第24話 青春消滅狂嵐曲 ③
翔琉は空咳を一つすると、努めていつもの軽いトーンを装って口を開いた。
「なぁ、なな子」
「ん?」
なな子が花火を見上げたまま応える。
「好きだ。俺とつきあってくれ」
ドーン!
花火の音がやけに遠くに聞こえた。
突然の告白に、なな子は驚きに目を丸くした。だが、すぐに視線を外し、正面の暗闇を見つめたまま黙りこくってしまった。
返事がない。
肯定も、否定も、照れ隠しの言葉もない。ただ、重苦しい静寂だけが横たわっている。
翔琉の心臓が早鐘を打つ。
1秒。
(え、無視?)
2秒。
(なんか言ってくれよ)
3秒、4秒。
(やばい、これ断られるやつか?)
5秒、6秒。
(気まずい。死ぬほど気まずい)
7秒、8秒……。
耐えられない。この沈黙に耐えきれない!
翔琉はまぶたに力を込めた。
パチパチパチ バック!
視界が歪み、時間が巻き戻る。
「好きだ」と言う直前の時間へ。
翔琉は大きく息を吐いた。
(ふぅ……危なかった。いきなりすぎたか)
唐突すぎたのが敗因だ。もっと自然に、告白へと繋げる会話が必要だ。
翔琉は作戦を変更した。まずは共通の話題で温める。
「なぁ、なな子と慶子ばあちゃんって仲いいよな。いつも家でどんな話してんの?」
なな子は不思議そうに翔琉を見たが、すぐに柔らかい表情になった。
「学校の話とか、おいしいお菓子の話とか、普通の世間話よ。慶子さんって、とても優しくって、話してて安らぐのよね。だから私、慶子さんのこと大好きなのよ」
「大好き」。
その単語に、翔琉の単純な脳細胞が過剰反応した。
今だ、この流れに乗れ!
「へえ、大好きかぁ。……じゃあさ、なな子って、好きな男子とかいるの?」
直球勝負。
しかし、なな子の反応は芳しくなかった。彼女は口をつぐみ、またしても沈黙の海へと沈んでしまった。
1秒、2秒、3秒……。
(またかよ! なんで黙るんだよ!)
4秒、5秒、6秒……。
(答えづらいのか? それとも好きな奴がいるから言えないのか?)
7秒、8秒……。
ダメだ、怖い。答えを聞くのが怖い。
パチパチパチ バック!
再び時間が戻る。
「好きな男子とかいるの?」と聞く前へ。
その後も、翔琉は何度かアプローチを変えてみた。
祭りの雰囲気を褒めてみたり、学校の話題を振ってみたり。しかし、いざ「恋バナ」の領域に踏み込もうとすると、なな子は貝のように口を閉ざしてしまう。
そのたびに訪れる、息の詰まるような沈黙。
翔琉はそのたびに「バック」を使い、その会話をなかったことにした。
(……らちが明かねえ)
何度やり直しても、決定的な言葉を引き出せない。逃げてばかりでは何も進まない。
翔琉はベンチの上で膝を強く握りしめた。
覚悟を決めろ。
小手先のテクニックや会話の流れなんてどうでもいい。
もう、バックは使わない。どんな結果になろうとも、受け止める。
翔琉はなな子に向き直り、真剣な眼差しで言った。
「なな子。俺、お前のことが好きだわ。つきあってくれ」
二度目の(なな子にとっては初めての)直球の告白。
なな子が息を呑む気配がした。
そして、また沈黙が訪れる。
1秒、2秒、3秒……。
心臓が破裂しそうだ。逃げたい。まぶたが痙攣しそうになる。
4秒、5秒、6秒……。
(我慢しろ、俺!)
7秒、8秒、9秒……。
10秒。
限界点を超えた。もう戻れない。セーブポイントは更新された。
翔琉の額から冷や汗が流れる。今までにない緊張が込み上げ、指先が震える。
それからさらに、永遠とも思える二十秒ほどが過ぎただろうか。
なな子が、ゆっくりと口を開いた。
だが、その口から出たのは、イエスでもノーでもない、予想外の言葉だった。
「翔琉君さ、小学校三年の時に、私にマジックを見せてくれたの覚えてる?」
翔琉は虚をつかれた。
「え? ……ああ。でもあれ、マジックっていうか、全部まぐれで偶然で当てただけだったけどな」
とっさに嘘をつく。
なな子は寂しげに少し微笑んだ後、静かに続けた。
「あの日の最後、私がチラシの裏に書いた言葉を、翔琉君は当てられなかったよね」
そうだ。なな子が答えを見せる前に紙を食べてしまったから、時間を戻しても正解が分からず、当てられなかったのだ。
「それで私、気づいちゃったの」
なな子の目が、翔琉の瞳を射抜いた。
「翔琉君……少しだけ過去に戻れる能力、持ってるでしょ」
ドクンッ!
翔琉の心臓が早鐘を打つ。
告白の緊張など吹き飛ぶほどの衝撃だった。呼吸が浅くなり、言葉が出てこない。
図星だった。
「その顔、やっぱりそうなんだね」
なな子は淡々と、しかし確信を持って続けた。
「それも、一回だけじゃない。何回も戻ることができるでしょ。……翔琉君のこと、ずっと見てきたからわかるの」
ずっと見てきた。その言葉の重みがのしかかる。
「始めはそんなはずないって信じられなかったけど、あることがきっかけで確信に変わったわ」
なな子は夜空を見上げ、懐かしい記憶を手繰り寄せるように語り始めた。
「それはね、小学四年生の昼休みのこと。上級生とドッヂボールしてた時、敵が私めがけて力いっぱい投げてきたボールを……遠くにいたはずの翔琉君が、横っ飛びでキャッチして助けてくれた時のこと」
あぁ、と翔琉は心の中で声を上げた。
覚えている。忘れるはずがない。
あの時、弱い者いじめが好きな上級生グループに絡まれ、半ば強引にドッヂボールの試合をさせられたのだ。
仲間たちは次々と強烈なボールを当てられ、外野へ送られた。最後にコート内に残ったのは、翔琉となな子の二人だけ。
意地悪な上級生は、至近距離から全力で、なな子の顔面めがけてボールを投げつけた。
翔琉はとっさに手を伸ばしたが、間に合わなかった。ボールは無情にもなな子の顔面に直撃し、彼女の頬は赤く腫れあがった。
翔琉はキレた。
すかさず封印していた『バック』を解禁した。
時間を戻し、何度も何度もやり直した。
だが、何度戻っても、あと一歩届かない。物理的な距離が遠すぎたのだ。
パチパチパチ バック。
届かない。
パチパチパチ バック。
指先をかすめるだけ。
それでも翔琉は諦めなかった。何十回、いや何百回繰り返しただろうか。
最後は、自分の身体がどうなってもいいと、コンクリートの地面に飛び込むようにして、ボールの軌道上へ身を投げ出した。
そしてとうとう、なな子の顔の目前でボールをキャッチし、彼女を守り抜いたのだ。
なな子が語る。
「私、絶対当たる、逃げられないって思った。その瞬間、翔琉君が目の前に現れて助けてくれて……とっても嬉しかった」
彼女の声が少し震える。
「でもね……ジャンピングキャッチしてくれる直前で、突然、翔琉君の膝や肘が傷だらけになったの」
翔琉は息を呑んだ。
「ついさっきまで無傷だったのに、一瞬で急に傷だらけよ。びっくりしちゃった。と同時に、やっぱり能力はあったんだって確信しちゃった」
見られていた。
あの傷は、数百回のトライアンドエラーの中で、転び、擦りむき、蓄積されたダメージだった。時間が戻っても、肉体のダメージはリセットされない。その法則をも、彼女は目撃していたのだ。
「私のために何度も何度も繰り返したから、傷だらけになったんだって結論付けたわ。……しかもその時、翔琉君の髪が少し伸びていたのも気づいたんだよ」
数百回、数千秒。現実世界では一瞬でも、翔琉の肉体には数十分、数時間の時間が流れていた。だから髪も伸びる。
なな子の観察眼は、探偵並みに鋭かった。
「その後、手の平を私に向けてタッチしてくれた時、ドキッとしちゃった。……とってもかっこよかった」
かっこよかった。
その言葉に、翔琉の胸に希望の灯がともる。
能力がバレていたのは衝撃だが、彼女はそれを「自分のために使ってくれた」と好意的に受け止めてくれているのではないか?
これなら、告白の返事も期待できるかもしれない。
なな子は翔琉に向き直り、少しはにかんで言った。
「でね、話は戻るけど……小3の時に私がチラシの裏に書いた言葉。あれはね、『翔琉君好き』だったんだよ」
翔琉の頭が真っ白になった。
あの時、当てられなかった言葉。
もしあの時、能力を使わずに、あるいは正解してその言葉を見ていたら、二人の関係はもっと早く変わっていたのかもしれない。
翔琉は前のめりになった。
「それじゃあ! なな子も俺のこと……!」
両想いじゃないか。
いける。つきあえる。
しかし。
なな子は悲しげに首を横に振った。
「……でもね、翔琉君とはお付き合いできないの。ごめんね」
天国から地獄へ突き落とされたような気分だった。
翔琉の声が裏返る。
「えっ? どうして? り、理由を教えてよ。『好き』だったんだろ?」
なな子は翔琉の目を真っ直ぐに見つめて答えた。その瞳には、大人びた理性が宿っていた。
「翔琉君のその能力、最初は凄いなって思ったよ。私を守ってくれて嬉しかった。……でも、それってずるいっていうか、私と対等じゃないの」
「対等じゃない……?」
「そう。私たち、普通の人とは違うの。失敗しても何度もやり直しができるなんて、使い方によっては恐ろしいこともできちゃうんだなって……そう考えたら、私、そんな人のことを心から信用できないと思ってしまったの」
信用できない。
その言葉が、鋭いナイフのように翔琉の胸をえぐった。
なな子は正しかった。実際、翔琉はこの能力を使ってカンニングをし、盗み食いをし、さっきだって会話を何度もリセットして彼女を操ろうとした。
彼女の本能は、翔琉の歪んだ倫理観を敏感に察知していたのだ。
引き下がれなくなった翔琉は、必死に懇願した。
「だったら俺、変わるよ! なな子のために信用される男になるよ! 能力だって封印する、もう二度と使わない! それでいいだろ?」
なりふり構わない叫び。
なな子の瞳が揺れた。自分のために変わろうとしてくれる翔琉の姿に、一瞬、心が惹かれるのを感じた。
だが、彼女にはもう一つ、決定的な理由があった。
「……それにね、私、もうすぐパパの仕事の関係で、遠くへ引っ越しするんだ」
翔琉は言葉を失った。
「え……」
「だから、それでも無理なの。ごめんね」
遠距離恋愛云々の話ではない。彼女の中で、もう区切りはついていたのだ。この町を離れること、そして翔琉との関係を思い出にすること。
「今日はもう帰るね」
なな子が立ち上がる。
翔琉は何も言えなかった。ただ呆然と、自分の足元を見つめることしかできなかった。
彼女を引き留める言葉も、時間を戻してやり直す気力も、もう残っていなかった。
たとえ時間を戻しても、彼女の引っ越しは止められない。そして、失われた信用を一朝一夕で取り戻すこともできない。
詰んでいたのだ。最初から。
なな子は数歩歩き出し、振り返った。
祭りの灯りが、彼女の浴衣姿を美しく照らし出していた。
「安心して。能力のことは誰にも言わないから」
彼女は少しだけ泣きそうな顔で微笑んだ。
「それじゃあ……いままでありがとう。バイバイ」
水色の浴衣が闇に溶けていく。
カラン、コロン。下駄の音が遠ざかっていく。
翔琉はしばらくの間、ベンチから動けなかった。
地面の土を見つめながら、なな子の最後の言葉を何度も脳内で反芻した。
『信用できない』。
その言葉が、呪いのように心にこびりつく。
便利だと思っていたこの能力が、一番大切な人との間に越えられない壁を作ってしまった。
ズルをした代償は、あまりにも大きかった。
視界が滲む。
涙が溢れてくる。
翔琉は空を見上げ、パチパチと瞬きをした。
涙を流すための瞬き。時間を戻すための瞬きではない。
頬を伝う温かい雫を感じながら、翔琉は生まれて初めての失恋を、痛みと共に噛み締めていた。




