眠りし刻と愛の証明#14
「ところで、ボクもミツヒコさんにお伺いをしたいことがあるのですが」
今なら少しは話しを聴きやすいか。そう目したトキヤが切りだすと、ミツヒコは余裕の表情でそれに応じた。
「私にですか? ええ、どうぞ。なんでも、とはまいりませんが。ちょうど退屈してたところなのでね」
周囲の人間を見回す。たしかに話し上手と言うべきか、口がうまく回る質の人間は、この場にはミツヒコしかいないようだった。
「それではお言葉に甘えて。……あなたはこの家のしきたりに関して、どのような考えをお持ちなのでしょうか」
「しきたり? ――ああ、跡継ぎの件ですか。そういえばあなたは、兄の代理で来ているんでしたね。兄からある程度の話は聞いているというわけですか?」
「ええ、まあ。あまり込み入ったところまでは聞いていませんが」
どうやらミツヒコという男は、とにかく自尊心が高い人間であるらしい。それも、自身以外の人間をことごとく下に見ているような、質の悪い人種と見える。
コウジのことが話題にのぼるや、口調にやや変化があった。筆舌に尽くしがたい事ではあるが、ある種煽るような響きが含まれだしたのである。
これにはトキヤが閉口した。元来、彼はなんでもないことまで細かく疑問をいだいてしまうような人間である。
ミツヒコの見え見えの「本音」を前に、それが振り(ポーズ)か振りでないかを見誤ってはいけない。最初からそう思って接していはしたが、ここまであからさまであると、疑いのほうが大きくなってきてしまう。ただ頭が悪いだけの男であるなら、それに越したことはないのだが。
巧いこと自分の思惑通りに運んでいるのかどうか。安堵しかけた心が再びささくれだすのを感じ、トキヤは慎重にミツヒコの返答を待った。
「そうですか。まあ、当然のことですね。何も聞かずにこんな辺鄙な場所にはやってこないでしょうから。……それで、わたしがこの家に対してどう思っているか、でしたよね。率直に言って、それほど深く考えたことはありません。私はこれまで、特に立場に不足するようなことはなかったので」
立場に不足する、とは妙な言い回しであるが、この場合は「名実ともにトキワ家のトップに立つということを意識したことはない」と言いたいのだろう。
ただし、態度と発言がいまいち咬み合わない。ミツヒコはいやに鮮やかな色の頭髪を指先で絡めとり、勿体つけたように掻き上げた。トキヤの目には、嫌でもそのねっとりとした所作が焼き付いてしまう。
たしかに色男であるので、気障な態度もよく映えて見える。だが、そのひとつひとつに言外の圧力のようなものが込められている所為か、接していて気の休まらない相手である。
「私にはすでにそれなりのポストが約束されていましてね。それで十分だと思っています」
「なるほど。……それでは現在はシュトのカレッジに?」
「いや―― カレッジはこの春に卒業しましたよ。今は本社にて下積みのようなことをやっています。元締めの息子とはいえ、最初から要職に配属されてしまうと、周囲からのやっかみが酷いですからね」
ミツヒコ曰く、来年の今頃には彼の言う「それなりのポスト」へ収まる見込みが立っているのだとか。
ミツヒコは得意げだが、トキヤはそれほど優遇された処置だとも思わなかった。たしかに若さと実績に反した人事だとは思うが、親が自分の跡目を継がせるため経験を積ませる、という処置ではない。
口ぶりからして、彼もまた「トキワ家当主としての教育」を受けていないようだった。そもそも、言葉遣い自体はそれなりに洗練されているものの、ある種コウジに備わっているような気品が、彼にはない。
少なくとも表面上は、相手に一定の尊敬を置くことをしないのである。
まだ油断してはならない。トキヤは自分に言い聞かせて慎重を期しているが、もはや余談の余地もあるまい。
ミツヒコ・トキワは頭が軽い。傲慢なのだ。
根拠の無い自信で内面が満たされており、一度完膚なきまでに破壊しつくされるようなことがなければ、永劫不滅のものなのだろう。
ミツヒコは口上では「今の立場で十分」と言っているが、その実自分は父親である当主に認められていると思っているに違いない。だからこそこの場で余裕の態度を保っていられるのだ。
しかし、その自分の内面に根拠の無い自信には、外部に要因があった。
親族をして落伍者の烙印を捺されているコウジと、地方勤めのソウイチ。
二人の兄の扱いがそれでは、自分のほうが優遇されていると思っても無理はない。
格別優遇されているわけではないが、自覚していない。周囲の環境と自信の性癖が、彼の目を濁らせているのであった。
現状知りたいことを知れたトキヤは、その後適当な世間話を展開すると、ミツヒコから離れた。
トキヤから完全に興味を失ったらしいミツヒコは、固まっている女性陣に声をかけた。遠目にその様子を窺っていたトキヤだったが、どうやらすげなくあしらわれたようで、初めて見るような苦々しい表情を浮かべて離れていった。
あの様子なら何もしなくて良さそうだ。トキヤは次の目標となるシロウの姿を探したが、どこにもいない。どうやらミツヒコと話し込んでいるうちに、どこかへと移動してしまったようだ。彼の態度からして相当な人見知りのようだし、関わられることを危惧して自ら姿を消したのかもしれない。
居ないものを無理に探してもしかたがないので、トキヤはあいも変わらず窓辺で所在なさげにしている少年―― タイキの元へと歩み寄った。
視線こそ窓の外に投げかけているタイキであったが、先程からずっと室内の様子を窺っていることは、誰の目にも明らかだ。その視線の行き着く先は、ミオとナナオである。
トキヤが近づくと、「それ以上は近づくな」とでも言いたげな、刺すような視線を差し向けてくる。トキyはそれを敢えて無視し、数歩さらに歩み寄ると、この辺りがパーソナル・エリアの限界かと当たりをつけて立ち止まる。十二分に表情の変化が読み取れ、声の届く場所だった。
「――あんた、ずいぶん物好きなんだな」
意外にも先に口を開いたのは、タイキだった。
小柄な体躯に似合わず、古錆びた弦楽器のような、低く響きのある声である。本来の声はもう少しトーンが高いのだろうが、どこか無理をして低く声を絞り出しているようであった。
「物好き、とは?」
「見りゃわかるだろ。ここに集まってるのはヘンクツばかりだ。敢えて話しかけてみようだなんて、物好きでしかない」
どうやら、さきほどまでのやりとりもきっちり観察していたようである。
タイキはどこか諦めたような表情でトキヤを振り返ると、窓枠に手をかけて背筋を伸ばす。コキリ、と小さく骨の鳴る音が聞こえた。
「――で、俺にもなにか用事があるんだろ?」
一見して、タイキは愛想が悪い。話を聞くにも手順が必要だと考えていた手前、トキヤは彼の申し出に少しだけ驚かされた。無論、表情の上では友好的な態度には見えない。しかし、にべなく追い返すようなこともしないらしい。
「用事、というほどのことではありませんが」
「嘘つけよ」
タイキは周囲を見やってからトキヤに近づくと、小声で言った。
「ガキだと思って甘く見るなよ。俺はミツヒコ兄ィみたいなおめでたい人間じゃないぞ」
「……ふむ」
十六だという少年は、ミツヒコとトキヤの会話に聞き耳を立てた上で、そのやりとりがどういう性質のものだったのか、ということをしっかりと考えていたようだ。
すなはち、搦手を使って「話をさせる」ような真似は通用しないと。どうやら、タイキはミツヒコのように簡単にごまかせる相手だと思わないほうがいいようだ。露骨な建前を嫌う分、逆にくみしやすい部分もあるのだろうが。
「いいから、さっさと用件を言ったらどうなんだ。俺に近づいてきたってことは、俺の順番なんだろう?」
「ボクの質問に答えてくれるのですか?」
「内容によるな。都合の悪いことは言いたくないし、説明の面倒なことにも答えない。……どうだ?」
「わかりました。それで結構です」
「……チッ、即答かよ。もうなんでもいい。早くしてくれ」
こちらを必要以上に邪険にするつもりはないが、長く会話を続けるつもりもない。
タイキの態度からは、そのような思惑が見て取れた。それがどういう理由からくる態度なのか、見当はつかない。少なくとも、ただの人見知りゆえというわけではないのだろう。もしもそうならば、相手の方から声をかけてくるというのはいささか不自然である。
しかし、話を聞いてくれるというのであれば、現状理由などはどうでもいいことだ。トキヤはすぐに考えを切り替えると、用意していた質問をぶつけることにした。
「単刀直入に伺いますが、あなたはこの家の当主になるための教育を受けたことがありますか?」
「どういう意味だ、それは」
「いわゆる帝王学、と呼ばれるようなものを、ご実家から受けるようなことがありましたか? と。ボクがお訊ねしているのはそういうことです」
帝王学とは、由緒ある家柄に生まれた人間―― 特に嫡子―― が、家督を継ぐために受ける英才教育のことを指す語句である。「学」と名は付いているものの、明確に定義された学問ではない。多くの場合、家ごとの風習やしきたりに強く影響を受け、独自の体系をなしている。
当初は質問の意味を解していなかった様子のタイキは、具体的なことを聞くや鼻で笑った。ただし、ミツヒコがよく見せるような、視線の先の相手を軽んじるようなものではない。自嘲の雰囲気を醸すものであった。
「逆に訊くけど、俺がそういう教育を受けた人間に見えるのか?」
ソウイチに似たようなことを言いながら、肩をすくめてみせるタイキ。トキヤはどう答えたものかと一瞬迷ったが、彼に対しては変におべっかを述べないほうが良いだろうと判断した。険悪とまではいかないものの、タイキはトキヤを強く警戒しているようだった。心証を悪くしないほうが良いだろう。
「いえ、あまりそういうふうには見えませんね」
「わかってて訊いたのかよ」
「きちんとした教育を受けてなお、敢えて蓮っ葉に振る舞うヒトも居ますからね。……念のためですよ」
同じ空のもととは思えぬ、昏き街に住む富豪の片割れを思い起こしながら、そう答えるトキヤ。
念のためとはいえど、トキヤはタイキが直別な教育を受けていないであろうと半ば確信していた。ある種地位の高い人間の傲慢さを体現しているミツヒコはともかく、ソウイチやタイキは言動や所作から言って、貴族よりは市井の人間に近いのだ。
「そうかよ。改めて断っておくが、俺は一度も跡継ぎのための勉強はしたことがない。やれって言われてもやらん。……絶対にな」
むっすりと眉をひそめ、意固地になった子供のように最後の語句をつぶやく。
絶対に、か。トキヤにはその言葉が嘘のようには思えなかったが、タイキもまた世継ぎを決めるための親族会には、律儀に参加しているわけなのであって。その真意を確かめることは必要だ。
「次期当主の座には興味が無いのですか?」
「無い。こんなクソみたいな集まり、俺だけだったらコウジ兄ィみたいにすっぽかしてもよかった。……でも」
タイキはナナオと会話をしている姉、ミオを見つめて言うのだった。
「……姉さんが行くって言うから。しかたないだろうが」




