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魔術師たちの昏き憧憬  作者: 美凪
眠りし刻と愛の証明
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眠りし刻と愛の証明#31


 夜半過ぎ。

 屋敷の中に灯る明かりはない。


 誰もが不安を抱えたまま、それぞれの夜を過ごしている。

 眠る者あれば、眠れぬ者もあった。しかし彼らは共通して自室から決して出てこようとはしなかった。当然であろう。屋敷の中には未だ殺人者が潜んでいるかもしれないのだ。夜の闇に乗じて襲われでもしたらたまらない。


 ――そんな夜だからこそ都合がいい。


 "その人物"は息を殺し、屋敷の中で動く気配が消えるのを待った。

 使用人達は家人たちよりも遅くまで屋敷内を動き回っていたが、雇用主が死んで先の状況が見えない中、明日の予定を決めて行動している者はほとんどいなかったらしい。当初見積もったよりもやや早く、屋敷に静謐の時間が訪れた。

 持ち出すべき荷物はほとんどない。そもそもこの日に姿を消すつもりで居たので、用が済んだ順から持ち物は処分していった。自分の「正体」さえ悟られなければ問題ないはずだったが、そのあたりは元の性格が妥協を許さない。意識が赴く限り、自分の痕跡が残らないように工作した。


 あとはこの場を離れるだけである。

 音を立てずに自室を抜けだした"その人物"は、まっすぐエントランス・ホールを目指した。

 灯りと人気が消え失せたホールには、時折不気味な耳鳴りのような音がするばかりだ。暗闇のなかを悠々と歩き、食堂の奥へとさらに歩を進める。

 この屋敷から外に出るには、ホールの扉を抜けるか、厨房の裏口を抜けるほかない。


 エントランス・ホールの施錠は最後の最後に確認されるうえ、二名以上の使用人が同時に鍵を使用しなければ開けられない特殊な構造となっている。予め開けておくということが困難であるため、"その人物"は脱出の経路を厨房奥の裏口に絞った。

 こちらはそもそも、表からは開けられない構造になっている。裏側から一応施錠するものの、構造上外から侵入することはできないし、万が一夜間エントランスが施錠された状態で外に出てしまうと屋敷の中には戻れない。

 まさか夜の内に誰かが出て行くだろうとは思わない使用人達は、それほど意識して裏口の状態を確認することはないのである。その普段からの「慢心」は、このような状況下でも健在だ。


 案の定、当番の隙を突いて裏口の鍵は開けたままにすることが出来た。……はずである。


 食事とその片付けがが済んでのち最後の施錠が行われてからは、誰も厨房には近づいていない。「明日の仕込み」など必要ないのだから、それも当然のことだ。

 誰に見つかることもなく厨房に入り込んだ"その人物"は、逸る気持ちを抑えこみつつ裏口の扉に手をかける。


 ――ある意味、これからのことが一番大変だ。そう思えた。


 当初の予定は相当に狂ってしまった。本来ならこの後にまだやるべきことがあったのだが、ああなってしまった以上、迅速に姿を消してしまう必要があった。

 欲をかいてはいけない。元々必ず成功すると確信して行動を起こしたわけではないのだから。

 頭ではそう理解しつつも、遺恨が残る。もう少しやれることがあったのではないかと思う。

 複雑な心境のまま、"その人物"は勝手口の扉の取っ手に手をかける。――が、開かない。


「!?」


 一気に焦りが募る。

 数度捻ってみるが、施錠されているようで開かない。

 ――誰かが施錠しなおしたのか。震える手を引っ込め、深呼吸をする。

 まだ詰んだわけではない。勝手口の鍵は使用人待機室に保管されているはずである。当番が一人詰めているはずだが、巧く方便を使えば鍵をこっそり持ち出すことくらいは出来るだろう。なにせ、"普通に接する分には怪しまれることがない"のだから。


 リスクは一気に高まるが、致し方ない。もう一度乱れた呼吸を整えてから踵を返し―― 動きを止めた。


 さきほどまで誰も居なかったはずの厨房。食堂に続く出入口を塞ぐように、人影があるのを見つけたからだ。

 灯りの気はないので顔は見えない。ただぼんやりとその輪郭が闇に浮かぶのみ。正体を人目で見破ることは出来なかったが、「何者か」がそこにいるという事実だけでも"その人物"の動揺を誘うには十分だった。


 闇より現れた「何者か」は相手の動揺を気配で察知すると、携えていた蝋燭に火を灯す。ぼんやりと小さく揺らめく篝火によって闇から切りだされたその正体は―― 探偵トキヤ・カンザキであった。彼はけわしい表情で"その人物"を見やり、


「お探しのものは、これかな?」


 空いた手でポケットから取り出したのは、勝手口を施錠するための鍵であった。

 息を呑む。……どうやらこの探偵は自分の動きを先読みしていたらしい。


「返事は結構。"出来ない"ことは承知のうえだ」


 返事をしかねて黙りこくっている"その人物"に突きつけるように、トキヤは言った。

 それまで指向性のない広がりのある光から顔をかばおうと、纏った大きめの外套の襟元を絞っていた"その人物"は、その言葉で自分の行為が無駄と知る。


「……いつわかった?」


 低く、しかし透明感のある声音。観念したかのようなその言葉に、トキヤは場違いな笑みを見せた。


「らしくもないミスだった。いや、"君だからこそ"のミスか。……ボクを珈琲好きにしたのは君だったろう? ――コウジ」



 トキヤは灯りを手に、自ら追い詰めた人影に近づいた。


 次第に露となるその容姿。見た目の上は背が高く見目麗しい女性―― この屋敷で一番最初に見かけた女性使用人のものであるが、その正体は男性だ。


 コウジ・トキワ。トキヤの親友にして、トキワ家の次男。本来ならここには居ないはずの人間である。


「君がここに来ているのかもしれないとは感じていたけれど、君がミスさえしなければ、ボクはその可能性を最後の最後まで後回しにしていたことだろうね。……情けない話だが、すっかり騙されたよ」


 実際、コウジの「変装」は完璧であった。男にしては華奢な肉体と中性的な顔立ち・声音を巧く使い、見た目の上では親友のトキヤですら欺いてみせたのだから。

 トキヤが久しぶりに再開したコウジが「痩せていて体調が悪そうだ」と感じたのは、コウジが変装をより完璧に見せるため、体が小さく見えるよう、あるいはか弱く見えるように自身の体を調整しようとしていたからであったのだ。今のトキヤには事前の繋がりがすべて見えていたが、もしもコウジがトキヤに尻尾をつかませるようなミスをしなければ、その思考にたどりつくまでに相当な時間を要したであろう。少なくとも、こうして土壇場で追い詰めることは出来なかったはずだ。


「……そうか、珈琲の「好み」か」


 外套の下で薄く微笑んだコウジは、自身の失態を口にする。


「ああ。――君は少々気が利き過ぎたようだ。なまじ君はボクの「好み」を知っているものだから、"ボクの分の珈琲にだけ砂糖を添えなかった"。ボクのソーサーの上には砂糖がなかったから、ナナオはソウイチさんに頼んで砂糖を貰う他なかったんだ」


 トキヤが違和感を感じたあの時、ナナオとソウイチはごく当然のやりとりを行っていた。もっとも、あの一連のやりとりは「トキヤのソーサーに砂糖が乗っていなかったため」に起こったものである。

 もしもトキヤの珈琲にも同じように砂糖が添えられていたなら、ナナオは迷わずトキヤの砂糖に手を付けたことだろう。わざわざソウイチに頼む必要はない。

 思えば単純な違和感だったが、トキヤにとっても「珈琲には何も入れない」という嗜好は当然のものであったため、気付くのが少しばかり遅れたのであった。


「まったく、そんなことからバレてしまうとは、思いもしなかったなあ。……怪しまれないように使用人らしく振る舞おうとしていたのが裏目に出てしまったのか」


 バツが悪そうにぼやくコウジ。未だ彼の表情、声音には余裕がある。少なくとも表面的には。

 それはそうだろう。まだ正体が露呈しただけの段階だ。背後に潜むロジックは何も明かされてはいない。


「今日会ったばかりの人間が、ボクの好みをしっているというのは些か解せなかったのでね。疑う材料としては十分だったのさ」

「参ったな。……それで、君は僕を捕まえてどうするつもりだい? 僕が父親と弟を殺した犯人だとでも?」


 強きの発言。役者であるコウジの表情や言動は純粋なものではない可能性もあるが、まだ自分の立場が完全に崩壊したとは思っていないようだ。

 トキヤは逡巡したあと、首を振る。


「いや、君は誰もその手にかけてはいないはずだ」

「おや、意外だな。僕を疑っているからこそ、ここで僕を待っていたんじゃないのかな?」

「疑いの質が違うよ。――実際に事に及んだのは、"二人の"君の協力者。一人目は使用人として振舞っていたあの老年の男性で、もう一人は…… 完全に外部の人間だろう。ボクの見立てでは、このもう一人が殺人者だ。……それともうひとつ。この二人の協力者は、いずれも魔術師だね?」

「……!」


 コウジの眉がわずかに痙攣するように、動いた。トキヤはそこに隠し切れない動揺を見とる。


 トキヤにとって予想外のことがあったように、コウジにもいくつも予想外の出来事が降りかかっていたのだろう。ただし、所謂「黒幕」であるコウジの最大の誤算は、トキヤが魔術の知識を有していたことだ。

 それに今更気付かされ、驚きを隠すことが出来なかった。一気に顔色を悪くしたコウジが狼狽える。


「トキヤ、君は……!」

「君がどういうつもりでボクをここに呼んだのか、それだけは未だによくわかっていないんだ。――ただ、君にとっては残念なことに、ボクは"こっち側"の事情を知る人間だ。認めたくはないけれどね」

「……ほんとうに、参ったな。それじゃあ君は何もかもわかってしまったと?」

「あくまでもまだ、ボクの推測の域を出ないよ。これから話す内容を認めるか認めないかは、君次第だ」


 そうけん制するトキヤであったが、実際のところは自身の仮説に確信に近いものを抱いていた。

 この屋敷での出来事はたしかに不可解なものであったが、「魔術」という裏事情と、姿を変えて潜入していたコウジの存在という鍵を手にした今、もはやことの成り行きにそれほど不自然に感じられるものではなかった。元々の形はどうあれ、やはり"なるべくしてなった"状況なのだということが、今のトキヤにはよく理解できていた。


「――君はとある目的のため、ボクに代理の依頼をしたあとすぐ、変装してこの屋敷に雇われにいった。そうだね?」

「ああ、そうだよ」


 トキヤが魔術に通じていると判明したためか、コウジは問いかけを素直に認めた。


 使用人達への聞き取り調査の結果、コウジ扮する女性が屋敷に雇われたのは、ほんの一週間前のことだという確認がとれている。タイミングに関しては、ここのところ"屋敷に雇われる若い人間"が増えてきていたため、誰も不審には思わなかったようだ。


「敢えて身元がバレる危険性のある「雇用される」というかたちで潜入を決めたのは、近頃の屋敷の「状況」を見て、むしろそのほうが自分の立場がごまかされやすく、リスクが少ないと判断したから」

「それも、そのとおりだよ。……父、いや、"あの男"は、前々からこの家に仕えていた人間を"ほとんど失っていた"からね。ここで暮らしていた頃の僕を知る人間はほぼ皆無だった」


 そう。トキワ家の使用人は、どういうわけかほぼ「総入れ替え」となっていたのである。聞き取りの際に一同に介した使用人連中を見、トキヤが感じた違和感の正体はそれであった。

 以前の屋敷の姿を知るソウイチは、「古株の使用人達が中央棟三階を常に警戒しているため、親族でも用意には近づけない」と話していた。しかし現実には「古株」と呼べるような年齢の使用人は「メイド長」を除いてひとりもおらず、三階の警戒態勢もそれほど厳重ではなかった。


 つまり、ソウイチすらも知らぬ間に屋敷の顔ぶれが変化していたのだ。そのため、彼の言動と現状に齟齬が発生したのである。


「まぁ、それでも相当綱渡り的な状態だったよ。忌々しいことに、あの男は一番の古株である女をまだ手元に残していたからね」

「メイド長、か?」

「うん、その通り。彼女と最後に会ったのはもう五、六年前だとはいえ、僕の正体がバレない保証はなかったからね。正直ヒヤヒヤした。……彼女があの男の世話にかかりきりで顔を合わせる機会も少なかったから、どうにかやり過ごす事ができたけれどね」


 正体を隠したいコウジにとって、一番の障害は彼が屋敷に居た頃から務めている「メイド長」であった。信用をおける使用人を失ったトウジロウ・トキワは、ここ最近の身の回りの世話のすべてをメイド長に任せきりにしていた。そのため、彼女には屋敷に起ころうとしている変化に気を配る余裕がなかったのである。事実、事が起こるまでにコウジの正体に気づくことはできなかった。


「――そうして「屋敷の使用人」という地位を手にした君と共に、この屋敷に入り込んだ人間が居る。――それがあの使用人に扮していた男性だ」


 当主に寄り添い、あたかも使用人頭であるかのように振舞っていたあの男。彼の役目は「表面上、親族会を滞り無く終わらせること」であった。しかしそのためには当主に常に寄り添っているメイド長を排除し、親族以外は入ることすらままならない三階最奥へと入り込む必要があった。


「君は君が見張りをしている時間帯に、彼を三階最奥へと通したんだね、コウジ。正当な血筋の持ち主である君にならば、あの扉を開けることは容易だったはずだ」


 生存者の中で、扉を開けることが出来るのはソウイチとミツヒコだけ。――そう思い込んでしまったからこそ、事態がややこしく思えたのだ。


「そして"目的を達成するため"、彼に当主とともに親族会へ出席させた」


 コウジは当主に対し、「親族会で口を開くな」と脅しを掛けていたはずだ。親族会で発せられた当主の言葉は撤回できない。万が一のことを考え、コウジはどうしても当主を黙らせる必要があった。親族会が終わってホールから退去する際、当主がトキヤの腕を掴んだのは苦し紛れの行動だったのだろう。

 当主を脅すために、どんな手段が用いられたのかは定かではない。現状考え得るのは「メイド長」を人質にとって脅したという線だろうか。しかし、大家の家長が重用しているとはいえ、たかが使用人のために素直に従うとは思えない。ここに至っても、その部分だけは判然としなかった。


「問題はこのあとのことだ。本来どういう手はずだったかはボクにはわからないが、少なくとももう少し穏便に終わらせるつもりだったんじゃないか? 少なくとも、親族会が終わればキミにとって当主は「用済み」だったはず。彼は普段から人前に姿を現すことが少なかったようだから、「処理」に焦る必要はなかった。……イレギュラーな事態さえ起こらなければ」


 シロウの三階最奥への侵入。トキヤがそれを口にすると、コウジは嘆息した。


「そうだね。そもそもアレが無理やり乗り込んでくることさえなかったら、事はもうちょっと穏便に済んでいたよ」

「あの場でシロウさんを殺したのは、君たちの留守中に執務室で待機していた「協力者」だろう」


 シロウを含めた三人を殺害したのは、この「協力者」であることは間違いない。

 なぜトキヤが男性使用人の他に「協力者」がもう一人いると断じたかといえば、これもまた単純な話である。シロウが三階最奥へと侵入した際、主要人物は全員ホールに集っていたからだ。

 親族以外を扉がある以上外部犯ではあり得ないし、現場の状況からしてシロウは「室内に潜んでいた人物」に奇襲されて死んでいた。つまり、シロウ侵入のタイミングで、少なくとも執務室の中に「自由に動くことのできる人間」が一人は居なくてはならないことになる。


 拘束されていた形跡のあるメイド長が犯行に及んだとは考えにくい。それ以前のタイミングに「悪意のある何者か」が部屋に入りこんでいたと考えるほうが自然だ。――そしてそのタイミングは、コウジが「協力者」を三階最奥へと送り込んだタイミングと判断するのが妥当だ。



遅くなりました。すみません。

この翌日十二時にも続きが投稿されます。


今週で真相編は終わりにしたかったのですが、やっぱり尺が足りませんでした。

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