第15話 ギンギラの銀 ①
翌朝。
俺が住む警察寮の殺風景なロビーに、季節外れの――いや、世間一般ではジャストタイミングな変化が訪れていた。
管理人の気まぐれで置かれた鉢植えの大きなもみの木。昨日はただの植物だったそれが、一晩にして変貌を遂げていたのだ。
枝葉にはシルバーに輝くモールが蛇のように巻き付き、プラスチック製の安っぽいオーナメントがぶら下がっている。銀色のモールは雪でも表現しているつもりなのだろうか。全体的に色彩が乏しく、寒々しいことこの上ない。
「……クリスマス、か」
独身寮の玄関でぼやく虚しさよ。どうでもいいや、俺には関係のないことだから。
俺は襟を立て、冬の冷気の中へと足を踏み出した。
海果月署に出勤し、刑事課のドアを開ける。
「おはよう、兎木緒君!」
そこには、ロビーのツリーよりもよっぽどギラギラしたオーナメントのような男、杵塚先輩が待ち構えていた。
「あ、おはようござっす……」
「昨日はお腹が痛いと言って早退したようだが、もう大丈夫なのかい? 心配していたんだぞ」
先輩の目は曇りなき眼で俺を見ている。昨日の俺の仮病を微塵も疑っていないようだ。この純粋さが時々、胸に痛い。
「ええ、まあ。一晩寝たら治りました」
「それはよかった! 健康第一だからな。さて、元気になったところで、昨日の続きだ!」
先輩は机の下から分厚いグルメ情報誌を取り出し、ドンと俺のデスクに置いた。
「忘年会の3次会会場を探す任務だ! 頼んだぞ、若き精鋭!」
……やっぱり逃げられなかったか。
どうあがいても、この暑苦しい運命からは逃れられないようだ。俺は小さく溜息をつき、情報誌のページをめくった。
その日は、事件らしい事件も起きず、報告書や始末書の作成といったデスクワークに忙殺された。
俺の苦手な書類仕事だ。漢字の書き間違いを修正液で消しては、また間違える。
『バック』して書き直せば修正液いらずできれいな書類ができるが、さすがにこんな些細なことで能力を使っていたら、精神が摩耗して本当の危機に対応できなくなる。
定時を過ぎ、ようやく書類の山を片付けた俺は、帰り支度を始めた。
その時、ふと「3次会の会場探し」という雑用を思い出した。
「あー……忘れてた」
無視して帰ろうかとも思ったが、明日の朝また杵塚先輩の熱血指導を受けるのも面倒だ。
俺はスマホを取り出し、いくつかの候補店を検索した。
条件は「朝まで営業」「カラオケあり」「安い」。
いくつか目星をつけ、的を絞る。ネットの情報だけでは店の雰囲気までは分からない。幹事の責任として、一度下見に行っておくのが無難だろう。
俺は財布を取り出し、中身を確認した。
「……マジか」
革の財布の中には、千円札が数枚と小銭が少々。寒々しいロビーのツリーと同じくらい、俺の懐も冷え切っていた。
原因は分かっている。つい先日、配信用の新しいハイスペックパソコンと、プロ仕様のマイクを新調したからだ。
『グリーンゲマー』としての活動に妥協は許されない。音質向上と画質安定は、視聴者への礼儀であり、俺自身のプライドでもある。だが、その代償として、リアルの生活水準が著しく低下してしまった。
国家公務員である警察官の給与は、世間一般の水準から見ればそこそこ良い。ボーナスもキッチリ出るし、福利厚生も手厚い。同期の真面目な奴なんかは、すでに数百万円の貯金があるという話も聞く。
しかし、俺には浪費癖があり、金が右から左へと流れていく。
これから飲み屋街へ下見に行くというのに、この所持金では心許ない。一杯飲んで味見をすることすらできないじゃないか。
そこで俺は、目的地を変更することにした。
金がないなら、作ればいい。
俺は警察署を出ると、愛車に乗り込み、海果月市の中心部から離れた隣町へと車を走らせた。
俺の『バック』の能力を使えば、金儲けなど造作もないことだ。
例えば、株やFX。数秒後の値動きを見てから時間を戻して売買すれば、理論上は百戦百勝、莫大な富を築くことができる。
だが、それはやらない。
いや、やれないのだ。
短期間で異常な勝率を叩き出し、資産を倍増させれば、必ず金融庁や税務署、あるいはもっと厄介な組織に目を付けられる。「インサイダー取引」や「不正ツール」の使用を疑われ、徹底的に身辺調査をされるだろう。
いともたやすく個人を特定され、俺の能力の存在が露見するリスクがある。
公務員として、そして社会に紛れて生きる能力者として、目立つことは死に直結する。
そこで俺が考案した、誰にも怪しまれずに、かつ手堅く小銭を稼ぐ方法。
それこそが『スクラッチくじ』だ。
購入してその場で削り、当たりが分かれば換金する。匿名性が高く、足がつきにくい。
ただし、これにも細心の注意が必要だ。
まず、行きつけの店は作らない。
「あいつ、来るたびに当てていくな」と店員に顔を覚えられたらアウトだ。だから俺は、海果月市以外の近隣の町に点在する宝くじ売り場をリストアップし、ローテーションを組んで順繰りに回っている。常連客とならないよう、一度行った店には半年は行かない徹底ぶりだ。
今日選んだのは、国道沿いのスーパーの駐車場にある小さなボックス型の売り場だ。
車を少し離れた場所に停め、俺はターゲットを観察した。
窓口に座っているのは、六十代くらいの女性店員。動きに無駄がない。ベテランだ。
現在販売しているスクラッチくじの種類は「恐竜ガオー!スクラッチ」。削る箇所は六か所。
客足が途切れるのを待ち、俺はシミュレーションを行う。
俺の能力は、三回の瞬きで「十秒」戻る。
この十秒という制約が、スクラッチくじにおいては非常にシビアなタイムリミットとなる。
購入し、受け取り、削り、ハズレを確認して、マバタキをする。
この全工程を十秒以内に完遂しなければならない。もし十一秒かかってしまえば、時間を戻しても「くじを購入した後(金が減った後)」に戻ってしまい、ただのハズレくじを握りしめた男になってしまうからだ。
客がいなくなった。
今だ。
俺は車を出て、売り場へ向かった。
左手には、スクラッチくじ10枚分の購入金額である3000円を、お釣りの出ないように握りしめる。
そして右手は、俺が編み出した究極の削りフォーム、『ダブルコインフィンガーキャッチ』略してDCFCの型を作る。
親指と人差し指で5円玉を強く掴み、さらに人差し指と中指の間に1円玉を挟む特殊な持ち方だ。
なぜ2種類か。硬貨はそれぞれ硬度が違う。
最も柔らかい純アルミニウムの1円玉と、硬い黄銅の5円玉。これらを同時に使い、手首のスナップを効かせて削ることで、銀膜(スクラッチ部分)の硬さや紙質がどのようなタイプであっても、瞬時に対応し、広範囲を削り取ることができるのだ。
傍から見ればただの小銭を握った男だが、俺の中では抜刀術の構えに等しい。
この技術を習得するために、俺は自宅で不要なポイントカードを削りまくり、幾度となく試行錯誤を重ねてきた。
10枚のくじを、受け取りから判定まで数秒で処理する。
それがDCFCの全貌であり、俺の錬金術の要だ。
売り場の前に立つ。
店員さんが顔を上げる。
俺は3000円を差し出し、短く告げた。
「6番のスクラッチ。上から2番目の束ちょうだい」
10枚ごとに輪ゴムで留められ、棚に積まれている束。その位置を指定する。これが重要だ。「どの束が当たるか」を探る総当たり戦だからだ。
店員さんがお金を受け取り、棚から指定された束を取り出す。
「はい、3000円ね。当たりますように」
店員さんがくじを手渡してくれる。
俺の指がくじに触れた瞬間、脳内タイマーがカウントを開始した。
01……02……。
俺は店員さんの「当たりますように」という願掛けの言葉が終わるよりも早く、目にも留まらぬ速さで外装のビニールを破り捨てた。
そして、DCFC発動。
シュッ! シュッ! シュッ!
高速のあわせ技が銀膜を消し飛ばす。
1枚目、ハズレ。2枚目、ハズレ。3枚目、300円。
シュッ! シュッ!
すべて削り終えるまで、8秒。
結果、合計300円の当選。マイナス2700円。
――ダメだ。
09……。
俺は迷わず能力を発動した。
パチパチパチ バック!
視界が歪む。
店員さんの笑顔が逆再生され、金が俺の手元に戻り、くじが棚へと戻っていく。
意識が再構築される。
俺は売り場の前に立っていた。手には3000円。
時間は「購入する直前」だ。
店員さんは、まだ俺が何を買うか知らない顔で待っている。
俺は表情一つ変えずに、次のオーダーを出した。
「6番のスクラッチ。上から3番目の束ちょうだい」
束を変える。これがこの攻略法の全てだ。
購入、高速削り(DCFC)、判定、バック。
これを、高額当選が出るまで一心不乱に繰り返す。
店員から見れば、俺はただ一度くじを買いに来た客に過ぎないが、俺の時間軸ではすでに何十回もこの店に来ては買っていることになる。
シュッ! ハズレ バック!
「上から4番目!」
シュッ! ハズレ バック!
「上から5番目!」
7回ほど繰り返しただろうか。
店員さんから受け取った束を、いつものようにDCFCで削り取った瞬間だった。
絵柄が揃った。
1等。
当選金額、200万円。
「ッ……!?」
俺の手が止まった。
マジか。200万!?
心臓が早鐘を打つ。喉が鳴る。
これがあれば、欲しかったあの機材も買える。借金も返せる。しばらく遊んで暮らせる。
換金するか? このまま、「当たった!」と叫んで?
……いや、待て。
俺の理性が、欲望にブレーキをかけた。
200万円だぞ。
宝くじ売り場の窓口で換金できるのは、通常5万円までだ。
それを超える高額当選となると、指定の銀行へ行き、手続きをしなければならない。
身分証明書の提示。住所、氏名の記入。そして振込口座の指定。
記録が残る。
公務員の給与口座に、突然謎の200万円が振り込まれる。
もし誰かに調べられたら? 「たまたま宝くじが当たりました」で通じるか?
いや、一度なら通じるかもしれない。だが、俺はこれからもこの能力を使って小銭を稼ぎたいのだ。
ここで派手な当たりを出して、運を使い果たしたくはない。目立ちたくない。
俺が求めているのは、誰にもバレない「お小遣い」だ。人生を狂わせるような大金じゃない。
俺は震える手で、目の前の200万円の当たりくじを見つめた。
欲しい。喉から手が出るほど欲しい。
だが、俺の平穏な生活と、秘密を守るためには……。
くそっ、断腸の思いだ!
パチパチパチ バック!
世界が歪む。200万円が消えていく。
さようなら、俺の富。
俺は泣く泣く、当たりくじをなかったことにした。
気を取り直し、再びループに戻る。
狙うは、窓口で即日換金可能な、5万円以下の小当たりだ。
その後、数十回のリトライを繰り返した末、ついにその時は訪れた。
上から28番目の束。
削ると、3等の5万円と、末等が1枚。
合計5万数百円の当選だ。
これだ。これくらいがちょうどいい。
しかし、ここで焦ってはいけない。
当たったからといって、今のマッハの速度で削った直後の状態で「当たりました」と出すわけにはいかないのだ。
そんなことをすれば、「あんた人間? 早送りみたいだったけど」と店員に怪しまれ、強烈な記憶を残してしまう。
だから、ここでもう一度バックをする。
この束が「当たり」だと確定した未来を持って、購入前に戻るのだ。
パチパチパチ バック!
定位置に戻る。
俺は余裕の笑みを浮かべ、店員さんに告げた。
「6番のスクラッチ。上から28番目の束ちょうだい」
金を受け取り、くじを受け取る。
今度はDCFCを封印し、10円玉を使って、普通の人間のような速度で、ゆっくりと、楽しみながら削る演技をする。
カリカリ、カリカリ。
「おっ? あれ? これ、来てるんじゃない?」
独り言も忘れない。
そして10枚削り終え、わざとらしく目を見開く。
「うおっ! 5万円当たってる! やったー!」
少しのガッツポーズをして見せると、店員さんも一緒になって喜んでくれた。
「あらーすごい! おめでとうございます! お客さん、運がいいわねぇ」
「いやー、今日はツイてますよ。3次会の資金がなくて困ってたんで助かりました」
俺は当選くじを渡し、その場で5万円を受け取った。
記録には残らない、完全なる現金の受け渡し。
店員さんにとっては「たまたま来た運のいいお兄さん」以外の印象はないだろう。
これでまた次にここへ訪れても(半年後だが)、俺の事は忘れ去られているはずだ。
こうして無事、今日も錬金に成功した。
懐には温かい5万円。
俺は車に戻り、意気揚々とエンジンをかけた。
海果月市の市街地へと戻る頃には、日はすっかり落ちていた。
ネオンが輝く歓楽街。
俺は車を代行運転に任せることにして、とある居酒屋の暖簾をくぐった。
カウンター席に座り、生ビールと焼き鳥を注文する。
「うめぇ……」
冷えたビールが、DCFCで酷使した指先と、バックで疲労した脳に染み渡る。
この一杯のために生きていると言っても過言ではない。
5万円あれば、今日は豪遊できる。新しいゲームソフトも買えるな。
俺は一人、勝利の美酒に酔いしれた。
……ん?
何か忘れているような気がする。
俺はジョッキを傾けながら、ぼんやりと考えた。
ここへ来た本来の目的。
そういえば、忘年会の3次会の会場を探すために、下見に来たんだったか。
まあ、いいか。
目の前の焼き鳥が美味いし、今は金もある。
あくせく働くのが馬鹿らしくなってきた。会場なんて、適当なカラオケボックスを当日に予約すればなんとかなるだろう。どうせ3次会なんて、みんな泥酔して味も場所も覚えていないに決まっている。
「すみませーん、ハイボール追加で!」
俺は店員を呼び止め、任務のことなどすっかり忘れ去り、孤独で贅沢な夜を堪能することにした。
杵塚先輩の怒る顔が脳裏をよぎったが、パチパチと瞬きをしてそのイメージを追い払った。
悪いことはバックしてなかったことにする。
それが俺の流儀だ。
明日になれば、また新しい風が吹くさ。
俺はグラスを掲げ、見えない相棒に乾杯した。




