第25話 青春消滅狂嵐曲 ④
祭りの翌日。
中学校の屋上には、いつものようにけだるい昼休みが流れていた。
金網越しに吹き抜ける風が、ほてった肌に心地よい。
翔琉、貴之、洋介の三人は、購買で買った焼きそばパンをかじりながら、昨夜の「戦果報告会」を開いていた。
「いやー、昨日はマジで緊張したわー」
貴之が照れくさそうに頭をかきながら、しかし満面の笑みで言った。
「で、加奈ちゃんに告白したらさ、『私も貴之君のこと気になってた』って言ってくれて……へへっ、付き合うことになったわ!」
「おおー! やったな貴之! おめでとう!」
洋介が貴之の背中をバンバン叩く。
「で、お前はどうなんだよ洋介? 沙紀ちゃんといい感じだったじゃん」
「俺? ふふん、聞いて驚けよ」
洋介が得意げに胸を張った。
「実は俺たちも付き合うことになったんだよーん! 祭りの後、家まで送ってってさ、そこでバシッと決めたね」
「マジかよ! すげーじゃん!」
二人の歓喜の声が青空に響く。
青春を謳歌する勝者たちの輝き。
その光の陰で、翔琉だけが死んだ魚のような目でパンの袋を握りしめていた。
貴之が、ようやく翔琉の様子に気づいて声をかけた。
「お、そういえば翔琉はどうだったんだ? なな子ちゃんと二人きりになってたけど」
洋介も身を乗り出す。
「そうそう! 幼馴染カップル誕生か!? 昨日のあの自己紹介の時とか、息ぴったりだったしなー」
翔琉は深く、重くため息をついた。
「……振られたよ」
ボソリと呟いた一言に、場が凍り付いた。
「え?」
「マジ?」
「ああ。バッサリとな。しかも、あいつもうすぐ引っ越すんだってさ」
翔琉は自嘲気味に笑った。
「だから、俺だけボッチ確定。お前らはお幸せにな」
貴之と洋介は顔を見合わせ、気まずそうに、しかし必死に励ましの言葉を探した。
「そ、そうか……ドンマイだ翔琉。なな子ちゃんとは縁がなかっただけだよ」
「そうだよ! お前ならもっといい子見つかるって! な!」
二人の優しさが、逆に痛い。
勝者からの憐れみ。それが今の翔琉には何よりも惨めに感じられた。
心の奥底にある深い谷底へ突き落された翔琉。
そこには、長年封印してきた、ある「邪悪な種」が眠っていた。
今まで想像の中でだけ育ててきた、禁断の果実。
能力を手に入れたあの日、突風にめくられた白いワンピースの下に見た、鮮烈な赤。
あの光景以来、翔琉はずっと女子のスカートの中に興味を抱き続けていた。
能力を使えば、いつでも、誰のスカートでもめくって中身を確認し、時間を戻して「なかったこと」にできる。
しかし、それだけはやってはいけない。それは人間としての最後の一線だ。わずかに残った良心が、その実行を食い止めていた。
だが今、失恋のショックと、友人たちへの劣等感、そして自暴自棄になった心が、そのストッパーを粉々に破壊した。
(どうせ俺は信用されない男だ。だったら、とことん堕ちてやるよ)
翔琉の瞳に、暗く濁った光が宿った。
作戦名『夢うつつ大嵐作戦』。
その内容は、シンプルにして極悪非道。
無差別に女子のスカートをめくり上げまくるというものだ。
ターゲットは十人。
一人あたり約〇・九秒でスカートをめくり、中身を目に焼き付ける。それを十人連続で行い、残り一秒でマバタキをして『バック』する。
現実時間にしてわずか十秒間の凶行。
しかし、翔琉の記憶の中には、十人分の秘密の花園が永遠に刻まれることになる。
エロ意の波動に目覚めた翔琉が、今まさにここに爆誕したのだった。
***
翌朝。
全校集会が行われる体育館は、湿気と生徒たちの熱気でむせ返るようだった。
クラスごとに男女別々の列を作り、整然と並んでいる。
翔琉は、後ろの位置に立ちながら、虎視眈々とその時を待っていた。
狙うは、隣の列に並んでいる2組の女子たちだ。
昨夜、翔琉は自室で猛特訓を行っていた。
ストップウォッチを片手に、九秒という時間を体感で覚える練習だ。
カチッ。いち、に、さん……きゅう、カチッ。
コンマ一秒の狂いもなく九秒を計る。そのせいで睡眠時間は三時間を切っていたが、彼の目は爛々と血走り、異常な執念を燃やしていた。
檀上では、校長先生の話が続いていた。
「えー、本日は晴天で……」
退屈な長話。生徒たちはあくびを噛み殺し、あるいは立ったまま半分眠りながら、夢うつつの中で時間をやり過ごしていた。
全員の気が緩み切った、その瞬間。
今だ。
翔琉は列を離れ、音もなく2組の女子列の最後尾へと移動した。
ストップウォッチが脳内で作動する。
スタート。
0・0秒。
翔琉は一人目の女子の背後で、深く腰を落とした。相撲の四股を踏むような、安定したガニ股の姿勢。
そこから、重い米俵でも持ち上げるかのように、両手で力強くスカートの裾を掴み、一気に天高くめくり上げた。
バッッッ!
「きゃ!」
悲鳴を上げて振り返る女子。
だがその時にはすでに、翔琉の姿はそこにはない。
0・9秒。
二人目。
バッッッ!
「ひゃ!」
ピンクの水玉。確認。次。
1・8秒。
三人目。
バッッッ!
「きゃ!」
白の無地。清楚だ。次。
翔琉は疾風のごとく列を駆け抜け、欲望のままにめくり続けた。
体育館に、ドミノ倒しのように女子生徒の悲鳴が連鎖していく。
4人目「いゃ!」白。
5人目「きゃ!」水色。
6人目「やゃ!」熊のプリント。
7人目「しぇ!」白。
8人目「ほゃ!」白。
9人目「なゃ!」花柄。
そして、8・0秒。
10人目。
バッッッ!
「きゃー!」
黄色のボーダー。
コンプリート。
翔琉は荒い息を吐きながら、勝利を確信した。
予定よりも早い。あと一秒以上残っている。
(いける! もう一人いける!)
アドレナリンが脳を焼き、翔琉の判断力を狂わせた。
欲をかけば失敗する。それが世の常だが、今の彼には届かない。
翔琉は次なる獲物、11人目の背後へと躍り出た。
その背中を見て、一瞬ギョッとした。
見覚えのある後ろ姿。
なな子だ。
運命のいたずらか、11人目は幼馴染のなな子だった。
一瞬ためらった。好きな子のスカートをめくるなんて、最低の行為だ。
だが、先日振られた時の言葉が脳裏をよぎる。
『信用できない』。
どうせ信用されていないなら、もういいだろ。
それに、こいつには振られた恨みもある。
翔琉は歪んだ笑みを浮かべ、思わず叫んだ。
「お前も、おまけだー!」
8・6秒。
翔琉が腰を落とし、なな子のスカートへ魔の手を伸ばした、その瞬間。
ピクッ。
なな子の肩が反応した。
彼女は、背後に迫る邪悪な気配を察知していた。
小学五年生から空手道場に通い、黒帯を目指して修行を続けてきた彼女の反射神経は、常人のそれをはるかに凌駕していた。
さらに、背後から近づく足音と気配が、あの「信用できない幼馴染」のものであることを本能的に感じ取っていたのだ。
「何が、おまけよー!!」
なな子は振り返りざま、流れるような動作で右手を振り抜いた。
正拳突きに近い渾身の平手打ち。
その一撃は、腰を落として無防備な顔を晒していた翔琉の左頬に、吸い込まれるように炸裂した。
バチーーーーーンッ!!
破裂音が体育館中に響き渡った。
校長先生の話が止まり、全校生徒の視線が一点に集中する。
翔琉の視界が白く弾けた。
脳が揺れる。首が90度以上ねじ曲がり、体が吹き飛ぶ。
(い、痛ぇ……! 意識が……)
薄れゆく意識の中で、翔琉は必死に考えた。
バックだ。時間を戻せ。なかったことにしろ。
翔琉は痙攣するまぶたを動かそうとした。
パチ……。
一回。
パ……チ……。
二回。
パ……。
三回目。
まぶたが、重い。
閉じきらない。
プツン。
翔琉の意識が途切れた。
身体が床に叩きつけられる鈍い音が響き、そのまま彼は動かなくなった。
『バック』失敗。
悪夢のような凶行は、確定した「現実」となってしまった。
***
消毒液の匂いがする。
翔琉が重い目を開けると、そこは保健室のベッドの上だった。
白い天井。カーテンの隙間から差し込む西日。
そして、ベッドの横に座る、心配そうな顔をした慶子おばあちゃん。
「翔琉ちゃん……気が付いたかい?」
翔琉は体を起こそうとして、激痛に顔を歪めた。
左頬が熱を持って腫れあがっている。ズキズキと脈打つ痛みが、全ての記憶を呼び覚ました。
体育館。スカートめくり。なな子のビンタ。そして、気絶。
(やっちまった……)
血の気が引いていく。
バックできなかった。つまり、あの蛮行はすべて事実として記録され、全校生徒の前で晒されたということだ。
絶望が、冷たい泥のように心を満たしていく。
翔琉は、迎えに来た慶子に連れられて帰宅することになった。
廊下ですれ違う先生たちが、憐れみと軽蔑の入り混じった目で翔琉を見る。
慶子はそのたびに、小さな体をさらに小さくして、「申し訳ございません、申し訳ございません」と深々と頭を下げていた。
その背中が、翔琉には痛々しくて見ていられなかった。
帰り道。
夕暮れの商店街を、二人は無言で歩いた。
カラスが鳴いている。
慶子が、ぽつりと口を開いた。
「……どうして、あんなことしちゃったの?」
責めるような口調ではない。ただ純粋に、孫の心が分からなくて悲しんでいる声だった。
翔琉は言葉に詰まった。
なな子に振られて自暴自棄になったとか。能力を使って欲望を満たしたかったとか。そもそもこんな能力を持ってしまったから歪んでしまったんだとか。
言いたい言い訳は山ほどあった。
でも、どれも慶子に言うべき言葉ではない気がした。
翔琉は俯き、絞り出すように言った。
「……ばあちゃん、ごめん」
ただ、それだけしか言えなかった。
慶子は足を止め、翔琉の顔をじっと見た。腫れあがった頬にそっと手を伸ばしかけて、やめた。
反抗期に入ってから、こんなに素直に謝る翔琉を見たのは久しぶりだった。
慶子は小さく頷いた。
「……そうかい。早く帰って、冷やそうね」
それ以上、何も聞かなかった。
その日の夕食は、翔琉の大好物のハンバーグだった。
いつもなら二個は食べるそれを、翔琉は半分も食べられずに箸を置いた。
「ごちそうさま」
逃げるように自室へ入る孫の背中を、慶子は心配そうに見送っていた。




