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『バックオーライ ケッカオーライ』10秒だけ時間を戻せる新米刑事。倫理観ゆるめでサーセンね。  作者: 団田図


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第16話 ギンギラの銀 ②

 翌日。

 海果月みかづき署の刑事課に、いつもの朝が訪れた。

 俺、兎木緒ときお翔琉かけるは、重たい身体を引きずって自分のデスクに辿り着いた。昨晩、帰宅してから再び『グリーンゲマー』として深夜までゲーム配信を行っていたせいだ。リスナーからの称賛を浴びるのは心地よいが、その代償としての寝不足は、三十路に近づく肉体には堪える。

 ジャケットを椅子の背にかけ、大きなあくびを噛み殺そうとした、その時だった。


「おはよう。兎木緒君」


 背後から、岩のようにゴツゴツとした、しかし温かみのある巨大な手が俺の肩に置かれた。

 振り返らなくても分かる。この過剰なまでの圧と、微かに香る整髪料の匂い。

 俺のバディーであり、人生の暑苦しい先輩、杵塚きねづか刑事だ。

 振り返ると、そこには期待通りの光景があった。今日も今日とて、定規で測ったかのようにキッチリと7:3に分けられた髪型。分厚い胸板を包むスーツは、筋肉の張りで悲鳴を上げている。

 見た目は昭和の鬼刑事そのものだが、その瞳だけは少年のように澄んでいるのが、この男の厄介なところだ。


「おはようござっす、杵塚先輩」

 俺はネクタイを緩めながら、努めて愛想よく返事をした。

 杵塚先輩は俺の向かいの席にどっかりと座ると、プルタブを開ける音が小気味よく響かせ、缶コーヒーを一口煽った。そして、ゴクリと喉を鳴らしてから、急に声を潜めて本題に入ってきた。

 その目つきが、いつもの凶悪事件の捜査会議の時と全く同じ、鋭利な刃物のような光を帯びる。


「で、例のブツなんだが。……見つかったか?」


 低い声。周囲を警戒するような視線。

 俺の背筋が一瞬伸びた。

「例のブツ、ですか?」

 俺は脳内の検索エンジンをフル回転させた。

 なんだ? 「ブツ」って。

 現在進行形で追っている広域窃盗団の盗品ルートのことか? それとも、先週の取り調べで容疑者が口を割らなかった凶器の隠し場所か? あるいは、薬物対策課から極秘に頼まれている裏情報の件か?

 俺が数秒間沈黙し、答えあぐねていると、杵塚先輩はあからさまに落胆したように大きなため息をついた。そして、イライラしたリズムでデスクを指先でトントンと叩いた。


「おいおい、バディーの僕にまでシラを切ってはだめだよ。水臭いじゃないか」

「はあ……。すみません、ちょっと心当たりが多くて」

「忘年会だよ、忘年会! 三次会の会場探しだ! 僕が昨日、君に頼んでおいただろう!」


 それ?

 またその話かよ。この人、頭の中の何割が忘年会で占められているんだ。


「二次会の居酒屋カラオケから徒歩圏内、予算は一人三千円以下、収容人数は十五名。そして何より重要なのが、『カラオケ付きで騒いでも許される店』だ。見つかったのかい?」

 先輩の熱量に押され、俺は冷や汗をかいた。

 忘れていた。完全に。

 昨日は帰りにスクラッチくじで錬金術をして、一人居酒屋で豪遊して、帰ってゲーム配信をして寝ただけだ。会場探しなんて1ミリもやっていない。

 だが、ここで「忘れてました」なんて言えば、朝から説教コース確定だ。

 どうする?

 俺はこっそりとマバタキを準備した。時間を戻して、何か言い訳を考えるか?

 いや、まてよ。嘘をついても後でバレるだけだ。ここは素直に謝って、さっさとこの話題を終わらせるのが得策か。


「ああ、それっすか!」

 俺はわざとらしく手を打ち、申し訳なさそうな顔を作って頭を下げた。

「杵塚先輩……。正直に言うと、まだっす。さーせん」

「まだ、だと?」

 杵塚先輩の声が、地獄の底から響くように一オクターブ低くなった。

 その低音に反応し、周囲で仕事をしていた同僚たちが、一斉に俺たちの方に視線を向けるのが分かった。また兎木緒が杵塚さんに怒られているぞ、という好奇の目だ。

 たかが飲み会の幹事の話なのに、刑事課全体の重大関心事みたいな空気になっている。

「昨日、一応探しには行ったんすけどねー」

 嘘だ。行ってない。

「なんかこう、しっくりこないっつーか。俺たちのバイブスに合う店がないっていうか。フィーリングがいまいちだったんすよ」

 適当な横文字を並べて煙に巻こうとしたが、杵塚先輩は再び大きなため息をつき、無精ひげの生えた顎をさすった。

「そうか。しかし、時間は待ってくれないぞ、兎木緒君。僕たちの忘年会はすぐそこだ。師走という名の通り、教師も走る忙しさだぞ。三次会なしで解散なんてことになったら、刑事課の士気に関わる。あってはならない失態だ」

「はあ。そーっすか」

「僕たちの忘年会は、三次会からが本番なんだ。あそこで本音をぶつけ合ってこそ、真の結束が生まれるんだからな」


 先輩の「結束」論が始まった。俺にとっては「傷の舐め合い」か「上司の悪口大会」にしか思えないのだが。

「よし」

 杵塚先輩は空になったコーヒー缶を弄びながら、しばし沈思黙考し、突然、カッと目を見開いた。閃いた、という顔だ。

「兎木緒君、発想を転換しろ。カラオケボックスにこだわる必要はない。……スナックはどうだ?」

「スナック、っすか?」

 俺は意外な提案に目を丸くした。

 スナック。それは場末の香り漂う、大人の社交場。俺たち若手には少し敷居が高いイメージがある。

「ああ。どうせ三次会だ、みんな泥酔している。多少予算がオーバーしても、酒と歌があれば文句は出ない。個室じゃなくて、店全体を貸し切るつもりで当たってみろ」

 先輩は身を乗り出し、熱く語り始めた。

「あの手の店は、このご時世、客足が遠のいて困っているところが多い。大口の予約を欲しがっているはずだ。それに、スナックのママってのは、海千山千の強者だ。大抵口が堅い」

「口が堅い?」

「そうだ。ここが重要だ。僕たちが少々羽目を外して、上層部の愚痴を言ったり、泣き上戸になったりしても、誰かにチクるような野暮な真似はしない。僕の提示した『騒いでも許される』という最重要条件をクリアしやすいんだよ」


 なるほど。一理ある。

 というか、先輩は過去にどれだけ羽目を外して失敗してきたんだ。

 杵塚先輩は俺の肩をバシッと力強く叩いた。痛いって。

「さあ、兎木緒君! 今度はスナックを重点的に当たってみろ。何なら、僕も後で一緒に現場へ下見に行く。これは、一刻を争う緊急事態だ!」

 緊急事態?

 何でも本気でぶつかり、いつも全力投球の杵塚先輩。冗談を言っているのか本気で言っているのか、その境界線が曖昧だ。だが、この人のことだ、恐らく本気で「事件」と同レベルの熱量で取り組んでいるのだろう。

 いいかげんウザくなってきた。

「ういっす。了解っす」

 俺は適当に返事をして、トイレに立つふりをしてこの場から逃げようとした。


 その時だった。

 刑事課のドアが遠慮がちにノックされ、入り口付近にいた制服の女性警察官が顔を覗かせた。

「失礼します。杵塚巡査部長、いらっしゃいますか?」

「ん? 僕だが」

「すみません、杵塚さんの奥様が忘れ物を届けに来署されたので、こちらまでご案内しました」

 その言葉を聞いた瞬間、杵塚先輩の眉間に刻まれていた深いシワが、魔法のように消え失せた。

「妻が……?」

 先輩が立ち上がると同時に、ドアの向こうから一人の女性が姿を現した。

 ショートカットが似合う、清潔感のある女性だ。年齢は先輩と同じくらいだろうか。派手さはないが、芯の強さと優しさが同居したような、とても愛嬌のある笑顔を浮かべている。

 彼女は、先輩の横に突っ立っていた俺にも丁寧に会釈をしてきた。

「いつも主人がお世話になっております。杵塚の妻の清子でございます」

「あ、どうもっす。バディーの兎木緒っす」

 俺は慌てて頭を下げた。

 驚いた。杵塚先輩にこんな綺麗な奥さんがいたのか。

 先輩のようなゴリラ……失礼、野生味あふれる男には、もっとこう、肝っ玉母ちゃん的な人が似合うと勝手に想像していたが、実物は実におしとやかで、大和撫子といった雰囲気だ。

 そして、彼女の足元には、6歳くらいの男の子が隠れるように立っていた。先輩をミニチュアにしたような、くりくりとした目の少年だ。

「パパ!」

 父親の顔を見るなり、男の子が元気よく飛び出した。

「お弁当忘れてたから届けに来たよ。ママがね、今日のお弁当は頑張ったって!」

 男の子がフロアに響く大きな声で言うと、杵塚先輩は顔を真っ赤にして、照れくさそうに頭をかいた。

「わかった、わかった。シーッ、声が大きいぞ。……ありがとうな、正義せいぎ。ママもありがとう」

 正義。

 すげえ名前だ。この父親にしてこの子あり、といったネーミング。だが、不思議とこの子には似合っている気がした。

 奥さんは「もう、本当にしょうがない人ね」とクスクス笑いながら、紫色の風呂敷に包まれた弁当箱を先輩に渡した。

「今日は唐揚げを多めに入れておきましたからね。しっかり食べて、お仕事頑張ってください」

 杵塚先輩はそれを両手で、まるで爆弾処理班が爆発物を扱うかのように慎重に、そして大事そうに受け取ると、そっと奥さんの手を握った。

「ああ。助かったよ。愛妻弁当がないと、午後からのパワーが出ないからな」

「まあ、大げさなんだから」

 その瞬間、先輩の顔から「刑事」の険しさが完全に消え失せ、ただの「デレデレの愛妻家」になっていた。

 フロア中の視線が集まっているが、この空間だけピンク色のオーラが出ている。

 奥さんは、長居しては業務の迷惑になると察したのか、すぐに子供の手を引いた。

「では、皆さま、お仕事ご苦労様です。年末の大変な時期ではございますが、どうぞご自愛ください。私たちはこれで失礼いたします」

 奥様の温かい言葉に、殺伐とした刑事課の空気が一瞬だけ和んだ気がした。

 先輩は屈み込み、子供の頬に軽くキスをした。

「じゃあな、良い子にしてるんだぞ」

「うん! パパもね!」

 手を振って去っていく親子。それをいつまでも見送る先輩。


 俺は呆然としてその光景を眺めていた。

 あの熱血で、説教臭くて、暑苦しい先輩が、家庭ではあんなにも優しく、愛に満ちた顔をするのか。

 それに比べて俺はどうだ。

 仕事が終われば一人でゲーム、休日は一人でスクラッチ。家族も恋人もいない。

 自由気ままで最高だと思っていた俺の生活が、急に色あせて見えた。

 (俺もいつか……)

 いつか俺にも、あんな風に、捜査の合間に温かい弁当を届けてくれる家族ができるのだろうか。

 そんな未来を想像してみる。

 悪くない。いや、むしろ憧れる。

 この殺伐とした、嘘と欲望が渦巻く警察の世界で、あの弁当の温かさは唯一の救いのように思えた。


「……よし!」

 家族の姿が見えなくなると、杵塚先輩はパンと自分の頬を両手で叩き、瞬時に「鬼刑事」モードへと切り替わった。

 その切り替えの速さに俺は舌を巻いた。

「さあ兎木緒君、忘年会の話の続きだが……」

 まだやるのかよ。

 俺がうんざりした顔をした、その瞬間だった。

「杵塚、兎木緒。ちょっといいか」

 低い声が掛かった。俺と杵塚先輩の上司である、捜査一課長だ。

「はい」

「二人とも、至急第3会議室へ行け。組織犯罪対策部からの捜査協力要請だ」

「え? 組対ソタイですか?」

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