[24] 午後の授業
午後一の授業は、バスケだった。
「懐かしいな」
体育館でボールをばむばむしながら、自然と口元が緩む。
異世界では、もちろん、こんな遊戯はなかった。みんな、生きるのに必死で、遊んでいる暇なんてない、ってな感じだった。
とはいえ、息抜きをしなければ、人は生きていけない生き物だ。
時々、リリミィを相手に、占いとかしてやった。林檎たちを喜ばせるために覚えたものだが、これが何故だか、女性受けがいい。
適当に現地で作ったタロットカードの占いが特にお気に入りで、何度もせがんできたのを覚えている。
妙に恋愛運ばかり占うように言っては、恥ずかしがっていたが、あれは一体何だったのだろうか?
「お兄ちゃん、中学の時、バスケ部だったもんね。今でも、あの中学の最高得点試合記録が残ってるんだよ」
「ああ、あったな、そんなこと」
そう、こう見えて、中学時代はバスケ部だった。
特別な理由があったわけじゃない。あの時はまだ、比較的両親が家にいたから、何かやってみるか、と思っただけだ。
で、やってみたら案外性に合っていた。地方の弱小中学だったが、全国大会まで行ったほどだ。
実は高校のスカウトとかもあったが、全部断った。高校になったら、辞めるつもりだったし、実際そうしたからだ。
「お兄ちゃん、運動神経いいのに、どうして高校で部活しなかったの?」
「そんなの、決まってるだろ?」
ふっ、とわざとらしく髪をかき上げると、俺は世界の真理を囁く。
「妹と――林檎と杏と一緒にいる時間を増やすためだ!」
「お兄ちゃん……!」
「林檎……!」
ひし、と抱き合う。
その一部始終を見ていた先生が、おそるおそる、といった様子で声をかけてきた。
「あのー、そろそろ授業始めてもいいかな……?」
『どうぞ』
兄妹揃って答える。
周りがドン引きな目で見ているような気もするが、気にしない。何故ならば、俺は妹が大好きで、それ以外はどうでもいいからだ。
必要とあらば、総理大臣だって殴ってみせら。けど、妹だけはかんべんな?
「じゃあ、男女混合で試合するね。最初は二人一組でパスの練習から」
そうして、授業が始まる。
大きな籠からボールを一つ取ると、ジャージ姿の林檎がぱたぱたと駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん、一緒にやろー?」
「おう、もちろんだ!」
他のモブどもに用なんかない。この中で俺が一緒にやりたいのは、林檎だけだ。
「えへへ、昔は小っちゃかったからできなかったけど、ホントはずっと、お兄ちゃんと一緒にバスケしたかったんだー」
「林檎……」
嬉しそうにほんわか笑う林檎。
慣れない手つきでボールをだむだむしてから、こちらにパスしてきた。
「お兄ちゃんが中学生の時、地区大会に応援行ったの覚えてる?」
「ああ、もちろん」
右に逸れたボールをキャッチしながら頷く。
あれは確か、中学三年で、引退する前の試合だ。
二人ともまだ小さかったが、会場となったスポーツセンターで、林檎と杏が応援に来てくれたのだ。
「あの時は林檎たちが応援に来てくれてたから、張り切ったなー」
「うん。凄かったよ、あの二十連続スリーポイントシュート」
球技は苦手ではない。
というより、昔から得意だった。
相手方のチームには、少し悪いことをしてしまったかもしれない。俺は別にシューターでも何でもなかったが、林檎たちが応援に来てくれて、ちょっと張り切り過ぎてしまった。
「あの時は、それがどれくらい凄いのかわからなかったけど。バスケットの授業を取って、すっごく難しいって知ったんだ」
「いや、別に大したことないだろ。だって」
緩いパスを返しながら、俺は歯を見せて笑う。
「妹が応援に来てくれたんだぞ? あれくらい活躍できなくてどうする」
「さすがお兄ちゃん、凄いなー」
本心からそう思っているようで、林檎が両手でボールを掴む。
そのボールに視線を落としながら、林檎は微笑んだ。
「私は運動オンチだから、バスケットとか苦手なんだ。一緒にできるのは嬉しいけど、お兄ちゃんの邪魔になっちゃうかな……」
「心配するな、林檎」
再びパスされたボールを左手で受け取り、それに回転をつけて人差し指の上でくるくる回した。
「妹をサポートするのは兄の役目だ。俺がいる限り、林檎はいつでも無敵だから安心してろ」
「お兄ちゃん……」
きらきらと、眩しい妹の眼差しが俺に向けられる。
にへら、と頬を緩めると、林檎がうんうんと頷いてきた。
「やっぱりお兄ちゃんは凄いなー。私のお兄ちゃんは世界一だよ。えへへ」
私のお兄ちゃんは世界一。
私のお兄ちゃんは世界一。
私のお兄ちゃんは世界一。
国民栄誉賞を貰うよりも、ノーベル物理学賞を授与されるよりも、価値のある言葉だ。この一言のためなら、俺は死ねると言っても過言じゃない。いや、むしろ、もう死んでもいい。
「はーい、じゃあそろそろ練習試合始めるよー」
今日は練習試合の日らしい。
ナイスタイミングだ。試合ならば、この俺が世界一のお兄ちゃんであることを林檎に見せてやれる。
「よっしゃ、ばっちこーい!」
気合十分。いつでもいける。さあ、試合しようぜ。
「なんか、すげー気合入ってるぞ、あの転入生……」
「野球か何かと勘違いしてないか?」
「九段下の兄貴なんだっけ? 昼間、佐柳たちをボコボコにしてたらしいぞ」
「しっ、聞こえるよ」
外野が何かを言っているが、そんなのはどうでもいい。俺は林檎にだけ見てもらえればそれでいいのだ。
「……ぶっ殺す」
お、昼間の茶髪もいるのか。面白いじゃないか。俺の妹に色目を使うとどうなるか、その身体に教え込んでやる。
「ほれ、準備できたヤツからクジ引けー」
プラスチック製の細い棒でできたクジが入ったお菓子の缶を差し出される。
手作り感満載だが、何度も使い回しているものだろう。というか、俺が通ってた時にもあったぞ、これ。
だからこそ、クジの特徴はよく知っている。
順番に回ってきたクジを、俺と林檎も引いた。書かれていたのは、2の番号。もちろん、二人とも同じだ。
「やった、お兄ちゃんと一緒のチームだね!」
「はっはっはっ、当然だ。運命だからな」
言って、クジをひらひらする。
実は魔法でクジを操作したのは内緒だ。まあ、説明したところで、誰も信じてくれはしないだろうが。
「じゃ、試合始めるぞー」
俺たちは、男子三人、女子二人のチームだ。
対戦相手も同じ構成。両方とも、現役バスケ部はいない。であるなら、負ける要素はない。
何故かって? 俺が林檎と同じチームだからだ。
「ジャンプボール、俺やっていいか?」
「うん。みんな、いいよね?」
林檎の問いかけに、チームメイトはぎこちなく頷く。
俺がハーフコートの中央へ歩み出ると、向こう側からは茶髪が進み出てきた。
「お」
「……テメェ」
殺さんばかりの勢いで睨んでくる。
どうやら、さっきの醜態を恨んでいるらしい。むしろ、あの程度で済ませたことに感謝して欲しいくらいなんだが。
俺は首の後ろをがりがりと掻くと、
「あっち行く前なら、そんだけ睨まれたらさすがにビビったかもしれないが」
バスケには自信ありだったが、別に喧嘩が強かったわけではない。
街中で不良がたむろしていれば避けるし、人相の悪い連中と目を合わさないくらいのことはしていた。
しかし、この三ヶ月間で味わった様々な事象を考えれば、その辺りはもうどうでもよくなる。
「サーベルタイガーの群れに襲われた時のことを思えば、子猫がじゃれついてきてるくらいにしか感じられなくなっちまったな」
「殺す……!」
気安くそういうことを言うもんじゃないぜ? 威嚇をした側が殺されることだって、少なくなかったんだからな。
「安心しろ。魔法は使わないでやる」
そして、ジャンプボールが始まる。
「……っ」
「――――!」
高く放り投げられたボールを取ったのは、俺だった。
後ろに弾いたボールをチームの一人が拾い、別の一人にパスする。相手チームがそこへ殺到するも、手早く林檎にボールを渡した。
「林檎!」
「はい!」
林檎は、走り出した俺にボールを投げてくる。かなり逸れた軌道だったが、そんなものは関係ない。妹が投げたボールを受け止められない兄など、いるはずがないからだ。
「よっと」
「この……!」
茶髪が俺のところに突っ込んでくる。が、遅い。
俺はハーフコートの半分くらいの位置で、シュート体制に入った。普通のコートだって、スリーポイントのサークルよりも、ずっと遠い位置だ。
「必殺、遠距離スリーポイント!」
そして放ったボールは、綺麗な弧を描いてゴールネットに吸い込まれる。もちろん、魔法は使っていないぞ。
おお、という歓声の中、ひときわ大きな声が聞こえてくる。
「すごーい! お兄ちゃん格好いいー!」
「はっはっはっ! そうだろそうだろ?」
妹のためならば、俺はなんだってできる。
ちなみに、ハーフコートなので、スリーポイントはないらしい。
「よこせ、カウンターだ!」
茶髪がすぐさまボールを持って、自陣に切り込んでくる。
「ふっ、そんなもん見切ってるわ!」
すぐさま、ディフェンスに入る俺。そんな俺を見て、茶髪は獲物を前にした鷹のように、視線を鋭くした。
「……死ねよ」
「っ」
ダッキングの要領でこちらの懐へ潜り込むと、周囲から見えないように、ボディーブローを放ってくる。
ボクシングの経験でもあるんだろうか。そこそこ、悪くない動きだった。
――そう。悪かったのは、喧嘩を売った相手だけだ。
「ぐあ……っ!?」
いきなり、拳を押さえて蹲る。
その拳は、俺には届いていない。その直前で、見えない障壁に阻まれて弾き返していたからだ。
「残念だったな。魔法は使わないと言ったが、パッシブで発動するものに関しては例外だ。俺にも止められないからな」
本来は時間が経つと切れるらしいが、俺の場合、強力にかけ過ぎていつ切れるかわからないらしい。無理矢理解除できないわけでもないのだが、必要もなかったので、やり方は教わっていなかった。
俺はボールを拾い上げると、再びシュート態勢に入る。
「というわけでシュート!」
再び弧を描いたボールは、磁石に吸い寄せられたかのような軌道で、すぽっとゴールに吸い込まれた。
「お兄ちゃんすごーい!」
ぴょんぴょん飛び跳ねながら、林檎が喜んでいる。
俺はそんな林檎にサムズアップしてから、茶髪に向き直って、サムズダウンしてやった。
「かかってこいや、デクの棒」
「絶対殺す……!」
ばちばちと、コート上で不可視の火花が散る。
周囲の生徒たちは、奇妙なものでも見るような目で俺たちを眺めていた。
「これ、バスケの試合だよな……?」
「なんで死ねとか殺すとか言ってんだ、あいつら……?」
「魔法って何のこと……?」
外野があれこれ言っているが、どうでもいい。俺が求めるのはただ一つ。妹からの賞賛だけだ。
「うおら!」
茶髪が鋭く切り込み、見た目とは裏腹の地味で堅実なレイアップを駆使して点を取る。
「見たか、このクソが!」
「もらい」
「あ、テメェ!?」
すぐさま再開して、俺は一人で残りの四人を抜き去り、同じくレイアップで決めてやった。
どうだ、お前ごときには負けんぞ、と鼻で笑ってみせる。
そうこうしている間に、周りはにわかに騒がしくなっていた。
「おい、あいつをバスケ部にスカウトするぞ!」
「いや、あの運動神経、野球部に欲しい逸材だな」
「とんでもない加速だ。奴は天性のリベロに違いない」
勝手に何処の部活へ入れるか、を相談し始めていた。
一方、同じコートにいる面々は、
「つーか、二人で試合してんだけど……」
「あたしたち、どうすればいいの?」
「いいんじゃない、見てれば。というより、何であの距離でシュート入るの?」
もはや傍観者となり、俺と茶髪との一騎打ちを眺めている。というより、巻き込まれないように退避している、と言った方が正しいか。
「お兄ちゃん、頑張れー!」
ただ一人、林檎だけが楽しそうに応援してくれていた。




