虐げられし者の落ち畳む恐怖#3
「『死神からの手紙』っスよ」
細かにトキヤの間違いを指摘し、オオトミは続けた。
「さっきもコイツが言ったとおり、最近カレッジで流行ってる噂話―― だったんだ。俺もそう思ってたんだけど……」
「それが実際に届いてしまった?」
「そう、です。……先に発見状況? っていうかそういうの話したほうがいいんスかね?」
「あなたが話しやすいように、で構いませんよ」
「うーん、わかりました、よ」
オオトミは疲れたように息を吐くと、唇を湿らすために少しだけ紅茶を口に含んだ。
ティーカップを掴んでいない左手は、女々しく伸びっぱなしになっている彼のもみあげを巻き取ってもてあそんでいた。
「俺が借りてる部屋ってのは、カレッジと契約した大家が管理してる半分学生寮みたいな扱いのとこなんですよ。知ってます? 学生寮を建てる計画はあったみたいなんスけど、土地が足らなかったらしくて、建てられなくて。それでそういうとこ、結構あるんです」
トキヤはそれに頷いた。
トキヤも三年ほど前まではカレッジの生徒であったから、ある程度の事情は知っている。
技術先進国にはすでに最高学府としていくつもの大学校が設立されているが、現状東極における大学校はシュトにある「東極大学校」のみである。区別のために呼び分けをする必要がないことから、通称はそのまま大学校を意味する「カレッジ」。
主要施設が立ち並ぶ街の中心部、第六地区から第十地区のうち、第七地区をほぼ丸々席巻する形で建てられたカレッジの敷地は、シュトにあるどの施設よりも広い。それだけあれば学生寮くらい―― と思えるかもしれないが、カレッジは東極唯一の大学校であることを忘れてはならない。
華族や豪商の子息、さらには女性の教育に関しても見直されている昨今であるので、カレッジに通いたがる人間は後を絶たない。ただでさえ鎖国のおかげで出遅れ、未だ諸外国から学ぶことの多い東極に於いて、学ぶ意思がある者を少しでも多く受け入れんとした大学理事会は称えられるべきだが、何事も限界と言うものがある。
多くの学生が暮らす環境を整えるためには、さまざまな施設が必要だった。無論、遠隔地から訪れた学生を受け入れるための寮もそのうちの一つである。カレッジの敷地内には少なくとも寮が六棟設けられているが、それでも足りないのである。そして、足りないからと言って増設するだけの土地はすでに残されていない。
だから外側に助けを求めるのだ。カレッジと契約した借家の主は、学生に積極的に住処を提供し、実家によるサポートの期待できない一般階級の人間には、金銭的な便宜を図る。オオトミはそのシステムを利用しているらしい。
「で、まあ。そういうところにも一応、個人用のポストはあるんですけどね。普段学生個人あてに遠くから手紙なんか届かないし、仲間内で連絡し合うのにいちいち鍵付きのポストに投函―― ってめんどくさいじゃないですか」
「ん? 友達との連絡に手紙を使うんですか?」
「あー、ほら。あそこ無駄に広いでしょ? だからいつもつるんでる仲間とはいえ、すれ違っちゃう事ってよくあるんです。だから早めに連絡取るために、集まってなんかしようって時は前日に用件だけを書いた紙を配達人に頼んで、ついでに持って行ってもらうんですよ」
カレッジでは、有志による「日報」が発行されている。
要は新聞のようなものだが、そこまで気の利いたものではない。流れ込んできた西洋文化に煽りを受けてジャーナリズムに目覚めた学生が、将来の練習とばかりに発行しているものに過ぎない。
これにはカレッジ側も一枚噛んでいて、生徒に対する告知に利用することもある。「日報」は専用に雇われた配達人によって、学生が暮らす寮や契約賃貸などに配布される。
配達人にはカレッジ内の寮を回る「内回り班」と周辺の契約賃貸を回る「外回り班」がおり、それぞれ夕方に「日報」を受け取りにカレッジに現れる。彼らには決められた人間に決められたコースがあてがわれているため、それを知っていればごく軽い配達物をついでに押しつけてしまうことも可能である。
「――ま、「日報」なんて言っても毎日刷れるわけじゃあないから、それが使えるときも限られてるんスけどねー。で、その日報っていうのがわざわざポストに入れないで、エントランスのドアの隙間から部屋の中に投げ込まれてることが多いんスよ。仲間内の手紙と一緒にね」
「正直、盗まれて困るものでもありませんからね。でも仕事としてそれはアリなんでしょうか」
「こっちは別に文句ありませんよ。俺だっていちいちポスト空けるのは面倒くさいし―― とにかくそういうことがままあるもんだから、アレが部屋の中に放り込まれてても、その、あんまり気にならなかったというか」
「ふむ……」
話の流れを察するに、『死神からの手紙』は、日報や仲間からの手紙と同じような感覚で、オオトミの部屋に直接「投函」されたらしい。確認すれば、黙肯が返された。
「それでは、手紙は日報と一緒に?」
「いや―― たしかあの日は日報が発行されない日だった。……ちょっとはおかしいと思ったんスよ? 一応は。日報もないのに、きちっと封のされた手紙だけが置いてあるんだ。まぁでもいつもみたいに仲間からのものだろうって、その時は『死神からの手紙』の噂なんて頭になかったから……」
「開けて中身を見たんですね?」
「はい…… 『死神からの手紙』だって知ってりゃ絶対開けなかったんスけどね。その時は全然、考えもしなかったから」
『死神からの手紙』が日報と一緒にやってきたものではない以上、「差出人」に関して日報の配達人に訊いても有用な情報は得られない。
オオトミはその日は遅くまで講義の予定があったので、八時過ぎから十七時半まで自室には戻らなかったと言う。手紙はその間に何者かによって手づから「投函」されたのだろう。
「カズミさんが住んでいるのは、集合住宅型の賃貸の一室ですね?」
「そうです。ひとりが暮らすに十分な部屋ッスよ」
「……周囲の部屋にも同じ学生は住んでいたものと思いますが、手紙を受け取ったのはカズミさんだけだったのですか?」
「ああ、はい。そのはずです。俺、アレが誰かの悪戯じゃないかと思って、その日のうちに近くの部屋のヤツらとか、大家さんにも話聞いたんスけどね。誰も知らないし、誰かが俺の部屋に近寄ったのも見てないって……」
「……なるほど。ありがとうございます」
誰かが故意に嘘をついていないのだとすれば、やはりオオトミ個人を狙った何らかの意図があると思ったほうがいいのかもしれない。たまたま選ばれたのがオオトミだった、と言うにしろ、そこに誰かの思惑があることには違いがない。
「発見状況についてはだいたいわかりました。『死神からの手紙』について教えていただけますか?」
「『死神からの手紙』は、ごく最近になって聞くようになった話よ。具体的にはここ三カ月くらいかしらね」
オオトミの代わりに応えたのはレイカだ。彼女は手元のメモ帳に目を落としている。
トキヤがそんなことまで書き留めてあるのですか、と言えば、レイカはあなたが絶対訊きたがると思ったから、とこともなげに返す。
「内容に関しては、中等学部の生徒が喜びそうなお粗末な話。ある日突然自分のもとに差出人不明の手紙が届く。それは『死神』からの手紙で、中身を開けてみる前に誰か他の人間に―― これは人によって話が違ってくるんだけれど、「憎い相手」か「自分と関わりあいの少ない他人」ってのが多いわね。とにかく開封しないまま他人に押しつけてしまわないといけない。万が一中身を見た場合、『死神』につけ狙われて殺されてしまう、とかなんとか」
「なんというか、ずいぶんと安っぽい怪談のようですね」
「だから本気で信じてる人間なんて、ほとんどいないと思うわよ。実際に『死神』に殺される人間でも出てくれば、話は別だけど。ねえ?」
「おいおい、ふざけんなよ。縁起でもない」
にやけ顔で話を振ってくるレイカに、オオトミは本気で嫌そうな顔をした。
「そういえば、カズミさんはなぜ自分のもとに届いた手紙が『死神からの手紙』だとわかったのですか? 開いてはいけない類のものということは、中身に関しては伝わっていないはずですよね」
「中身はこれこれこうだ、ってことまで噂になってたら、マユツバ決定だったんだけどもね」
と、肩を竦めるレイカ。どうやら中身の事までは噂の内容にはないらしい。
この類の噂や会談には、「見てはいけない」、「見た者はだれ一人として助からない」など見ざる言わざる聞かざるを強調する癖に、「禁忌」に関してその内容を話の中でわざわざ説明してしまい、要をなさなくなっているものが多々存在する。
「ああ、それは―― 俺も内容に関しては噂にも聞いてなかったしなぁ。ただあれは、見ただけで異常だってすぐわかるもんだったからさ……」
それを思い出したのか、オオトミの表情が強張る。
「べったりした赤いインクで、見たこともない記号みたいなのが、端から端までびっしり書かれてたんだ。ありゃあ、気味が悪いなんてもんじゃないよ」
「見たこともない記号、ですか?」
「そう。最初は文章かと思って読もうとしたんだけど、文字ですらないんだそれ。でも何かが書かれていることだけはなんとなくわかったんだよ。それが言いようもなく気持ち悪くって……」
「……破って捨てた、と」
呆れ顔のレイカ。オオトミは申し訳なさそうに俯いた。
「正直馬鹿なことしたとは思ったけどさ……」
「……見たこともない記号の羅列、ですか」
トキヤの脳裏によぎったのは、先日マミヤ邸で発見した消滅魔術が秘められた本だった。書架にかけられた幻術を説くために誂えられたそれの白紙のページには、既存の言語の特徴に当てはまらない、謎の記号のような言語で埋め尽くされていた。
トキヤはそれを読み解くことは出来なかったが、それがどういうものであるかはわかっていた。
――個人魔術言語。魔術師の世界にはそういうものがある。
個人魔術言語は他の魔術師に術式を読まれぬよう、術式を施した者にしか判読できないように遣われる「記号」であり、厳密に言えば言語ではない。ただ一人だけが理解できるように組み上げられるものであるため、一定の体系を有しているわけではないからだ。
仮にオオトミが受け取った手紙に書かれていたのが「それ」だったとしたら。
トキヤが視線を投げかけると、レイカは「わかっている」とでも言いたげに頷いた。レイカにはもちろん個人魔術言語に関する知識はない。ただオオトミの話に出てくるものと似たようなものを見たことがあるから、それに関わりのあるトキヤに話を持ってきたのだろう。
自分が厄介事に巻き込まれることは遺憾に思うものの、適切な判断であると言わざるを得ない。魔術がこの件に関わっていた場合、前回同様瑣末な出来事が大ごとになりかねないからだ。




