[01] 異世界で魔王は倒しましたが
「ま、待ってください勇者様!」
「ああもう、離せ!」
俺は、追い縋って来る少女――リリミィを振り切って、進み続ける。
それでもしつこく縋ってくるリリミィに、俺ははっきりと叫んだ。
「俺は元の世界に還るんだって言ってるだろうが!?」
「ど、どうしてなのですか!?」
何故だか、リリミィが物凄く驚いた表情を向けてくる。
リリミィの長い蜂蜜色の金髪が、きらきらと輝いていた。
ぱっちりとした瞳や、透き通るような白い肌などは、王国の至宝と謳われているほどだ。
これで王女様なのだから、人生勝ち組と言っても過言ではないだろう。
しかし、リリミィは今、これまで見たことがないほどに激しく動揺していた。
そして、その原因は、どうやら俺にあるらしい。
「せっかく、勇者様が魔王を討伐してくださったのに……! 父上――国王陛下を始め、国中の国民が英雄の凱旋を待っているのですよ……!?」
「だから、そんなものに興味はない!」
俺たちがいるのは、巨大な城――魔王城のど真ん中だ。
とはいえ、魔王も、その配下の魔族も、姿は見当たらない。
それはそうだろう。
何故ならば――
――今まさに、俺たちは、魔王討伐を完了したばかりなのだから。
「俺がアレを倒したのは、そうしないと元の世界に還れないってお前が言ったからだ!」
「そ、それは、そうなのですけれど……!」
アレ、と指差された先には、魔王と呼ばれていた存在がズタボロになって転がっている。
ぷすぷすと黒い煙を上げているのは、俺の放った禁呪で吹き飛ばされたからだ。
本当は世界を粉々にしかねないから、絶対に使ってはいけないと、教えてくれた森のハイエルフは言っていた。
だが、そんなことは知らない。
魔王城へ乗り込み、玉座の間へ到達した瞬間、俺は禁呪を問答無用でぶっ放した。そして、魔王は一瞬で黒焦げになった。
魔王は何か言いかけていたが、聞き取れなかった。別に聞く必要もないだろう。
どうせ、俺は元の世界に還るんだから。
「時空を繋ぐ宝珠を、魔王が奪ってしまったことで、天の扉が閉じてしまったのが原因で、勇者様は帰れなくなってしまったのですが……」
「宝珠……宝珠……」
魔王の座していた玉座の裏。
そこに、魔王が世界中から集めたお宝が山を築いていた。
剣、槍、斧などの武器や、金の杯、宝石を散りばめた扇、巨大な水晶など、あらゆる国から集めさせたであろう宝物が山積していた。
しかし、金銀財宝なんぞに興味はない。
俺は不要な物をどかして道を作ると、その両手に収まるくらいの球体が姿を現した。
「あ、これか……!」
それは、うっすらと濃い魔力を放っていた。
溢れんばかりの魔力が込められた、透明の石。宝珠と呼ばれる特殊な魔石であることはわかるが、これほど大きい物を見るのは初めてだ。
横からひょっこり覗き込んできたリリミィも、こくこく頷いてくる。
「は、はい、間違いありません……それが我が王家に伝わる、異世界との道を繋ぐ宝珠『アーデルハイムの涙』です」
魔王の襲来を受けた時、配下の魔物に奪われてしまったらしい。
俺をこの世界へ引きずり込むために使った宝珠とは、また別の物だ。
かなり貴重な物らしいが、その辺りはよく知らない。この世界の貨幣価値も、結局あまり理解せぬまま、ここまで来てしまった。
俺は宝珠を両手に抱えたまま、魔力の流れをゆっくりと、それでいて確実に読み取る。
「ですが、その宝珠は歴代の大神官長ですら扱うことが困難なほど、強大な魔力を――」
「――よし、準備完了」
「って、ええ!?」
短縮詠唱を終えた、次の瞬間――
目の前に巨大な闇が現れた。
ぐるぐると渦を巻き、漆黒へ吸い込むかのような闇が俺の前で大きく口を開いている。
それを見て絶句したのは、アークプリーストとして、ここまでパーティーの回復と頭脳を担っていたリリミィだ。
「そ、そんな……!? 女神の祝福を受けた私でも、その宝珠を安定させるに三日はかかりますのに……!」
「そんな長いこと、時間かけてられるわけないだろう」
俺はさらに魔力を込めて、闇を大きくする。嫌がる時空の扉を無理やりこじ開けていく感覚だ。
徐々に広がっていく闇を眺めながら、俺は嘆息した。
「ただでさえ、無意味に三ヶ月も過ごしちまったんだからな。追加で三日もかけてらんねぇよ」
「む、無意味って……異世界から召喚されてから、わずか三ヶ月で魔王を倒されるまで、無敗の快進撃でしたのに……!」
そうしないと元の世界に還れないから、仕方なくやっただけだ。
十日で魔法をマスターし、二十日で王都を解放し、一ヶ月で国境まで魔王軍を追い返した。
そこから先は、進撃に継ぐ進撃だ。負けたことなど一度もない。苦戦したことだって数えるほどだ。
何故かって?
それはもちろん――
「ま、待って……待ってください……! まだ、あなたにお伝えしたいことが……!」
「それはまた、今度聞くから!」
雑談なんかしてる場合じゃない。
一分一秒すら惜しい。もともと微塵もこの世界に未練などなかった。
リリミィという絶世の美女が悲しそうな顔をしていても、それは同じだ。俺にはもっと、大切なものがある。
「どうして……どうして、そこまで還ろうとされるのです……?」
「そんなの、決まってるだろう!」
当たり前過ぎることを言われても困る。
俺にとって、魔王退治はただの手段でしかなかったのだ。
その理由は、ただ一つ。
俺こと、九段下紅也は、その理由を腹の底から叫び声に乗せた。
「――――家で、妹が待ってるからだ!」