虐げられし者の折り畳む恐怖#20
予想外のタイミングでの闖入者に少なからず驚かされたトキヤだったが、かといって誰かに見咎められた際のことを一切想定していなかったわけではない。興奮しきった様子の大家を前に、あくまでも冷静な態度で対応する。
「何をしているのかと問われれば、カズミさんの依頼で調べ物をしている、と答えるほかはありませんね」
「あんなことがあって、他に何を調べることがあるっていうの!」
トキヤは一瞬だけ眉根を潜める。さきほどから小さないらだちというべきか、違和感というべきか、予兆というべきか―― そういうものが胸の奥でチリチリとじれている感覚がする。
「お答えすることは出来ません。あんなことが起こった直後ですが、ボクと彼の契約が破棄されたわけではありませんので」
依頼は失敗。元の関係性は半ば破綻しているが、「依頼」というよりも「お願い」に近いかたちでトキヤがここに立っていることは嘘ではない。大家が何かを言い返してくる前に、トキヤはソフィアを押し込んだポケットとは別のポケットから部屋の鍵を取り出して見せた。
「この通り、家主の許可は頂いております」
「オオトミ君の許可があっても、部屋を調べるのならあたしに話を通すのが筋ってもんでしょ!」
「まぁ…… そのとおりですね」
こういった切り返しが来ることも半ば予想済みだった。大家や警察以外なら「部屋の主の許可がある」といえばごまかせる可能性はあったが、なまじ権利を有する相手だとコレでは弱い。ここで強気に出ても悪い心象をさらに悪くするだけなので、トキヤはおとなしく相手の言葉に頷いておくことにする。
「申し訳ありません。すぐに退去します」
「そうして頂戴。アンタが妙なことをして、あたしまで市警に睨まれたくはないもの」
「…………」
やはりどうもおかしい。言動にも、今ここに現れた「理由」にもどこか違和感がある。
トキヤは「退去する」と口にしたものの、しばらくその場に立ち尽くして何事かを思案し始めた。その様子をまるで盗人を見るかのような目で見ていた大家は、トキヤが微動だにしない事にいい加減腹を建てたようであった。
「ちょっと、早く出て行って」
「ええ、そのつもりですが」
考えがまとまったのか、それとも大家が苛立つことをあえて待っていたのか。
トキヤは射抜くような視線で持って大家の双眸を捉えると、
「ひとつよろしいでしょうか。気になることがあるのですが」
「何よ! そんなことどうでもいいから早く出て行って頂戴。警官を呼ぶわよ」
おそらく、警官を呼んだところで少し足止めされて事情を聞かれるだけに留まるだろう。確かに大家に話は通していないが、オオトミとは打ち合わせ済みのことだ。たとえ確認がいってもオオトミが「自分が許可した」と言えば不法侵入にはならない。軽いお咎めと市警の印象が悪くなるデメリットはあるだろうが。
大家は「警官を呼ぶ」と言えば少なからず相手を動揺させられると思ったのだろう。しかしトキヤは鋭い視線を投げかけることをやめず、またその場を動かない。その落ち着き払った態度に閉口したらしい大家は、トキヤが言葉を発する隙を作ってしまった。
「大したことではありません。あまり褒められたことではありませんが、ボクは表に感づかれるようなことはしていなかったと思うのですが、よくボクがここにいることに気づかれましたね?」
「それは……」
トキヤの言葉に一瞬語調を濁らせる大家。
「話し声が聞こえたのよ。だから―― もういいでしょ! ホラ、出て行って」
トキヤが動かないと見るや、大家はトキヤのコートの袖を掴み、強引に外へ出そうとする。が、いくらトキヤが「荒事は向いていない」と自認していたとしても、男と女である。トキヤの体は微動だにしない。非難がましく大家にとっての「不法侵入者」を睨めあげると、そこには逆に大家がすくみあがってしまいそうなほどに冷えきった探偵の視線があった。
さながら深層心理まで根こそぎ掘り返されて見聞されているような。寒気のする視線。
「大家は、確かイチマルイチ号室に住まってらっしゃるのでしたよね」
口元だけは笑っている。その得体のしれない迫力に負けて何も言えないでいると、
「ずいぶんと耳がよろしいのですね。――遠く離れたこのイチマルハチ号室の音が聞こえるだなんて」
「……ッ!?」
「どうやらあなたはこの部屋のことは何でもお見通しのようだ。……そんなチカラがボクにもあれば、カズミさんはあんな目に遭わなかったのかもしれませんね」
大家の背中に嫌な汗が浮いてくる。
探偵―― トキヤはそれを知ってか知らずか、元の取り澄ましたような表情に戻ると、袖を掴んだままの大家の手をやんわりと引き剥がし、最後に部屋をわざとらしく一瞥した後、外に出ていった。
後に残された大家はしばらく俯いて立ち尽くしていたが、やがてのろのろと動き出すと、マスターキーで部屋に施錠をし、おぼつかない足取りで自室へと帰っていった。
※
「ごめん。どうしようもなかったわ」
「いえ、どうということはありません。……むしろ思わぬ収穫がありました」
オオトミの部屋を後にしたトキヤは、アカギリ姉妹とその護衛と合流すると、人気のない路地へと足を運び、輪をつくるようにして集まった。
トキヤがポケットに突っ込んだままにしていたソフィアをとりだしてやると、スカートがまくれ上がって茶巾のような状態になっていたソフィアが、憮然とした様子で一行を睥睨する。
『ひどい目に遭ったわ! たしかにわらわは道具だが、もう少し丁重な扱いを所望する!』
「まぁそう熱り立たずに。仕方ないじゃないですか。急に大家が来てしまったんですから」
ソフィアを宥めていると、レイカがあからさまなため息をつく。フウカもやや落ち着きがなく、どうやら大家がオオトミの部屋に入って言ったことでそれなりに肝を冷やしていたようである。
「参ったわよ。あの大家、どこかに出かけてたみたいなんだけど、帰ってきて自分の部屋に入ったと思ったら、しばらくして血相変えてまっすぐオオトミ君お部屋に向かって走って行くんだもの。止めようと思う暇もなかったわ」
レイカの言葉にトキヤは目を細め、
「やはり何かありますね」
と呟いた。レイカとフウカ、ソフィアの注目が彼へと集まった。シノは話を聞いているのかいないのか―― そもそもしゃべる人形であるソフィアを見てもなんの驚きも見せず、周囲を警戒している。その態度がやや気になったトキヤだったが、間はそれを追求している場合ではない。
「やはり、ってどういうこと?」
「大家が部屋に現れた時にちょうど話していた内容なのですが、あの大家―― "耳が良すぎる"のです」
いいですか? と前置きをし、トキヤは遠くにちらりと見えるオオオトミの住まいを含んだ集合住宅を指す。
「カズミさんの部屋は何号室だったか、覚えていますか?」
「は? ええと、なんだっけ」
「イチマルハチ号室」
レイカがメモ帳を取り出す前に、フウカがあっさりと答えてしまう。レイカはなんとも微妙な表情をつくったが、トキヤはそれを無視して話を続けた。
「そうです。イチマルハチ号室がカズミ・オオトミさんの部屋です。自傷事件はこの部屋のエントランスで起きています。大家の証言ではカズミさんが突然叫びだし、その声を心配に思って様子を見に行ったということになっていますが、これが少しおかしいように思うのです」
「どうして? ……ああ、大家の部屋ってたしかイチマルイチ…… だったわよね? オオトミ君の部屋とは、ほぼ左右の極端に位置しているから、叫び声が聞こえるはずはない、とか?」
たしかに、大家の住まいであるイチマルイチ号室はオオトミの住むイチマルハチ号室と距離が開いている。集合住宅は二階建てであり、一階層にはイチからヨンを飛ばしてハチまでの部屋が存在している。しかし、
「その答えでは不十分ですね。単純にカズミさんが端の部屋まで届くような叫び声を上げたのかもしれません。ですが、そう仮定すると後の状況がおかしなものになってきます」
「どういうこと?」
「状況をもう一度整理しましょうか。――まず、カズミさんが突然叫び声を上げる。これに気づいた大家が心配になり、様子を見に行きます。しかしカズミさんは手がつけられない状態で、大家は助けを呼びました。その声に反応したヒビキ・カミナ女史がみっつ隣のイチマルゴ号室から顔を出し、それに過剰反応したカズミさんが自傷行為に及ぶ。その恐慌にカミナ女史が叫び声を上げ、それによって野次馬が集まりだし、その後にボクが到着しました。……おかしくはありませんか?」
「どこが…… って、あ」
レイカがトキヤの真意を理解できずに視線を彷徨わせると、隣に立つフウカと目が合ってしまう。
目をそらされた。
おそらくはもう感づいているのだろうが、姉に花を持たせるために黙っているのだろう。それが完全に態度と顔に出てしまっているので、いかんともしがたいのだが。
「……わかってるなら言っちゃってよ」
「でも」
「いいから。話が進まないじゃない」
「……うん、わかった」
こんな状況で余興じみたことをやるんじゃなかったな、と反省しつつ、トキヤは苦笑を浮かべたままフウカの言葉を待つ。
「ええと、その状況だと、オオトミさんの叫び声。が、大家さんにしか聞こえてなかったみたい。……です」
「正解」
微笑んでそう言ってやると、フウカは嬉しそうに表情をほころばせる。レイカは多少不満そうだが、別に何を言うでもなく黙って先を促している。トキヤはフウカの答えを引き取ると、
「オオトミさんがイチマルハチ号室からイチマルイチ号室まで聞こえるような、とても大きな叫び声を上げたと仮定しましょう。その場合、大家以外の人間がまったく反応しないというのはおかしなことですよね。実際問題、大家の助けを求める声にはカミナ女史が反応していますし、カミナ女史の悲鳴には多くの人が反応し、顔を覗かせています」
「……そうか。大家しかオオトミ君の悲鳴を聞いてない、ということはつまり――」
「オオトミさんは、"叫び声なんてあげてない"……?」
「その可能性が高いでしょう。ボクが事情聴取の時に立ち合って聞いていたことですが、カミナ女史はカズミさんの悲鳴には気付かなかった、と証言しています。大家の証言では半刻あまりの間叫んでいたというのに、物理的な距離の近いところに居たカミナ女史がそれに一切気づかず、大家のみが気づくという状況は明らかに不自然ですよね。彼女には聞こえない音まで聞こえてるとでも言うのでしょうか?」
「でも、わかんないわね。どうして大家はそんな嘘をつく必要があったのかしら」
「それは単に、それを建前に使いたかっただけだと思いますよ。大家は何か別の目的があってカズミさんの部屋を訪れたのでしょう」
「別の目的ィ?」
「ええ。それは少なくとも、カズミさんがボクやレイカさんたちと離れ、なおかつ自室に一人でいる状況を狙わなければならない「目的」、です」
「それなら、例えばオオトミくんは暗示の魔術でもかけられていたのかしら? 私達の目を盗んで一人でここに帰ってくるように」
「……今回重要なのはカズミさんが「魔術の影響を受けたタイミング」です。ここ数日の状況を加味して考えた場合、どうも先の状況は偶然もたらされたものであり、大家―― いえ、未だ疑いの余地でしかないので、犯人としておきましょうか。あらため、犯人はその偶然訪れた状況をどうにかして的確に突いたのではないかと」
「もう少し具体的に根拠を教えて欲しいのだけど……」
レイカの言葉に、フウカも頷く。
それは正直、さまざまな要素の側面を見たトキヤの勘と言っても差し支えないものであった。無論、根拠が無いわけではないが、それを説明するとなるとやや突拍子のない憶測を頼りにしなくてはならなくなる。
「そうですね。あまり悠長に話していると本質からそれてしまいそうなのでざっくばらんに説明すると、自分でその状況を作り出すことが出来たのなら、今回のような状況をわざわざ作り出す意味が無いと思ったのです。つまり、出来ないことがあったからこそ先の自傷事件のような顛末になったのであって、犯人がカズミさんの動きをある程度制御できるすべを持っていたのだとしたら、まったく別の状況になっていてもおかしくはなかった、ということです」
「……やっぱり、あなたの考えてることはわかりにくいわ」
「ハハ、すみません。ボクもまだ全部説明出来るだけの手管が揃ったわけじゃないんですよ。……それを揃えるためにも、レイカさんたちにはまだ協力して頂きたいことがあります」
「何?」
顔を見合わせる姉妹。
シノのため息が聞こえた気がしてそちらに視線を向ければ、彼は何事もなかったかのように立ち尽くしている。
「やっていただきたいことは二つです。これさえわかってしまえば、最低限犯人の行いのおおよその脈絡を組み立てることが出来ます。ボクはこれからちょっとした"賭け"をしますので、この場から離れるわけに行かなくなりました」
「賭け?」
「ええ。この事件には物的証拠が残されていませんし、いくら探しても見つかりはしないでしょう。公に捕まえることは事実上不可能です。なので、少し釣餌を撒いてきました」
トキヤの言葉の意味がわからず、それぞれ首をひねったり考えこむ姉妹。
胃目の段階で計画―― と呼べるものですらないこの愚策を口にする意志はトキヤにはなかった。
トキヤにはさきほどまでの調査で、あることに対して「確信」を持つに至った。そこさえ抑えてしまえば、犯人は言い逃れをすることができなくなるだろう。全て事が上手く運べば、であるが。
「犯人が持っているはずの"見えざる五感"。それの正体さえ突き止めることができれば、あるいは……」




