眠りし刻と愛の証明#27
(――待てよ? そういえば、ソウイチさんは「これで屋敷の人間は全員だ」、と言ったな)
もう一度部屋に揃った人間の顔を見回す。当然、例の男性使用人の姿はない。ソウイチが「駅に遣いにやった」という人物が彼ではないのだとしたら、この場にいない人間はひとりではなくふたりということになる。トキヤは自分で目にした「あの状況」で姿を消してしまっていた男性使用人がこの場に居ないことを「当たり前」のことのように捉えていたが、現場を目にしていない他の人間にとっては別だ。
やはり、この緊急事態に対して完全に冷静では居られなかったようだ。トキヤは自分の行いにひとつの穴を見つけ、思わず奥歯を噛み締めていた。
「そういえば、御当主をお世話していたあの男性―― 彼の姿が見えないようですが、ソウイチさんは彼を遣いに出したのですか?」
トキヤが内心の動揺を抑えこみつつ問うた言葉に返されたのは、予想通りでもあり予想外でもある回答であった。
「ん、いや、駅に行かせたのは別の若いやつだが…… そういや、アイツはどこに行ったんだ?」
しきりに首を傾げ、悩む様子のソウイチ。想像以上に鈍い反応だった。
「おい、誰かアイツがどこに行ったか知っている奴は居ねぇか?」
他の人間にもそう問いかけるが、示す反応はやはり手応えのない曖昧なものだ。トキワ家の人々はもちろん、使用人たちも同じような反応だ。
(……妙だな)
彼の使用人が居ないことに関して「今気づいた」というよりは、端から存在していなかったか、完全に忘れ去っていたかのような振る舞いである。
屋敷の主が殺されるという一大事。それも、犯人が見つかっていない。この現状にあっては、この場に姿を現していない人間に対して疑いの眼差しが向けられるのは当然の流れだ。
駅に遣いに行っているという使用人を残し、この場に唯一姿を見せていない人物。それが疑われるどころか勘定に入れられてすら居ないというのは妙な話である。
トキヤの問いかけによってようやくその不自然さを自覚したらしい人々は、不安げに周囲の人間と言葉を交わしている。聞こえてくる会話の内容は、「そういえば、見かけていない」だの「私は知らない」だのと、やはり要領を得ない。
「お静かに。――改めて問いますが、彼の行方を知る方はいらっしゃらないと?」
トキヤの問いかけに対して帰ってきたのは、やはりというべきか「誰も見かけていない」という答えであった。
(これはいよいよ怪しくなってきたな。……クソ、そうとわかっていながらボクは……)
決定的な反応ではないが、普通では見られないような反応であることは確かである。さながら集団催眠にでも遭ったかのように、例の男性使用人から屋敷の人びとの意識が逸れてしまっているのだ。
いよいよ件の使用人がなんらかの超常的な力を行使した見込みが強まった。ナナオの件もあって前々から疑いを持っていたのが裏目に出た。中途半端に魔術の存在を疑ったために、常套な手段で保険をかけておくことを怠ったかたちになってしまった。トキヤは「探しても見つからない」であろうことを予想しつつも、ソウイチにその身柄を探すように依頼しておくべきだったのだ。
普段自身が口にしている言葉に押しつぶされそうになる。決定的な裏書きがない以上、物事に「絶対」はない。トキヤは誰よりも早く疑いを持つことが出来たのだから、取れる手段は取っておくべきだった。身柄を確保することができなくとも、なんらかの手がかりが得られたかもしれない。
「ってことは、あのジィさんが犯人ってことか?」
「直前まで父上と一緒に居たのはヤツなんだから、そうに決まっている!」
タイキのつぶやきにかぶせるようにして、ミツヒコがまくしたてた。その不穏な発言に再び場は騒然としかけるが、トキヤが手を打ったことにより、人々の注意は再び彼へと注がれることになった。
「……たしかに怪しいですが、今の段階で決めつけるのはよくありません。皆さんどうか落ち着いて」
「でも、この場に姿を見せていないのは事実だろう!?」
「はい、そのとおりです。ですが、今はまだ「限りなく怪しい人物」でしかありません。事情をはっきりとさせるためにも、まずは彼を探し出すことが先決だと思われます」
トキヤの発言を最もだと感じたソウイチによって、数名の使用人が消えた男性使用人の捜索へと駆り出された。おそらく徒労に終わるであろう捜索へと向かう彼らの背を見送りながら、以降の行動について再考する。
(……落ち着け。まだ何もかも取り返しがつかなくなったわけじゃない)
現場から姿を消したからには、なんらかの意図があるはず。捜索して見つかればよいが、どちらにしろ逃げ遂せるには十二分の時間が過ぎてしまっている。身柄の確保は絶望的と言っても良いだろう。
すぐにでも人手を割いて探していればあるいは―― という思いも過るが、後悔は一瞬にとどめておく。今は深みにはまっている場合ではない、と先ほど思い直したばかりである。
一度大きく深呼吸をしてから、トキヤは切り出した。
「……さて、待つばかりはなんですから、今のうちに状況の整理をしておきましょう」
「状況の整理?」
「ええ。事件当時の状況です。誰がどこでどのような行動をしていたか。それと被害者がどのような状況下におかれていたのか。ある程度はっきりとさせておけば、今後行われるであろう捜査の一助になるかもしれません」
「しかし、姿を消したあの男が犯人なのでは……」
「繰り返しますが、まだそうと決まったわけではありません。……それに、立場をはっきりとさせることで謂れのない疑いを持たれることを避ける事もできると思いますが。どうでしょう、ミツヒコさん?」
「くっ……」
ミツヒコはシロウの死体の第一発見者だ。第一発見者の立場が他に比べて悪いことは自覚しているのだろう。逃げた使用人を犯人だと断定して自分の立場を守りたいミツヒコは、トキヤの少々意地の悪い言葉に継ぐ言葉を飲み込んだ。もっとも、トキヤはミツヒコがあの場所とタイミングで何かをやったとは考えていなかった。彼が叫んだように「被害者」かどうかはともかく、「加害者」ではないだろう。
他の面子の中にはなにか言いたげな表情を作る者が居たが、異論を唱える者は居なかった。
本来ならトキヤに事情聴取をするような権限はないのだが、この場に集っているのは素人の門外漢ばかりである。「探偵」というある種物々しい肩書を利用すれば、多少強引にでも話を聞き出せると踏んだトキヤの考えに間違いはなかったようだ。
「まずはみなさんがホールでの親族会のあと、どのように過ごしていたかをお聞かせ願えますでしょうか」
トキヤの問いかけに迷う素振りも見せず、最初に答えたのはソウイチだった。
「別に特別なことはしてねぇよ。オレぁ、ホールの片付けが一段落したあと、一服して少し部屋で休もうと思ってたんだ。そしたらコイツの派手な叫び声が聞こえてきてな」
ちらりとミツヒコに視線を走らせる。その音こそ聞こえはしなかったが、ミツヒコは軽く舌打ちをしたようだった。
「あとのことは、アンタもよく知ってるだろ? それとも、改めて言わなきゃダメかね?」
「いえ、結構です。――他の方は」
「……俺は姉さんに付き合って、部屋で休んでた」
促されてぶっきらぼうに応えたのは、タイキである。
「特に変な真似はしてない。ここに来るまではずっと二人一緒だった」
タイキの牽制するような言葉に、ミオも遠慮がちに頷く。
「私達が一緒に居たのはほんとうです、カンザキ様。タイキはその―― 私が体調を崩してしまったのを心配して、少し休むように勧めてくれたのです。部屋に帰ってからも、「しばらくは一緒にいるから」と……」
「それでは、事件があった時刻も私室にいらっしゃったのですね?」
「はい、そうです。ソウイチ兄様から聞かされるまで、何も知りませんでした」
「ということは、ミツヒコさんの悲鳴もお聞きにならなかった?」
「はい。私の部屋は中央棟から離れた場所にありますので……」
ミツヒコの悲鳴は、当時西棟のなかでも中央棟に一番近い位置にいたトキヤたちがようやく聞き取ることが出来た程度のものだった。西棟の一番西側から二番目という位置にあるミオの部屋に届かなかったとしてもおかしくはない。特に後ろめたい理由も見当たらなさそうなので、コレに関して嘘を付いているということもないだろう。
少なくとも、ミオ・タイキの姉弟間でははっきりと情報の共有はなされているようだ。トキヤは双方の顔色に注意を払っていたが、特に動揺は見られなかった。
親族で最後に残った「死体の第一発見者」であるミツヒコに、自然と皆の視線が集まった。ミツヒコは一瞬だけ喉がつかえたような表情を見せたが、渋々といった様子で問いに答える。
「――親族会のあとは、まっすぐ自室に戻った。しばらく考え事をしていたが、どうにもさきほどのことに納得がいかなくて」
ミツヒコの視線がミオを捉える。「先程のこと」とは言うまでもなく、先の親族会での「決定」のことであろう。なにか言いたげなミオを、またしてもタイキが背中で庇う。ミツヒコはふっと小さく自嘲めいた笑みをこぼすと、ミオから視線を逸らした。
「父上に直接真意を確かめようと思って、押しかけたのだ。父上の執務室に続く扉の前でそこの女がしつこく私の邪魔をするものだから、押しやって、そして――」
「強引に扉の向こうへと赴き、シロウさんの死体を発見した、と。それで驚いて悲鳴を上げられたのですね?」
「そうだ。……その通りだ。私は何もやってない。もちろん、父上に対して強引な手段を取ろうと思っていなかったとは言わない。けれど、そんな暇はなかった。私はあそこに踏み入ってすぐに弟の―― アレを見つけて腰を抜かして…… ほんとうだ、嘘じゃない……!」
ミツヒコの口調は当初のように取り繕ったものではなくなっていたが、それだけに話す内容に嘘はないように思えた。未だにミオが家督を継ぐ件には納得がいかないのだろうが、それ以上にあまりにショッキングな場面に出くわしてしまったがための精神衰弱が激しい。主張には余計な感情がこもっているが、どこか投げやりな脱力感をも感じさせる。
「念の為にお訊ねしますが、今の内容に間違いはありませんね?」
トキヤは乞うような視線を投げかけてくるミツヒコをさらりと躱すと、扉の前でミツヒコに押しのけられた女性使用人に声をかけた。使用人はビクリとしたが、戸惑いつつも頷いた。
「は、はい。ミツヒコ様が私を押しのけて扉の向こうに行ってしまわれてから、一分も経たずに悲鳴が聞こえてきましたから、何かをする時間はなかったと思います」
「……結構です。ありがとうございます」
現場での聞き取りでは、ミツヒコ以外には当主のトウジロウを覗いて扉を通った、または通ろうとしていた者は居なかった、ということだった。彼女の証言に嘘がないとすれば、やはりミツヒコには何かをするための時間はなかったことになる。
使用人の証言にいくらか肩の荷が下りたというような表情をしているミツヒコをよそに、トキヤの中には新たな疑問が生まれていた。
しばしの逡巡のあと、トキヤはもう一度見張りをしていた女性使用人に話しかけた。
「……すみません。もうひとつだけ。お伺いしてもよろしいですか?」
「え、あ、はい。どうぞ。わたしが答えられることでしたら」
「単純なことです。あなたは―― シロウさんの姿を見ましたか?」
――シロウ・トキワがどのタイミングで三階の扉の「向こう側」に侵入したのか。
それが浮上した新たな疑問の正体であった。




