眠りし刻と愛の証明#13
「忠告、か。何か知ってるのかな、あの人。そのうえで余計なことは探るな、って?」
「今のところはなんとも言えませんね。……さて、それは後々考えるとして、いつまでもここに立っているわけにもいきません。中に入りましょうか」
「ああ、うん。とりあえずアタシはミオさんに話を聞けばいいんだよね。何か聞き出してほしいこと、ある?」
扉を押し開けようとするトキヤに対し、ナナオが声のトーンを落として問いかける。トキヤは一旦手を話すと、同じく声量を抑えて応えた。
「……注文をつけてもいいのですか?」
「一応聞くだけは聞いておくよ。ボロが出ない程度には頑張ってみる」
初対面の人間に対してどれだけ粘れるか―― という懸念はあったが、思えばナナオは常に初対面の人間から情報を収集しているのだ。任せてしまっても良いだろう。引き際は心得ているはず。そう判断した。
「では、彼女がトキワ家に対して持っている印象。……そうですね。家全体に対することと、それから家族に対すること。期待はできないでしょうが、当主についても聞けるだけ話を聞いてくれると助かります。それから、彼女が受けている教育に関して、でしょうか」
「教育?」
「ええ。学業ではなく、彼女がトキワ家に名を連ねる者としての教育を受けているか否か。その観点ですね」
「なるほどね。わかったよ」
ソウイチとの会話を思い出したのか、ナナオは頷いた。
「よろしくお願いします。出来る範囲で構いませんので」
「りょーかい。ナナオちゃんにおっまかせー」
調子に乗ってピース・サインで応えるナナオ。トキヤは苦笑した。
最後に二人で頷き合うと、ラウンジへの扉を開ける。扉の向こうには、変わらずソウイチ以外の人間が揃っていた。
シロウが突如現れたトキヤとナナオを目にし、びくりと肩を震わせて大きく目をそらした。その大げさな様子を目にして、ミツヒコが鼻でせせら笑う。ミオは二人に気づくと、軽く会釈をした。タイキは我関せずといった調子で窓の外を見つめている―― が、時折視線があちらこちらへ走っている。クールを気取っているようだが、多感な性分なのだろう。
さて、どこから取りつくべきか。
トキヤが視線をさまよわせているうちに、ナナオは人懐っこい笑みを浮かべたまま、臆せずミオへと近寄っていった。半ば敵地に単身で突入するような気分であったトキヤは、ナナオのフットワークの軽さに感心してよいやら呆れてよいやら、判断しかねて思わずため息をつく。
その間にも軽い挨拶を済ませたナナオは、恐縮している様子のミオを自分のペースに巻き込んでいく。無理はしないと言いつつも、その手法はいつもどおりやや強引なものであった。
ミオがナナオの勢いに引きずられるようにして笑みをこぼすまで見守っていると、音も立てずにミツヒコが接近してくる。彼の歩調はやや独特で、わざと音を消しているようなふうであった。
「失礼。先程聞きそびれてしまいましたが、彼女はあなたのお連れさんで?」
トキヤはミツヒコが真っ先に声をかけてきたことに多少驚きつつも、かけられた言葉で腑に落ちたようだった。「彼女」とは当然、ナナオのことだ。初見のイメージ通り、ミツヒコはナナオに興味が有るのだろう。
「ええ。助手で…… 妹ですよ」
得も言われぬような不快感を感じつつ、トキヤはそれをお首にも出さずに答えた。
今のところ特にけん制する意味もないというのに、「妹」の部分を敢えて強調するような言い方をした。まだ人となりもよくわかっていないというのに、トキヤは出来うる限り目の前の男をナナオに近寄らせてはならない、と感じていた。
理由は―― 彼の浮薄な態度だけでは十分ではないだろう。虫の知らせである。
伊達男に対する嫉妬混じりか、とも思ったものだが、自分の心のささくれを分析してみて、どうもそういうわけでもないらしいとわかる。
そもそもトキヤにはそういった部分を気にする感覚は備わっていなかったし、ナナオに対して独占的な感情があったわけでもない。仮に一緒に居たのがレイカでもフウカでも、トキヤはミツヒコに対して同じような感覚を持つだろう。
早い話が、「生理的に相性が悪い相手」なのだ。
なぜかはよくわからないが、トキヤの第六感が「この男とは一定の距離を置くべきである」と告げている。その自身の感覚に従い、トキヤはその場しのぎの「兄妹」設定を利用することに決めた。
「へぇ、兄妹! ……あまり似てないんですねぇ」
ミツヒコが、ミオと談笑するナナオを見てそう言った。
本人が自覚しているかどうかはともかく、トキヤとナナオは両者ともに美男美女のたぐいである。ただし、その顔立ちには大きな差異がある。ナナオはあくまでも純粋な東極人であるのに対し、ハーフであるトキヤには西洋人の特徴が備わっている。それに加え、東極ではまずありえない、シルバー・ブロンドの頭髪の持ち主でもある。
兄妹、というのはいささか無理があるか。
今更ながらにそう感じつつ、トキヤはなんでもないように頷いていた。
「よく言われます。彼女は父親似なんですよ。……ボクは母親似で」
これはあながち嘘ではなかった。
ナナオは黙っていれば理知的な魅力を持つ。そこが父親のスメラにそっくりだ。
トキヤもトキヤで、顔の作り自体はくっきりとしているものの、優しげな目つきと雰囲気は母親―― トキコ・カンザキによく似ている、と実弟であるスメラが言っていた。
「なるほど。と、いうことは、あなた方のお母様は西洋の方なので?」
「はい、その通りです」
これに関しては後でナナオと示し合わせておかなければいけないな、と内心で思いつつ、曖昧に頷き、嘘を吐く。髪の色や顔立ちが異なっている以上、嘘の上塗りはしかたがないことだと言えた。
「つまり、お二方は西洋人とのハーフ。ずいぶんと珍しい。……おっと。失礼な物言いでしたね。申し訳ない」
「構いませんよ。珍しいことは事実でしょうからね」
海外からの文化流入と旧政府の保守派の駆逐によって、シュトやその周辺には多く西洋人が住み着くようになっている。しかし、東極人にとっては未だ西洋人は「異人」であり、深い関わりを持とうとする人間は少ない。
その傾向が今よりもなお強かったであろう二十五年以上前、周囲の反対を押し切ってまで西洋の辺境貴族に嫁いだトキコ・カンザキは、当時「先進的な人間」というよりも「過激で向う見ずな人間」と捉えられていたと言う。これも当時は東極らしい感覚しか持ち合わせていなかった、と語るスメラによる証言ではあるが。
いずれにしろ、東極人と西洋人の間に生まれた子供が少ないことは事実だ。
故郷に居たころも含め、トキヤは奇異の視線を向けられることには慣れている。
「そうですか? ……申し訳ない。失礼ついでにいくつかお伺いしたいことがあるんですが、良いでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「先程お伺いした名前―― トキヤ・カンザキさんでしたよね。私、どうもカンザキという姓名に聞き覚えがあるのですが……」
「…………」
もしや、コウジに何か聞いているのだろうか。
そうとっさに判断してあれこれと応え方を用意し始めたトキヤだったが、次いでミツヒコの口から飛び出したのは、この場においては全く想像だにもしていなかったことであった。
「間違っていたら申し訳ないんだが、あなたはもしや、『探偵卿』の血縁者ですか?」
一瞬言葉を失い、それからまぁ、その理屈にたどり着くのも不自然なことではないか、と思い直す。
『探偵卿』。それはスメラ・カンザキに与えられた渾名のうちのひとつである。
スメラは良くも悪くもとにかく目立つ男だ。容姿にしても、その腕に関しても。
本来、探偵は影の職業である。いかな実力者とて、必要以上の存在感を示すことはない。
しかし、スメラ・カンザキだけは特別だ。彼の活躍や、付随する噂や渾名。それらは確かな存在感を持ってある種の抑止力となっている。本人の性格や心構えはともかく、人民にとって彼の名や称号は特別な意味を持っているわけである。
相当世情に疎い者でもなければ、スメラ・カンザキの名を知らぬ者はシュトにはない。地方民らしいソウイチやカヤノが特別な反応を示さなかっただけで、トキヤの姓名からスメラの存在を想起する者がこの場にいてもおかしなことではない。それだけカンザキの名は重みを持っているのだ。
――さて、困った。どう答えたものだろうか。
ミツヒコは射抜くような視線を向け続けてきている。予想外の事だったとはいえ、一瞬でも反応に窮してしまったことは失敗だった。ミツヒコの表情には隙がない。今更ごまかそうとしても裏目に出るだけだろう。相も変わらない自身の「想定外への弱さ」を苦味として感じつつ、トキヤは開き直ってこの場合もっとも適した回答を模索し始めた。
気にすべきなのは、やはりスメラ・カンザキのネーム・バリューだろう。トキヤ自身の能力はどうあれ、スメラの名は実際的に作用する。近しい親族だと知れれば、トキヤの能力もいくらか過剰に評価されることも考えられる。
トキヤたちは依頼者であるコウジやカヤノ等の使用人を除いたトキワ家の人間にとっては「異物」でしかないので、この場合高まるのは期待ではなく警戒心だ。
ソウイチがトキヤたちをこの屋敷に連れてきてすぐに―― おそらく他意はないのだろうが―― 屋敷の人間を警戒させるようなことを口走っている。その時のわずかに示された反応から言って、腹に一物抱えているのだろう。能力の高い人間が自分を探ろうとしていると思えば、口が緩むはずもない。
「……ハハ、バレてしまいましたか」
トキヤはすぐに考えをまとめると、できるだけ頼りなさそうな表情をつくり、笑った。
「では、やはり?」
「ええ。『探偵卿』はボクの遠縁の叔父に当たる人物でしてね。同じ職を志したとあって一時期指導も受けましたが、どうにもうだつが上がらずに、半ば絶縁されてしまいました」
下手にごまかすよりかは、断片的な真実を混ぜて。
突拍子もない嘘を言うよりは、こちらのほうが現実味が出るだろう。そう判断した上での口上だった。
トキヤの嘘を信じたのか、ミツヒコは妙に生々しい侮蔑を含んだ笑みを一瞬浮かべ、次の瞬間には相手を労るような温かみのある笑みを浮かべてみせる。
鼻持ちならない男であった。本来感情が不意に出るはずの表情を巧みに操作し、わざと本心を一瞬だけ覗かせているのである。コウジとは違ったベクトルの役者と言えた。
「そうでしたか。……『探偵卿』は気難しい人格の持ち主だと聞きますからね。さぞ御苦労なさったことでしょう」
アレは気難し屋というよりは、ただの変人なのだが。
そう言いたくても言えないトキヤは曖昧な笑みでもって返答する。自分で選択したとはいえ、ストレスを感じさせるやりとりだった。
「まぁ、叔父には見限られてしまいましたが、妹と強力してなんとかやっていけている次第ですよ」
「なるほど。……それではあとももう一つだけ。どういった経緯で、兄の依頼をお引き受けに?」
トキヤはミツヒコの目を見つめ返す。
この男、どういうつもりでこのようなことを訊ねてくるのか。未だにその真意ははっきりとしない。
単なる好奇心かもしれないし、それ以外の理由があるのかもしれない。
ただ、トキヤはミツヒコには必要以上の情報は与えないほうが良いのでは、と考えていた。特異な点が見受けられるトキワ家の人間の中でも、彼の言動にはとにかく含みがある。場合によっては動きが阻害されかねないし、コウジの言っていた「揉め事」を彼が引き起こす可能性も無きにしも非ず。
しかし、さきほど自分で吐いた嘘のこともある。トキヤは少し逡巡する素振りを見せたあと、
「……実は、彼とは学友でしてね。そのよしみですよ」
守秘を貫いても構わなかったが、ここは真実を口にしておく。
特別な理由はなく、ただ単に親しい間柄だからこの役目を請け負った。
そう演出しておけば、少しは自分に向く関心のベクトルが浅いものとなるかもしれない。少なくとも、ミツヒコ・トキワという人間がどの程度なのかが知れるまでは、こちらを侮ってもらっていたほうが都合が良いのだ。
そんなトキヤの思惑を知ってか知らずか、ミツヒコはさらにトキヤへの関心を薄くしたようだった。元々ナナオのおまけ程度に見ていたのだろうが、警戒するに値しない相手だと判断したのか、その表情はあからさまなほどに弛緩した。
ミツヒコの態度は癪に障ったが、同時に彼と接し始めてようやく掴んだ手応えを感じたトキヤは、ひっそりと人心地をついた。




