振り返る。
この数日、無縁だった感覚。全身の肌に粟が立つような、刃を突きつけられたかのごとき緊張感。
これは、いや、そんなはずは――
「? どうしたの、お兄ちゃん?」
「……いや、今一瞬、魔力を感じた……気がするんだが」
しかも、強烈な悪意と共に、ぶつけられた気がした。
気のせいか? 実戦から少し離れているので、感覚が鈍っている可能性は十分にある。
周囲に視線を走らせるも、それらしき人物はいなかった。
そうこうしている間に、魔力の気配が霧散する。
「ナズナ、それが欲しいの?」
「これ、何です?」
「これはね、スマホって言うんだよ。遠くの人とおしゃべりしたり、メッセージのやり取りができるの」
ナズナと杏は、何も気づいていないようで、スマホを前にしてお喋りを続けている。
「こんなに小さいのに、そんなことできるのです? 魔法の道具なのですか?」
「魔法みたいだよね。でも、これは電気で動いてるんだよ」
ぽちぽちやりながら、使い方を説明する杏。ナズナの方は、物凄く興味深そうにその光景を眺めていた。
「……不思議なのです」
「ナズナはスマホ持ってないからね。もうちょっと大きくなったら、お父さんに頼んで買ってもらうといいよ」
なおも不思議そうにしているナズナ。
こういうのは苦手なんだろうか? 小さい子でも、周りが使っていたら慣れてそうな気もするけどな。
「しかし、杏はナズナには優しいんだな」
「杏はね、実は子供好きだから。近所の子供たちからも、大人気なんだよ」
嬉しそうに林檎が言う。あの小さくて泣き虫だった杏が、と思うと、結構、感慨深いものがあるな。
それから契約を済ませ、店を後にした。契約時にちょっとだけ魔法を使ったのは内緒だ。
「アイホンに入れたぜ!」
よく考えると、携帯とかスマホだって、魔法みたいなもんだな。少なくとも、リリミィあたりに見せたら、新しい魔法だと大騒ぎすることだろう。
やっぱり興味あるのか、しげしげとナズナがそれを見ていた。
「お兄ちゃん、ライン登録しよー」
「おー、使い方教えてくれ」
言われるままにアプリをダウンロードし、IDを交換する。
なるほど、やっぱりチャットみたいなものだな。それよりも手軽にできるから、便利なのはわかる。
「杏も教えてくれ」
「嫌」
「何でだ!?」
せっかく買ったのに!
「何かキモいから」
「キモくない! だってほら、新品だぞ!」
こんなにつやつやじゃないか。カバーを買わなかったが、それが気に入らなかったのか? だって、携帯にカバーなんてつけてたヤツ、昔はいなかったぞ?
「杏も意地悪しないでお兄ちゃんに教えてあげなよー。ね?」
「……まったく、林檎は甘いんだから……」
林檎に言われて、しぶしぶといった様子で、杏がこちらに手を差し出した。
「しょうがないから、ほら、スマホ貸して」
その細い手の上にスマホを置くと、目にも留まらぬ速さで画面を操作する。
あっという間に登録を終えたらしく、すぐさまこちらに返してきた。
「――はい、これで登録完了だから」
「おお、サンキュー」
ちゃんと画面には、リンゴ、アンズという二人の名前が登録されている。これで、もし離れていても妹たちと連絡が取れるようになったな。
「一分ごとに、杏大好きってメッセージ送るからな」
「やめてよ、鬱陶しい!?」
本気で鬱陶しそうにしながら、杏がそっぽを向く。素直じゃないな。よし、一分じゃなくて三十秒ごとにしてやろう。




