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16. お掃除しましょう

 ◆


 御山を降りた道を逆に辿り、三人は里に戻ってきた。


「うーん。やはり、里の方が落ち着くな」


 緋迦は新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。

 人間達の都は珍しい物があふれていたし、美味いものも多かったが、やはり御山の方が心地よい。


「さぁ、婿殿を迎えに行こうぞ。首を長くして待っておられるだろう」


 狸を預けている実家へ足を向ける。

 そんな彼女の肩を紺碧が掴んだ。


「お待ちください、緋迦様。一先ず庵に帰り、荷を置いて、身だしなみを整えてから参りましょう。愛しい方との久方ぶりの再会です。美しいお姿の方が喜ばれると思いますよ」

「おぉ、そうか。確かにそうだな。では先にうちに帰るか」


 紺碧の意見はもっともだったので、緋迦はあっさり承諾し、住み慣れた我が家へ向かう。


「ただいまー、じゃ」


 特に誰もいないのだが、元気に挨拶して戸を開けた。

 久々の愛屋は、うっすらと埃が積もっている。


「あらあら。これはこれは」


 緋迦の横を素通りして中に入った紺碧が首を巡らせた。彼女は手近な棚に指を這わせ、眉根を寄せる。


「こんな状態の所にお客様を招くわけにはいきませんね」

「掃除か?」

「ええ」

「まぁ、紺碧にかかれば、この程度大したことないな。あれだけ荒れた荘周の家でさえ見違えたからな」


 緋迦も室内に入り、椅子の上の埃だけ払って座った。

 紺碧に任せれば全て解決なので、緋迦が掃除をするつもりは欠片も無い。精々が、荘周を手伝いに付けてやるくらいだろうか。


(まぁ、少しくらいなら、妾も手伝ってもよいが)


 卓の目の前だけ埃を払う。

 とりあえずはダラけるつもりなので、卓の上にベタっとうつ伏せになった。

 そんな彼女の前に影が落ちる。

 顔を上げてみると、ハタキを持った紺碧が立っていた。


(なんじゃ? ここを掃除するから身をどかせということかの?)


 そう思い上体を起こす。

 そんな彼女に紺碧はハタキを差し出してきた。


「なんじゃ?」


 紺碧の行動の意味が分からず、緋迦は目を瞬く。こちらが事態を理解しているかなど紺碧には関係ないのか、緋迦の手にハタキを握らせた。

 緋迦の目を覗き込みながら彼女は言ってくる。


「いつもなら私が掃除するところですが、今日ばかりは緋迦様がなさるべきかと」

「少し手を貸す程度ではなく、全て妾がやるのか?」

「そうです」


 紺碧が頷く。

 そんなことを言われてもどうしようもなくて、緋迦は手の中のハタキに視線を落とした。


「この後婿殿をお迎えせねばならんのだ。どう考えても、おんしがやった方が綺麗になって良かろう?」

「だから、でございますよ。愛する方のためなのですから、手ずからなさるのがよろしいでしょう。こういう内助の功も、一つの愛情表現であると私は思うのです」


 優しい声音で紺碧が言う。

 緋迦は紺碧を見て、それからハタキに視線を移し、キュッと唇を噛んだ。


(なんということだ。紺碧に言われるまで、妾はそんなことにすら気付いておらなんだ)


 言われてみればその通りだった。

 愛する者を迎える場所一つ心地良く出来ずに、どうして彼に幸せな結婚生活を提供出来ようか。

 緋迦は瞳に炎を燃やし、ハタキを握った手に力を込めた。


「紺碧よ、分かったぞ! 妾は婿殿のために全力で掃除をしよう! おんしはゆるりとしておるがいい」

「やる気になって下さって何よりでございます。お一人では大変でしょうから、下僕に手伝わせましょう」

「え、僕もですか?」


 自らを指しながら唖然としている荘周を無視して、紺碧が緋迦の手を両手で包んでくる。


「頑張ってくださいませ、緋迦様。その間に、私が狸を迎えに参りましょう」

「え、おんしが行くのか?」


 それはちょっとズルいと緋迦が抗議しようとすると、先を制して紺碧が口を開く。


「頑張って掃除をなさった緋迦様へのご褒美ですよ。終わればあの顔が見れると思えば、やる気も出るでしょう?」

「!!」


 先々まで見越して行動してくれる紺碧の優しさに、緋迦は胸を打たれた。

 自分はこんなにも好き勝手にしているのに、紺碧はいつでも笑顔で付き従ってくれる。彼女が気を使ってくれているのもあるし、この恋は何があっても実らせなければならない。


「期待に応えようぞ! おんしは婿殿を頼む」


 紺碧に向かい拳を握る。


「何を勘違いなさったか分かりませんが、頑張って頂ければ幸いです。では、行って参りますね。なるべくゆっくり戻って参りますので、綺麗にしておいてください」


 彼女は優しく緋迦に微笑むと外へ向かい、けれど、途中で脚を止めた。


「下僕、ちょっと」


 くるりと振り返り、彼を手で呼ぶ。


「なんです? 僕も一緒に迎えとかですか?」

「いいから、少し耳をお貸しなさい」


 彼の耳元で紺碧が何かを言うと、荘周の目が大きくなった。

 彼はそのまま彼女を凝視し、身体全体で何やら訴えている。


「それって、ーーだし、俺もーーだとバレたら、ーー」


 緋迦に切れ切れに聞こえてきた言葉はその程度で、何を話しているのかは分からない。

 荘周の言葉遣いから、彼の人格が入れ替わったっぽいような気がするくらいだ。


(人格が入れ替わるような話とは、あの二人、何の話をしておるのだ?)


 興味に負け、抜足差足二人に近付く。けれど、中身がきっちり聞き取れるようになる前に話は終わり、紺碧は出ていってしまった。

 盗み聞き出来なかったのは残念だが、それなら堂々と尋ねればいいだけだ。

 庵の奥に向かう荘周の背に、緋迦は言葉を投げかける。


「裏周、おんし、紺碧と何を話しておったんだ?」

「んー?」


 雑巾とタライを持った彼が戻ってくる。


「緋迦ちゃん一人に掃除させると荒っぽいから、きちんと手伝ってやれってさ。とりあえず、掃除は上からって言い聞かせろって、念を押されたよ」

「うぐ」


 緋迦は、今まさに中途半端な高さの棚にハタキ掛けをしようとしていた手を止めた。


(さすが紺碧。おらずとも、妾の行動は筒抜けか)


 優秀過ぎる相方の指摘に唾を飲む。

 逆らう理由も思い付かなかったので、ひとまず、一番高い梁の上から掃除を始めた。

 そんな彼女を見て、荘周が微妙な笑顔を向けてくる。


「じゃぁ、俺、水汲み行ってくるから。落ちて怪我しないように気を付けてね」


 そう言って彼も庵を出て行った。

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