第27話 凍てついたホワクリ ①
現在
「ああ、寒い。マジで寒い」
ビル風が容赦なく俺の頬を叩く。コートの襟を立ててみたところで、この冷気は隙間という隙間から入り込んでくるからタチが悪い。
十二月ともなれば世間は浮足立っているけれど、俺みたいなめんどくさがり屋にとっては、ただただ人が多くて寒いだけの憂鬱な季節だ。
そんな耐えれば過ぎていく憂鬱とは違い、杵塚先輩から命令された「忘年会の三次会会場捜索」という雑用は、動いて片づけなければ終わらない。
海果月市街地の繁華街から一本、裏路地に入った。古びた雑居ビルの看板がチカチカと点滅しているのが目に入る。
『スナック エッホ』
紫色のネオン管がいかにも昭和な風情を醸し出していて、逆にそそるものがある。
とりあえずここに入ってみるか。酒を一杯飲んで、杵塚先輩が重要視していたカラオケの機材を確認したら、さっさと帰ろう。
木でできた温かみのある扉を開けると、上に取り付けられたカウベルが優しく鳴った。
カラン、コロン。
店内は予想通り、琥珀色の照明に照らされた落ち着いた空間だった。赤いベルベットのソファに、壁には演歌歌手のポスター。
そしてカウンターの奥には、グラスを磨いている白いブラウスを着た女性が一人。
「いらっしゃいませ。お一人様で……」
その声を聞いた瞬間、俺の足が止まった。聞き覚えがある。いや、ありすぎる。
ハスキーだけど明るくて、どこか耳に残る声。俺はカウンターに近づきながら、その女性の顔を凝視した。
栗色のショートボブ。笑うと出来る目尻のシワ。そして、あの頃と変わらない、意志の強そうな大きな瞳。
「……え、嘘だろ」
俺が思わず声を漏らすと、彼女も怪訝そうな顔でこちらを見た。そして、その表情がみるみるうちに驚愕へと変わっていく。
「え、もしかして、翔琉君?」
「なな子、か?」
「うわあ! 翔琉君だ! 嘘みたい!」
なな子はカウンターから身を乗り出して、パチンと手を叩いた。その仕草、あの時と全く変わっていない。
「マジかよ。こんなとこで会うとはな」
俺は苦笑しながら、導かれるままにカウンター席へと腰を下ろした。
「本当に久しぶり! 何年ぶり?」
「そうだなー。十年以上は経ってるんじゃないか?」
「やだー、そんなに? でも翔琉君、全然変わってない! そのチャラそうな感じとか」
「おいおい。感動の再会でいきなりディスるなよ。これでも大人になったつもりなんだけどな」
「あはは! ごめんごめん。何飲む? 今日は私のおごりでいいよ」
「マジ? じゃあ遠慮なく。とりあえずハイボールで。濃いめで頼むわ」
なな子は手際よく氷をグラスに入れ、ウイスキーを注いでいく。その横顔を、俺は盗み見るように眺めた。
昔、俺はなな子のことが好きだった。
小学校の時のなな子は、クラスの中心でいつも笑っている太陽みたいな女子だった。男子にも物おじせず意見を言うし、ドッジボールじゃ最後まで残るようなタイプ。めんどくさがりで斜に構えていた俺とは正反対だったけれど、だからこそ惹かれていたのかもしれない。
大人になったなな子は、当時の元気さはそのままに、艶っぽさが加わっていた。白いブラウスから覗く鎖骨のラインや、グラスを扱う指先のしなやかさが、妙に色っぽい。
「はい、お待たせ。乾杯しよっか」
なな子も自分のグラスにウーロン茶を注ぎ、俺のグラスにカチンと当てた。
「乾杯」
冷たいハイボールを流し込むと、喉の奥がカッと熱くなる。心地よい刺激だ。
そんな俺の姿を、なな子はいまだ再会を喜ぶようにじろじろと眺めている。
すると、カウンターの奥から年配の女性が現れた。
「あら、いらっしゃい。いい男。ずいぶんと親しそうね。二人は知り合いなの? 昔付き合ってたりして。うふふっ」
するとなな子が間髪入れずに突っ込んできた。
「おしい悦穂ママ! 中学の頃、私、翔琉君に告白されて振っちゃったの。それでその後どうなったと思う? ショックのあまり自暴自棄になった翔琉君が、女子のスカートを片っ端からめくり上げまくって全校生徒から嫌われちゃったの。ぎゃはっ! うけるっしょ。ぎゃはっ!」
あっけらかんと笑いながら、再会したてで俺の心の傷をえぐってきやがる。でも、なな子に言われてもなぜか許せてしまう。
「勘弁してよなな子。俺、あの時のこと本当に反省しているんだ。それに、今だから言うけど、その後に食らったなな子からのビンタで、マジで死ぬかと思ったんだぜ」
「ぎゃはははっ!」
さらに笑うなな子。それにつられて横にいたママと呼ばれた女性も笑った。なんて心地いい場所なんだろう。
その後、二杯目の酒を注文して再度乾杯してから店内を見渡すと、どうやら客は俺一人のようだ。ここで、ママが買い物で少し店を離れると言って出て行ってしまった。
店内に残ったのは俺となな子、二人きり。
「で、翔琉君は今何してるの? やっぱりアパレルとか? 昔からシュッとしててオシャレだったもんね」
「アパレル? 俺が? まさか。もっと地味で泥臭い仕事だよ」
「えー、なんだろ。営業マンとか?」
「まあ、似たようなもんかな。人に会って話聞くのが仕事だし」
本当の職業を言うのは、もう少し後にするか。驚く顔が見たいってのもあるし、正直に言ったところで信じてもらえない気もする。
「なな子こそ、なんでここで働いてるんだ? ここ一本?」
「昼は事務やってるよ。ここはね、ママが知り合いなの。人手が足りない時だけ手伝ってるのよ。私ってお酒作るの上手いし、おじさんたちの話聞くのも得意だからさ」
「ああ、確かに昔からお前、聞き上手だったもんな。俺が掃除サボって先生に怒られた愚痴とか、延々と聞いてくれたっけ」
「あったねー! 翔琉君、掃除用具入れの中に隠れてて見つかった時でしょ? あれ最高に笑ったわ」
なな子がケラケラと笑う。その笑顔につられて、俺も自然と口角が上がる。
懐かしい話は尽きない。給食の揚げパンの争奪戦のこと、ブランコ靴飛ばしで靴が犬の糞に直撃したこと、一緒に育ててた朝顔が秋の訪れとともに自然と枯れたのに大泣きしたこと。
「あの時の翔琉君、落ち込みすぎて給食残してたよね」
「黒歴史を掘り返すなよ。あの頃は俺も純粋だったんだよ」
「今は違うの?」
「今はもう汚れちまったよ」
冗談めかして言うと、なな子は「またまたー」と肩をすくめた。
すると今度は、なな子が落ち着いた様子で聞いてきた。
「ねぇねぇ、ところで慶子さんは元気してる?」
俺は、気落ちしていないと思われないよう作り笑顔で答えた。
「二年前に逝ったよ。昔から心臓が悪くてさ。最後は安らかな顔してた」
「えっ! そうだったの? ごめんね知らなかった……。私、先月からこの街に戻ってきてて、ここで働き始めたの。それですぐに慶子さんに会いに行ったけど、あの団地の部屋、別の人が住んでたから、引っ越したのだと思ってたわ。慶子さんにはほんとに良くしてもらって、大好きだったからすっごいショックだわ……。でも、翔琉君に送ってもらって幸せだったと思う。教えてくれてありがとうね」
なな子は急に悲しい顔になり、その事実を受け入れて追悼してくれた。
お互い、しばらく黙ってお酒を口に運んだあと、一度辺りを見渡して他に人がいないことを確認したなな子が、目を細めてニヤケながら悪い顔で質問してきた。
「と、こ、ろ、で。例のアレはまだアレなの? 私が今、手に握って隠している物をアレしたりできるの?」
なな子がカウンターの内側から、何かを握った手を俺の前に突き出して聞いてきた。俺は不敵に笑って言った。
「じゃあとりあえずそれ、見せてみろよ」
なな子がゆっくりと手を開くと、そこには小袋に入ったホタルイカの干物があった。
「常連さんの富山みやげよ」
俺は視線をなな子の手から、なな子の目へ移し、一瞬笑顔を見せた。
――パチパチパチ、バック!
時間が弾け、世界が巻き戻る。
「と、こ、ろ、で、」
なな子が話し始めた瞬間に、俺は言葉を被せて割って入った。
「ホタルイカの干物。それも、常連の富山みやげ」
「ぎゃーーーーー!!! すごーーい!! あだり!!! あだり!!! 大あたりーーー!!!」
まるで少女のように飛び跳ねて大喜びするなな子。
昔は俺のこの能力を恐れて否定的だったように思えたが、大人になったなな子は、俺のそれをおもちゃ感覚で扱い、遊んだ。
そんな姿を見て、俺はあの頃の感覚が一瞬で蘇り、しきりになな子を視界に入れたいと思い、視線で彼女を追いかけ続けた。
二人で笑い合っていると、店の扉がガバッと開いた。




