魔術師たちの昏き憧憬#15
(最初に大量の本を集め、その中から必要なものだけを漁っていたのか? ……いや)
そんなことはないはずだ、とひとりでにかぶりを振る。
ショウダイの文化カテゴリへの興味関心はだいぶ以前からのものだ。それはレイカが証言している。それに―― 彼女はこうも言った。祖父が出奔する前、様子がおかしくなり始めたころに蒐集癖がついた、と。
(……なにか理由があるのか?)
気分的な理由等、重要なことではない可能性も多分にある。しかし、どうにも気にかかるのだ。
「レイカさん、よろしいですか?」
「何?」
悩むトキヤの傍ら、所在なさげに部屋を見回していたレイカが顔をあげた。
「見た限り、お祖父様の蔵書にはまったく統一性がないのですが、昔からこんな具合だったのですか?」
「え? ああ、そうね……」
いきなりそんなことを聞かれるとは思ってもみなかったのか、視点を右往左往とさせ、
「よく覚えてないわ。でも祖父はオカルトに興味を示していたから、それ関係の本はいくらか持っていたはずよ。けども、こんなふうに爆発的に本が増えたのはやっぱり祖父がおかしくなってきてからだと思う。それまではいくら「たくさん」と言っても、一般的な範疇に収まる程度だったわよ。本棚丸々ひとつ分くらいかしら」
「……ふむ。となると、やはり意味があるのかもしれませんね」
「本の増え方とか、種類に?」
「この部屋で起きている現象とは関係がないかもしれませんが、あなたが知りたがってることには関係しているかもしれません。今はまだ何もわかりませんが」
「…………」
レイカの無言の視線にうなずき返し、トキヤはフウカを呼んだ。
おずおずと部屋の中に入ってきたフウカは、上目づかいにトキヤを見上げると、蚊の鳴くような声で「なんですか」と言った。
「今日は何か位置が動いていたり、そういった変化はありますか?」
「あっ」
トキヤに言われて初めて自分の役目を思い出したとでもいうかのように声を洩らすと、フウカはあたふたしながら部屋の中を歩き回り始めた。丹念に見回っているというよりは、ざっくりと視界に収めるような見回り方だった。ちらちらと走り回る視線はどことなく呆けていて、少々の不安感を煽る。
一分としないで戻ってきたフウカはレイカに視線をやった。姉は何も言わずに人差し指でトキヤを指す。『報告をするならこっち』と言わんばかりに。
「あ、あの」
いちいち手間のかかる娘だ、と思わなくもない。
しかし手間をかけさせられているほうが申し訳なく思ってしまうくらいにびくびくとしている姿を見ると、何かを言うでもなくなってしまう。トキヤは嘆息したい衝動をぐっと呑み込み、
「どうでしたか?」
穏やかに訊ねた。
「ええと、少し変わってました。本の位置。とか……」
ふむ、と頷いて部屋をもう一度見回す。
「最後にここを訪れたのはいつですか?」
「一昨日ね」
レイカが答える。トキヤの表情が険しいものになった。
「では、この部屋には最長で何時頃まで滞在していたか覚えていますか?」
「詳しくは覚えてない。でもそこまで長居はしなかったわ。ここに来れる時間がいつも今日より少し早いくらいのものだったし、さすがに日が暮れてから帰るほど意識に欠けてないわよ」
「日暮れ以降この屋敷に滞在したことは?」
「一度もない」
トキヤはコートのポケットから預かった懐中時計を取り出した。
現在時刻は午後五時二十六分。一日中薄暗いシュトに「日暮れ」は存在しないが、指標となるタイム・ラインは六時間ごとに敷かれている。
それぞれ「夜明け」が午前六時。「正午」が午後十二時。「日暮れ」が午後六時。「深夜」の幕開けが午後十二時。レイカが「日暮れ」である午後六時以前にこの場所を後にして一日置いて再び訪れる、というサイクルを基本にしていた以上、少なくとも一日と半日は空白の時間が存在することになる。
トキヤは「二人がいない間」に事が起こっているのか、「決まった時間に決まった感覚で」事が起こっているのか。どちらなのかを判断したかったのだが、到底出来そうになかった。
(参った。判断材料が少なすぎる)
いかに魔術で引き起こされた理不尽だとしても、必ず「原因」は存在する。事が起こるべき「はじまり」がなければ最初から何も起こり得ないのだ。魔術が「理不尽」と呼ばれる所以は、「はじまり」から「現象」に到るまでのプロセスやロジックが常識には計り知れないものであるから、ということにある。
見えない。あるいは知覚できない。認められない。それだけのことで、魔術はある日突然「無」から起こるような「奇跡」ではないのだ。
――だから、この瑣末ながら不可解な現象が人為的なものにしても魔術的なものにしても、必ず「原因」は存在する。ただ、現実にこの現象が起こることによって得られている「結果」が判然としない以上、これが「そのものに意味のある現象」なのか、あるいは「ほかの現象に誘発された副次的な現象」なのかの判断すらもつかない。おまけに条件のカテゴリすら絞れないともなれば、思考停止せざるを得ない。
(……実に厄介だ。たしかにこの部屋は気になるが、怪しいものは今のところないように見えるな)
時を刻み続ける時計の文字盤を睨めつけつつ必必死に思考を巡らせるが、やはり何も思い浮かばない。
(この部屋にまだ何か材料があるか……?)
致し方ない。とにかく丹念に調べるほかはないか。
そう思って時計のハンターケースを閉じようとするが、
(ん……)
再びハンターケースの内側に浮かび上がった文字列が目に入る。馬車に乗り込む前に見つけていたはずだったが、結局うやむやのうちに確認することを忘れていたものだ。
ハンターケースの裏側に書き込まれたり彫りこまれているというよりは、錆が凝り集まって浮き上がったような、なんとも奇妙な質感。最初に見た時はつぶさに観察する余裕がなかったとはいえ、見れば見るほど不審な文字列である。
「……『月は偽りを暴く。正しき位置にて役割を果たす様、光を与え給へ』、ですか」
小声でハンターケース裏の文字列を読み上げると、レイカが訝しげな視線を差し向けてくる。
「なんて?」
「いえ、この時計のケースの裏側。書いてあるんですよ」
トキヤが指さして説明すると、レイカはしきりに首を捻る。
「嘘。私そんなの見た覚えないわよ? ちょっと見せて」
そう言い放って伸べられた手に時計を握らせようとすると、
「あッ、と」
レイカは時計を受け取りそこなって取り落としてしまう。
時計は床にたたきつけられて跳ね上がると、そのままころころと転がって行って、手近にあったチェストボードの足の下に潜り込んでいってしまった。
「ああ、もう!」
憤然と息をつき、レイカは姿勢を低くしてチェストボードの下を覗き込んだ。
「レイカさん、ボクが取りますから」
「いいわよ別に。落としたのは私なんだから。それにあなたの手じゃ、この隙間に入っていかないでしょ」
「……それはそうですが」
「うーん、よく見えないわね」
手を突っ込んで探ってみても見当たらないようである、レイカはしばらく無理な姿勢で格闘をしていたが、やがて埃まみれになった腕を引く抜くと、大きく嘆息した。
「ごめん、だめだわ。見えないし取れない。灯りとかないかしら」
「灯り―― たしかデスクの上にランプが。あります」
フウカの指さすほうを見れば、たしかに書き物机の上に小さなオイルランプが置かれていた。だいぶん使い込まれているようで歪んでいる個所があり、形状的にも携帯には向かなそうだったが、手元を照らす分には十分だろう。
「使えるかどうか見てみましょうか」
トキヤはほかに照明器具がないことを確認すると、ランプを手元に手繰り寄せる。幸いオイルは多少残っており、近くにマッチも数本用意されてる。
「大丈夫そうですね。少々お待ちください」
ホヤを一度取り外し、マッチの炎を芯へと近づける。ぼうっと小さく爆ぜるような音が響き、橙色の火が揺らめいた。絞りを調節してやると、火は落ち着きを得たように薄ぼんやりとした灯りになる。
「お待たせしまし――」
ホヤを戻し、ランプを慎重に持ち上げようとした刹那。
トキヤは書き物机の上に雑多に放置されていた物品の中のひとつ。無地の黒い装丁の本が、ランプの温かみのある光に呼応するようにして、冷たく青白い燐光を帯び始める様子を目にした。




