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『バックオーライ ケッカオーライ』10秒だけ時間を戻せる新米刑事。倫理観ゆるめでサーセンね。  作者: 団田図


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第22話 青春消滅狂嵐曲 ①

十三年前


 季節は五月。

 海果月みかづき県の郊外に広がる水田には、植えられたばかりの青々とした早苗が整然と並び、水面には初夏の空が鏡のように映り込んでいた。

 昼下がりの柔らかな薫風が、稲の赤ん坊たちを優しく揺らしている。


 そんなのどかな田園風景を切り裂くように、一台の自転車が砂利道を爆走していた。

 ハンドルを握っているのは、兎木緒ときお翔琉かける。当時十三歳。中学一年生になったばかりの彼は、成長期を見越して母親代わりの祖母が大きめに買った学生服に身を包み、ブカブカの学ランを風になびかせていた。


 ガタガタガタッ!

 整備されていない農道は、思春期の少年の心のように荒れている。

「っと……!」

 不意に前輪が大きな石に乗り上げた。

 自転車が大きく跳ねる。その衝撃で、前かごに浅く放り込んであったアルトリコーダーが、スローモーションのように宙へと舞い上がった。

 重力に従い、地面の泥水へと落下していくリコーダー。

 あーあ、落ちる。洗うの面倒くせえな。


「チッ」

 翔琉は短く舌打ちをすると、条件反射のようにまぶたに力を込めた。


 パチパチパチ バック!


 瞬間、世界が裏返る。

 吐き気を催す浮遊感と共に、景色がビデオテープを巻き戻すように歪み、翔琉の身体は「十秒前」の座標へと強制的に引き戻された。


 視界が正常に戻ると、翔琉は石に乗り上げる十数メートル手前の道を走っていた。

 自転車のペダルを漕ぐ足の感触も、頬を撫でる風も、すべてが再現されている。

 翔琉はタイミングを計り、さきほどの石に乗り上げて自転車が跳ねた瞬間、ハンドルから片手を離し、素早く前かごの上を覆った。

 カチャ。

 飛び出しそうになったリコーダーが、翔琉の手のひらに当たってかごの中に戻る。

 完全犯罪だ。

 翔琉は何事もなかったかのように再びハンドルを握り、スピードを緩めることなく家路を急いだ。


 3年前に、自分には特殊な能力があると知った翔琉は、この力のせいで周りの大切な人が傷ついたり性格が悪い方向へ変わってしまうと気づき、それを封印した。

 しかし、その誓いは長くは続かなかった。

 我慢して封印していたが結局、やはり能力を使わないのはもったいないという結論に達してしまった。

 『バック』。

 この名前は当時流行していた、車を改造して過去へ未来へと旅をするハリウッド映画のタイトルから拝借した。

 封印したはずの翌年の小学4年生には、周りの人にバレないようにと心がけながら、あれやこれやと能力を使い倒してきた。

 そして、能力を使っていく中で、この能力について徐々にこの能力のルール(仕様)をいくつか特定していった。


 一つ。発動のトリガーは「一秒以内に三回の連続した瞬き」。

 二つ。戻れる時間はキッカリ「十秒前」。

 三つ。連続使用の制限。一度戻った地点が「セーブポイント」となり、そこから時間が経過しない限り、さらに過去へ遡ることはできない。つまり、十秒戻った直後に再度能力を使っても、二十秒前には戻れない。

 そして四つ目。これが最も重要であり、厄介な性質だ。


 それは以前、図工の授業中に版画を掘っていた時のことだ。

 手元が狂い、彫刻刀で指先をサクリと切ってしまった。

 血が滲む。痛い。翔琉はすぐに『バック』を発動し、怪我をする前の時間に戻ろうとした。

 時間は戻った。彫刻刀を握る前の時間へ。

 だが――指先からは、血が流れていたのだ。

 ズキズキとした痛みもそのままだ。

 その時、翔琉は理解した。この能力は、意識だけが過去に飛ぶ「タイムリープ」ではない。現在の肉体の状態を保ったまま、過去の世界へ移動する「タイムトラベル」なのだと。

 つまり、怪我をしてから戻っても、怪我は治らない。死んでから戻っても、生き返らない可能性がある。

 まあ、そんな小難しい理屈は、十三歳の翔琉にとってはどうでもよかった。

 重要なのは「便利か、便利じゃないか」だけだ。


 テストのカンニング、当たり付き駄菓子の透視(購入後のリセット)、嫌な会話のやり直し。しまいには、下校中に八百屋の店先に並べられた高級メロンを見て、一口食べてみたいと思い、おもむろにメロンを掴んで地面へ叩きつけて割った。そして、そのかけらを拾い上げて一口味わった後に、時間を戻して、何事も無かったかのように八百屋を通り過ごした。

 この辺りから翔琉の倫理観がさらに崩れて、蜜の味を知ってしまった少年は、再びその力に溺れ始めていた。もちろん、誰にもバレないように「ほどほど」に、という緩い誓いを立てて。


 海果月市営団地、C5棟。

 古びたコンクリートの塊が、夕日を浴びてオレンジ色に染まっている。

 翔琉は自転車を停め、階段を駆け上がった。

 鍵を開け、無言で鉄の扉を開ける。

「……」

 靴を脱ぎ捨て、リビングへ向かうと、そこには見慣れた、しかし少しバツの悪い光景があった。

 ちゃぶ台を囲み、祖母の慶子が楽しそうに談笑している相手。

 近所に住む幼馴染、なな子だった。

「あら、翔琉ちゃん。おかえりなさい」

 慶子が柔和な笑みを向ける。

「翔琉君、おかえりなさい」

 なな子も湯呑を置き、すました顔で挨拶をしてきた。

 翔琉の眉間にしわが寄る。

 中学に上がってからというもの、翔琉は絶賛反抗期の真っ只中にあった。特に、幼い頃から姉のように振る舞うなな子の存在が、どうにも気恥ずかしく、疎ましかった。

 翔琉はカバンを肩に担ぎ直すと、ぶっきらぼうに吐き捨てた。

「……だからよぉ、ばばぁ。『ちゃん』付けやめろって言ってんだろ! ガキじゃねーんだよ。それに、なんでなな子(お前)がいるんだよ」

 精一杯の虚勢。不良ぶった口調。

 しかし、そんな付け焼刃の鎧は、幼馴染には通用しなかった。

 なな子は眉をひそめ、冷ややかな視線を翔琉に突き刺した。

「友達とお茶してて何が悪いのよ。それに『お前』って何よ。私にはなな子って名前があるの」

「うっ……」

「それに慶子おばあちゃんのこと、ばばあって呼んでるの? 育ててもらってるのになんて口の利き方? 最低。やめなさいよ。あと、帰ってきたなら『ただいま』くらい言いなさいよね」

 マシンガンのような正論の連射。

 ぐうの音も出ない。

 翔琉は口をパクパクさせたが、言い返す言葉が見つからず、顔を赤くして視線を逸らした。

「う、うるせーな……」

 捨て台詞にもならない小言を残し、翔琉は逃げるように自分の部屋へと駆け込んだ。

 襖を閉め、ベッドに倒れ込む。

 (くそっ、あいつ……)

 昔はあんなに可愛げがあったのに、最近は会えば小言ばかりだ。

 翔琉となな子は、小学校高学年あたりから疎遠になっていた。お互いに同性の友達とつるむようになり、学校ですれ違っても会話すらしない。

 なのに、こうして家の中に入り込まれていると、調子が狂う。

 慶子となな子は「お茶飲み友達」として仲が良いらしいが、翔琉にとっては監視員が増えたようなものだった。


 リビングからは、再び二人の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 翔琉は枕に顔を埋めた。

 時間を戻して、もっとカッコいい捨て台詞を吐いてやろうかとも考えたが、どうせまた論破されるのがオチだと思い、やめておいた。


***


 数日後。

 中学校の昼休み。

 抜けるような青空の下、屋上のフェンスに寄りかかりながら、翔琉は友人の貴之たかゆき洋介ようすけとたむろしていた。

 話題は昨夜のテレビゲームの攻略法から始まり、やがて思春期の男子らしく、クラスの女子の話へと移行していた。


「なぁ、翔琉は彼女欲しいと思わないの?」

 貴之がニヤニヤしながら聞いてくる。

 翔琉はパックのいちごオレをストローで吸いながら、空を見上げた。

 彼女、か。

 正直、ピンとこない。気になる女子などいない――はずなのだが、なぜか脳裏の片隅に、先日家で説教をしてきたお節介な幼馴染の顔が一瞬よぎった。

 翔琉はすぐにそのイメージを振り払い、強がってみせた。

「今は別に。つーか、欲しいと思えばいつでもできそうだし?」

 根拠のない自信。

 いや、彼には根拠があった。『バック』を使えば、会話の選択肢を何度でも選び直せる。相手が喜ぶ言葉、正解のルートを総当たりで探せば、どんな女子でも口説き落とせるという全能感があったのだ。

 それを聞いた洋介が、腹を抱えて笑った。

「出たよ、翔琉の謎の自信! さっすがー。お前って本当に何でもそつなくこなすからなぁ。それに、たまにチート使ってんのかってくらい運がいい時あるし」

「そうそう!」

 貴之も身を乗り出した。

翔琉こいつ、この前なんてさ、雨上がりに一緒に歩いてた時、急に立ち止まったんだよ。そしたら直後、後ろから猛スピードで来た車が水たまり踏んで、デカイ水しぶきがバシャーン!って。もしあそこで止まってなかったら、俺ら全員ずぶ濡れだったぜ。マジで予知能力でもあるんじゃないか?」

 翔琉はドキリとした。

 あの時は、一度泥水を浴びてから時間を戻し、避けたのだ。

 最近、少し能力を使いすぎているかもしれない。勘のいい奴には違和感を持たれる。

 翔琉はへらへらと笑って誤魔化した。

「まぐれだよ、まぐれ。俺、勘だけはいいからさ。あはは」

「ま、そういう運の良さも含めて、お前なら彼女の一人や二人、余裕ってか?」

 洋介が茶化すと、貴之が急に真面目な顔になった。

「ところでよぉ……」

 貴之は声を潜め、周囲を警戒するようにキョロキョロした。

「俺、隣のクラスの加奈かなちゃんって子が気になってるんだけどさ」

「おおっ! マジか!」

「で、ダメ元で『今度遊びに行かない?』って誘ってみたんだよ。そしたら、『いいけど、いきなり一対一は無理だから、他の友達も連れてきて』って言われてさ」

 貴之は手を合わせ、拝むポーズをした。

「再来週の日曜に神社の祭りがあるだろ? そこで決めよう……と思ってる。だからさ、お前ら、数合わせでいいから来てくれよ。頼むよ、俺の友達だろ?」

 必死の形相。

 「決める」というのは、つまり告白だ。

 翔琉は少し驚いた。今までゲームやアニメの話ばかりしていた仲間が、いつの間にか「男」の顔をしている。

 自分だけ置いていかれるような、奇妙な焦燥感。

 翔琉は努めてクールに振る舞った。

「まぁ、その日は暇だから別にいいけど。……支援してやるよ」

「サンキュー翔琉! 洋介も頼むな!」

「おう、任せとけ。美味いもん奢れよー」


 その日から、翔琉の生活は少し変わった。

 朝、洗面台の鏡に向かう時間が長くなった。

 姉のいる洋介から借りたファッション誌を隠れて読み漁り、眉毛を整え、前髪の角度をミリ単位で調整する。

 「数合わせ」とは言ったが、あわよくば自分にも運命の出会いがあるかもしれない。

 そんな淡い期待が、少年の胸を膨らませていた。


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