第31話 凍てついたホワクリ ⑤
兎木緒竜也。四十八歳。
翔琉の父親の弟であり、かつて翔琉の人生に暗い影を落とした人物だ。
翔琉が能力に目覚めたばかりの九歳の時、竜也は翔琉の特別な力に魅了されて連れ出し、金儲けの道具として利用しようとした。結果として翔琉に能力は無かったこととして竜也はそれを受け入れたが、慶子に無断で翔琉を連れ出した事は誘拐事件となり、竜也は逮捕され、実刑判決を受けて刑務所に入った。
あの日以来、翔琉は竜也を憎んでいた。
大好きだった叔父に裏切られた悲しみは、やがて深い憎悪へと変わり、翔琉は「あんな大人にはならない」「あいつのような悪人を捕まえる」という思いを原動力に、警察官を目指したのだ。
「どうしてあんたがここにいる」
翔琉が一歩踏み出す。その拳は固く握りしめられていた。
竜也の隣にいた女性が、不安そうに夫の腕を掴む。幼い子供が無邪気な目で翔琉を見上げている。
竜也は、以前の荒んだ雰囲気とは別人のような、穏やかで弱々しい笑みを浮かべていた。
「そうか、立派になったな、翔琉」
「質問に答えろよ。あんた、いつ出てきたんだよ。なんでばあちゃんの墓を知ってる」
翔琉の言葉には棘があった。竜也が何かよからぬ魂胆を持って近づいてきたのではないかと、全身で警戒しているのが分かった。
竜也は深く頭を下げた。
「すまなかった! 本当に、すまなかった!」
謝罪の言葉。それは、怯えからくるものではなく、心の底からの悔恨が滲んでいるように聞こえた。
竜也は顔を上げ、静かに語り始めた。
「あの日から三年で(刑務所を)出たんだ。行くあてもなくて、路頭に迷っていた俺に……慶子さんが連絡をくれたんだ」
「えっ!? ばあちゃんが?」
翔琉が眉を跳ね上げる。
「ああ。俺が中にいる時も、慶子さんはずっと手紙をくれていた。『罪を償って、まっとうに生きろ』って。出所してからも、住む場所の保証人になってくれたり、仕事の相談に乗ってくれたり、俺を、見捨てずにいてくれた」
「そんなこと、俺は聞いてないぞ!」
「俺が口止めしたんだ。翔琉に合わせる顔がないからって。慶子さんは、お前が警察官になったことを本当に誇りに思っていたよ。『あの子は強い子だ』って、いつも自慢していた」
翔琉は言葉を失っていた。
祖母は、接点の少ない義理の息子の弟である竜也を、翔琉を傷つけたはずの竜也を切り捨てることなく、家族として接し続けていたのだ。
竜也は隣の女性と子供に視線をやった。
「おかげで、俺は今の妻と出会い、小さな工務店で真面目に働いている。この子も授かった。全部、慶子さんのおかげなんだ。今日は、その報告と感謝を伝えに来た」
竜也の表情には、嘘偽りのない誠実さがあった。かつて翔琉を騙した時の、あのギラギラとした欲望の色はどこにもない。
「翔琉。俺はお前に許してもらおうなんて思っていない。ただ、お前が立派に育ってくれて、本当によかった」
竜也はもう一度深く頭を下げ、家族を促して立ち去ろうとした。
「待ってくれよ」
翔琉の声が、竜也の足を止めた。
翔琉は天を仰ぎ、大きく息を吐き出した。海からの風が、彼の前髪をかき上げる。
「ばあちゃんは、あんたが更生したことを喜んでたんだな」
「ああ」
「だったら、俺がいつまでもウジウジ恨んでたら、ばあちゃんに怒られちまうな」
翔琉は竜也の方に向き直った。その表情からは、険しい殺気が消えていた。
「子ども、可愛いっすね」
「え?」
「その子です。大事にしてやってください。昔のあなたみたいにならないように……」
それは、翔琉なりの不器用な許しの言葉だった。
竜也の目が潤んだ。
「ああ。誓うよ。ありがとう、翔琉」
竜也とその家族が去っていくのを、翔琉となな子は見送った。
静寂が戻った墓前で、翔琉はしゃがみ込み、線香に火をつけた。
「知らなかったよ。ばあちゃん、すげーな」
「うん。慶子おばあちゃん、すごいね」
なな子も隣で手を合わせる。
「俺さ、あいつを反面教師にして生きてきたんだ。あんなクズにはなりたくない、って。それが俺の正義だった」
翔琉は煙を見つめながら独白する。
「でも、人は変われるんだな。あいつの顔見たら、なんか……憑き物が落ちた気分だ」
「翔琉君……」
「かっこ悪ぃな、俺。何年も前のこと根に持って」
「そんなことないよ! 翔琉君はすごかったよ。ちゃんと許せたじゃない。結果オーライだよ」
なな子の言葉に、翔琉は少し驚いた顔をして、それから照れくさそうに笑った。
「サンキュウな」
墓参りを終えた帰りの車内は、行きよりもずっと温かな空気に包まれていた。
なな子は、運転する翔琉の横顔を何度も盗み見た。
憎んでいた相手を前にして、怒りを抑え、相手の変化を認め、許す。その心の広さと強さに、なな子は胸を打たれていた。
(やっぱり、素敵だな……。昔のやんちゃな翔琉君も好きだったけれど、今の彼はもっと魅力的だ。大人の男性としての深みがある)
なな子は、自分の恋心がはっきりと形を成していくのを感じていた。
「腹減ったな。ちょっと寄っていい?」
翔琉がハンドルを切り、高速道路のサービスエリアに入った。
日曜日のサービスエリアは家族連れやカップルで賑わっていた。
二人は温かいコーヒーを買い、ベンチで一息ついた。
「あ、見て翔琉君。福引やってるよ」
広場の一角で、ガラガラと回す抽選会が行われていた。
看板には『特賞:ペアで行くハワイ旅行!』の文字が踊っている。
「ハワイかー。いいな、常夏。行きてぇー」
「飲み物買ったレシートで一回引けるみたいだよ」
「マジ? よし、当てちゃおっかな~」
翔琉は子供のようにはしゃぎながら、福引所の列に並んだ。
「狙うはハワイ! なな子、パスポート準備しとけよ?」
「もう、本当に当てないでよ!」
なな子は翔琉が能力を使って特賞を当てようとしているのを、冗談とわかりつつ笑いながら制止した。
翔琉の番が来た。気合を入れて、ガラガラを勢いよく回した。
コロン。
出てきた玉は、白だった。
「あー! 残念、五等ですねー」
なな子は翔琉の方をじっと見つめ、心の中で数を数え始めた。
(……八、九、十)
十秒が過ぎた。時間は巻き戻らない。なな子はニヤリと笑って、翔琉にウインクをした。
係員のお姉さんが、申し訳なさそうにカゴを差し出す。
「五等の景品はこちら、特製『木の年輪キーホルダー』です! お好きな柄をどうぞー」
そこには、木を輪切りにして磨いただけの、素朴すぎるキーホルダーが山積みになっていた。
「うわ、これかー。ハワイが木片になっちまった」
翔琉はがっくりと肩を落とす演技をした。
なな子は笑いを堪えながら、その中の一つを指差した。
「じゃあ、これがいい」
それは、楕円形に歪んだ年輪が、まるで眠そうな目をしているように見える奇妙な柄のものだった。
「え、これ? なんか変な顔に見えね?」
「そこがいいの。なんか、翔琉君が眠い時の顔に似てる」
「はあ? 俺こんなマヌケ面してねーし!」
文句を言いながらも、翔琉はそのキーホルダーを受け取り、なな子の手のひらに乗せた。
「ほらよ。ハワイよりもこっちがいいんだろ?」
「うん、これがいい。ありがとう、翔琉君!」
なな子はその場で鞄の金具にキーホルダーを取り付けた。
世界に一つだけの、翔琉に似た木の模様。それが妙に愛おしくて、なな子はキーホルダーを撫でながら満面の笑みを浮かべた。
「大事にするね」
その笑顔を見た瞬間、翔琉の軽口が止まり、少し赤くなって、視線を逸らした。
「そんなチープな物で喜ぶとか、お前、安上がりな女だな」
「チープじゃないよ、宝物だもん」
「そっかよ」
翔琉の声が、優しく震えているのを、なな子は聞き逃さなかった。
彼もまた、なな子の無邪気な喜びに心を動かされていたのだ。
夕暮れ時、車はなな子のアパートの前に到着した。
エンジンを切っても、二人はすぐに降りようとはしなかった。
「今日はありがとう。すごく楽しかった」
なな子が礼を言うと、翔琉はハンドルにもたれかかったままこちらを向いた。
「俺も。その、竜也(あの人)の件、立ち会わせて悪かったな」
「ううん。立ち会えてよかった。翔琉君の優しいところ、いっぱい見れたから」
「……調子狂うな、お前といると」
翔琉は苦笑しながら、でも真っ直ぐになな子の目を見た。
「また、飯でも行こうぜ。スナックじゃなくて、普通の店で」
それは、明らかなデートの誘いだった。
なな子の心臓が跳ねる。
「うん! 絶対ね」
「おう。じゃあな」
「おやすみなさい」
車を降り、走り去る赤いテールランプが見えなくなるまで、なな子はずっと手を振っていた。
冷たい夜風さえも、今は心地よく感じる。
部屋に戻り、カバンにつけた木のキーホルダーを指で弾く。
『お前、安上がりな女だな』
そう言った翔琉の照れた顔を思い出し、なな子はベッドに倒れ込んだ。
「素敵だったなぁ」
天井に向かって呟く。
今日一日で、幼馴染の翔琉君は、なな子にとってかけがえのない特別な男性へと変わった。
クリスマスまであと少し。今年の冬は、きっと温かいものになる。そう確信できた。
翌朝
空がまだ暗い、午前五時。
なな子は眠い目をこすりながら、家を出た。
今日は事務員として働いている職場の棚卸しだ。ロマンチックな余韻に浸る間もなく、現実は容赦なくやってくる。
「寒いし眠いし」
明けの明星に向けて、大きなあくびをする。
信号待ちしていると、ふとカバンのキーホルダーが目に入った。木の年輪が、眠そうな顔でこちらを見ている。
「ふふ、やっぱり似てる」
なな子の口元が緩む。
今日も仕事は忙しいけれど、頑張れそうな気がした。胸の奥に灯った小さな温もりが、なな子を支えた。
厳しい冬の朝と対峙する勇気を得たなな子は、駅のホームへと向かった。
そして、まだ乗客のまばらな始発の電車に乗り込むのであった。




