10. アレ、隠しておきましたから
勘違いした人々の追跡をなんとか振り切り、荘周と緋迦は買い物を再開させる。
数日分の食材を無事購入し、見慣れた我が家の戸を開けた荘周は、その場で固まった。
(俺、家、間違えたかね?)
回れ右して両隣の家を確認してみるが、記憶の中のお隣さんに違いない。
勇気を出して、再度我が家のはずのそこに目をやると、やはりあり得ない光景が広がっていた。
家具や建具は変わっていないはずなのだが、磨き上げられ、新品以上に美しい。むしろ、長年使い込んで味が出ている、とも感じられるほどだ。
修繕しないといけないなと思っていた壁には出所不明の大判布が掛けられ、目隠しされている。
その上で、家のあちらこちらには花や観葉植物、瑞々しい葉を茂らせる樹枝が飾り付けられ、どこの森の庵ですか? と、問いたくなるような雰囲気を演出している。
彼女等の庵を再現しようとしたのかもしれない。
「良い感じに片付いたの。さすが紺碧じゃ」
「あら。お帰りなさいませ緋迦様」
特に気にした様子もない緋迦が家に入ると、紺碧も笑顔で出迎えた。
荘周も緋迦に続く。
「紺さん、マジ凄いね」
「はぁ」
何故か、彼を見た紺碧にため息を吐かれた。
(何その反応!? ってか、ここ、俺の家のはずなんだけど!?)
不当な扱いに不服はあるけれど、ここまで見事な掃除をされては文句も言えない。むしろ、礼を尽くした方が良いような気までする。
「雄の家なので散れているのも仕方ないとはいえ、さすがに骨が折れました」
「そりゃ、こんだけやればねぇ」
もはや男女の違いなどという次元ではない。紺碧が凄すぎるのだ。
そんな彼女は荘周の方へツカツカとやって来ると、顔を寄せ、小声で言う。
「見つけた春画はまとめて寝床の下に隠しておきました。緋迦様に悪影響を及ぼさぬよう、我らがいる間は引っ張り出さぬように」
「ふぼぅ!?」
予想外の紺碧の発言に荘周は吹いた。
「うおっ!? 何をしとるのだ裏周! 危うく唾が妾に飛ぶところだったぞ」
緋迦が可愛い顔で抗議してくるが、それすらも耳を素通りだ。
知り合って一月にもならない恋人未満、むしろ、友人未満に見られている女にそれを見られ、その上で片付けられるという行為は、母親にやられるより心理的衝撃が大きい。
今度女性に家の掃除を頼む時は、それの処理だけはしておこう、と、心のメモ帳に書き込む。
「まぁ良い。色々と調達してきたのだ。紺碧も一休みするといい」
まるで家主のように緋迦が卓に着いた。
「そうさせて頂きましょうかね」
そう言いながらも、紺碧は竃で湯を沸かしながら茶器を用意する。
後で汲みに行かねばと思っていた水瓶も満たされており、青いお方はどこまでも優秀だ。
そんな彼女に、荘周は荷の中から乾燥させた茉莉花を渡す。
受け取った紺碧は不思議そうにそれを眺めた。
「これは?」
「茶の一種。お湯で戻してやれば花茶になるからさ。リラックス効果もあるらしいから、休憩にはいいんじゃない?」
人間の女性達が好むのだから彼女達も好むだろう、と、安易に選んだという事実は伏せておく。
購入は安直だったのだが、紺碧は柔らかい表情になってくれた。
「それは緋迦様がお喜びになるでしょう。あなたもたまには気がききますね」
「紺さん、本当に緋迦ちゃん第一だよね」
「当然でしょう。緋迦様の幸せこそ私の幸せ。私の行動は全て、緋迦様のためですよ」
「へぇ」
「きっちり働けば、愛する緋迦様を撫で回して愛でても怒られませんしね」
「お、おう」
そこは怒れよ、と、緋迦に突っ込みそうになった言葉を、荘周はギリギリで飲み込む。
相手は鳥だ。
人間の常識を求めてはいけない。
こんな歪んだ愛を向けられている当人は、椅子に腰掛け足をプラプラさせ、靴を放り投げた。そして、前触れもなく擬態を解く。
「ぶべらっ!?」
意味のない言葉を叫びながら、荘周は窓を閉じ、玄関に閂を降ろした。
外から彼女の姿を目撃される可能性のある場所は他に無いかと室内を見回し、とりあえず大丈夫そうで胸をなで下ろす。
それから、擬態を解いた開放感からか普段以上に締まりのない顔になっている緋迦に近付き、げんこつを落とした。
頭を押さえた彼女が不平を訴えてくる。
「なんじゃ、突然に!」
「そりゃこっちのセリフだし! 人様にその姿だけは見られんなって言っておいたのに、窓開けたままで、なんで擬態解くかね!?」
「ほえ、窓?」
緋迦は緋色の瞳をパチパチさせながら閉じられた窓を眺める。
「閉じておるぞ?」
「俺が閉じたんでしょーがっ」
反省の色が見られないので、荘周はもう一発拳骨を落とした。
「市場で締められた鳥も色々見たでしょ。迦陵頻伽ってバレれば、緋迦ちゃんもあそこに並べられるんだよ。あーあ、短い一生だったね。可哀想に」
「ぐ。そ、それは嫌じゃ」
緋迦の翼が元気なくしな垂れる。そのまま彼女は頭を下げた。
「言いつけを守らんかった妾が悪かった。だから、肉にされるのから守ってくれ」
「分かったならいいよ」
素直に謝ってきた緋迦の頭を荘周は撫でた。
そこに紺碧もやってきて、湯呑みに茶を注いでいく。
「下僕に諭されるのは不服ですが、緋迦様を危険に曝させるわけには参りません。飛べるようになるまでは我慢いたしましょう」
とか言っている側から、彼女も擬態を解いた。
(あー。これ、靴壊れたかね)
荘周は彼女の足元に視線を落としたけれど、そこには爪以外何もない。はて、と、竃の方を見てみると、両靴きちんと揃えて置かれていた。
脱ぎ散らかしている緋迦とは随分な違いだ。
度を超えた緋迦愛が無ければーー個人的には胸ももう少しあってくれればーー実にいい女なのに、なんとも勿体無い。
「花茶と言っていましたか。柔らかい香りでなんとも落ち着きますね」
「うむ。裏周がこれを買うと言いだした時は、茶などどれでも同じだろうと思ったものだが、違うものだな」
緋と紺の迦陵頻伽は幸せそうな顔で茶を楽しんでいる。
紺碧はもう一つの湯呑みにも茶を入れ、それを空いている席に置いた。
「下僕。あなたも疲れたでしょう? 折角なので、茶を楽しみなさい」
「こりゃどうも」
荘周も座り茶をいただく。
湯呑みが空になると、紺碧がお代わりをついでくれようとしたけれど、軽く手で断った。そして、席を立つ。
「どうしたんじゃ? 裏周。好みじゃなかったのか?」
不思議そうに緋迦が見上げてくる。
そんな彼女に彼は笑いかけた。
「晩飯の用意しないといけないからね。一人暮らし歴もそこそこあるから、食べられはするものを出せると思うよ」
「手伝いましょう」
紺碧も席を立つ。
「え、いいの?」
「用意が必要なほどのものなら、手があった方が早いでしょう? 夕餉が遅くなるのは好ましくありませんからね」
「うむ。紺碧に手伝ってもらうとよいぞ。妾が言うのもなんだが、紺碧は器用になんでも出来るからな」
「緋迦ちゃんはやんないわけ?」
「妾もやーー」
「緋迦様までなさる程のことではないでしょう。この紺碧に全てお任せください」
微笑んだ紺碧が優雅に礼をした。彼女は荘周の腕を引き、竃へ向かいながら小声で言ってくる。
「緋迦様は不器用なのです。何をするのか分からないことをさせてはいけません。そこそこの期間共にいるのに、まだ認識していなかったのですか?」
「あー。そういえばそうだったね」
大都に辿り着くまでの道中、不器用な緋迦は木の実が上手く割れなくて、最終的に力技で破壊していたことも少なくない。
紺碧の言う通り、包丁を使ったりもする調理には向いていないだろう。
「まぁ、私も何をすればいいのか知りませんから、一から言ってもらわねばなりませんが」
「はいはい。指示は任せてよ。とりあえず、紺さん」
荘周は紺碧の腕を掴み立ち止まらせた。
彼女が嫌そうに腕を払いのける。
「なんです?」
「翼、しまおうか。竃の火が移ったら危ないし。食い物に羽根が入っても嫌だしさ」
「緋迦様じゃありませんし。翼を燃やすだなんてしませんよ」
呆れ顔で紺碧が言ってくる。
しかし、言葉とは裏腹に、焦げる臭いと白い煙が彼女の後ろから漂ってくる。
「言った側から燃やしてるじゃん!」
「あ、熱っ!!」
「やっぱ紺さんも緋迦ちゃんと同類っしょ!」
「一緒にしないでくださいよ!」
紺碧はパタパタと翼を叩き、荘周は水瓶に走った。




