2. 出会ってしまった迦陵頻伽と狸
相手より高い所にいる優越感から、緋迦は胸を張った。
「ふははははは! ここまでは追いかけてこれまい! 妾はこう見えて、純粋な木登りの腕は村で五本の指に入るからな!」
木の下では男が途方に暮れているーーなんてことはなく、彼は太々しい笑みを浮かべている。
「あはは! 可愛いねえ。ねぇねぇ、翼があるなら飛べるんでしょ? ちょっと見せてよ」
先程までの気弱さは何処へやら。男はしゃあしゃあとのたまう。
緋迦は口をギュッと引き結び、拳を握り締めた。
「おんしなどに見せるものではない! さっさと御山を降りろ、人間!」
「やだね。だって俺、迦陵頻伽を探して、こんな辺境くんだりまで来たんだし」
「やはり卵が狙いか! やらんぞ!」
「いや。卵なんて眼中にも無かったんだけど。てか、迦陵頻伽って卵から産まれんの?」
「卵以外に何から孵るというのだ!?」
「えー。見た目そんな可愛いのに、生態系鳥と同じかぁ。なんか萎えた」
男はなんとも残念そうな表情になると、ガックリと下を向く。
再び顔を上げた彼は、最初出会った時と同じ気弱そうな雰囲気を漂わせていた。
無害そうに戻った男が、何を思ったのか話しかけてくる。
「あの、すいません。えと、色々と勘違いさせてしまっていると思うんですけどーー」
「緋迦様〜」
紺色の翼の迦陵頻伽が緋迦の隣に降りてきた。
翼と同じ色の髪と瞳をした彼女を見て、緋迦の身体から力が抜ける。
「紺碧〜」
脱力のあまり腑抜けた声が出てしまったが、それも仕方あるまい。
「あらあら。何やら泣きそうなお顔をなさっていますが、木から落ちでもしましたか?」
言いながら、紺碧は緋迦をまな板の胸に抱き、いい子いい子する。
その腕の中から顔を上げながら、緋迦は男を指した。
「違うのだ! 一大事だぞ、御山に人間が侵入した!」
「人間ですって!?」
紺碧がキッと男を睨む。それだけでは飽き足らず、彼女は鋭い爪の生えた脚を彼の方に向けた。
「人間。今すぐ立ち去るのであれば見逃しましょう。しかし、首を横に振るのであれば、それなりの覚悟はあるのでしょうね?」
緋迦一人を相手していた時と、男の態度が明らかに変わる。彼は額から冷や汗を流し始めると、ガバリとその場に平伏した。そして、大声で訴えてくる。
「神聖な御山に入ってしまったことは申し訳ありません! ですが、僕も目的があってここまで来たのです。僕は荘周といって、しがない靴職人をしています。もっと良い物を作るために新しい技術を探していまして。迦陵頻伽は、僕達よりも卓越した染めの技術を持っていると伝承で聞きました。それを求めて来たんです。帰らせないでください!」
「何を都合のいいことを言っているのです!? 人間なぞさっさと去りなさい! さもなくばーー」
紺碧は颯爽と荘周の前に降り立つと、彼に鋭い爪を向けた。
そんな彼女と彼の間に、荘周の服の中から飛び出た毛玉ーー狸が割り込む。その狸は、彼を庇うかのように前脚を広げた。
狸を見ながら紺碧が凄む。
「おどきなさい、狸」
「うゅーん」
狸は動かない。
己より何倍も大きく、凶悪な空気を放っている紺碧を前にして、一歩も怯むことなく男を守っている。
そんな狸の目を見た時、緋迦は雷に打たれた気がした。
まず、狸の凛々しい眼差しに目を奪われた。
よくよく見てみれば、精悍な顔つきをしているようにも見える。
見とれていると胸の鼓動が早くなってきた。
一目惚れ。
初めての体験ではあったが、そうだと分かってしまった。
緋迦は木から降り、狸の前でしゃがみ、ふわもこの獣を見つめた。
愛しい者の近くにいる。
それだけでため息が漏れた。
「なんと凛々しく雄らしい振る舞いであろうか」
「緋迦様?」
紺碧が怪訝な声を上げる。
そんなことも構わず、緋迦は宣言した。
「紺碧、妾は決めたぞ! 生涯このお方と添い遂げる!」
「「はぁああああああ!?」」
紺碧だけでなく、荘周からも驚きの声が上がった。
「緋迦様、お気を確かに! 人間なぞをつがいに選ばずとも、他にも雄はおりますよ! なんなら私が、お好みの雄を探して来ても構いません!」
「さすがの僕も、会ってすぐすぐ結婚は」
二人して見当違いな言葉をわめきだす。
そんな彼らの脳天に緋迦は軽く手刀を落として黙らせ、狸へ手を伸ばした。
「何を勘違いしておる。人間のわけがあるまい。妾が選んだのはこのお方だ」
「あ、違ったんだ。良かった」
荘周が胸をなで下ろす。
対照的に、紺碧は慌てたままだ。
「全く良くありませんよ! いや、人間を選ぶよりはマシなのか!? そもそも緋迦様、あなた、つがいを選ぶ権利お持ちではないじゃないですか!」
「ぐ」
痛いところを突かれ、緋迦は一瞬言葉を失った。けれど、すぐに反論する。
「しかし、妾は決めたのだ! なんとしても、このお方を婿に迎えてみせる!」
狸を捕まえようと腕を更に伸ばす。しかし、愛しの君は緋迦の手の間をすり抜け、荘周の着物の中へと逃げ込んでしまった。
「未来の妻たる妾から、なぜ逃げるのじゃ!?」
「怖いんでしょうねぇ」
懐から顔だけを出している狸を撫でながら、荘周がのほほんと言う。
その仲睦まじい姿が羨ましくて、緋迦は食いついた。
「妾のどこが怖いというのだ!? しかも、おんしだけ懐かれているとは、どういう了見じゃ!?」
「あなたが怖がられている理由はハッキリとは分かりませんけど、僕が懐かれている理由なら分かりますよ」
言いながら、荘周は狸の左前脚を緋迦達に見せるように前に出した。
そこには布が巻かれている。
「この子、山を登っている途中で怪我しているのを見つけて、応急処置してあげたんですよね。それ以来付いてくるようになっちゃって」
狸が荘周の手に頬擦りする。
益々羨ましくなって、緋迦は袖を噛んだ。
「ぐぬぬ。欲しいのは婿殿だけだが、その様子だと、引き離すのも難しそうだの。婿殿の恩人を無下に扱うわけにもいかんしな。しょうがない、妾の庵に来るのを許す!」
「緋迦様!?」
「仕方ないではないか! それに、妾は卵を持っておらぬ。その分危険は少ないし、こやつ一人くらいなら監視も出来ようよ。ほれ、行くぞ」
それだけ言うと、緋迦はきびすを返し歩きだした。それに紺碧も付いてくる。
そんな二人に続きながら、荘周が不思議そうな声を上げた。
「お二人共飛んで移動しないんですか? そちらの方が飛んでいらしたので、てっきり移動は飛んでが主流なのだと思ってたんですけど」
先を行く二人は振り返ると、紺碧はねめつけるように、緋迦は少しばかりの哀愁を込めて荘周を見た。そして、ぽつりと呟く。
「妾は飛べぬのだ」