18. 通りすがりの族長なので相手してください
緋迦のすぐ側で紺碧が言う。
「そう思っていても口にしていいのは私だけです。控えなさい、下僕」
「はいはい」
かなり適当に荘周が返事した。
そんな彼の後ろから、紫髪で壮年の迦陵頻伽がひょっこり顔を出す。
その姿を見て緋迦は目を丸くした。
「父上!?」
「族長!?」
不服にも翡翠と叫び声が重なってしまったが、現れた人物に驚いてしまった気持ちは分かる。あの驚きようだと、族長の登場は彼にも予定外だったのだろう。
我に返ったらしき翡翠はひざまずき、頭を下げた。
「族長、かような時分に何用でございましょうか」
「うん? 用? ああ、用ねぇ」
族長は顎を撫でながら緋迦の方へチラリと目を向け、再び翡翠に視線を戻す。
「散歩かな。そしたら大声が聞こえてきたから、気になって覗きに来ただけ」
「散歩ですか? 鳥目なのに、この暗い中を?」
翡翠が不思議そうな声を上げた。
族長は一瞬困った顔になったが、すぐに笑顔になる。
「気まぐれに散歩することもあるさ。お陰で面白い現場に出くわせたわけだし、たまには気まぐれも起こしてみるものだよね」
ハハッと族長は笑う。
「はぁ」
翡翠は釈然としない様子ながらも、とりあえず質問を取り下げたようだった。
そんな彼にも、呆然と突っ立っている緋迦にも頓着せず、族長は優雅に庵の中へ進み笑顔を振りまく。
「まぁ、次期族長候補の席争いなら武を競ってもらいたいところなんだけど、もう遅いしね。今は一旦忘れようじゃないか」
「ほえ? では後日、日を改めてということですかの?」
「そうだね。とりあえず今はさ、折角人数もいることだし」
彼は一同をぐるりと見回し、嬉しそうに目を輝かす。
「麻雀しよう!」
その一声で、本人以外の全員がこけた。
「父上、本気で仰っておられますかの?」
「そうだよ。徹麻するっていうんなら、老体にムチ打っちゃうよね」
「いくら好きでも、それは頑張りすぎでしょうに」
「だってさぁ」
何やらいじけた目で族長は緋迦を見る。
「お前達二人が出掛けたせいで頭数が足りなくなっちゃってさ。もうね、禁断症状が出そうだったんだ。あ、翡翠。道具持ってるよね?」
「有りますが」
「じゃあ持ってきて。そこの君は紺碧の言っていた人間だよね? 麻雀って知ってる?」
くるりと身を翻した彼は、今度は荘周へ視線を向けた。
突然話を振られた荘周が目をパチパチさせながら答える。
「はぁ。困らない程度には」
それを聞いた族長は嬉しそうに荘周の肩に手を添えた。そして、彼を卓の方に連れて行き、椅子に座らせる。自らは上座に腰掛け、緋迦にも手招きした。
「ほら、緋迦、お前も掛けなさい。人間の君とも一局打ってみたいから、君も頭数ね。たまには翡翠とやってみるのも面白そうだから、紺碧、お前は見学でいいかな?」
いいかな? などと言われても、族長の言葉に否と言える者がいるわけがなく、全員が無言で頷く。
「私は狸の世話でもしていましょう。どうぞごゆるりとお楽しみください。茶を用意するので、翡翠、炊事場を借りますよ」
誰よりも冷静な紺碧は、今の状況にも既に順応しているようで、さっさと炊事場へ行ってしまう。
「好きにしてくれ」
入れ違いに戻ってきた翡翠は疲れた様子で返事をし、卓の上に牌を置いた。
「いやー。楽しみだね〜。人間と麻雀出来る日が来るとは思ってもみなかったよ。君、名前何て言うの?」
牌を混ぜながら族長が尋ねる。
「荘周です」
「荘周ね。うん、覚えた。じゃぁ、全員の名前が分かったところで罰ゲームでも決めようか」
変わらずニコニコと彼は言うけれど、緋迦と翡翠の手が止まった。
荘周は何も分かっていないようで、変わらず牌を混ぜている。
「俺は別にどうでもいいんで、ご自ーー」
「ならん! ならんぞ、裏周っ!」
「お前馬鹿かっ!」
彼の両脇から、緋迦と翡翠の二人で慌てて荘周の口をふさいだ。
フガフガともがいた彼は、どうにか二人の手から逃れわめく。
「急に何してくれんのさ!? 窒息死させる気!?」
「阿呆か裏周! 父上はありえん程に強いのだ! 本人に罰ゲームを決めさせてはならん! 以前など、一時間足裏をくすぐられ続けたのだぞ!」
「俺は羽根を全部毟られたことがあったな。お前は自ら地獄に足を突っ込む気か?」
「え、あ、そうなんだ。何その地雷」
胸に手を当てながら荘周。
彼の失策を止められたところで緋迦が族長に目を向けると、彼はニコニコと笑っている。
「あーあ。止めちゃって。つまんないなぁ。荘周からだけでも許しがもらえれば、既成事実で好き勝手出来たのにね」
表情は穏やかなのに、その発言はえげつない。
(嵌める気だった。絶対妾達を嵌める気だったぞ、この人)
自分の父親ながら性格が悪い。そう思いながら牌山を作る。その途中で、卓の下で脚を蹴られた。蹴ってきた翡翠を見ると、声は出さずに口をパクパクさせている。
(お前の親父だろう、どうにかしろ? そんなことできるなら、とっくにやっておるわ!)
返答も込めて蹴り返す。しばらくそうして卓下で無言の応酬を続けていると、族長がクスリと笑った。
「二人共仲良いよねぇ。だから婚約させたのに、緋迦には何が不満だったのか。あ、面倒だから儂が親するよ」
ぼやきながら彼はサイコロを振り、牌を取っていく。
その話題に荘周が食いついた。
「婚約してたんですか? この二人」
「そうだよ〜。こう見えても翡翠はそこそこ出来る雄だから、飛べない娘のために良かれと思って決めたんだけどね。荘周から見ても、いい組み合わせだと思わない?」
「はぁ」
問われた荘周は困ったように緋迦と翡翠を交互に見、そうですね、と、にこやかに返した。
それが不満で、緋迦は卓をバンと叩いて立ち上がる。
「何が、そうですね。だ! 妾とこやつでは全く釣り合っておらぬぞ! それに、どう見ても婿殿が最強に魅力的ではないか!」
「はぁ? あの狸の方が魅力的とか、お前の目は節穴か! だいたいな、あいつはーー」
「まぁまぁ、お二人共落ち着いて」
盆を持って帰ってきた紺碧が、手にした湯飲みの一つを翡翠の口元に当てる。
「それ以上喋ると、振動で熱い茶がこぼれますよ」
「紺碧、お前っ」
翡翠がギリギリと歯ぎしりした。
そんな彼など無視して、紺碧は全員に茶を配りながら言う。
「族長もお戯れなどせずに、今夜は純粋にゲームを楽しむだけに留めておく方が、緋迦様からの嫌われ度も上がらないかと」
「紺碧は相変わらず胸を抉る言葉を言ってくれるね! でも、間違いないから採用!」
大げさに族長が胸を押さえた。
「紺さんって、族長相手でも毒舌なんだ。ある意味尊敬するわー」
「そうなんだよ。たまに精神的ダメージで、老い先短い命がゴリゴリ削られてる気がするんだよね。あ、ロン」
無駄話をしながらも、族長は堅実にあがってくる。
毒舌だろうがなんだろうが、地獄の罰ゲームを無くしてくれた紺碧に、緋迦は感謝しかなかったのだった。
そうして時間は過ぎて行き、唯の鳥がさえずり始めた頃。
目の下にクマをこしらえた紫の男が欠伸をしながらぼやく。
「にしてもさ、紺碧に、"緋迦が次期族長候補に返り咲く宣言をするから聞きに来い。"って言われた時は正直乗り気じゃなかったんだけど、これだけ遊べたなら、来た甲斐もあったよね」
「は?」
彼以外の卓を囲む三人は口をあんぐりとさせ、発言者を凝視した。
その視線で何かに気付いたのか、族長は困り顔で頭を掻いている。
「そういや口止めされてたっけ。眠くて忘れてたよ。まぁ、もう聞けたし、いいよね」
「よいわけがありませんぞ、父上! それではまるで、妾が紺碧に行動を操られたようではありませぬか!」
「そうとも言うねー。緋迦はお馬鹿さんだから、簡単だっただろうね」
「族長もお前に容赦ないな」
翡翠から何やら同情の視線を向けられたが、悔しいから無視だ。
緋迦が紺碧のいる方を振り向くと、彼女は四人の居場所から離れていくところだった。
「申し開きはないのか!? 紺碧!」
大声で緋迦は問いかける。
振り向いた紺碧は狸を腕に抱きながら言った。
「致しませんよ。全て私の企んだことですから」




