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『バックオーライ ケッカオーライ』10秒だけ時間を戻せる新米刑事。倫理観ゆるめでサーセンね。  作者: 団田図


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第32話 凍てついたホワクリ ⑥

 海果月みかづき県の冬は、容赦がない。

 墓参りに行ったあの日から三日が過ぎた。今日は十二月二十五日。世間はクリスマス一色に染まっている。本来なら、俺も浮かれた世の中の流れに乗って、なな子を洒落たディナーにでも誘いたかった。予約していたスナックの三次会なんていう言い訳じみた名目ではなく、正真正銘のデートとして。

 だが、現実は甘くない。

 海果月署の『万夏津川まんげつがわ女性連続殺人事件』捜査本部は、重苦しい空気に支配されていた。

 ホワイトボードには未だ『解決』の文字はなく、二人の被害者の笑顔の写真が、無念さを訴えかけるように貼られたままだ。


「おい兎木緒ときお、こっちの裏付けは終わったのか!」

「今やってますよ」

 俺はパソコンの画面に向かいながら、気のない返事をした。

 臼伊賀うすいが管理官は、いまだに「金銭トラブル」の線に固執していた。被害者が借金を抱えていた事実、それが全ての元凶であると信じて疑わない。

 数日前、俺と杵塚きねづか先輩は臼伊賀の命令で、被害者に金を貸していた消費者金融や知人への張り込みを行った。寒空の下、何時間も張り込み、対象者のゴミまで漁ったが、結果はシロ。彼らには確固たるアリバイがあり、そもそも殺人を犯すような動機も度胸も見当たらなかった。


「無駄足だっつうの」

 マウスをカチカチと鳴らしながら、思わず独り言が漏れる。

 俺と杵塚先輩は、臼伊賀の目を盗んで「鉄道オタク」の線も進めていた。被害者が共通して乗っていた始発電車の防犯カメラ映像を、目が乾いて痛くなるほど見返した。

 だが、犯人らしき人物は映っていない。通勤客、朝帰りのホスト、清掃員。ありふれた日常の風景が流れるだけだ。

 やっぱり、考えすぎだったのか?


 諦めかけたその時だった。

 ネットの海を漂っていた俺の指が、あるSNSのアカウントで止まった。

 アカウント名は『定位置の守護神』。

 フォロワー数は少ないが、投稿数は異常に多い。アップされている写真は、切符、時刻表、模型といった鉄道グッズが主だ。そこまではよくある鉄道ファンのアカウントだ。

 だが、異様なのはその執着の対象だった。


『今日の俺の席』

『ここから見る景色こそが至高』

『俺の聖域を汚すな』


 投稿の大半が、電車の「座席」に関するものなのだ。誰もいない早朝の車内、先頭車両の一番前の席。シートの繊維のアップ、肘掛けの角度、窓枠の傷。

 病的なまでのこだわりを感じる。

 俺はスクロールする手を早めた。なんだ、これ……。

 過去の投稿を遡っていくと、座席の写真の隅に、見覚えのある小物が写り込んでいるのに気づいた。

 一つは、派手なピンク色のシュシュ。もう一つは、ブランド物のポーチ。

 俺は慌てて捜査資料と照らし合わせた。

 一人目の被害者の遺留品リストに「ピンクのシュシュ(未発見)」。二人目の被害者は「有名ブランドのポーチ(未発見)」。

 写真の日付は、それぞれの被害者が行方不明になった日の翌日だった。


「先輩、これ見てほしいっす!」

 俺は隣のデスクにいた杵塚先輩の肩を叩いた。

「どうした兎木緒君、血相を変えて」

「見つけたっすよ。たぶんこいつっす、犯人は」


 俺たちはすぐに臼伊賀管理官の元へ走った。

「くだらん!」

 臼伊賀は、俺が差し出したタブレットをチラッと見ただけで鼻で笑った。

「たまたま似ている小物が写っていただけだろう。そんなものは量販店に行けばいくらでも売っている」

「ですが、日付が一致しています! それに、この座席への異常な執着、被害者の証言とも合致しま……」

「黙れ!」

 臼伊賀が机を叩いた。

「お前たちは私の指示通り、金の流れを洗っていればいいんだ。素人のような推理ごっこに付き合っている暇はない。SNS? そんな子供の遊び場に真実があるわけがないだろう!」

 臼伊賀は顔を紅潮させ、俺を睨みつけた。

「次、勝手な真似をしたら捜査から外すぞ。下がれ」


 取り付く島もないとはこのことだ。

 俺は奥歯を噛み締め、席に戻った。

「腐ってやがる……」

「兎木緒君、落ち着け」

 杵塚先輩が小声で宥めてくるが、その目も怒りで燃えていた。


 夕方になり、窓の外は漆黒の闇に包まれた。雪が降り出し、ホワイトクリスマスの様相を呈してきている。

 俺は諦めきれず、あの『定位置の守護神』のアカウントを監視し続けていた。

 十七時三十二分。新しい投稿があった。


『今日の収穫。これより悪魔を払う。これでまた、静寂が戻る』


 写真には、薄暗い部屋のテーブルが写っている。その上に、戦利品のように並べられた小物たち。

 その中に、それはあった。

 俺の心臓が、早鐘を打った。全身の血が逆流するような感覚。

 嘘、だろ……?

 写真の中央に、無造作に置かれた木製のキーホルダー。

 歪な楕円形の年輪。眠たげな目のような節穴。

 三日前、サービスエリアの福引で俺が当てた、五等の景品。

 なな子が「翔琉君に似てる」と笑って、その場でカバンにつけた、世界に一つだけの柄。

 見間違えるはずがない。『木の年輪キーホルダー』だ。


「なな子?!」

 俺は震える手でスマートフォンを取り出し、なな子に電話をかけた。

 コール音が鳴る。長い。長すぎる。

『只今電話に出ることができません……』

「クソッ!」

 俺は舌打ちをし、スナック『エッホ』に電話をかけた。

「あ、もしもし、翔琉だけど。なな子、店来てる?」

『あら翔琉ちゃん? メリークリスマス。なな子ちゃんなら、今日はまだ来てないわよ』

 ママののんびりした声が、今の俺にはもどかしい。

「まだって、今日は出勤の予定なのか?」

『そうなのよ。いつもならとっくに来て開店準備してる時間なんだけど。電話しても出ないし、あの子が無断欠勤なんて一度もなかったから、ちょっと心配してたとこなの』

「わかった。ママ、もし連絡あったらすぐ俺に電話してくれ」


 通話を切る。最悪の想像が脳裏を駆け巡る。

 なな子が危ない。あの異常者の手に落ちているかもしれない。

 俺は再び臼伊賀の席へと突進した。

「管理官! 緊急配備をお願いします! 次の被害者が出ている可能性があります!」

「なんだまたお前か。騒々しい」

 臼伊賀は書類から目を離さずに言った。

「SNSに、俺の知人の持ち物がアップされました! 彼女と今、連絡が取れません。GPS追跡の許可をください! 彼女のスマホの位置情報が必要です!」

「知人? お前の個人的な知り合いのために、警察のハイテク捜査を使えと言うのか?」

 臼伊賀は呆れたように眼鏡の位置を直した。

「公私混同も甚だしい。それに、そのSNSの件は関係ないと何度も言っているだろう。お前の知人が連絡に出ないのは、単にクリスマスの夜を男と過ごしているからじゃないのか?」

 臼伊賀がニヤリと下卑た笑みを浮かべた瞬間、俺の中で何かが切れた。

「ふざけんなっ! 人一人、殺されかけてるかもしれないんだぞ! あんたのメンツと人の命、どっちが大事なんだよ!」

「貴様、上官に向かってなんだその口の利き方は!」

 臼伊賀が立ち上がる。俺がさらに怒声を浴びせようとしたその時、俺と臼伊賀の間に、割って入る影があった。

 杵塚先輩だった。


「兎木緒の言う通りです、管理官」

 それは、いつもの温厚な、上司の顔色を伺う杵塚先輩ではなかった。その表情は鬼気迫るものがあった。

「杵塚、お前まで、気でも狂ったか?」

「狂っているのはあなたの方だ!」

 杵塚先輩の怒鳴り声が、フロア中の空気を震わせた。捜査員たちが一斉に手を止め、こちらを見る。

「現場の刑事たちが足で稼いだ情報、被害者の悲痛な声、そして今まさに消えようとしている命の灯火! それら全てを無視して、自分の描いたシナリオに固執する! それが警察官のすることですか!」

「な、なんだと……」

「兎木緒君の大切な人が危険に晒されているんです。もし、我々の勘違いだったとしても、彼女が無事ならそれでいいじゃないですか!」

 杵塚先輩の拳が震えている。

「我々の仕事は、自分の手柄を守ることじゃない。市民の生活を、命を守ることでしょうが!」


 静まり返る捜査本部。

 数秒の沈黙の後、一人の刑事が立ち上がった。

「私も、杵塚さんの意見に賛成です。今の捜査方針には限界を感じていました」

「俺もです。SNSの線、洗うべきだと思います」

「管理官、許可を!」

 次々と立ち上がる捜査員たち。それは、臼伊賀による恐怖政治が崩壊した瞬間だった。

 臼伊賀は顔を真っ赤にし、わなわなと唇を震わせた。

「お、お前ら、全員、どうなっても知らんぞ! 査定に響くと思え! 勝手にしろ!」

 臼伊賀は捨て台詞を吐き、足音荒く会議室を出て行った。


「よし、やるぞ!」

 杵塚先輩が振り返り、叫んだ。

「通信解析室へ連絡、至急被害者携帯のGPS位置情報を開示させろ! サイバー班は全力でアカウントの特定! 時間が無い、急げ!」

「はいッ!」

 捜査員たちの怒号のような返事が響き渡る。

「兎木緒君、君の熱意が皆を動かしたんだ」

 杵塚先輩が俺の肩を掴む。

「先輩……あざっす」

「礼を言うのはまだ早い。彼女を助け出すまでが勝負だ。行くぞ」


 GPSの開示には数十分かかるという。待っている時間はない。何か、もっと手掛かりはないか。

 俺はサイバー班のデスクに張り付き、あのSNSの画像を拡大して見つめた。

 犯人の部屋と思われる写真。窓ガラスに反射している景色。

「これは……」

 夜景の中に、特徴的な形をしたタワーのライトアップが映り込んでいた。海果月タワーだ。そして、その見え方、角度。

「この見下ろす角度、相当高い位置だ。タワーが北西に見える……この方角にある高層ビルは……」

 俺の頭の中で、市内の地図が展開される。

「海沿いに建つ、高級タワーマンション群。その中のどれかだ!」

「間違いないか、兎木緒」

「あそこしかないっす。でもあそこには七棟ほど建っていてどれかは分かりません」

「よし、とりあえず現地へ向かうんだ! 詳細な位置は君が移動中に特定させて連絡する!」


 俺は覆面パトカーに飛び乗った。

 サイレンを鳴らし、クリスマスの街を疾走する。イルミネーションが流れる光の帯となって後方へ消えていく。

 頼む、無事でいてくれ。なな子っ。

 車の中では、無線で状況の報告が上がってくる。

『現在、サイバー班がアカウントの接続元を特定中ですが、海外のサーバーを経由しており難航しています。GPSの位置情報が出ました。海果月市港区、海果月レジデンス付近です』

 やっぱり当たりだ! だが、部屋番号がわからないと突入できないっ!

 海果月レジデンスは、五十階建ての超高層マンション。住戸数は五百を超える。しらみつぶしに探していては、夜が明けてしまう。

「クソッ、どうすれば……」

 現地に到着した。見上げると、巨大な墓標のようなマンションが夜空にそびえ立っている。

 この中のどこかに、なな子がいる。だが、どの部屋だ?

 犯人は既に殺害をほのめかす投稿をしている。一刻を争うのだ。


 俺はマンションを見上げ、ある一つの、あまりにも無謀な方法を思いついた。

 俺はマンションのエントランスから警備員室へ直行した。事情を話し、最上階までエレベーターで行くと、さらにその先の非常階段を駆け上がった。目指すは屋上。

 息を切らして屋上にたどり着く。

 冷たい海風が吹き荒れ、雪が頬を叩く。眼下には、海果月レジデンスの各部屋から発する光で、白い雪を照らしている。

 もちろん屋上から部屋の中を覗き込むなんて事はできやしない。

 それも、近くで、上から下まで、全ての窓を。

 そんなことができるのは、鳥か、ドローンか、あるいは――。

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