9. 散々弄んで捨てるのね!
自由過ぎる緋迦に半分切れそうになりながら、荘周は周囲に視線を巡らせた。
そうすると、家と家の狭い隙間から、緋色の衣が覗いている。隠れているつもりなのだろうか。
(これって完全に遊んでるよね。大都に来た理由忘れてんじゃない?)
何もしていないにも関わらず疲労しか感じないが、迦陵頻伽達を放置すると何をしでかすか分からない。下手に擬態を解いたりした日には、彼女達の命すら危険になる可能性もある。
それでも、やられっ放しというのは気に食わないので、やり返す一計を案じた。緋迦の隠れている隙間を通り過ぎがてら、彼女に聞こえるであろう声量で言う。
「あー。緋迦ちゃんいなくなっちゃったかぁ。一緒に買い物楽しみたかったのにな〜」
緋色の衣が動いた。
「いないなら仕方ないよねぇ。一人で済ませてくるか〜」
「おる! 妾はここにおるぞ! だから共に買い物に行こうぞ!」
大慌ての緋迦が飛び出してくる。
そんな彼女に荘周は笑顔を向けた。
「やぁ、緋迦ちゃん、お帰り。んじゃ、一緒に行こうか」
「うむ!」
笑顔で見上げてくる緋迦に見えぬよう、荘周は拳を握る。そして、小気味良い音をたてながら、彼女の脳天に拳骨を落とした。
「なんて言うかっ! 迷子にならないように付いておいで!」
「おんし、ぽかぽか殴りすぎじゃろ! これ以上頭が軽くなったらどうしてくれる気だ!?」
「あ、気付いてるんだ。頭軽いって」
「……」
緋迦がしょぼんとなったので、荘周は彼女の頭を撫でてやった。
様々な品物の並ぶ市場を歩きながら、緋迦が目を輝かせる。
「裏周。あれは何というのだ?」
「どれ?」
「あの、木で作られている、先がクイっと曲がっているやつじゃ」
「ああ。孫の手」
「何に使うのだ?」
「こうやってさ」
荘周は孫の手を一本手に取ると、背を掻く動きをしてやった。
「自分で背中の痒い所が掻けるっていう優れもの」
「おぉ! それは素晴らしいな!」
「あとは、全く学習しない馬鹿を捕まえるのにも使える」
話をしている途中だというのに、どこかへ行こうとした緋迦の後襟を孫の手で掴む。
「ぐえっ」
潰れた蛙のような声を上げた彼女が止まったのを確認すると、不要な孫の手を店に戻す。
そんな感じで買い物を続けていると、ごつい手が荘周の肩を叩いた。振り返ると、見知った髭面の男が朗らかに笑っている。
「よう、荘周。最近見かけなかったが、元気にしてたか?」
「お久しぶりです、親方。この通りピンピンしてます」
「それならいいんだ。横の娘はコレか?」
男は緋迦を見ると小指を立てる。
彼女か? と、暗に尋ねられているわけだけれど、全くの見当違いなので、荘周は首を横に振った。
「ちょっとした客です。彼女も僕には全く興味ありませんよ」
「そうか〜。可愛い娘なのに勿体ないな。お前もいい歳なんだから、そろそろ身を固めろよ」
「努力します」
余計な御世話だと思いながら頭を下げる。
その返事に満足したのか、男は笑いながら去って行った。
「誰じゃ?」
「僕の靴作りの師匠ですよ。いい人なんですけどね、ちょっとお節介なんです」
「ふーん」
緋迦は不思議そうに荘周を見上げる。
「して、なんで急に荘周に入れ替わったのだ? 御山を降りる頃から、ずっと裏周が表に出ておったのに」
「ああ。師匠に会いましたからね。仕事に関する何かの場合は、僕の方が都合がいいんですよ」
しかし、それも終わったので、再び人格を入れ替える。
緋迦達は初めて出会った時の人格が主人格だと思っているようだが、実は逆だ。それでも、どう思われていようと特に問題はないので、訂正はせずにおく。
訂正するのも面倒臭い。
それだけのことなのだが。
「ほら。俺のことはどうでもいいでしょ? そろそろ食材もーー」
「あーーっ! 荘周大変だ! 婿殿が! 婿殿がっ!」
突然緋迦が大声で騒ぎ出した。
一点を指したまま騒ぎ続けるので、荘周もそちらを見る。
そこには檻に入れられた狸と、既に絞められた狸が吊るされていた。あとは、肉と毛皮に分解してあるもの。狸の専門店、と、いったところだろうか。
緋迦が騒いでいる理由になんとなく見当はついたものの、一応尋ねる。
「狸がどうしたわけ?」
「どうしたじゃと!? 見て分からんのか!?」
「分からないから聞いてるんだけど?」
「鈍い奴だのう」
(緋迦ちゃん程じゃないと思うけどね)
思いはしたが、大人気ないので己の内だけで留める。
そんな彼の眼の前で、緋迦は偉そうに腕を組んだ。
「狸といえば婿殿の同胞ではないか! それをあんな扱いするとは、けしからんにも程があるぞ!」
「けしからんも何もなぁ」
荘周も腕を組んで渋い顔をする。そんな彼に誰かがぶつかってきた。
「あら、ごめんなさい」
ぶつかった女は小さく頭を下げて去って行く。そんな彼女に、連れらしき男が何やら言っている。
「どこまでいってもお前は鈍臭いな」
「何よ! 元はと言えばあなたが浮気なんてするからいけないんでしょう!?」
言い合いをしながら二人は歩いていく。
(こんな公衆の往来で喧嘩なんて見苦しいねぇ)
聞こえてしまった内容に、荘周の口元に苦笑いが浮かんだ。
「何を笑っておるのだ!」
彼の笑いを勘違いしたらしき緋迦から批難が飛んできた。
「あー。違う違う。緋迦ちゃんの話を笑ったわけじゃないよ」
「ならば、今すぐあそこの狸達を逃してやらんか!」
「どういう理屈よ、それ」
「狸だからに決まっておろう! 婿殿に同胞を助けたと報告すれば、婿殿の妾への愛も倍増間違いなしじゃ!」
呆れ半分、ある種の尊敬を半分ほど感じつつ、荘周はため息をついた。
目の前の少女の一途さはある意味眩しいが、人間社会の常識が通じなさすぎて唖然としてしまう。ここまで突き抜けていると、逆に笑えてしまうことも多いのだが。
それでも、荘周の緋迦への好感度と、この件への対応は別問題だ。
未だに騒いでいる彼女の頭に、彼はポン、と、手を乗せる。
「悪いんだけど、あの狸達は売り物だから、俺には手出せないんだわ。食べたいってなら、肉買ってきてやるくらいならいいけど?」
「婿殿の同胞を食すなど出来るものか!」
「あそう? 俺たちの間では結構普通の食物だけど」
「な、なんじゃと!?」
「迦陵頻伽じゃないけど、俺達もさ、親以外は何でも食べるって自分達で言っちゃうくらい何でも食べるのよ。狸だけ除外なわけないじゃん?」
目を見開いた緋迦が握りこんだ拳を戦慄かせる。
「おんしがそんなに冷酷な奴だとは知らなんだ!」
「お前そろそろ許せよ。ちょっと魔が差しただけだろ?」
絶妙なタイミングで、喧嘩中の二人の会話が聞こえてきた。男の声は妙に甘い。
「まぁ、別に緋迦ちゃんに無理やり食べさせようってわけじゃないし」
「そんな甘いこと言っても騙されないんだから! どうせ、私なんてさんざん弄んで捨てるんでしょう!?」
今度は女の声。
二人の認識の違いはとても大きく、関係の修復はかなりの労力を要する気がする。
「どうせおんしも妾を散々弄んで捨てるのだろう!?」
「関係ないご近所さんの会話に勝手に流されるな!」
ご丁寧に神妙な顔まで真似した緋迦の頭を、荘周は容赦なくはたいた。
不服顔の彼女が言い返してくる。
「だから、おんし、ポカポカ手を出しおって! 妾が嫁げんほどに傷物になったらどうしてくれる気だ!?」
「本当はなんとも思ってないでしょうが! まだ我儘言うなら、緋迦ちゃんの片翼もいで食べて、本当に傷物にするよ!?」
売り言葉に買い言葉で荘周も返す。
その途端、周囲からヒソヒソとした声が聞こえてきた。
「ちょっと、聞いたかい? あの子嫌がってるのに手を出すとか言ってるよ」
「あっちの娘さん、喋りも偉そうだし、綺麗な服着てるし、さらわれてきたんじゃない?」
「その線は濃厚だな。誰かが役人呼んできた方がいいんじゃないか?」
穏やかでない会話が聞こえてきて、荘周の額に脂汗が流れた。
完全に勘違いされているが、どうにも自分達が話題にされているような気がする。ゆっくりと周囲に視線を巡らせると、人々の剣呑な視線とぶつかる。
「あ。どうも。これは決して誘拐などではないので」
二ヘラと笑って挨拶してみたけれど、周囲に漂う不信感は消えない。
「緋迦ちゃん、逃げるよ!」
「あの狸はどうするのだ!?」
「どうにもならんでしょ!」
未だにゴネる緋迦の腕を掴み、荘周は一目散に逃げ出した。