7. これって弱点?
作業を進めながら、荘周が紺碧に話を振る。
「緋迦さん狸にゾッコンみたいですけど、止めなくていいんですか?」
「特に害はありませんし、今はご本人の意思を尊重するだけです」
「まぁ、確かに、周囲への害は無さそうですねぇ。本人は後から泣きそうですが。ところで、紺碧さんと緋迦さんって、どういう関係なんですか? 姉妹や友達って感じじゃありませんよね?」
「あなた、本当に人の事情に踏み込むのが好きですね」
紺碧の放つ空気が鋭くなる。
身の危険を感じたのか、荘周はブンブンと頭を横に振った。
「あ、答えたくないなら別にーー」
「妾と紺碧はな、孵母姉妹なのだ」
唐突に、緋迦は会話に割り込んだ。
そんな彼女に、紺碧が少しだけ困った顔を向けてくる。
「緋迦様。そんなに何でもペラペラと喋ってしまっては」
「この程度良いではないか。荘周には妾達の婚姻を認めてもらわねばならぬし、点数稼ぎの一環だ」
「そういうのは言わずに行動するものでは?」
紺碧の口元が引きつる。
そんな彼女に緋迦は豊かな胸を張った。
「好感度を上げるためにやっていると言われれば、妾の本気を意識せざるを得なくなるじゃろう? 後はもう、妾のいい雌度をアピールすれば、好感度鰻登り間違いなしだ」
「そこまでお考えになられての行動でしたとは! この紺碧、そこまで考えが至りませんでした。過ぎたことを申しまして申し訳ございません」
紺碧がしおらしく頭を下げる。
緋迦は手を軽く動かして紺碧の頭を上げさせ、小さく頷いた。
「良い良い。おんしの言うことも尤もだからの」
「緋迦様……」
感極まった表情で、紺碧が緋迦に近付いてくる。
「なんと心の広いお言葉! 緋迦様のお側にいれて、私は幸せ者でございますっ」
やはり、というか、やはりなのだが、抱きつかれた。
こういう時に緋迦はいつも思うのだ。
紺碧が絶壁で良かった、と。
彼女の胸が緋迦と同じ程あれば、緋迦は今頃窒息死しているだろう。もう少しくらい肉があってくれれば、柔らかくて気持ちいい気もするのだが、そこまで求めるのは止めておく。
しばらく紺碧の好きなようにさせ、満足したらしき彼女が離れると、何事も無かったかのように荘周が話しかけてきた。
「あのー。孵母姉妹とは?」
「なんじゃ。そんなものも知らんのか? おんしらだって、卵を温める仕事を他の雌に任せたりするであろう?」
「僕達、卵は産まないので」
「なんと! 人間とは、けったいな生き物だな。ふーむ。詳しく言うとな、卵の時の妾と紺碧は、共に、紺碧の母君に温められたのだ」
「緋迦様のお母君はやんごとなきお方ですから、卵を温めるなどという仕事をさせる訳には参りませんからね」
「ああ、なるほど。人間でいう乳兄弟みたいなものですね」
「ん? チキョウ……? なんだ、それは?」
「こっちの話です。お気になさらず」
「途中で止められると気になるではないか」
緋迦はズイっと身を乗り出す。そのせいで、荘周が計測中の足まで動いてしまった。
彼はそれを押さえようとしただけだと思うのだが、それがいけなかった。
荘周の指が見事に緋迦の土踏まずに触れ、しかも、絶妙に動いたのだ。
堪らず、緋迦の口から声が漏れる。
「うひゃう!」
「うひゃう?」
不思議そうに荘周が首を傾げた。何が気になったのか、彼は身を乗り出して尋ねてくる。
「あの、うひゃうとは一体?」
「や、やめい! おんしの指が今触っている場所はーーって、駄目じゃ。もう我慢ならん。うひゃ、ひゃはははっ!!」
「僕の指?」
荘周が、緋迦の足を押さえる手に視線を落とす。不思議顔の彼は、何を思ったのか、しれっと指を動かしてきた。
その感覚に、緋迦の背筋にあり得ない程の衝撃が走る。
「くわーーーーーっっはっはっは! やめい! やめんか! おんし、妾を殺す気か!?」
荘周の魔の手から逃れようと試みるのだが、緋迦が頑張れば頑張る程、張り合うように彼の拘束も強くなる。
何かの競技の様相を呈してきたところで、紺碧が呆れ声を上げた。
「緋迦様は足裏のくすぐりに非常に弱いのです。下僕、手を離しなさい」
「は?」
「だから、足の裏から指をどけろと言うとろうに、この馬鹿もんが!」
耐えきれなくなった緋迦は迦陵頻伽の姿に戻り、荘周に蹴りをいれた。
ギリギリでかわした彼の胸元から、愛しの狸が転がり落ちてくる。
「はっ!」
その姿を見た緋迦は我に返り、狸を受け止めようとするが、そんな手など無視して狸は見事に着地した。首を巡らせて周囲を確認した狸は、またもや荘周の傍に行き引っ付く。
そんな狸の前に緋迦は正座した。そして尋ねる。
「うっかり脚が出てしまいましたが、大丈夫でしたか? 婿殿」
「真っ先に心配するのは俺の身でしょうがっ!」
「婿殿に決まっとろうが! おんしは妾をくすぐったのだからーー」
途中まで言いかけて、緋迦は、はた、と、言葉を止める。
喋り方からして、今表に出ているのは裏周だ。緋迦をくすぐったのは表の人格なのだから、彼に非は無いといえば無いともいえる。
けれど、緋迦に危害を加えたのは、紛れもなく目の前の身体の持ち主なわけで。
考えるのも面倒臭くなって、緋迦は緋色の髪を掻きむしった。
「あーっ、くそ! なんや面倒くさいのう! 同じ身体なんじゃから一蓮托生だ! 妾をくすぐったおんしが悪い!」
「俺の好感度上げる作戦はどこに行ったのよ!?」
「一時棚上げ! おんしが有罪! 怪我してても罪に対する罰! 妾は無罪!!」
「都合良すぎでしょ、この馬鹿鳥! 足裏触っただけで、危うく大怪我だったんだけど!?」
「だけじゃと!? さっきのは、紺碧の羽根でくすぐられたのと同じくらいの拷問だったのだぞ!」
「拷問とか言われても分かんないし。俺、足裏くすぐったくない人だから」
「なん、じゃと……」
あまりの衝撃に緋迦はよろけた。
あの地獄のくすぐったさを感じないだなど、それはもう最強の肉体か、究極の不感症ではないだろうか。
目の前の雄が最強などとは認めたくないので、あっさり後者だと決めつける。そして、言ってやった。
「不感症裏周の変態っ!」
「おいいっ!? 勝手に決め付けて変態にしないでくれる!?」
二人の間で不毛な罵り合いが続く。
そんな言葉の応酬の中に、紺碧の呆れた声が差し込まれた。
「緋迦様。喧嘩は同じレベルの者同士でしか起こらないと申しますよ。何も、下僕のレベルまでご自分を落とさずともよいでしょう? 下僕、あなたも立場をわきまえなさい。緋迦様の足裏をくすぐって楽しんでいいのは私だけですよ」
「あ、いや。紺碧。おんし今、しれっと酷いこと言わんかったか?」
「俺もなんか聞こえたけど」
「おんしもか?」
「もうバッチリ」
緋迦と荘周が見つめ合う。どちらからともなく謝ると、採寸の続きを始めた。
そうこうして彼は迦陵頻伽二人の足を採寸し、数日かけて二足の靴を仕上げた。
それを持って、人間の都へ向かうために三人は山を降りる。
長旅になるらしいので、愛しの狸は実家に預けた。
別れの際に緋迦がゴネてしまったのも、会えなくなる期間を考えれば仕方がないだろう。