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魔術師たちの昏き憧憬  作者: 美凪
虐げられし者の折り畳む恐怖
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虐げられし者の折り畳む恐怖#23

お待たせいたしました。

あと二話ほど続きます。

 異形は何もせずに、ただ鏡の中から見つめてくる。


 トキヤは息を呑み、周囲に視線を走らせるが、当然状況の把握に役立ちそうなものはない。おそらく自分よりもこの状況に通じているであろうオリエは、気絶してしまったのかとうとう少しも動かなくなってしまった。もっとも、同じような行為に走ったオオトミがしばらくショック状態に陥っていたことから、よしんば意識を保っていたとしてもまともに会話が成立するかどうか妖しいところではある。


「……ソフィア」

『似ている。似ているが―― 東方魔術の(シキ)の姿に。しかし』


 トキヤの問いかけに応えたのか、それとも単なる呟きでしかないのか。

 ソフィアがその身をすっぽりと収めているコートのポケットから、小さな震えが伝わってきた。


 畏れている。あのソフィアが。それを感じ取ったトキヤは、異形から目をそらすことが出来なくなった。――否、単なる警戒だけではない。自分の意志とは関係なく、どんどん瞳の動きが制限されていく。眼球の他に、瞼の裏に異物が紛れ込んだような不快感があった。


『違う。"そんなものではない"。いや、あるはずはない。わらわが気づかぬはずはないのだ。なんなのだ、いったい』


 まさか本物の死神であるはずはあるまい。――ソフィアの小さな呟きに、ソレは笑った。

 笑った―― と言ってもそれはトキヤの憶測でしかない。異形の顔はただの凹凸でしかなく、ただ僅かに細められてかたちを変えた瞳が、笑っているように見えただけという話だ。


 トキヤがなんの判断も下すことが出来ずにただ視線を支配されたまま立ち尽くしていると、異形がその手をゆっくりと掲げ、腕をトキヤに向かってまっすぐに突き出して伸べるような仕草をし始めた。トキヤが訝しげにその様子を見守っていると、腕は鏡の表面を突き抜け、ぐんぐんと伸びてくる。


 トキヤは目を見張った。腕が伸びているわけではない。


 自分が鏡に引き寄せられているとも思えるし、鏡ごと異形がこちらに向かってにじり寄ってきているようにも見えた。目の奥の神經がチリチリと焦れるような痛みを感じる。先ほどよりも強く、一気に押し寄せてくる不快感に嫌な汗が全身から吹き出す心地がする。


 ――これは拙い。脳が警鐘を打ち鳴らす。


 それでも視線を引き剥がすことが出来ないのは、すでになんらかの術中に嵌り込んでいるからだろう。動かぬトキヤを叱責するように、切羽詰まったソフィアの声が場の空気を打ち震えさせた。


『トキヤ! ソレから視線を剥がせ!』

「クッ……」


 とっさに顎を引いて視線を上へと逸らすと、相手の支配が少し和らいだ。その僅かな隙を縫い、トキヤは腰を落として異形の「視線」を完全に自らの視界から引き剥がすことに成功する。


 無様に尻餅をついた姿勢で、実際のところ微動だにしていない異形の様子を確認すると、警戒しながら体勢を立て直す。無論、異形の視線を真っ向から受け付けないように細心の注意を払いながら。


「ソフィア、あれがいったいなんなのかわかりますか?」


 異形の胸元よりやや下に視線を固定し、トキヤはソフィアに呼びかけた。

 吹き出した汗は止まらず、押し寄せる未知への不安感は、ふとした拍子に異形を視線に収めようと視界をぶれさせる。


 相手の視線は「次に相手がどう動くのか」をはかるためには重要な要素だ。トキヤは相手の視線や表情の動きから状況を分析することを常としているため、相手と視線を合わせていないという状況がたまらなく不安なのである。それに加え、相手は何をやってくるかもわからないような「異形」である。今のところ目線を合わせなければ大事になることはなさそうだが、だからといって気を抜いていられるほどトキヤは豪胆ではない。


『アレの正体はわからん。が、タチの悪いものであることは確かのようだぞ。わらわの目にも映らぬような使い魔の類がいるとはそもそも思うておらんかったが、アレは格が違う。間違った存在だ』

「……間違った存在とは?」

『アレは少なくとも、単独でこの世に存在してはならぬものだ。魔術師の扱う使い魔のことは知っているか?」

「あまり詳しくは」


 会話を続けながらも、トキヤは異形が放つ圧力にひたすら耐えていた。気を抜いたが最後、再びあの紅く燃える瞳と視線を合わせてしまいそうだ。


『魔術師が使役する使い魔というものは、そもそもこの世界の存在ではない。連中には連中が住まう世界があり、その世界は本来わらわたちとは一切縁もゆかりもない場所であるはずなのだ。――使い魔を召喚・使役する魔術は本来縁遠い者と絆を結ぶ強力な魔術。西洋召喚術に東方魔術の式操術。それらは魔術師だからといって容易に扱えるたぐいの術ではないはず。それに、呼び出された者たちはこの世ならざる独特の「雰囲気」を持つからして、その存在をわらわの「目」から隠しおおせるとは思えぬ。特殊な使い魔か、わらわの知らぬ魔術か―― どのような魔術が仕掛けられているのか疑問に思っておったが、この目で見てはっきりした。アレは適切な魔術ほうほうでこの世に呼び出された存在ではない。もっと…… 別の手段でこちらがわに呼び寄せられた、まつろわぬ存在だ』

「そんなことが、あり得るんですかッ」


 段々とトキヤの息が上がってくる。ソフィアは悠長に喋っている時間はないと判断したのか、やや早口になりだした。


『あり得るかどうかなど、議論している余地はない! 今重要な事は、ソレがそこに倒れている女の支配下にはないということだ! さっきの様子からしてもそうである可能性が高いし、そもそもその女の潜在呪力程度では、あのようなものを御することなど到底不可能!』

「それなら、今取るべき行動はなんだと言うんです!?」

『……逃げよ。この場を離れるのだ』


 ソフィアが重々しく告げる。トキヤは思わず言葉を失って黙り込んだ。


『アレの瞳術は危険だ。ひとたび「指先」に触れられたならば、よもやどのような事が起こるか想像もつかぬ。……対象の精神に作用する力を有しているようだが、なんの確証もないし、無論対策など取れぬ。ここにいても危険はあれど得るものはない。……引くのだ』

「しかし」

『わかっておる。ここで引けば、おそらくこの件は闇に屠られる。が、それはこの場にとどまっていても同じことなのだ、トキヤ。ヤツには言葉すら通用しないだろう。……もう一度言う。ここで危険を冒しても、得るものは何一つとてない。聞き分けよ』

「……ッ」


 歯噛みする。トキヤはこの事件の全容の大部分を暴けていたと思っていた。しかし、それはまやかしであったのだろう。


 異形の出現によって、それまで積み立ててきたいくつかの要素がさらに不透明となり、せっかく集めてきた真実の断片のつながりすら希薄となってしまっていた。


 状況は悪い。オリエは気を失ったままであるし、異形は未だ何もせずに静観を決め込んでいる。目を合わせなければ危険はないとは言い切れないので、安易に近寄るのは愚策だろう。こちらから行動を起こすには、不安材料が多すぎる。


 トキヤのストレスも限界が近い。しかし、このまま留まっていても良いことは何もないと自覚しつつも、その場を退去する決断ができない。


『トキヤ!』


 ソフィアの叱責にも、なまじりを決するまでに届かない。


 トキヤの思考は「引くべきである」という答えをすでに導き出しているにもかかわらず、体がついて行かないのだ。

 これは異形のプレッシャーによるものではない。真実の究明を放り出したくないトキヤの意地がそうさせているのである。

 刻々とトキヤにとってはつらいばかりの時間が過ぎていき、段々とソフィアの声も耳に届かなくなってくる。瞳は茫洋と焦点を見失いつつあり、半ば無意識に異形と視線を合しかけたその時であった。


「……トキヤ?」


 背後から、レイカの呼び声が聞こえてくる。

 あまりに長い間動きがないものだからと、しびれを切らした結果であった。トキヤはそれまでのレイカの行動からそれを予期すべきであったが、今回の場合完全に外で待つ彼女たちの存在が頭から抜け落ちていた。


 レイカがあわや部屋の中を覗きこまんとした時、それを遮って大きな影が室内に飛び込んできた。


 大きな影は一度だけ舌を打ち鳴らすと、トキヤの襟首をぐいと掴み、後ろへ引っ張った。トキヤはレイカについて何か判断を下す前に、そのまま部屋の外へと投げ出されてしまっていた。


 突然部屋の外に転がり出てきたトキヤに、女性二人分の押し殺した悲鳴が降りかかる。何が起こったかわからずに目を白黒させていると、静かに扉を閉めて部屋から出てきた影―― シノが、すっかり見慣れた憮然とした表情を差し向ける。


「――面倒なことになる前に退去だ。さっさとしろ」


 とただそれだけ促し、大股で外の闇へと姿を消していった。その歩みに迷いはなく、ただの一度も振り返りはしない。


「……あ、ちょっと、どういうことなの!?」


 その後姿をレイカが追い、フウカは若干まごついた後に、地面に手を突いて呆然としているトキヤにむかって手を差し出した。どうやら手をとれということらしい。


 普段ならば女性にそんなことをさせるわけにはいくまいと固辞するところであるが、脳の処理がまったく追い付いていなかったトキヤは思わずフウカの手を取ってしまった。すると、存外強いチカラで引っ張られる。……もっとも、力み過ぎたのかトキヤが立ち上がると逆にバランスを崩してしまい。助け起こした人間に慌てて支えられるという結果になったのだが。


「あの、えっと」


 立ち上がってもなおぼんやりとした様子のトキヤに、フウカは心配をにじませた表情で語りかけようとするが、うまく言葉が出てこない。

 トキヤはトキヤで「どうやら危機は脱したらしい」ということだけはわかっていたが、未だ扉の向こう―― イチマルハチ号室の中身に未練がある。

 このまま去れば、それこそ得るものは何一つとしてない。かといって中に戻っても何もできることはない。そのうえ、自分が意地を張り続けたおかげであわやレイカにまで災いが降りかかるところであった。あのタイミングでシノが動かなければ、対処が遅れていた可能性が高い。


 ――完全に往生際を間違えている。


「…………ダメだな」

「えっ?」

「なんでもありません。それより、この場を離れましょう。……少なからず騒ぎになってしまいました。ここにいては面倒事になるかもしれません」


 そう言うと、トキヤは自身の迷いを振り切るようにして、有無をいわさずフウカの手を取ると、先に夜の闇へと混じって消えた二人の後を追い始めるのであった。





「ちょっと、待ちなさい! 護衛が雇い主をおいてくなんて非常識でしょ!?」


 レイカがややヒステリック気味に声を上げてようやく、シノは歩みを止めた。彼にしては別段急いだわけでもなかったが、追いすがってきたレイカは完全に息が上がっている。元々の体力のこともあるが、体格の違いもある。シノの一歩はレイカの三歩ほどに相当するのだ。


「……悪かったな」


 ため息を付き、謝罪する。

 シノは任務には従順だが、へそ曲がりだ。そんな性格の持ち主が素直な謝罪を口にしたことに対し、驚き半分訝り半分といった風情で、レイカは訊ねた。


「ねぇ、何かあったの? あの中で」

「……良くないものが居た。それだけだ」

「何よそれ。全然わかんないわよ。……中でなにか見たの?」

「――いや、何も"見てはいない"。ただ、"居ることだけ"がわかった」

「どういうこと?」


 レイカは静かに語るシノの額に、汗の玉が浮いていることに気づき、息を呑んだ。


 幼少期から今に至るまで、レイカは誘拐まがいの被害に何度か遭っている。そのどれもがこのシノによって阻止されてきたのだったが、どんなに切羽詰まった状況下でも、彼がこのような動揺を浮き彫りにさせたような様子を見せることは一度としてなかった。現実的な刺客よりも恐ろしい「何かが」あそこには存在していたのだ。そう考えると寒気がした。外気のせいというわけではないだろう。


「害意。――いや、悪意だな。それの塊。そうとしか言えない。どうしようもなく昇華した感情の塊が、あそこには居た。……しばらくあそこには近づくな。たぶん、そのうちまた良くないことが起きる。……もしかしたらもう、起きているのかもしれんがな」



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