魔術師たちの昏き憧憬 #7
「祖父が亡くなったことで紆余はあったけれど、祖父はうちの家系以外に身寄りがなくて、財産は形式上私が受け継ぐことになったわ。……といっても、住んでた家以外にはほとんど財産と呼べるようなものはなかった。祖母は『放っておけ。自分が処分する』だなんて言ってたけど、祖父がなんで私にこんなものを託したのか気になるじゃない? 家を調べれば何かわかるんじゃないかと思って、この鍵で入れるかどうかだけでも、ってとりあえず見に行ったのよ」
「それでこの鍵が家の鍵だ、ということは知っていたわけですね」
「そういうこと」
レイカはなにやら難しい顔でうなずいた。
「――で、中をちょっとばかり調べさせてもらってその日は終わりにしたんだけど、とにかく何もないのよ。生活必需品以外はね。それなりに大きな家なのに、余計なものが全然。――書斎以外は」
「書斎には何かあったんですか?」
「この事務所とそっくり。……いや、あっちのほうがもっとひどいわね」
なるほど、ひどいときたか。トキヤは事務所の壁を覆う書架を見まわした。
本当ならこれらは三階の倉庫にこそ収めておくべきなのだが、大量の蔵書を三階まで運びこむのが億劫で仕方なく、妥協の末事務所のスペースを占領しているという次第であった。
「本と書類ばっかりギッシリ詰まっててね。書斎に祖父の全部が突っ込んであるようなイメージだったわ。たぶん、祖父は家の中でもあそこにずっと引きこもって暮らしてたんじゃないかって思う。うまく言えないけど、生活臭というのかしら? そういうのが他の部屋より断然濃かったというか――」
「ええ、わかります。続けて」
「とにかく、そんな感じ。そこには私とフウカだけで行ったんだけど、もし何か手掛かりになるようなことがあるならここしかないなって思って、その後何度か行って二人で書斎を調べてた」
「何か成果はありましたか?」
「まだよ。今調べてる途中なの。その過程で問題が発生したから、あなたのところに来たのよ」
「――となると、お祖父様の家で何か怪異が?」
「……フウカ」
突然名前を呼ばれ、またしてもフウカの方がビクリと震える。その反応はもはや「敏感」の一言で済ませられないような域に達している。
「あんたが気付いたことなんだから、あんたが話しなさい」
「……でも」
レイカの諭すような言葉に、フウカは蚊の鳴くような声で応えた。
アカギリ姉妹が事務所に来てから、フウカが口を開いたのは初めての事である。本人もまさか喋らせられると思っていなかったのだろう。トキヤの顔が視界に入らないようにしているのは最初からだが、さらに腰が引けて来て、レイカに手を取られていなければ今にもこの場から逃げ出しそうだ。
トキヤはスムーズに話が進むのであればレイカが話すべきだとは思っているが、依頼人が急いでいる風でもないので鷹揚に構えていることにした。万が一不足があった場合は、質問をして補えばいい。そう考えてなるべく剣のない柔らかな笑みを浮かべていることに努め、事の次第を見守っている。
レイカも黙って俯くフウカを見ている。やがてその眼力に耐えられなくなってきたのか、フウカの視線がちらりちらりと姉の様子を窺うようになった。そうして事務所内が沈黙に包まれて数分後、「ふぇ」とくしゃみの前触れのような声を漏らし、ぎゅっと目を瞑ったフウカが言った。
「わ、わかったよ……」
フウカの意識がようやくまともに自分に向いたことを、トキヤは感じ取った。そして同時に、ああ、この子男が苦手なんだな―― と直感する。今まではどうにかトキヤを「いないもの」として意識しないで済んでいたが、レイカの言葉によって意識せざるを得なくなってしまったために、押し殺していた感情が爆発したようだ。
緊張、焦り、はずかしさ等々。顔を青くしたり赤くしたりしているフウカの全身は、「あなたを恐れています」と主張してやまない。探偵などという因果な商売をしているトキヤはもちろんのこと、素人でも理解できてしまうような大げさな反応だ。
「え、えっと、ですね」
「はい」
「あー……」
「どうか落ち着いてしゃべってみてください」
ボクは特に何も言いませんから、と付け加えようとしてやめた。
フウカはトキヤが自分に向けて話しかけてくるたび、叫び声を上げることを我慢しているのか、しゃっくりのように浅く息を吸って深く吐き出すという行為を繰り返す。いちいち相槌を打つようにしていたら逆に話を聞きだしづらいのではと判断したトキヤは、何も言わずにフウカが喋り終えるまで黙っていることに決めた。
トキヤが黙っていると、フウカはどうにか息を整えて喋り出した。あいかわらず視線は足元を向いたままだったが。
「先週、おじいちゃんの家、三回行きました。今週は二回。一日置き。週末は行きませんでした。……わたしたち探し物してるから部屋、散らかすけど、部屋の状態が次に行った時、前の時と違ってる。……です」
フウカはそう言い終えると、すっかり黙ってしまった。
――それだけ、か。
やや拍子抜けした感が抜けずに首をかしげると、トキヤはレイカに向かって問いかける。
「今の話は、『書斎の状態が行くたびに変化している』と捉えても?」
「どうやらそのようね」
レイカはため息交じりにうなずくが、要領を得ない。
「レイカさんはまったく気付かなかったのですか?」
「まったく。全然。今この子も言ったけど、私たち書斎を調べるたびに散らかしてるのよ。一応後片付けはするんだけど完璧じゃないし、どこに何を置いたかなんて覚えてないわ、私。でもフウカが違うって言うんだから違うのよ」
「失礼ですが、その根拠は」
「フウカは昔から記憶力がいいのよ。一度見ただけの風景を絵に描けるくらいにはね」
「……ふむ」
完全記憶能力者。あるいは瞬間記憶能力者。トキヤの脳裏によぎったのはそんな言葉だった。それは約百年前、日常すべての物事を完全に記憶しているといわれた男に与えられた称号だ。彼は実際に読破した書籍の内容を逆から諳んじるという離れ業を披露し、その称号の正当性を世に知らしめた。
「フウカさん」
呼びかけると、フウカは一瞬だけトキヤと視線を合わせ、すぐさま俯いた。……しゃっくりをされたり震えられたりしないということは、いくらか落ち着いてきたのだろう。そう判断し―― 否、そう願いつつ、トキヤは質問を口にする。
「具体的に書斎がどのように変化していたのか、ここで説明できますか?」
「え…… と、主に本の位置。です。棚の。左にズレてたり、右にズレてたり。それ、から…… 机の上の置物とか、インク瓶とか…… ちょっとだけ、向きが」
自分がひどく言葉が聞き取りづらいことを理解しているのだろう。フウカは手の動きを加えて必死に喋る。その身ぶりは本や置物の大きさや形を表しているのだろうが、手元に集中していると逆に話の筋を違えてしまいそうでもある。
「その動きはあなたから見て大きいものでしたか? ……そうですね。一度に数冊の本の位置が変わっていたとか、そんな具合です」
「いいえ。……毎回ちょこっとずつ。です。わたしもよく見ないと、気付かないくらい」
「……どうやら大きな変化と呼べる変化はないようですね」
「見てすぐにわかるような変化なら、私だって気付くはずよ。でも、実際に物が動いてる。あの密室の中で」
「密室、ですか」