魔術師たちの昏き憧憬 #8
密室。現実にはなかなか聞く機会のない言葉である。
創作ならともかく、人はどんなに完璧を目指してもどこかしら見落としをするものだ。密室状態だったと言っても、どこかしら抜け穴が残されていることが多々ある。
「密室、って言い方もおかしいかもしれないわね。実際には家自体が強固に密閉されてるのよ。……祖父が何を考えていたのか知らないけど――」
鉄製の扉。奇妙な形状の鍵。はめごろしの窓。
レイカはいつの間にかとりだした手帳を繰りながら、家の状態の子細を話す。どうやら「心に留めておきたい」と思ったことはよく観察して書き取っておく癖がついているらしい。装丁からして安物ではない手帳は、ところどころ折れ曲がってよれていたりしている。
「私が見落としてない限りは、あの家に玄関以外から入っていく方法はないわ。窓硝子が割られてたってこともないし、探してみたけど鍵はそれっきりしかないみたいだし」
家の状態の再調査も依頼のうち、ということだろう。トキヤはそう捉えた。
「わかりました。それでボクへの依頼というのは、『お祖父様の部屋の物が勝手に移動する怪異』の調査、ということで間違いないでしょうか」
「……建前の上では、そういうことになるわね」
レイカはどこか釈然としない表情でうなずく。
「実はこれが怪異だ、って言いだしたのは最初に相談した祖母の従者の人のうちの一人なのよ。ぽるたぁナントカとか難しい言葉を遣って、拝み屋みたいなのに頼んだ方がいいんじゃないかって」
「もし本当に人知の及び付かぬ怪異が原因なのだとしたら、ボクよりもそういった専門職の人のほうが助けになると思うのですが」
「冗談を言わないで」
レイカは本当に馬鹿にしたように鼻で笑う。トキヤは意に介さなかったが、なぜかフウカがおろおろと視線を中空にさ迷わせていた。
「本音を言えば、私は怪異が本当に存在するなんて信じちゃいないわ。興味―― というか面白いとは思うけどね。でも面白がるのと信じるのとは違うでしょ? いくら不可解だって、この世に説明がつかないことなんてない。そう思ってる。少なくとも私はね?」
――怪異。
技術革新によって様々な現象が確かな輪郭を帯びてきた昨今でも、時には人が持つ理論で説明しきれない『不可思議な現象』が起こることがある。人々はそれを怪異と呼んで忌避する。尋常の場合、怪異の最も冴えた対策は「無視すること」か「忘れること」であるとされる。すなはち思考停止だ。考えても理解が及ばないものには蓋をして放っておくのがいい、とされているのである。
世で特別な地位を占めている学者たちは「怪異とは現在の科学で証明できないだけの現象で、すべての事象はいずれ人間の手で説明がつくようになる」と主張してやまない。――だから今は捨て置け、と言うのだ。
「今回の事だって、きっと私に解き明かせない事象ってだけ。拝み屋なんかに頼んだところで、彼らは謎を解いてくれるわけじゃない。なんの解決にもならないわ。だから拝み屋に頼むのは反対したの」
話しがだんだんと読めてきたと同時に、トキヤはまた一段と頭が重くなってきた気がした。
「――それで最初にボクの叔父に相談しに行ったのですね? 現実的な解決を求めて」
「そう。私はあくまでも現実的にこの事象に決着をつけたかった。……今あなたに説明したことと同じことを話したわ。そうしたらこう言われたの」
『なるほど、承知しました。私が動いても良いのですが、もし―― もしもです。万が一にもこれがあなたの知る尋常では計り知れない「何か」の仕業であった場合、私よりも適切に対処できるであろう者が居ます。……ああ、心配は要りませんよ。彼は拝み屋ではありません。私と同じ探偵で、ただ世の中に普通の手段ではどうにもならない「不条理」が存在していることを身を以て知っている、というだけです。彼に任せてみては? 私の甥なんですがね――』
トキヤは今度こそ顔を覆った。
いくら不思議な事象でも、ただ自身が説明をつけるだけの理論を持っていないだけで、種を明かすことが出来ればただの事象である。
――"確かにその場合もある"。と言えるのは世の裏に存在する『不条理』を知る一握りの者だけである。そしてトキヤはその"不条理を知る者を知る者"だ。普通に生きていたのでは説明することのできない事象が存在することを、間接的に知っている。
それだけで言えば、叔父のスメラも条件は同じはずだ。スメラはシュトにおいてトキヤが見聞きしたことをほぼすべて知っている唯一の存在で、なおかつそれを信用しているのだから。
しかしながら、トキヤとスメラとでは決定的な違いがある。それをわかっているからこそ、実績も実力も大きく上回っているにも拘わらず、スメラはトキヤを推したのだ。
アカギリ姉妹が体験している不可思議な現象は些細なことだ。しかし―― それが本当に尋常ではない「何か」の仕業であった場合、状況は変わってくる。
種があるかないか。言葉にしてみればさほど違いはないが、現実にはそうではない。
「尋常ではない「何か」の仕業だなんて信じられないけど―― あなたなら、どっちに転んでもちゃんと「解明」してくれるって言うから。どう? 『シュト一の探偵』の信頼を証明する気はある?」
期待はされているが、信用はされていない。まだその段階だ。
しかしそれこそ正しい。トキヤはそう思った。
トキヤには二段階の「解明」が課せられている。
ひとつ―― これが条理にかなった事象なのかどうかの「解明」。
ふたつ―― いずれの状況に陥ったとしても、依頼人の納得を得られる「解」を「明らか」にする。
不条理も「それが条理となる世界」を知れば条理と化すとはいえ、知らぬ者にそれを説明するのは至難の業である。
できれば種ありの事件でありますように。
そう願いながら、トキヤは眠たげに首をもたげるようにして肯定の意を示した。
「もちろん。期待を寄せていただいたからには、全力を尽くさせていただきます。この依頼をお受けしましょう」
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