魔術師たちの昏き憧憬 #4
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まったく阿呆な買い物をしたものだ。
蒸気式加圧抽出装置。キッチンに据え置いてあるやたら近代的な装置を目にするたび、トキヤの胸中は後悔の念に苛まれる。
この機械は珈琲の抽出に使うものだが、蒸気式機械の本場の王国ではこの抽出方法は一般的ではない。したがって機械自体の生産数がきわめて少なく、その分だけ値が張る。
初任を成功させて報酬を受け取り、自分の人生を振り返っても一度きり「浮かれてしまった」ときに衝動買いしたのがこの蒸気式抽出装置だった。生活必需品ではないし、切り詰めた生活の中では明らかに無用の長物である。それでもよい珈琲が飲めればそれでいいのかもしれないが、肝心の珈琲豆はシュトでは生産されていない。空輸および海運によって市場に上る豆の多くは虫食いなどに強い代わりに品質の悪い豆ばかり。一部高級豆も売られているにはいるが、嗜好品の類とは思えないくらいに高いので、貧乏人にはそもそも手出しができない。
――そんなこんなでトキヤはもっぱら格安のものを、事務所はす向かいのカフェに頼んで余分に取り寄せてもらって買い付けている。かなり安く譲ってもらっているので文句を言う筋合いもないのだが、これが香もコクも気が抜けたような代物だから堪ったものではない。
トキヤひとりだけならまだいい。彼の場合、味云々よりも先に「珈琲を口にする」ことが何かしらの意味を持ってしまっている。だから最悪マズくても構わないのだ。問題なのは客に出す場合で――。
加圧抽出した珈琲は、濃厚な風味が特徴であると言える。
叔父の事務所に同じものが備えてあり、それで気に入って買ったという側面もあるのだが、いざ自分で淹れたものはまったく想像と違う出来だった。
うっかり客用にと買ってあった紅茶の葉を切らしてしまったのが運のつきだ。何も出さないわけにもいかないので、内心なんと言われるかわかったものではないという不安を抱えながら、トキヤは応接用ロー・テーブルにみっつのカップを運んでいく。
二人の客はすでに片方のソファに身を寄せ合って座っていた。二人の目の前に置かれた限りなく黒色に近い茶褐色の液体は、窓がふさがれた薄暗い室内では完全な闇色に見える。
「お待たせいたしました。粗末なもので申し訳ないのですが」
少女たちはカップの中身に視線を落とし、互いに顔を見合わせて首を捻る。
「これは…… 珈琲?」
気の強そうな少女がトキヤの顔を見上げて訊ねる。
「ええ、そうです。初めてですか?」
「いえ。飲んだことはあるわ。でもなんだか…… それとは違うのね、香りも色も」
ほんとうに粗末なものを使っているからです、とは言えずに曖昧な笑みをこぼすと、トキヤは少女たちの向かいに腰かけ、まずは自分で一口珈琲を啜る。
(……マズい)
今日は一段と。
思わず喉元までせりあがるため息を呑みこんで、目の前の少女二人の目を順繰りに見つめる。
微動だにしない強い視線と、目があった瞬間に逸らされる視線。……これだけでも少しは話の進め方の指標になる。トキヤは気の強そうなほうの少女に視線を合わせ、口を開いた。
「改めまして。当探偵社長のトキヤ・カンザキと申します。――社長と言っても、ボク一人の零細ですが」
「あなたのことは先に少しだけ話を窺っているわ。……私はレイカ・アカギリ。こっちは妹のフウカ」
レイカ・アカギリと名乗った気の強そうな少女は、そのとなりでおどおどとした様子で座っている妹の肩に手を置く。その小さな衝撃だけで妹―― フウカの体はビクリと大きく震えた。
トキヤは改めてアカギリ姉妹を子細に観察しだした。
二人とも小柄で見た目の上では十七か八。東洋人特有の墨をたらしこめたような漆黒色の頭髪。レイカはそれを肩口にかかるほどまで伸ばし、フウカのほうは腰まで届こうかというような長髪で、向かって右側だけを紐で結ってしっぽのようにしている。
――姉妹と言われれば姉妹だしそうと言われなければ姉妹とも思わないかもしれない。それがトキヤが最初に抱いた感想であった。
大まかに見てみれば確かに似ているが、レイカはつり目で雰囲気が堂々としており、可愛らしいというよりは美人寄りだろう。対するフウカは目がトロンとしていて唇はふっくらとしており、「可愛らしい」という言葉が適したいとけなさが残るというのに、女性らしい妙ないろっぽさがある。
服装にしてもそうだ。レイカがシャツにブラックベストと丈の短いパンツとブーツといういでたちなのに対し、フウカはトキヤの故郷の民族衣装にも似た、ブラウスとボディス。丈の長いスカート。唯一違っている点はエプロンではなく帯のように横幅のある布をベルト代わりに腰に巻き付けている点。モノクロカラーで統一され、クールでシャープなイメージを醸すレイカと、露出が極端に少なく、控えめでシックな色合いでまとめられたフウカとでは、「姉妹である」という括りを前提にしなければ一緒に居ることが疑問に思えるレベルでちぐはぐだ。
――ちぐはぐの服装といえば。
最近のシュトは文化流入が激しいとはいえ、二人が着ている服は巷ではほとんど見かけることのない代物だ。この特殊な大気のもとでは外套の着用が前提であり、みてくれよりも汚れに強い、丈夫である等実用性に重きを置いた画一的装い―― 身も蓋もないことを言えば「没個性」な装いが主流である。
そのような風潮の中で言えば、個々の「趣味」が強く出ている二人の装いは珍しいのだ。灰色にひずんだ群像の中で文字通り異彩を放っている。――外套を羽織ってしまっては結局同じことなのだが。
服自体の仕立てもよさそうだし、そのあたりの服屋で売っているものでもなさそうだ。だとすればオーダーメイドだろうか。……だんだんと思考が前のめりになってくる。トキヤ本人にとっては数秒に満たない時間だったが、実際のところ、彼はたっぷり数十秒は姉妹の顔を凝視していた。