虐げられし者の折り畳む恐怖#12
「偶然にしちゃ、出来過ぎてる。そうでしょ?」
「……ええ。そうですね」
シキミ・サエジマの研究室をあとにしたトキヤたちは、そのまま校舎まで戻ってきていた。
現在、カレッジは昼休みが終わろうとしている時分である。シノを除く三名は校内のちょっとしたスペースに陣取り、しかめっ面を突き合わせていた。その様子は廊下を行き交う生徒たちの関心を多いに惹きつけたが、今回はトキヤもフウカも気にするそぶりはない。それどころではないのだ。
シキミは無視できない情報を齎してくれた。噂の創造者であるダイゴ・サトダの名と、彼がカレッジから出ていく要因をつくった時の代表―― カツミ・オオトミの名。
オオトミ。偶然ではないだろう。未だ本人に確認を行っていないが、おそらくはカズミ・オオトミの兄の名前ではなかろうか。
あまりに粘着でオオトミただ一人に限られた「症状」から、犯人は直接オオトミに関係する人物だと思い込み、彼の肉親のことまで調査の手を広げなかったことは大きなミステイクだった。
オオトミは兄と思しき人物を通して、噂をつくりだした張本人と間接的な禍根がある。これは看過しかねる繋がりだ。事実関係の確認を急がなくてはならないだろう。
「次にやるべきことの方針は見えてきました。……まずはカズミさんに家族のことを訊ねてみましょう。もしカツミ・オオトミ氏が彼の肉親であるならば、会って話を聞いてみるのもいいかもしれません」
「そうね」
レイカは言葉では肯定を示すが、あまり乗り気ではないらしい。その不機嫌も露わな顔色を、フウカが気遣わしげに窺っている。おそらくはシキミに聞かされた話が影響しているのだろう。彼女から与えられた断片的かつ主観的な情報だけで判断することは危険だが、カツミ・オオトミという人物は自尊心が高く、融通の利かない人物である可能性が高い。そういった人物を相手にする難し(めんどう)さは当然トキヤも心得ているが、長く社交の場に身を置いているレイカにはそういったタイプに思うところがあるのだろう。
レイカは理知的な女性だが、好き嫌いもはっきりしている。自分の好みで場を左右するような行動は慎むが、自分が「いやだ」という感情を押し殺したりはしない。その態度は場合によっては争いの種を生みかねないものであったが、誰にでもいい顔をするような手合いよりは信用が置ける。それがトキヤの評価であった。
「次に、ダイゴ・サトダの所在を明らかにしたいところですね。……こちらは殊、難しいでしょうが。出来うる範囲で手を伸ばしてみましょう」
トキヤの話に頷きを返す二人。
(……さて、そうは言ったものの、どうやって調べていいものか)
トキヤは密かに頭を悩ませる。
ダイゴという人物について、シキミから彼女が知りえる範囲で話は聞いている。総括すると、とにかく極端に他人とのつながりが薄い人物であったようだ。
口下手で表情に乏しく、機微にも疎い。
噂のおかげで学内で著名ではあったが、友人と呼べるような間柄にまで進展した人間はいそうにない。彼が所属している学部の教授はまだ在任しているため話を聞くことは可能だろうが、彼がダイゴに関して有力な情報を持っているとは考えにくいだろう。
現状、ダイゴの情報が掴める場所および人物の見当がつかないのである。気になる人物が浮上してきたこと自体は喜ばしいことだが、今後も地道な捜査が続きそうだ。
まずは手のとどくところから―― カズミ・オオトミに話を聞こう。そう考えたトキヤは、ふと気づいたことを口にした。
「そういえば、カズミさんは今どちらに?」
「もう次の教室に居るんじゃないかしら。次の講義から放課まではずっと同じ教室だし、終わったらそのまま連れてこようか?」
レイカとオオトミは同じ学部に所属しているが、生徒数が多く同じ講義を受けられる人数にも限界がある以上、スケジュールは生徒ごとに微妙に異なっている。オオトミはこの日始業から放課まで講義の予定が詰まっていたので、レイカたちが離れている間は「絶対に一人で行動しないように」と厳重に言い含めてあった。
「お願いします。許可証は放課まで期限がもちませんので…… そうですね。門の周辺で待機していますので、放課になったらそのままカズミさんを連れて出てきてくださいますか?」
「わかった。そうするわ」
頷き合う三人。
まだ正体が見えてこないとはいえ、調査対象が浮上したのだ。意気込みは十分である。
昼休みの終わりを告げる鐘の音が鳴り響き、二人はそれぞれ講義を受けるべく散っていく。シノは―― やはりと言うべきか、ある程度の距離を置いてレイカの後を追っていった。
それを見届けたあと、トキヤは今後の方策を練るべく、その場に留まり目を閉じてあれこれと思案し始めた。
※
潜んでいた問題の発覚は意外にも早いタイミングで訪れた。
考え事をしているトキヤのもとに、シノが現れたのだ。レイカたちが講義を受けに去っていってから、まだ二十分と時間は経っていない。時間に余裕があるトキヤは、まさに教授陣にも話を聞こうかと腰を浮かしかけていたところであった。
「カズミ・オオトミの姿が無い」
シノはトキヤの視線が自分に向いたことを理解すると、前置きもなくそう告げた。
「カズミさんの姿が……? どういうことです?」
「言葉通りの意味だ。受けるべき講義に姿を現していない」
その言葉にトキヤの表情が消える。
「行方不明ということですか?」
「いや…… 手掛かりはある。お嬢が同級生から聞き出した。『どうにも具合が悪いから帰って休む』と言って昼休みが終わる前にどこかへ去っていったようだ」
シノの言葉は明朗だが、原稿を読み上げているかのような無機質さがある。……とりあえず完全に「行方不明」というわけでもないとわかったトキヤはひとまず落ち着きを取り戻すが、迂闊であったのは間違いが無い。オオトミは現在脅威にさらされている。単独行動を起こしはしないだろう、と高をくくったのは拙かった。信じがたい行動ではあるが、「予想し得なかったこと」ではない。
「……カズミさんは自室に帰ってしまったようですね」
「そうなんじゃないのか? ……俺にとってはどうでもいい話だ。おまえが理解したのなら、俺は仕事に戻らせてもらうぞ。いいな?」
どうやら、シノは伝言係の仕事を快く思っていないようである。もっとも、彼は常に不機嫌そうに見えるため、真意ははかりきれないのだが。
「ええ。ありがとうございます。ボクはこれからカズミさんを訪ねてみることにします。レイカさんたちにもよろしくお伝えください」
「了解した。……まったく、お嬢もつくづく厄介事に縁があるようだな。いい加減にしてもらいたいところだ。振りまわされる身のほうにもなってもらいたい」
了承の意とともに雇い主に対してか厄介事に対してか判断がつかないような皮肉を残し、シノは腕組みをしたまま早歩きで去っていった。その背中を見送りつつ、普段の冷静さを取り戻したトキヤは、オオトミの行動の不可解さに改めて首をひねる。
オオトミは「独りで居る時が一番怖い」と語っていた。自分にまとわりつく視線を濃厚に感じてしまうからである。その彼がわざわざ一人になるように行動したのはなぜか。
(考えても仕方がないか。……ともかく、何かがあってからでは遅い。行動しよう)
オオトミの身辺調査を引き受けてから、だいぶ時間が経った。
トキヤの知る限り、現在に至るまでも「実害」と呼べるようなものは発生していない。
――だからこそ、本人の意思に関わらず、楽観していたのだろう。
待ち受けていた「事態」は、その後のトキヤの考え方に影響を与えるほどの衝撃をもたらすものであったのだが、無論この時の彼には知る由もないことであった。




