眠りし刻と愛の証明#17
トウジロウ・トキワ。
現トキワ家当主の名である。表舞台に滅多に姿を表さず、親族にすら直接顔を見せることはほとんどない。トキワ家全体の謎の根源といえるような人物である。
養子。トキヤはその言葉を口の中だけでつぶやいた。いよいよトウジロウ・トキワの意図がわからなくなる。ミオとタイキが実子でないとしても、彼には四人の息子がいるのだ。
思わぬ告白に言葉を失っていると、ミオは先を続ける。
「御養父様がどのような意図で私達を引き取ったのかはわかりません。ですが、トキワ家にはソウイチ兄様、コウジ兄様、ミツヒコ兄様、シロウ兄様―― 四人の子息が居ます。どのような意図があったにせよ、私達の存在は確実に諍いの火種となってしまっているのです」
それはそうだろう、とトキヤは頷く。
トキワ家の次期当主選びは、現当主のなんらかの基準によって行われる。その基準は誰にも知らされておらず、無論ソウイチたち兄弟も知らないはずだ。
これが最初から嫡子が家を継ぐ、という決まりになっていたのだとしたら、まだしも話は単純だっただろう。しかしそうではない。彼ら兄弟にとって、養子がふたり増えるということは「次期当主候補者がふたり増える」のと同義なのである。そのあたりの事情を全く無視して懇意に付き合うというのは難しいことだ。
「――ですが、そんななかでも、コウジ兄様は私たち兄弟にとてもよくしてくれました。屋敷にきたばかりの私たちの面倒を見てくれたり、周囲の悪意からそれとなく守ってくださったこともありました。私が勉学のためにタイキと一緒にシュトへ移り住んでからも、定期的に様子を見に来ては便宜をはかってくださって……」
どうやらミオとタイキとの間だけではなく、コウジとミオ、タイキの間にも多少の屈折はあるにしろ、兄弟愛が存在していたようだ。おそらく昔から跡目を継ぐことに興味がなかったコウジだからこそ、ミオたち姉弟に接近することができたのだろう。少しでも野心があれば、関係はぎこちないものになるはずだ。
「……なるほど。あなたは養子でありながら、コウジとの関係は深い。他のきょうだいの方々よりも、彼のことはよく知っていると?」
「少なくとも、私はそう思っております。――けれど、今回のことはさすがに意図をはかりかねまして。なんだか不安なんです。何か、取り返しの付かないことになるのではないかと」
ミオは、依頼をしにやってきたコウジに対してトキヤが抱いた漠然とした危機感のようなものと同種のものを感じ取っていた。
コウジの秘密主義は今に始まったことではない。それは彼と親しい人間なら承知していることだ。
必要以上のことは決して話そうとせず、己の中に隠してしまう。普段はそれで他人を驚かせたりする程度のものだが、今回コウジが隠している「秘密」は何か不穏だ。
コウジが何かをしようとしている。ただそれだけだというのに、彼と親密な間柄にある人間は、コウジがやろうとしている「何か」に不安を感じずにいられない。その不安の根源は――。
「ミオさん。ここ一週間にコウジと会いましたか? もしくは、なんらかのかたちで連絡を受けましたか?」
「は、はい。一週間前、急に私たちが住む場所に来られて。それ以降はまったく……」
(だいたい、こちらと同時期か。……一体何を考えている?)
ミオは話そうと思っていたことを先どられたためか、軽く目を見張っている。対するトキヤは顎に手を這わせ、思案していた。
「その時は何か、特別なことは?」
「……兄様の行方の手がかりになるようなことは何も。自分は大切な用向きがあるから親族会には出席できない、という話だけは聞きました。まさかその代理人がカンザキ様とは思いもよりませんでしたが」
「……そうですか」
「その時の様子がどこかおかしくて、私、不安で」
ミオは膝の上でつくった握りこぶしをきゅっと強く絞り、体を一度大きく震わせた。
「表情や所作はいつものコウジ兄様でしたが、何か違うんです。突然昔話を始めたり」
「昔話?」
「はい。私、コウジ兄様からカンザキ様のことはよく伺っていたんです。『なにか困ったことがあって、もしも僕をアテに出来ないなら、真っ先に彼を頼るといい』なんて、言ってました。ただ、一週間前にお会いした時は、カンザキ様と出会った頃の話などを延々と―― まるで自分自身で振り返っているかのように」
「コウジが、ボクの話を?」
コウジが自分や他人の話題を出すことは珍しい。そもそも、トキヤはコウジが妹に万が一の時は自分を頼るように促していたことにも驚かされた。コウジは独特の価値観を持ち、自分の評価はあくまでも主観でしかないから、とその手の話を避ける傾向にあったからだ。
それゆえなのか、トキヤとコウジには共通の友人が少ない。もっとも、両者ともに他人と深い間柄になるということが難しい性格の持ち主であることも影響しているのだろうが。
「ですから、先ほどカンザキ様のお名前を伺った時にはとても驚きました。まさか、ほんとうに私が困っている時に目の前に現れるだなんて。……夢見がちでお恥ずかしいのですが、それでこうやってお話をする気になったんです、私」
(仕込み通りということか)
思わずため息を漏らし、頬を撫でる。
コウジがいつもどおり「必要なこと」しか伝えず行っていないのだとしたら、最近の彼の動向はさながら後顧の憂いを絶とうとしているかのようなものだ。いずれも不穏な予兆を感じさせる。
コウジが必要以上の情報を与えようとしないながらも、トキヤになんらかの役目を与えようとしていることは明白だ。そしてそれは、少なからず目の前のミオと関係している。もしくは、トキワ家全体の問題か。少なくとも、無関係ではないだろう。
(……どういうつもりだ、コウジ)
姿を消した友人に問いかける。
依頼に現れ、機関者の切符を寄越して以降、コウジはまったく連絡が取れない状態になっている。
トキヤはオオトミの一見を調べつつ、それとなくコウジの行方を探しもしたが、消息はつかめなかった。
その意図は今だ謎が多く、断言できることはほとんどない。しかし、トキヤは自分に与えられた役目に漠然とした見当をつけていた。
――保険。
コウジがミオに日頃から説き付けていたという言葉を思い出す。
万が一の時はトキヤを頼れ。
自身が姿を消した時、散々「頼れる友人だ」と言い続けていた人物が目の前に現れれば、妹はソイツを頼るだろう。そんな思考が一瞬、透けて見えた。事前にコウジ自身がトキヤに「妹を頼む」という旨の発現をしていることからも、こうして「赤の他人」以上の接点を持つに至るまでは彼の用意したシナリオ通りの展開なのだろう。
そんなことをしてなんの意味が。現状ではわからない。
コウジは言った。今回の親族会では「何か」が起こる、と。
言葉を濁してはいたが、コウジはその実「何か」が起こることをほぼ確信していたに違いない。そうでなければ、トキヤをここに送り込む意味が限りなく薄いのだ。親族からもそう思われているように、次期当主に興味がないのなら、そもそも跡継ぎを辞退して参加をしなければよい。トキヤはそう考えた。
その起こりえる「何か」がミオの身に危険が及ぶものだった場合―― そのようなことが起こることは考えたくはないが―― コウジはそれを是としないはずである。友人に妹の面倒を頼むくらいなのだし、当の本人のミオの談によれば、コウジはミオたち姉弟を特に気にかけていた様子であるという。
コウジはミオたちのために「要因」を排除しに行ったのではないか。そして、万が一自分がしくじった時のために、自分をここへ送り込んだのではないか――。
そんな予測がトキヤの中で成り立っていた。無論、確証がないし、そう考えたところで今後の指針になるわけでもない。強いて影響することを挙げるとすれば、どの程度ミオに対して注意を払うか。その裁量であろう。
(……あとは、このことを彼女に伝えるべきか否か、だが)
ミオは兄が自分のために行動しているのかもしれない、と知れば間違いなく気を揉むだろう。それに、トキヤとて確信のないことを口にしたくはなかった。
喉元までせり上がってきていた溜め息を飲み込み、トキヤはなるべくミオを不安にさせないよう、繕った笑みを浮かべる。相手が男性ならばともかく、女性相手には真面目くさった表情で話をするよりも効果があるのだ。
「心配ではありますが、無茶なことをする男ではありませんよ、彼は」
「そう、でしょうか」
とりなしの言葉を口にするが、ミオは不安げだ。
たしかにコウジは無茶や無謀を冒さないが、反面自分がやるべきこと、やれると思ったことに関しては妥協をしない。無理を押し通す可能性もゼロではない。トキヤもミオもそれをわかっているのだ。
「残念ながら、ボクにも彼が今何をしようとしているのかはわかりません。現状はどうすることも出来ませんから、彼の行方に関しては今夜の親族会が無事終わりを迎えてから考えることにしましょう。彼がこの姿を消したままなら、ボクももう一度心当たりを調べてみることにします」
「……やっぱり、兄様はカンザキ様にも何も教えなかったのですね」
「ええ。事情も飲み込めぬままこの場に来てしまったボクが言うのも何ではありますが、ひとまずは彼を信じることにしましょう。今はそれしか出来ません」
「…………はい」
瞑目し、静かに暗く返事をするミオ。
出来ぬことは決してやろうとはしないトキヤだったが、女性のこういった表情は見ていて忍びない。
なんとかしてやりたい、安心させてやりたいのは山々であったが、トキヤの持つ手札では何も出来そうになかった。嘘を吐いてやることも出来たが、今後のことを思えばそれは避けたいところであった。何も起こらないに越したことはないが、もしも「何か」が起こった時に自分の言動が仇になるような事があれば、目も当てられない。
「何か困ったことがあれば、お気軽に相談してください。コウジに頼まれているんですよ。――妹をよく見ておいてほしい、と」
「兄様が――」
最後に偽りのないコウジのことばを伝えると、ミオ一瞬だけ息を止め、
「わかりました。……頼りにさせていただきますね」
わずかに安堵を含んだような笑みを浮かべ、頭を下げるのだった。




