眠りし刻と愛の証明#21
「うわ、なんか新鮮だわ。にーちゃんがいつもの服装以外で居るの」
「……そんなに珍しがるものでもないでしょうに」
時刻は当初見込んだタイムリミットに近い。
一度客室へと戻ってきたトキヤとナナオは、形式上礼装に身を包んだ。
さっくりとシックなイブニング・ドレスに着替えたナナオは、少々遅れて部屋から出てきたトキヤをまじまじと見つめている。
それもそのはず。トキヤはなぜか普段の服装にこだわりを持っているらしく、部屋着以外でロングコート以外を纏っている姿を滅多に見かけない。
現在の彼はシンプルなテールコートやタイで着飾っているが、やはりというべきか白い手袋を着用しているので、元々持ち合わせている控えめな雰囲気も相まって、夜会の参加者というよりは執事や従者のようだ。
この従兄を後ろに従えて歩けば自分でも一端のお嬢様に見えるだろうか、などと益体もないことを考えながら、不躾な視線に苦笑で答えているトキヤを眺め続けるナナオ。
確かに珍しい光景だが、すぐに慣れるだろうと思う。――なにせ、あまり違和感がない。
「ともあれ、急ぎましょう。そろそろほかの方々も集まっている頃でしょうし」
「そうだね」
ふたりが頷き合っていると、廊下の向こう側からカヤノがひょっこりと顔をのぞかせた。カヤノは二人の姿を認めると、やや早足で歩み寄ってくる。
「調度良かった。……お二人共、準備は整いましたか?」
ふんわりとした笑みを浮かべて訪ねてくる。だいぶん熟れてきたようだ。
「ええ、今からラウンジへ向かおうとしていたところです。――他の方々は?」
「すでに会場の食堂へと向かわれましたよ。お二人が最後です」
どうやらカヤノは、トキヤたちを迎えに走ってきたらしい。
「これは…… どうやらお手数をお掛けしてしまったようですね。申し訳ありません」
「いえいえ、まだ時間はございますから。……では、ご案内いたします。こちらへ」
カヤノに促され、歩み出すトキヤとナナオ。
トキヤは内心、親族会が思ったよりも早くに開かれそうなことに対して、少しの焦りを感じていた。
ソフィアとの相談後、トキヤはシロウを探して屋敷中入れる場所をすべて訪ね歩いたのだが、シロウの姿を見つけることはとうとうかなわなかったのである。あわよくば親族会が始まる前にシロウを捕まえて話を訊きたいと思っていたのだが、どうやらその暇はないようだ。
(――話を聞くにしても、会が終わったあとになる、か)
憂慮すべきは、親族会で何か予期せぬ事態が起こりえるかもしれない、ということだ。
今のところすべてトキヤが想定している「可能性」にしか過ぎないものの、もしも「何か」が一度引き起こされてしまえば、状況が変わる。「事態」そのものも恐るべきことではあるが、状況が変われば必然的に人の口から引き出せる情報にも変化が訪れるのだ。
まず、都合の悪いことは出てこなくなってしまう。何かが起こる前であるからこそ聞き出せることもまた、存在しているのだ。それが得られる機会が消失しそうなのは痛手だ。
どうにかシロウの話を聞けないだろうか―― とあれこれ腐心するうち、トキヤたちはカヤノに案内されるまま、未知の中央棟二階へと足を踏み入れる。エントランス・ホールから階段を上がった正面の扉の向こうには、多目的ホールがあった。そこには礼装に身を包んだほかの親族が集っていた。ラウンジよりもかなりの広さがとられているスペースの中、互いに微妙な距離を取り合っているのが、なんとも言えない居心地の悪さを醸し出している。
――と、トキヤは部屋の様子を一瞥して眉をひそめる。
シロウの姿がない。
カヤノの話では親族は皆会場であるらしいこの食堂へ向かった、ということだったはず。
「お二人をお連れしました」
カヤノは、一番入口の近くに立っていたソウイチへ報告すると、ほかに控えている使用人らしき人物たちと同じように、壁際へと移動した。報告に対して気のない返事をしたソウイチは、トキヤとナナオに歩み寄ってくる。
ソウイチもまた礼服に着替えていたが、その様子はなんとなくくたびれて見えた。仕立ての良い物を着ていることに間違いはないのだが、これもまた彼が持ち合わせている雰囲気のせいなのだろう。
「おう、ご苦労さん。姿が見えないもんだからちょっとヒヤヒヤしたぜ」
「ご心配をお掛けしたようで申し訳ありません。準備に少々手間取ってしまいまして」
ナナオよりもトキヤの準備に時間がかかってしまったのは、単純に身につけているものが多いことと、ソフィアを説得するのに少々時間がかかってしまったというのがある。
親族会には同行しない、ということで納得していたはずのソフィアだったが、どうも言い知れぬ不安があるようで、『やはりわらわを連れて行ったほうが』などと寸前でゴネはじめたのである。
そもそも聞き分けが悪い方ではないので問答は数分でカタが付いたのだが、それでも準備時間しては少なくない時間がとられてしまっていた。
「謝るこたぁねえよ。十分間に合ったんだ」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、こちらとしても気負わなくて済みます。――ところで、シロウさんの姿が見えませんが……」
「ん?」
そう言われて初めて気づいたように、ソウイチは食堂全体へと視線を走らせた。
「そういえば、いつの間にかいなくなってやがるな。さっきまでは居たんだが」
「さっきまで、と言うと、ここに移動する前のことですか?」
「ああ。ひょっこりラウンジに顔出しやがってよ。時間ギリギリだったがな。一緒に部屋を出たと思ったんだが―― 便所にでも言ったかな」
「おおかた、恥ずかしくなって逃げ出したんでしょう」
突如会話に参加してきたのは、ミツヒコだ。
彼もまた礼服に見を包んでいるが―― ほかの三名が黒の一般的なテールコート姿なのに対し、ミツヒコは異例の白のものを着用している。見目がきらびやかな彼にはそれがよく似合っているのだが、どうにも嫌味っぽさは拭えない。
「逃げ出した? シロウさんが、ですか?」
トキヤが思わず問い返せば、ミツヒコは前髪をさらりと指先で払い、
「ええ、そうです。――何しろあの愚弟は、学も収めずまた仕事にも就かず、父上にすがりついて生きている穀潰しですからね。我々と肩を並べることが恐れ多いことだと今更気づいたのでしょう」
ミツヒコのあまりに傲慢な物言いに、ソウイチは眉をひそめるが、それ以上何か言うでもない。おそらく反論の余地がないのだろう。つまりは、ソウイチもまたシロウに対して同じような印象を抱いているというわけだ。
「まあ、これを期に少しは独り立ちを考えてくれるようになれば、兄としても安心できるのですがね」
しゃあしゃあとそんなことを言ってのけるミツヒコであるが、内心シロウのことなど少しも考えていないことが透けて見える。この性格ならば、彼が自身が後継者となるであろうことを確信していることにも納得がいった。
つまるところ、自分以外のきょうだいに何かしらの欠点があることに安心しきっているのだ。自分だけが当主である父と良好な関係を結んでいると信じている。
――たしかにほかのきょうだいに比べれば世渡り上手なのかもしれないが、欠点がないとはいえないだろう。自分のことは棚に上げ、重要な部分はあまり省みない調子のいい性格なのである。
「……ま、居ないもんはしょうがねえ。そのうち帰ってくるかもしれねえし、とりあえず待つことにしようや」
どう返答してよいか迷っているトキヤを見かねたのか、ソウイチは強引に話を引き取ると、手近なサイド・テーブルの上からグラスを取り上げた。
思えばホールの中の光景は異様なものだ。トキヤたちを含め、広めのホールの中には七人の人間しか存在しないというのに、ホール中心に備えられたメイン・テーブルの上には、豪奢な料理の数々。さながらその様相はシュトの貴族が催す立食パーティーである。……もっとも、参加者はその十分の一ほどである。明らかに過剰な「演出」だ。
親族同士の会合ならば、一階の食堂を使えばスムーズに済みそうなものである。にもかかわらずこのような形式をとっているのは、なにかしらの意味を持っているのだろうか。
「ソウイチ兄様、まだ御養父様がいらしてもないのに……」
勝手にグラスにワインを注ぎだしたソウイチを、ミオがやんわりと窘める。彼女は浅縹色というべきか、淡い印象のある青色のドレスを纏っていた。それが彼女の持っている透明感を遺憾なく引き出しており、妙な迫力さえも生んでいる。
その迫力に気圧されでもしたか、ソウイチは少しバツの悪そうな表情をしたが、それでもグラスの中身を呷りだした。
「いいじゃねぇか。どうせ身内だ」
厳密に言えばトキヤとナナオという部外者が紛れ込んでいるのだが、これもミツヒコによって悪くなりかけていた場の空気を変えようとする、ソウイチの気遣いである。そう思うことにして、二人とも何も言わなかった。
ミオもそれをわかっているのか、一言以上に注意する気もないようで、小さく息をついて引き下がった。
場の空気は相も変わらず緊張感をはらんだまま、静かな時が過ぎていく。
ソウイチも最初の一杯でワインを呑むのをやめ、空のグラスを手にしたまま立ち尽くしていた。
誰かに話しかける雰囲気でもない。トキヤとナナオは親族たちからやや距離を話した位置で、黙ってその時を待っていた。
――現当主・トウジロウ・トキワの登場の瞬間を、である。
十数分ほど経っただろうか。
言葉少なに立ち尽くす全員の耳に、ホールの扉が開く音が聞こえる。次いでトキヤたちを迎えた男性の声で「大旦那様の御成りです」という言葉。
自然と視線が集中する。
使用人によって押される車いすに座る、ローブ姿の人物。
うつむき加減に背中を丸めていることも手伝ってか、目深に被ったフードのお陰で顔立ちは窺い知れない。シルエットはやせ細って華奢であり、枯れ枝のようだ。見目では男性か女性か判別することさえ難しい。
袖口からわずかに覗く、かさついた指。痙攣するように時折わななく人差し指に嵌められているのは、いつかコウジに聞いたことがあるトキワ家当主の証だろうか。
金のリングに紫水晶。見ようによっては禍々しさをも感じるような独特の意匠が凝らされた逸品を身に着けているということが、その人物が現当主であるという何よりの証しとなる。――しかし。
(……この人物が、トウジロウ・トキワ? ほんとうにそうなのか?)
トキヤは我が目を疑う。
現当主であるトウジロウは、やや晩婚であったとはいえ、年齢の上では六十に届くか届かないか、という年頃だったはずである、とトキヤは記憶していた。
(にわかには信じがたい。……ヒトは五十年余りでここまで衰えるのか?)
いくらなんでも、目の前の人物が齢六十前後の人間とは思えない。
九十か、百か。あるいはそれ以上か。
そう言われても納得できてしまいかねないほど、車いすの人物の体は衰えきっていた。
もはや一人で立つことすら不可能なのだろう。トキヤの疑念にかかずらうことはなく、使用人に車いすを押されて上座へと移動する。
――フードの下の胡乱な視線が、一瞬こちらを捕らえた気がして。
トキヤは人知れず息を呑んだ。
今年最後の投稿です。今までありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願い致します。
なお、来週の更新はお休みさせていただきます。
詳しくは活動報告へ。




