3. 今すぐ告げたいお年頃
飛べないと教えてやったのに、荘周がそれっきり黙ってしまったので、緋迦もそれ以上彼に話しかけなかった。
人間を連れていることもあって、寄り道せずに歩いたので、あっという間に緋迦の庵にたどり着く。
中に入ると、紺碧が茶の用意をしに奥へ引っ込んだ。
緋迦は棚から木の実を取り出し椀に入れると、それを卓に置く。自身は椅子に座りつつ、所在なさげに立ちっ放しの荘周にも声をかけた。
「おんしも楽にすると良いぞ。変な真似さえしなければ、とりあえず自由を許すからな」
「はぁ。それじゃぁ、お言葉に甘えて」
緋迦の対面の席に彼も座る。
それに満足して、緋迦は木の実をガリガリと齧った。
「婿殿の恩人故に庵に招いたが、おんしの身分は妾の下僕扱いじゃ。それが嫌なら、婿殿を置いて去るがよいぞ」
「あ、全然それでいいです。とりあえず置いてもらえるなら」
しれっと木の実に手を伸ばしながら荘周が返してくる。
あまりに落ち着いたその様に、緋迦はやや呆れた。
「おんし、知らぬ環境に適応するの早過ぎんか?」
「そうですか?」
「まぁ、別に構わんが」
仲良く木の実を食べながら、緋迦は荘周を見た。
彼は落ち着き過ぎる程に落ち着いていて、先程一瞬見せた荒々しさは見られない。
(こやつを怖いと感じたのは、妾の勘違いだったのかのう)
なんとなくそんな気もしたが、とりあえず尋ねてみる。
「おんし、先程人が変わったように見えたが、妾の気のせいだったかの?」
きっと肯定の言葉が返ってくる。
そう思っていたのだが、
「あー。それですね。気のせいじゃないです。凄く興奮したり、仕事に関係ないことが多くなると、人格が変わっちゃうんですよね」
荘周は全く予想外の返答をよこした。
さらっと凄いことを言われた気がするが、大袈裟に驚いては小者に思われるかもしれない。努めて冷静に、緋迦は会話を続ける。
「人格が入れ替わってしまったら、どうやって今のおんしに戻るんじゃ?」
「萎えたり、仕事に関する事柄が増えれば戻るみたいです」
「人間というのは皆そうなのか?」
「僕の知る範囲だと、僕だけですね」
「そ、そうか」
完全に安心は出来なかったけれど、多少ほっとして胸を撫で下ろした。
卵を奪う危険な種族という認識に、二つの人格を持つ分からん連中という属性が付きそうだったが、全員ではないらしい。
荘周の人格にしても、入れ替えさせる方法があるのなら、対応出来ないこともないだろう。
丁度紺碧が茶を差し出してきたので、それを飲み、一息つく。
荘周もズズズと茶をすすった。そして、興味深そうな目をこちらに向けてくる。
「それでさ。俺のことを教えたんだから、そちらのことも教えてくれない?」
「言った側から入れ替わったのか!?」
「知識欲が疼いちゃってさ」
荘周がケラケラ笑った。彼は湯呑みをドンと置くと、身を乗り出し気味にして尋ねてくる。
「まずは二人の名前だけど、赤い嬢ちゃんが緋迦ちゃんで、青い姉ちゃんが紺碧さんでいいわけ?」
「緋迦様とお呼びしなさい、下僕」
紺碧が荘周を鋭く睨んだ。
まぁまぁ、と、緋迦は紺碧を手でなだめる。
「どのように呼ばれようと妾は構わん。妾達は翼の色を名に持つ。覚えやすくてよかろう?」
「なんとも適とーー合理的な名付けだね」
再度紺碧に睨まれた荘周が途中で言葉を濁した。彼は咳払いを一つすると、何事も無かったかのように話を続ける。
「でさ。さっき緋迦ちゃん、つがいを選ぶ権利を持ってないって言ってたっしょ? どういう意味?」
「人の問題に踏み込むにも程がありますよ、人間!」
翼をわななかせた紺碧の手の中で湯呑みが割れた。
今にも手をあげそうな彼女を止めるつもりで、緋迦はわざと音を立てて茶をすする。
「よい。婿殿を迎えようと望めば、遅かれ早かれ言うことになっただろうからな」
その言葉に、紺碧が不服そうながら翼を鎮めた。
それを確認して、緋迦はのんびりと茶をすすり、ほっと息を吐き出す。
「我ら迦陵頻伽は飛べるようになると一人前と認められる。だがな、それは、飛べるようにならんことには一人前と認められんということでもある」
「緋迦ちゃん飛べないんだよね?」
「うむ。でな、一人前にならんと認められん権利の中に、つがいの指名権があるんじゃ」
「へぇ」
荘周が懐の獣に視線を落とす。彼は少しだけ狸を眺めていたけれど、すぐに緋迦へと視線を戻した。
「で、どうしたら飛べるようになんの?」
「分からん」
「紺さん飛べるんだから、知ってんじゃないの?」
「紺? もしかして私のことを言っているのですか?」
「あんた以外に誰が?」
荘周と紺碧が見つめ合う。けれど、その間に流れる空気は非常に険悪だ。
それを絶つために、緋迦は二人の間の空間を手刀で切った。
そのお陰か、二人の空気が若干緩む。
緋迦の言いたいことを察したのか、苦い顔の紺碧が咳払いした。そして、表情を緩めながら言う。
「私は気が付いたら飛べていましたから。他の者も似たり寄ったりなので、飛び方と言われても分からないのですよ」
お可哀想な緋迦様、と、紺碧が緋迦を抱き締め頬擦りした。
そんな彼女を引き剥がしながら緋迦は言う。
「まぁ、こんな感じでな。普通は成長に伴って勝手に飛べるようになるもんだから、誰も解決法を知らんのだ」
「ふーん。その掟? って、守らないと駄目なわけ?」
「掟は絶対。だから掟なのですよ」
「そりゃそうか」
納得顔で荘周が頷いた。彼はしばらく自らの顎を撫でていたけれど、緋迦を不躾に眺める。
「一人前と認められないことには伴侶さえ選べないっていうのは難儀だと思うけど、それって、人間にしても同じなんだよね」
「そうなのか?」
「そっ。ただ、俺達はわざわざ掟になんてしないで、暗黙の了解ってやつになってる。まぁ、成長に伴って飛べるようになるんなら、緋迦ちゃんもそのうち飛べるようになるんじゃない? 胸は十分発育してんだからーー」
「そのうちなんて嫌じゃ!」
緋迦は立ち上がり卓に両手を叩きつけた。叩かれた卓と、十分発育していると言われた胸が揺れる。
「妾は今すぐ婿殿と所帯を持ちたいのだ! 妾ももう一六。飛べぬ以外は卵も産めるし、何も問題ない!」
「で、飛べるようになる当てとかあんの?」
「無いんじゃ〜」
半分白目をむきながら緋迦は卓に突っ伏した。
当てがあるのなら、とっくに飛べるようになっている。両親も気にかけてくれているくらいなのだ。それでも解決法が見つからないのは、一六まで飛べなかった前例が無かったからに他ならない。
多少の個体差はあれど、通常は一○にもなれば飛べるようになる。
最初は飛べるようになるのが少しだけ遅い子と笑っていた大人達も、緋迦が一二を超えると笑わなくなった。待遇は次第に悪くなり、今では、卵を産むために誰かに嫁いでくれればそれでいい、くらいの扱いだ。
飛べぬ自分が悪いのだと思い、半分腐るように降嫁を受け入れようとしていた緋迦であったが、運命は動いた。
赤い糸で結ばれた相手に出会ってしまったのだ。
ならば、ここで頑張らなければ雌が廃る。
(だけども、肝心の飛び方がのう)
考え得る限りの方法は試してしまっていた。人間である荘周に尋ねたところで無駄だろうと思いつつ、それでも、一応聞いてみる。
「おんし、何かいい案ないかの?」
「翼の無い俺に聞くわけ?」
苦笑した荘周は緋迦と紺碧を見比べ、そして、庵の中も見回した。
それから顎をさすりながら、時々どこかを見てブツブツ呟いている。
「これなら可能性は皆無じゃないのか? いや、でも、まだ情報が足りないか」
彼はしばらく独り言を垂れ流し、緋迦が二杯目の茶を飲み終わる頃に静かになった。そして、勿体振るようにこちらを見る。
「あくまで可能性の話なんだけど、聞きたい?」
「聞く!」
全力で緋迦は頷く。
力を入れ過ぎたせいか、首から変な音がした。