第26話 青春消滅狂嵐曲 ⑤
翌日。
翔琉にとって、学校は地獄へと変貌していた。
登校して教室に入った瞬間、空気が凍り付いた。
談笑していた女子たちが、翔琉の姿を見た途端に蜘蛛の子を散らすように距離を取り、ヒソヒソと話し始める。
「来たよ、変態」
「信じらんない、最低」
「近寄らないでよ」
あからさまな拒絶。
噂は光の速さで広まっていた。一夜にして、兎木緒翔琉は「全校女子の敵」というレッテルを貼られてしまったのだ。
男子生徒の一部からは「お前すげーな、勇者かよ」と茶化されたりもしたが、それは決して称賛ではなかった。
何よりショックだったのは、親友だったはずの貴之と洋介の反応だ。
昼休み、いつものように屋上へ行こうと声をかけようとした翔琉に、彼らは冷ややかな視線を向けた。
「悪い翔琉。俺ら、お前とはもう一緒にいられねーわ」
「彼女に怒られるしな。……さすがに昨日のアレは引くわ」
二人はそう言い捨てて、教室を出て行ってしまった。
絶交宣言。
翔琉は自分の席で、ただただ呆然としていた。
学校側の処分は、まだ中一の子供のしたことだという温情もあり、大量の反省文と親(慶子)への指導で済まされた。
だが、社会的制裁はもっと重かった。
翔琉は完全に孤立した。
誰も話しかけてこない。移動教室でも班に入れてもらえない。
貴重な中学時代の青春は、この日を境に灰色一色へと塗り替えられてしまった。
(もう、学校なんて行きたくない)
不登校になって部屋に引きこもろうかとも考えた。優しいおばあちゃんなら、きっと許してくれるだろう。
しかし、その時に脳裏をよぎったのは、かつて自分を利用しようとした叔父の竜也の姿だった。
昼間から酒を飲み、定職にもつかず、犯罪に手を染めて社会からドロップアウトした男。
もし今逃げたら、俺もあんな大人になってしまうんじゃないか?
その恐怖心が、翔琉をかろうじて学校へと繋ぎ止めていた。
***
それから一週間後。
週末の夕方。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
慶子は買い物に出かけていて留守だ。翔琉は重い体を引きずって玄関へ向かった。
勧誘か何かだろうか。
無気力にドアを開ける。
そこに立っていたのは、なな子だった。
「……!」
翔琉は思わずドアを閉めそうになった。
あの日、自分を軽蔑し、ビンタを食らわせた張本人。事件以来、学校でも一度も口を利いていないし、目も合わせていない。
どんな顔をして会えばいいのか分からない。
翔琉は視線を逸らし、ボソッと言った。
「……ばあちゃんなら、買い物でいねーけど」
すると、なな子は意外なことを言った。
「ううん。今日は翔琉君に用事があって来たの。……上がっていい?」
真っ直ぐな瞳。怒っているようには見えない。
翔琉は戸惑いながらも、断る理由を見つけられず、ドアを開けた。
「……どうぞ」
リビングで、二人はテーブルを挟んで向かい合った。
沈黙が痛い。
なな子が口を開いた。
「私ね、明日引っ越しするの」
翔琉が顔を上げる。
「え……明日?」
「うん。もう荷出しも終わって、明日の朝早くに出発するんだ。だから、その前にお別れを言いに来たの」
なな子は少し寂しげに笑った。
「昔、よく一緒に遊んでくれたし、助けてくれたこともあったから。……このままお別れするのは、なんだか寂しくて来ちゃった」
彼女は、先週の事件のことには一切触れず、ただ幼馴染としての別れを告げに来たのだ。
その優しさが、逆に翔琉の胸を締め付けた。
自分がどれだけ最低なことをしたか。彼女をどれだけ傷つけたか。
翔琉は耐えきれず、謝罪の言葉を口にした。
「そうなんだ……。あのさ、この前は、なんか、ごめんな。俺、どうかしてたわ」
スカートめくりのことも、告白の時のことも、全部ひっくるめた謝罪。
なな子はキョトンとした後、プッと吹き出した。
「あははっ。それって、能力使うの失敗して全校生徒に嫌われちゃったこと? それとも、私を『おまけ』扱いしたこと?」
明るい笑い声。
彼女は、あの悲惨な事件を笑い飛ばしてくれようとしていた。
翔琉はハッとした。
そうだ。彼女は、俺の能力のことを知っている唯一の人間なんだ。
明日にはいなくなってしまう。もう二度と会えないかもしれない。
なら、最後に。
今まで誰にも言えずに、ずっと自分の中に溜め込んできたドス黒い悩みを、この子になら話せるかもしれない。
翔琉は堰を切ったように話し始めた。
「俺さぁ……この力を制御できてないんだと思う」
なな子が真剣な顔で聞く。
「飲み込まれてしまって、自分が自分でいられなくなってしまうようなんだ。初めは俺って特別なんだって思って、嬉しくて、王様の気分でいたんだ。……だけど」
翔琉は頭を抱え込んだ。
「使い続けてたら、何が現実なのかわからなくなってきてさ。嫌なことはリセットして、都合のいいことだけ選んで……。このまま行ったら、俺、俺……どうにかなっちゃいそうなんだよ! 化け物になっちまうよ!」
涙声の告白。
孤独な少年のSOS。
なな子は、じっと翔琉を見ていた。そして、穏やかな声で、ささやくように言った。
「翔琉君。能力に振り回されちゃだめよ」
彼女は身を乗り出し、翔琉の手の上に自分の手を重ねた。
「本当の君は、とても思いやりがあって、周りのみんなを楽しくさせたいと思っている良い人だって、私知ってる。ドッヂボールの時も、私を守ろうと必死になってくれた。あの時の君が、本当の翔琉君だよ」
温かい手。真っ直ぐな言葉。
「もっと力抜いていこうよ。大丈夫だよ」
その言葉を聞いた瞬間、翔琉の瞳から涙が溢れ出した。
ずっと怖かった。自分が自分でなくなることが。誰にも理解されないことが。
なな子は、そんな自分のすべてを受け入れ、肯定してくれた。
乾ききった砂漠のような心に、水が染み渡っていくようだった。
翔琉は子供のように泣きじゃくった。
なな子は何も言わず、ただそっと肩に手を置き、そのぬくもりで彼を支え続けた。
ひとしきり泣いて、翔琉が落ち着いた頃。
なな子がある提案をした。
「そうだ翔琉君。その能力に、ルールは作ってる?」
「ルール?」
「そう。自分の中で『これだけは守る』っていう掟みたいなもの。もしなければ、一緒に考えてあげる。それがあればきっと心の平穏を保って、この前みたいに暴走することもなくなるかも」
なな子の目は輝いていた。
翔琉は鼻をすすりながら頷いた。
「……わかった。頼むよ」
翔琉は、能力の詳細な仕様(トリガー、時間制限、セーブポイントなど)をすべてなな子に話した。
二人はノートを広げ、あーでもないこーでもないと議論しながら、一つの「掟」を作り上げた。
名付けて、『バック掟八訓』。
一、誰にも言うな。秘密厳守
二、死んだら終わり。無理は禁物
三、エロスに使うな。紳士であれ
四、余裕をもって。遊びは2秒
五、異彩を放つな。俺はモブ
六、妄想現実。区別はしっかり
七、善行良きかな。ケチらず実施
八、慶子おばあちゃんを大切に
「八番目は関係なくね?」
翔琉が抗議したが、なな子はペンを叩きつけて一蹴した。
「ダメ! これが一番大事なの! おばあちゃんを泣かせたら私が許さないからね!」
論争に持ち込めず、半ば強制的に組み入れられた。
書きあがったノートを見て、なな子は満足そうに頷いた。
「うん、完璧。これを守れば、翔琉君はきっと大丈夫」
翔琉はノートの文字を見つめ、深く頷いた。
「……なな子、本当に色々とありがとう。それと、ごめん。俺、この掟を守ってやり直すよ」
なな子が優しく微笑んだ。
「うん。能力を悪い方向に使って過ちを犯しちゃったけど、ちゃんと気づいて、こうやって反省して掟ができたんだもん。翔琉君ならきっとやれる。結果オーライよ」
帰り際。
玄関で見送る翔琉に、なな子は振り返り、右の手のひらを高く掲げた。
ハイタッチの合図だ。
翔琉も照れくさそうに手を挙げる。
パチンッ!
乾いた音が響く。
「じゃあね、翔琉君。元気でね」
「ああ。お前もな」
こうして、なな子は笑顔で去っていった。
翌日、彼女は遠い地へと引っ越していった。
***
残された翔琉の中学生活は、決して明るいものではなかった。
なな子が去った後も、「変態」のレッテルは剥がれず、三年間を孤独に過ごした。
高校に進学し、心機一転「脱ボッチ」を目指したが、狭い田舎町のことだ。中学時代の悪評は尾ひれをつけてついて回り、さらに三年間、孤独を味わうことになった。
だが、翔琉は腐らなかった。
『バック掟八訓』。あのノートに書かれた言葉が、彼の心の支えだった。
エロには使わない。目立たない。善行を行う。
忠実に掟を守りながら能力を使い、地味だが健全に生活した。
やがて高校卒業を控え、進路を決める時期が来た。
この能力があれば、株やギャンブルで大金持ちになることも、権力を掴むこともたやすいだろう。
だが、翔琉にそこまでの欲はなかった。何より、目立ちたくない。
そして、あの叔父・竜也のようにはなりたくない。
(自分を律する場所が必要だ)
翔琉が選んだ道は、警察官だった。
規律と正義の象徴。そこなら、自分の歪みやすい心を強制的に正してくれるのではないか。
そしてもう一つ、理由があった。
自分のこの能力は何なのか。他にも同じような人間がいるのか。警察のデータベースや過去の事件調書にアクセスできれば、何か手掛かりが見つかるかもしれない。
こうして翔琉は、警察官採用試験を受けた。
筆記試験中、分からない問題があればちょっとだけ『バック』してカンニングはしたが、警察官になればそんな悪い自分を変えられるはずだという、逆説的な考えで自分を納得させた。
「合格」。
その通知を手にした時、翔琉は空を見上げた。
どこかの空の下にいるなな子に、報告したかった。
俺、警察官になるよ。
お前の作ってくれた掟を守って、まっとうな人間になるよ。
こうして、警察官・兎木緒翔琉の物語が幕を開ける。
ズルくて、少し歪んでいて、でも根っこには優しさを持った、一人の能力者の物語が。




