第28話 凍てついたホワクリ ②
二人で笑い合っていると、店の扉がガバッと開いた。
「さぁー! いらっしゃいませー! ささ、田中様、こちらへどうぞ!」
買い物で出かけていたママが戻って来た。その後ろには、顔を真っ赤にしたサラリーマン風のおじさんが一人、千鳥足でついてきている。
「いやー、ママちゃんには敵わないなあ! もう一軒だけだよ?」
「わかってますってば。なな子ちゃん、田中様に水割り作ってあげて!」
「はい、ママ!」
なな子が手際よく動き出す。俺たちの甘酸っぱい昔話タイムは、これにて強制終了か。ま、客商売だし仕方ない。
俺はハイボールをちびちび飲みながら、その様子を眺めていた。だが、平穏はすぐに破られた。
「ちょっと! 待ちなさいよ!」
扉が再び勢いよく開き、今度は紫色の着物を着た別の年配女性が飛び込んできた。鬼の形相だ。
「あら、お隣の百合子さんじゃない。どうしたの血相変えて」
悦穂ママが余裕たっぷりに応対する。対する着物の女性、百合子さんは仁王立ちだ。
「どうしたのじゃないわよ! 田中さんはうちの店に来るはずだったのよ! 店の前で強引に腕引っ張って連れて行くなんて、ルール違反じゃないの!」
「あら人聞きが悪い。田中様が『エッホのママの顔が見たい』っておっしゃったからご案内しただけよ。ねえ、田中様?」
話を振られた田中というおじさんは、二人の迫力に圧倒されてオロオロしている。
「え、あ、いや、その、どっちも好きなんだけどね……」
「ほら見なさい! 田中さんは困ってるじゃない! 返しなさいよ!」
「嫌よ。お客様は神様、選ぶのはお客様よ」
狭い店内で、二人のママによる怒号が飛び交う。あーあ、始まったよ。
俺はグラスに残った氷をカランと鳴らした。せっかくいい気分で飲んでたのに、これじゃ酒がまずくなる。
隣のスナックのママと客の取り合い。よくある話だが、巻き込まれるのは御免だ。なな子を見ると、彼女も困った顔で小さくなっている。
「泥棒猫みたいな真似して! この界隈の掟を知らないわけじゃないでしょ!」
「泥棒猫ですって!? あんたこそ古狸のくせに!」
ヒートアップする二人。田中さんは今にも泣き出しそうだ。
めんどくせぇ。マジでめんどくせぇ。でも、このままだと警察沙汰になりかねない。そうなれば俺の安息の時間も完全に消滅する。
俺は大きくため息をつくと、止めようとするなな子を片手で制して、カウンター席から立ち上がった。
「あのー、お姉さま方。ちょっといいかな」
チャラい口調を崩さずに、二人の間に割って入る。
「何よあんた! 部外者は黙ってて!」
百合子さんが噛みついてくる。俺は懐から黒革の手帳を取り出し、パカッと開いて目の前にかざした。
「こういう者なんだけどさ」
一瞬、場が静まり返った。金色の記章と、そこに刻まれた文字。
「け、警察!?」
百合子さんの目が点になる。悦穂ママも、田中さんも、そしてカウンターの中にいるなな子も、全員が固まった。
「あ、いや、今は非番だから。仕事じゃないよ」
俺は手帳をすぐに懐にしまった。あんまり見せびらかすもんじゃないしな。
「たださ、俺は久しぶりに再会した友達と、美味い酒飲んで楽しくやりたいわけ。外は寒いし、仕事の疲れも溜まってるし。だからさ、これ以上揉めるなら、俺も職業柄、仲裁に入らなきゃいけなくなるんだけど」
俺はわざとらしく肩をすくめてみせた。
「めんどくさい書類書くのとか嫌だし、できれば穏便に済ませたいんだよねー。どうかな、おねがいしゃすよー」
百合子さんの顔から怒気がスッと引いていく。さすがに警察官がいる前で揉め事を続ける度胸はないらしい。
「あ、あら、そう。刑事さんがいらしてたのね。わかったわよ。今日は引くわ。田中さん、また今度ね」
百合子さんはバツが悪そうに捨て台詞を残し、逃げるように店を出て行った。
パタン、と扉が閉まる。再び店内に静寂が戻った。
「ふぅ。これでやっと落ち着いて飲めるわ」
俺が席に戻ると、悦穂ママが深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます! 助かりましたわ、刑事さんとは知らず失礼しました!」
「いいってことよママ。俺はただ、楽しく飲みたかっただけだし」
俺は手を振ってママを下がらせ、なな子の方を向いた。
なな子は、口をポカンと開けて俺を見つめている。
「えっ? まって、翔琉君?」
「ん?」
「警察って、あの、警察? 本当に?」
「他に何があるんだよ」
「ええええええ!」
なな子の絶叫が店内に響いた。
「嘘でしょ!? だって翔琉君だよ? 小学生の頃、ピンポンダッシュして近所のおじいちゃんに追い回されてた翔琉君だよ? 授業中に早弁して廊下に立たされてた翔琉君が!?」
「人の過去を凶悪犯みたいに言うなよ。人間、変われば変わるもんだろ」
「信じられないわ。絶対に何か裏があるでしょ。実は詐欺師で、たまたま小道具の警察手帳持ってたとか」
「ぶっ。俺はそいつらを捕まえる方。逆だよ逆」
なな子はまじまじと俺の顔を見て、それからプッと吹き出した。
「あはは! そっか、翔琉君がお巡りさんかあ。世も末だねー」
「うるせぇよ。それに今はお巡りさんを卒業して刑事になったんだ」
「ええええええ! 無理無理。それ以上言わないで。びっくりニュースの連続でついていけないわ」
言い合いながらも、なな子の目は笑っていた。その笑顔を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
昔と変わらない屈託のない笑顔。でも、そこには大人の女性の包容力みたいなものも混じっていて。
やばいな。俺はグラスの底に残った氷を見つめた。これ、また好きになっちまうパターンじゃん。
偶然入った店で、幼馴染と再会して、こんな風に笑い合えるなんて、出来すぎたドラマみたいだ。でも、悪い気はしない。
むしろ、この時間がもっと続けばいいとさえ思っている自分がいる。
なな子は悪戯っぽく微笑んで、俺のグラスに新しい氷を入れた。
その時、ふと思い出した。
「そうだ、ママさん」
俺は奥で田中さんの相手をしているママに声をかけた。
「はいはい、何でしょう刑事さん?」
「もうすぐ、職場の忘年会があるんだけどさ。その三次会の会場、まだ決まってなくて。ここ、使わせてもらえないかな? 十五人くらいなんだけど」
ママの顔がパッと輝いた。
「もちろんですとも! 刑事さんたちのご利用なら大歓迎ですわ! 安心ですし!」
「助かるよ。めんどくさい店選びから解放される」
俺はスマホを取り出した。
「詳細詰めたいから、ママの連絡先教えてよ」
「はい喜んで!」
ママと連絡先を交換する。そして、俺は自然な流れで視線をカウンターの中に戻した。
「《《ついで》》に、なな子も」
「え、私?」
「おう。久しぶりなんだし、連絡先くらい交換しとこうぜ。また飲みに来るかもしれないし」
「ふふ、そうだね。また来てくれないと困るし。ただ、《《ついで》》って言い方はよしてよね。いつかみたいにまた特大のビンタをくらわすよ」
「冗談やがなー はははぁ」
終始笑顔のなな子はエプロンのポケットからスマホを取り出し、慣れた手つきで画面を操作した。
『なな子』という名前が、俺の連絡先リストに追加される。たったそれだけのことなのに、なんだか妙に嬉しかった。
「じゃあ翔琉君、忘年会の時はサービスしちゃうからね」
「期待してるわ。あ、その時は俺のこと幼馴染ってばらすなよ、やりづらいから」
「そうなの? まぁいいや、翔琉君」
「ん?」
「また来てね」
その一言と、今日一番の笑顔をくれたなな子。俺はハイボールを一気に飲み干して、席を立った。
「ああ、またな」
会計を済ませて外に出ると、相変わらず冷たい風が吹いていた。でも、心の温かさがそれを補ってくれているようだ。
ポケットの中のスマホを一度だけ握りしめ、俺は寮に向けて歩を進めた。




