たぶん、恋。
学校帰り、あの人を見かけた。
いつもとは違う表情のあの人に胸がキュンとなった。
あの人、の名前を私は知っている。
胸に『しまむら』という名札を付けて仕事をしているから。
学校帰りによく寄り道する、ドーナツショップで彼は働いている。最初は彼のことは全く眼中になかった。ドーナツが安くて美味しいから、ただそれだけで通っていた。
最初は友達数人と、放課後のドーナツショップでお喋りしていた。最近流行っているファッションの話、スイーツの話、友達のコイバナ。私には彼氏も好きな人もいないので、友達の話を聞くだけだった。
そんなある日のことだった。
「あれっ?ない・・・」
カバンの中を探しても大事なプリクラ手帳がないのだ。おかしいな・・・カオリの家に行った時には確かにあったのに。みんなで新しいプリクラ貼り付けて遊んでたから。
とりあえずカオリに連絡して聞いてみる。
―さゆのプリ帳、カオリんちに忘れてなぃ? 【さゆみ】
―えー、ないよぉ。なくなったの? 【かおり】
―そっかぁ。どっかで落っことしたのかなぁ。。 【さゆみ】
カオリの家にもない。もしかしたら、ドーナツショップかな。私は一人、店に向かった。もう夜の8時を回っていた。お店は開いているようだったが、この時間帯は結構人がまばらだった。
「あの・・・」
とりあえず、すぐ近くにいた店員さんに声をかけた。背が高いその人は私の目線の高さに胸があった。その胸に『しまむら』という文字が見えた。
「はい?」
「忘れ物・・・しちゃったかも・・・」
と、私が言いかけた時だった。
「これ、だよね」
そう言って店員が渡してくれたのは、私のプリクラ手帳だった。
「あ、これです!どうしてわかったんですか!」
忘れ物がどんな物かも聞かずになんでわかったんだろう。
「学校帰りによく来てくれてるよね。いつもあの席に数人で座ってる。そこに落ちてたんだよ」
「そうだったんですか。ありがとうございます」
しまむらという店員は、にっこりと笑って
「大事な物なんでしょ。もうなくさないようにね」
と、私に言ったのだった。
私はしまむらという店員に深々と頭を下げて、家に帰った。
その日以来、ドーナツショップに行くと、私の目線は気付けばしまむらさんを追っていた。年は20代半ばかな。私が今17だから、8歳ぐらい上なのかも。
「ちょっとぉー、さゆみ、聞いてる??」
最近の私は、友達の話が聞こえないぐらい、しまむらさんのことを見ているようだった。自分がそんな風になるなんて、ただただビックリだった。けど、ここでみんなに
『あの店員さんのこと気になる』
とか言うと、絶対みんながお節介とかしてぐちゃぐちゃになりそうだったから、あえて言わなかった。
「なんでそっちばっか見てんの?」
って、友達に聞かれても
「ん~、もう一つドーナツ食べようかと迷っててぇ~」
と、ごまかしていた。
「あ、そういえば、さゆみのプリ帳見つかったの???」
カオリが聞いてきた。なんとなく、夜にこの店に来たことを言いたくなくて
「ああ、ごめんっよく見たら家にあったのぉ~」
「なにそれ~人騒がせ~。でも良かったね」
「うん、無くしたと思って焦ったよぉ~」
そんな話をしながらも、私の目は自然にしまむらさんを追っていたのだった。
数日後。学校の近くにパンケーキのお店が新しくオープンした。私たち仲良しグループは、ドーナツショップに行くのをやめて、パンケーキのお店に通うことが多くなった。
もう、何日しまむらさんの顔を見ていないだろう。晩御飯を食べた後、自分の部屋でぼんやりとしまむらさんのことを考えていると、すごくしまむらさんの顔が見たくなった。時計を見ると8時過ぎ。まだお店は開いている。私は小銭を握りしめて、ドーナツショップに向かった。
「いらっしゃいませ。あれ?また忘れ物かな?」
しまむらさんが私の顔を見て言った。
「いえ、ドーナツ食べたくなって買いに来ました」
「そっか。最近、来なくなったもんね。ありがとう」
「また時々買いに来ます・・・」
声が出にくくなった。しまむらさんが私を見て、私に話しかけてくるから。私はイチゴチョコのかかったオールドファッションを1つ買って、家に帰った。
それからは、時々、夜になると一人でドーナツショップに出向き、1つだけドーナツを買って帰るのが私の楽しみになった。毎日は行かない。変な子だと思われたくないから。我慢して、週に2回ほどのペースで通っていた。
そんなある日、学校の帰り道で、あの人を見かけた。
ドーナツショップのしまむらさんだ。何気なく見た、向かい側の道端に停まっている車の中に、しまむらさんがいた。座っているので上半身しか見えないが、ドーナツショップの制服とは違う、私服のしまむらさんに私はドキッとした。思わず、立ち止まって見つめてしまう。
白いシャツ姿のしまむらさんが、タバコに火をつけた。その仕草がなんとも大人びて素敵で、私の胸の鼓動が早くなる。タバコを吸う、横顔のしまむらさんに、私は年齢の差を感じたのだった。ああ、彼は大人なんだな・・・私はまだ・・・彼から見たら子供なんだろうな・・・
しまむらさんの横顔が少し険しくなる。助手席に乗っている誰かと話しているようだ。よく見えないが、きっと女の人が隣に乗っているんだろう。そして、その人はしまむらさんの彼女だろう。
私の胸はキュンとなった。
いつもの優しいドーナツショップのお兄さんじゃない、しまむらさんを見たからだろう。そして、隣に女性がいることがわかってしまったことで、私の中のしまむらさんの存在が遠く遠く離れて行くのを感じた。もう、近くに行けない。険しい顔つきから、彼女と喧嘩をしているのかも知れないが、真剣な大人の付き合いをしているように見えて、自分がどんどん子供に思えて悲しくなってくる。
この感情は・・・たぶん、恋だろう。自分の気持ちに気付いた時には、叶わぬ恋だということも同時に知ってしまった。
この時間に、しまむらさんを見かけたということは、彼は今日は休みなんだろう。今日はドーナツを買いに行くのはやめよう。明日・・・明日、最後のドーナツを買いに行こう。私は、もう、ドーナツショップに行くのをやめようと思った。しまむらさんの顔をあと1回だけ見て、この・・・たぶん恋だと思われる感情を封印するんだ。そう決めた。
翌日の夜8時すぎ。私はドーナツショップに立っていた。
「ヨーグルトクリームを1つ下さい」
「今日はヨーグルトの気分なんだね。いつもありがとう」
しまむらさんが、ドーナツをトングで取りながら、私に声をかける。きっと私なんて、しまむらさんの目には、ただのドーナツ好きの女の子にしか映っていない。
「どうも・・・(さよなら、しまむらさん)」
ドーナツが1個入った袋を受け取って、しまむらさんに頭を下げて、私は店を出た。
「ありがとう、またね!」
しまむらさんの優しい声が、私の背中を追いかけてきた。
部屋に戻って、最後のドーナツを一口食べる。
「・・・甘酸っぱい・・・」
ヨーグルトクリームの酸味が口の中に広がると同時に、涙がこみあげてきた。
「またね、って言われても・・・もう行かないんだよ・・・」
口の中に広がるこの甘酸っぱさが、ヨーグルトの味なのか、涙の味なのか、この恋の味なのか、私にはもうわからなくなっていた。
~たぶん、恋。(完)~