第4話
葬儀の日は、朝から澄み渡るような晴天だった。
前日の天気予報では雨模様と言っていたはずなのに、空にはひとつの雲もない。哲郎は思わず足を止め、まぶしい空を仰いだ。まるで何事もなかったかのような無垢な晴れ間。庄吉が雨雲を押しとどめたのではないかとさえ思えるほどだった。
群馬県桐生市にある宝覚寺の本堂へと続く参道の両側には、各企業や取引先から贈られた弔花が整然と飾られ、県内有数の古刹での葬儀はどこか控えめでありながらも、松浦庄吉という男の存在の大きさを如実に物語っていた。
荘厳さに包まれた本堂には庄吉の柩が安置され、周囲の花々の白さと相まって、一層の清浄感さえある。焼香台には丸に違い鷹の羽が入った台掛けが敷かれ、伝統ある血筋であることを静かに主張していた。自分の家紋を知らず、無難な五つ紋で羽織袴を誂えた哲郎とは対照的だった。
──家紋か……
哲郎は自分の胸元を見下ろした。借り物の抱き紋。それが今の自分の立場を象徴しているようで、胸が苦しくなった。
境内に低い鐘の音が響くと、ざわついていた空気がいっせいに張り詰める。導師を迎え、背後に控えていた僧たちが入場すると、すぐに読経が始まった。一段高い須弥壇を正面に、喪主である長女の葵が中央、その左側には長男の豊、そして右側に後妻の冴子が並ぶ。
響き渡る読経に耳を傾けながら、哲郎は目の前に座る葵の後ろ姿をじっと見つめていた。長い黒髪は一筋の乱れもなく端正に結われ、その背筋には母方の下り藤紋が入っている。一重太鼓で小さめに結ばれた黒喪帯には有職文様が織り上げられ、色艶ある高価な帯であることが一目で分かる。凝った帯と五つ紋の喪服は、葵が十九歳の時に誂えられたもので、嫁入り道具のひとつだった。時を経てもなお、しなやかに纏われたその喪服は、彼女の気高さと家の歴史を静かに主張している。
哲郎は葵の左隣に座る義弟にそっと視線を移した。豊の背には丸に違い鷹の羽の紋がうたれ、袴地の厚い仙台平を締めたその姿は、武士を彷彿とさせるほど堂々としている。齢三十三の若さながら、そこには長男としての矜持が滲んでいた。
姉弟の背を見つめながら、哲郎は数日前のやり取りに思いを巡らせた。
豊から喪主の件を聞かされたとき、思わず耳を疑った。冴子も反対したが、結局は葵の強引な主張に全員が押し切られる形となった。一体その執着はどこから来るのか。庄吉が病院で息を引き取った時、ひと粒たりとも涙を流さなかったというのに。
突然、導師の鋭い喝が境内に響き渡り、哲郎の意識は一瞬にして現実へと引き戻された。再び読経の声が本堂に満ち、静謐な空気の中で葬儀は焼香へと移っていく。
「喪主の方より順次ご焼香をお願いいたします」
僧侶の合図とともに、筆頭喪主である葵が静かに席を立つ。その瞬間、参列者たちの視線が一斉に葵へと向けられた。
わずかに上がりかけた口元を抑えるように、葵は恭しく参列者たちに一礼すると、足元を一つ一つ確かめるようにして進んでいく。背筋を正し、祭壇へと向かうその足取りは静かでありながらも確かな意志を滲ませている。仏前まで来ると、紫の撚り房が揺れる黒檀の数珠をしっとりと手に馴染ませながら重々しく合掌する。そのあと姿勢を正し、深く息を吸い込むと、慎重に抹香を摘み取り、何かを念じるように香炉へ落とした。
隅々まで計算されたその所作は、まさに筆頭喪主を意識しての振る舞いだった。
父親の葬儀にふさわしく、葵の化粧は控えめで、格式ある喪服に包まれてはいる。だが、どこか場違いなほどの艶めかしさを醸し出していた。その白い首筋、僅かに見える手首。どれもが妙に生々しく、まるで父親の葬儀の場が彼女を引き立てるための舞台のようだ。そのせいか、参列者の中には恍惚とした視線を向ける人さえいる。
哲郎の右隣に座る静香も、葵の異様な雰囲気に気づいたのかもしれない。あるいは、豊が喪主の座を奪われたことへの苛立ちか。清楚な外見には似つかわしくない、低く棘を含んだ言葉を吐き捨てた。
「場違いだわ──」
静香の独り言であったが、横にいる哲郎に届くように放たれた言葉だった。数珠を握る指が、怒りで震えている。哲郎はちらりと静香の横顔を見たが、そのまま何も云わずに目を逸らした。
──ここ一週間ほどで、葵は明らかに変わった──
哲郎は当初、それを庄吉の死によるものだと思っていた。だが、葵は何かに取り憑かれたように〝執着〟を見せるようになった。今回の喪主の件もそのひとつだ。それだけではない。話し方、視線の向け方、笑い方、何もかもが、微妙にずれている。
葵が満足げに席に戻ると、豊がさらりと袴の裾を落として立ち上がる。その一瞬、静香の冷ややかな視線が葵へと向けられた。まるで、何か危険なものを見つめるような、冷ややかな一瞥だった。




