19. 続きは寝てからでいいじゃない
「なんじゃとっ!?」
緋迦が立ち上がり踏み出そうとすると、鋭く紺碧の声が飛ぶ。
「おっと、動かないでください、緋迦様。動けばこの子の安全は保障しませんよ」
言いながら、彼女は狸の首に手を持って行った。
狸に怪我などさせられないので、緋迦は仕方無しに止まる。
そんな彼女の傍で、卓に頬杖を付いた荘周が口を開いた。
「あのさ、紺さん。俺や族長は口止めして、翡翠を嵌めてまでして何がしたいわけ? 緋迦ちゃん全く話分かってないみたいだし、完全に紺さんの独断だよね?」
「な、なんだと!? 裏周、おんしも紺碧とグルだったのか!?」
予想外の彼の自白に緋迦は吹き出した。
荘周は全く悪いと思っていないようで、しゃあしゃあとのたまう。
「ちょっと唾飛ばさないでよ」
「す、すまぬ」
「染色液が欲しければ、紺さんが帰って来るまで緋迦ちゃんを庵から出すなって言われれば、そりゃ、従うしかないでしょ? 俺、そのために来たんだし」
「おや、荘周。君はそんな目的で来てたんだね。娘が迷惑掛けたみたいだし、儂の羽根もあげよう。翡翠、お前のもあげなさい」
「はぁ。構いませんが」
言いながら二人の雄達は羽根をブチブチと抜き、荘周に手渡す。受け取った彼は感激のあまりか怪しい顔になっていた。
けれど、自分が尋ねたことまで忘れてはいなかったようで、手に入れた物を懐にしまい込みながらも、荘周は紺碧に返事を促す。
「で、紺さん、どうなわけ?」
「あなたも緋迦様を見習って、他の話題が割り込んだら忘れてくれれば楽だったんですけどね」
「あれはちょっと見習いたくないよね」
「私もそう思います」
小さく紺碧が笑う。
失礼なことに、同意と言いながら残りの雄二人も頷いた。
「まぁ、そうですね。下僕のお陰で緋迦様が飛べるようになったことですし、教えてあげてもいいでしょう」
紺碧が細い指を唇に当て笑った。彼女の紺の瞳は真っ直ぐに緋迦を見つめている。
「私には、孵母姉妹である緋迦様が幸せになってくださることが一番なのです」
「お前は昔からそういう子だったよね」
族長が懐かしそうに目を細める。
紺碧は頷くと話を続けた。
「幼少時より、私は緋迦様のために行動してきました。私の行動は全て緋迦様のため」
「ここまで言い切れるって凄いね。迦陵頻伽の孵母兄弟って皆こうなわけ?」
「いや、こいつらだけだ」
ボソボソと、荘周と翡翠。
「ですから、そんな私が望むことも全ては緋迦様のため。私の願望のために緋迦様を謀り行動を誘導しようとも、それも全て緋迦様のためなのです」
「はい?」
荘周と翡翠の声がハモった。
聴衆の反応などよそに、紺碧のテンションは上がってきたようで、声に熱がこもってきている。
「ですから、緋迦様が何も考えていらっしゃらない間に次期族長候補に担ぎ直そうと私が企んでも、一切罪はないのですよ」
「儂だったら嫌だな〜」
族長が苦笑する。
けれど、緋迦は嬉しさで胸がいっぱいだった。
いつだって、考えの足りない緋迦のために紺碧が気を配ってくれてきたのだ。向けられる愛情が嬉しくない者などいるはずがない。
こみ上げてくる喜びを体現するように緋迦は笑顔を浮かべ、紺碧に抱きつこうとした。
いつもなら紺碧も緋迦を抱きしめ返してくれて、今なら狸も手中に収められて全て丸く解決。
だと思っていたのに、紺碧が狸を抱いたまま身を引いた。
「紺碧?」
いつもと違う彼女の行動に、緋迦は疑問を浮かべた。
「私の言うことに従っていれば幸せになれるとご理解頂けましたか? 緋迦様」
「今更言われずとも分かっておったぞ。面と向かって言われると少し照れたが」
「でしたら」
紺碧が笑顔で言葉を紡ぐ。
「この狸を婿にしようだなどという考えは捨ててください。あなたには相応しくありませんから」
「ほえ?」
予想の斜め上を行きすぎる彼女の言葉に、緋迦はあんぐりと口を開いた。
紺碧の言葉がぐるぐると頭の中を巡って、何が何やら分からなくなる。
それでも、どうにかして気持ちや考えをまとめようとしてみたけれど、上手くいかず、面倒臭くなって放り投げた。
なので、思ったことそのままに口にする。
「なぜだ紺碧! おんしも協力してくれておったではないか!」
「ええ。恋に引きずられて、緋迦様が飛べるようになる可能性がありましたから。その点、この子はいい働きをしてくれましたね」
紺碧が優しい表情で狸を撫でる。
「では、そのまま妾達の婚礼を祝福してくれればよいではないか!」
「いいえ、それだけは駄目です。諦めてください」
「こんの」
緋迦はギリ、と歯を噛み合わせた。
紺碧の献身には感謝している。今だって、彼女のことは大好きだ。
けれど。
この想いだけは押し通したい。
緋迦は翼を広げると、梁の上へと飛び上がった。
「お〜。本当に飛べるようになったんだねぇ」
「そのようですね」
族長と翡翠が下で何やら言っているが無視だ。
視線を紺碧に固定し、爪を向ける。
「婿殿を渡せ紺碧。でなければ、おんしといえども容赦はせん」
「どうぞ。私は言葉を撤回するつもりはありませんよ」
「そうか」
呟くと、緋迦は羽ばたきを強くする。
(許せ紺碧。これも愛のためだ)
心の中で紺碧に謝り、勢いを付けて下降した。
「翡翠、パスです」
「え、このタイミングで?」
紺碧が翡翠に狸を投げる。
「あ、そっちなのか?」
狸を抱くのが翡翠になってくれたお陰で、緋迦の中のためらいも綺麗に吹っ飛び、彼女は方向転換した。
「くらえ翡翠、緋迦ちゃんきーっく!」
一切の加減をせず翡翠を蹴り飛ばす。
突然過ぎる出来事で受け身も取れなかったらしき彼は、蹴りを顔面にモロにくらい、鼻血を吹きながら仰向けに倒れた。
「あーあ。見事に入ったね。面倒臭いし、これが席争いの勝負ってことでいいよね。もう眠いし、考えたくないよ」
欠伸をしながら族長。
「族長の決定に何の意見もございません」
優雅に礼をしながら紺碧が追従した。
何やら話が勝手に進行しているようだが、緋迦にとって大切なのはそのようなことではない。
日頃の恨みも込めて翡翠を踏みつけつつ、彼の腕から狸をもぎ取った。そして、たかいたかいの要領で掲げる。
「随分とお待たせしてしまいました婿殿。これからはいかなる時も共におりますぞ」
希望で顔を輝かせ狸を見た。
手の中で暴れている狸は嫌がっているように見えなくもないが、きっと照れ隠しだろう。
しばらくぶりの愛しの君を上から下までじっくりと眺め、ある一点を緋迦は凝視した。
「ない……」
唇から声が漏れた。
何度もそこを確認し、瞬きまでしてみたが、狸の股の間にあるべきものが無い。
「紺碧、どういうことだ!? 婿殿にタ○が無いぞ!」
最も頼りになる相方に振り向き問いただすが、彼女は表情すら変えない。
「雌には無いでしょうねぇ」
ただ一言、何の感情もこもっていない言葉が返ってきただけだ。
「やっぱり緋迦ちゃん気付いてなかったんだ」
「我が子ながら、観察眼が足りないねぇ」
「緋迦の視野の狭さは今に始まったことじゃないけどな」
「うるさいぞ外野! まるでおんしらは知ってたように言うな!」
雄共に抗議してみたが、彼等は一様に憐れみの表情を浮かべ肩を竦めただけだ。
何か言われるより、地味に精神的にダメージが入った。
「緋迦様、これでお分かりになりましたでしょう? その子は諦めて御山に返してあげましょう」
紺碧が優しく言ってくる。
狸を取り上げようと彼女は腕を伸ばしてきたが、緋迦はそれを振り払った。
そして、一同を見ながら高々と告げる。
「父上、妾は性転換の方法を求め旅に出ますぞ! 止めてくれますな!」
緋迦の見ている前で彼女以外の四人が集まり、顔を突きつけた。
「あんなこと言ってますが、許すんですか、族長?」
「そんな言ってもさ。翡翠、お前ならアレを止められる?」
「無理です。紺碧くらいでは?」
「無理言わないでください。駄目元で下僕止めてみますか?」
「確かに緋迦ちゃん良い子だな〜って、ちょっとは思ったこともあるけど、俺、基本部外者だから。巻き込まないでくれる?」
「元はと言えば、あなたが連れてきた狸が原因でしょうに」
彼等の話は堂々巡りしだし、表情だけが厳しくなっていく。そんな中に緋迦は飛び込んだ。
「そう心配せずとも大丈夫ですぞ、父上。紺碧と荘周を連れて参りますからな」
とびきりの笑顔を皆に向ける。
「やはり私もですか」
紺碧は苦笑し、
「俺、そんなために来たんじゃないんだけど? てか、思いっきり部外者のハズなんだけど!?」
荘周は頭を抱えた。
「あー。止めても無駄みたいだから適当に頑張っておいで。ついでだから翡翠、お前も付いていってみなよ」
「俺もですか!? そんなご無体な!」
翡翠が悲鳴を上げるが、それすらも、決意を新たにした緋迦には心地良い。
いや、彼が困るとスカッとするのはいつもな気がするが、今考える必要はないだろう。
腕の中でもがく狸を強く抱き締め、緋迦は新たな旅の連れに笑いかけた。
「皆の者、よろしく頼むぞ」
諦めやら、不服やら、様々な感情の混ざった答えが返ってくる。
その時誰が言ったのか。
「とりあえず、寝よう」
その言葉で、五人は一斉に倒れ込んだ。
これにてお終いです。
とりとめもない話に最後までお付き合い頂きましたお方、誠にありがとうございました。




