[11] 違和感の正体1
九段下家のリビングに、不穏な空気が流れていた。
俺がいた頃にはなかった物が、家の中で溢れている。
かといって、全て違うかと言われれば、そういうわけでもない。
飛騨の家具だと親父が自慢していたテーブルセットや、カウンター式のキッチンは昔のままだ。
しかし、冷蔵庫は見たことのないモデルになっているし、壁にかかっている時計も真新しいものになっていた。
そんな中で、俺は目の前に座る二人の少女に問いかける。
「――――それで、一体どういうことなんだ?」
「こっちのセリフよ!?」
テーブルの上のカップがひっくり返りそうになるほど、片割れの方が強く卓上を叩いた。
後から家に入って来た方だ。刺々しい雰囲気を隠しもせず、親の仇でも見るような目でこちらを睨んできている。
その目は、どこかで見たことのあるものだった。
鋭い視線から逃げるように、俺はリビングをぐるりと見回す。
「机と椅子は同じだけど、こんなカーテンじゃなかった……配置も違う。この本棚もなかった。前はここにでっかい絵があったのに、テレビに代わってる……」
間違え探し、なんてもんじゃない。
根本的に違う部分が多過ぎた。かといって、見覚えがあるものもある。
別の家に戻ってきたんじゃないことは間違いないが、一体、どうなってんだ?
いや、家の中の違いはまだいい。模様替えしたんだと言われれば、納得できる範囲だ。
しかし、そうはいかない違いが、目の前に鎮座している。
「はい、どうぞ、お兄ちゃん」
のんびりと急須からお茶を淹れて俺の前に差し出したのは、シャワーを浴びていた方の子だ。
髪を乾かすのもそこそこにしていたので、わずかに毛先が濡れている。
にこにこと楽しそうに笑う表情は、やはり、見覚えのあるものだった。
「…………」
「? どうかしたの?」
ちょこんと首を傾げる。
売れっ子アイドルに微笑まれたって興味を示さない俺が、この少女の笑顔には強烈な反応を示さざる得なかった。
信じたくはないが――やっぱり、そういうことなのか?
「どうかしたの、じゃないわよ。ねえ、林檎。早く警察呼ぼうよ」
「もー、杏ったら。お兄ちゃんにそんなこと言ったらダメじゃない」
林檎。
そして、お兄ちゃん。
俺の知る限り、俺をお兄ちゃんと呼ぶ人物で、かつ、林檎と言う名前の女の子は、世界にただ一人しか存在しない。
「……お前、本当に林檎なのか?」
「もうもう、お兄ちゃんまで」
ぷー、と頬を膨らませ――非常に可愛い――女の子が不満を表現する。
子供の頃、つまらないテレビ番組に飽きた妹の林檎が、よく見せた表情だ。
「私は正真正銘、お兄ちゃんの妹の九段下林檎だよ。ほら」
言って、少女は学生証をこちらに差し出してくる。
その学生証には、ちょっとだけ緊張した表情の女の子が、真っ直ぐな眼差しでカメラを見据えていた。
書かれている名前は『九段下林檎』。俺の妹の名前と同じだ。
しかも、この学生証のデザイン、見覚えがあるぞ。
「これ……山野辺学園の……」
「うん、お兄ちゃんと同じ高校」
「高校って――」
そう、これは、俺の通っていた高校の学生証だ。
いや、待て待て。林檎はまだ、十歳なんだぞ?
人間は三ヶ月で、七歳も年を取ったりしない。だとするなら、考えられる理由は一つだ。
「むしろ」
林檎を名乗る少女は、上目遣いを作ると、おずおずと尋ねてくる。
「本当に、お兄ちゃんはお兄ちゃんなの? あの時と、まったく変わってないみたいだけど……」
あの時。花火大会で、異世界に飛ばされた時のことを言ってるんだろう。
俺が答える前に、隣に座っていた少女が再び吠える。
「だから、そんなはずないって言ってるじゃない! こいつはただの変態! 今すぐ警察に突き出すべきなのよ!」
憤りを隠さない少女。
隣が林檎なら、こいつは杏ってことになる。
確かに、二人とも面影はあった。子供の頃から、美人姉妹として近所では評判だったのだ。
まさか、自分と同い年になった妹たちを、こんな早く見れるとは思ってもいなかったが。
まあ、ともかくだ。まずは、林檎たちの懸念を取るところから始めよう。
「九段下紅也、十七歳。山野辺学園二年、高校では部活には所属していない。中学の時はバスケ部。子供の頃の習い事は水泳、英会話、ソロバン、剣道だ。趣味は妹観察、特技は妹の食べたい物を当てること、将来の夢は妹のお婿さんだ」
「わ、やっぱり、お兄ちゃんだ!」
「ちょっと待ちなさいよ!? どう考えても、ただの変態にしか聞こえないわよ!?」
二人の反応は対極的だった。
特に杏は、メラメラと燃えそうな眼で俺を睨んでくる。
おかしいな、子供の頃は兄さん、兄さんって可愛く俺の後をついてくる素直な子だったのに。
「なら、わたしの質問に答えてみなさい。本物の紅也兄さんなら、簡単に答えられるはずだから」
「いいぞ。どんとこい」
胸を叩く。当然だ。嘘なんざついてないんだからな。
「父さんの仕事は?」
「写真家。主に風景が多いけど、雑誌に頼まれて人物を撮ることもある。仕事用カメラはキヤノン派」
「母さんの仕事は?」
「通訳。英語と広東語とロシア語ができる。いろいろな企業から現地で通訳を頼まれることが多い。航空会社はANA派」
「わたしたちの誕生日は?」
「林檎が二月二日で、杏が八月十二日。俺の誕生日は十二月五日だ」
「あそこにある鳩時計はいつ買ったもの?」
「林檎の六歳の誕生日に、親父が買ってきたものだな」
「青いアルバムには何が入っている?」
「林檎の写真。赤いのは杏の写真で、白いのは家族全員の写真だ」
「この家の屋根裏部屋には何が置いてある?」
「そんな部屋はない。この家はただの二階建てだ」
つらつらと、淀みなく即答する。
杏が悔しそうに唇を噛んだ。そりゃ、全て正解なんだからそうなるだろ。
しかし、杏はなかなか諦めが悪いらしく、
「じゃあ、紅也兄さんが集めていた漫画は?」
「ワンピース、ナルト、ヴィンランドサガ。他は買ったり買わなかったりだな」
「あ、ちなみに、ナルトは終わったから」
「なんだとッ!?」
そんなバカな……! どう考えたって、簡単に回収できる伏線の量じゃなかっただろう!?
「あの広げまくった風呂敷をどうやって畳んだんだ! まさか打ち切りじゃないだろうな!?」
「ルフィーも大変なことになってるし」
「ネタバレすんな!」
思わず止める。
けど、今のやり取りで、はっきりわかったことが一つだけある。
「……けど、やっぱり、そういうことか」
おかしいのはこの世界じゃない。俺の方だってことだ。
さらに言うなら、俺がいる時間軸が問題なんだ。
「今は、あれから何年経ったんだ?」
林檎が、壁にかけられたカレンダーを指差す。
そこに記されていた年数は、俺が飛ばされた時とは違う年を示していた。
それはつまり、こういうことで。
「花火大会のあの日――お兄ちゃんがいなくなってから、もう、七年経ったんだよ」




