第12話 グリーンゲマー降臨 ③
それから数時間、俺たちは足が棒になるまで歩き回った。
弘樹ちゃんが誘拐された公園を中心に、商店街、コンビニ、民家の玄関先。防犯カメラがありそうな場所をしらみつぶしに当たり、所有者に頭を下げて映像データの提供をお願いして回る。
今の時代、映像はすべてデジタルデータだ。俺たちは指先ほどのSDカードやUSBメモリを大量にかき集め、捜査本部へと戻ってきた。
さらに俺の提案で、公園付近を走行していたタクシー会社にも連絡を入れ、ドライブレコーダーの映像提供も依頼しておいた。
本部に戻ると、次の作業が待っていた。
「リレー捜査」だ。
集めてきた膨大な映像データを時系列につなぎ合わせ、犯人と被害者の足取りを追う。
これが気の遠くなるような作業なのだ。
何十台ものカメラ、何時間もの映像。その中から、ほんの一瞬映っているかもしれない犯人の姿を目視で探し出す。
犯人の行動を予測し、「この時間のこのカメラに映っているはずだ」と当たりをつけて再生するが、大半は空振りだ。
捜査員たちが目を血走らせてモニターと格闘しているが、遅々として進まない。
「くそっ、ここにも映っていない……」
「こっちもだ。時間が足りねえ」
焦燥感が部屋を支配する。
犯人が指定したタイムリミットまで、残り一時間。
このままでは間に合わない。人海戦術にも限界がある。
なんとかして弘樹ちゃんを助けたい。あの臼伊賀の鼻を明かしてやりたいし、何より杵塚先輩の努力を無駄にしたくない。
(やるか……)
俺は覚悟を決めた。
ここには誰も見ていない俺だけの「武器」がある。
俺は自分に割り当てられたモニターの前に座り、深呼吸をした。
作戦名は『バック・ブースト・サーチ』。今、勝手に名付けた。
方法はこうだ。
まず、Aカメラの映像ファイルを開く。16時00分00秒から再生開始。
早送りは使わない。見落としのリスクがあるからだ。等倍速で9秒間、画面を凝視する。
そして、何もなければ――
パチパチパチ バック!
時間を十秒前に戻す。
俺の意識はファイルを開く直前に戻る。
だが、俺の脳内には「16時00分09秒までは何も映っていなかった」という記憶が残っている。
だから、戻った世界では、即座にシークバーを動かし、16時00分10秒から再生を開始する。
また9秒見る。何もなければバック。
次は16時00分18秒から。
これを繰り返すことで、現実の時間は全く進めずに、俺の主観時間だけで映像をチェックし続けることができるのだ。
これには並外れた精神力と動体視力、そして反復作業への耐性が必要となる。
だが、俺にはある。
昨夜の『死にゲー配信』で、同じボスに300回挑み続けたあの地獄の特訓が、まさかこんなところで役に立つとはな。
俺の集中力は極限まで研ぎ澄まされていた。
パチパチパチ バック!
次。Bカメラ。16時15分。異常なし。
パチパチパチ バック!
次。Cカメラ。16時22分。猫が通っただけ。
パチパチパチ バック!
Dカメラ。16時30分……。
周囲の刑事たちが「1分」経過する間に、俺は「数時間分」の映像を脳内に叩き込んでいった。
脳が焼き切れそうだ。目から血が出そうになる。
だが、俺は止まらない。
数百回目のバックを経た、その時だった。
Eカメラの映像。時刻は16時45分。
公園の裏手の路地に停まった黒いワンボックスカー。そこに、緑色の覆面をした男が、ぐったりとした小さな子供を担ぎ込む姿が映っていた。
(いたッ! これだ!)
俺はガッツポーズをしそうになるのを堪え、冷静にその車の動きを追った。
さらに別のカメラへ。バック、確認、バック、確認。
車は市街地を抜け、郊外の廃工場エリアへと入っていった。出口のカメラには映っていない。つまり、奴らはまだその廃工場の中にいる可能性が高い。
よし、特定した。
俺はマウスを握りしめ、杵塚先輩に報告しようとした。
だが、そこで手が止まった。
(待てよ……)
俺が今、この膨大なデータの中から一発で正解のファイルを引き当てて報告したら、どうなる?
「新人のお前が、なぜ開始数分でピンポイントにその映像を見つけられたんだ?」と怪しまれるに決まっている。
最悪の場合、俺が犯人の仲間だと疑われかねない。
それに、俺は自分の手柄になんて興味はない。ここで男を上げさせるべきは、俺じゃない。
俺は特定した映像ファイル――誘拐の瞬間と、廃工場へ入る瞬間――が含まれているフォルダを密かにコピーし、デスクトップの分かりやすい場所に『未確認フォルダ_優先』という名前で保存した。
そして、何食わぬ顔で隣の杵塚先輩に声をかけた。
「先輩、こっちのデータ、量が多くて俺一人じゃ見切れないっす。手伝ってもらえませんか? とりあえずこのフォルダからチェックお願いしゃす」
杵塚先輩は、疲労の色を隠して力強く頷いた。
「よし来た! 任せておけ、兎木緒君。二人でなら倍の速さだ!」
先輩は俺が用意したフォルダを開き、一番上の動画ファイルをダブルクリックした。
再生が始まる。
数秒後。
「あっ! ……おおっ!? これだ!!」
先輩が椅子を蹴って立ち上がった。
「兎木緒君、これを見てくれ! 弘樹ちゃんだ! 犯人が車に乗せているぞ!」
「ええっ、マジっすか!? 先輩すげぇ! 一発で引き当てるなんて、持ってますねぇ!」
俺は白々しく、しかし最大限の称賛を込めて驚いてみせた。
「やった……やったぞ! すぐに行方を追うんだ! 次のカメラは……これだ!」
先輩は神がかった(ように見える)勘で、次々と正解のファイルを開いていく。
そして、ものの数分で車が廃工場に入っていく映像までたどり着いた。
「間違いない。犯人はこの廃工場にいる!」
杵塚先輩は興奮して顔を紅潮させ、臼伊賀管理官の元へ駆け寄った。
「管理官! 見つけました! 犯人の車が町はずれの廃工場へ入っていきました。その後、出てきた形跡はありません!」
臼伊賀は眉をピクリと動かした。
「ほう……。でかしたぞ、所轄」
臼伊賀はすぐに全捜査員に向けて指示を出した。
「全員へ告げる! 犯人の潜伏先が判明した! 場所は第3工業団地の廃工場だ! 至急急行せよ! 機動隊も配備だ!」
怒号のような指示が飛び交い、刑事たちが一斉に動き出す。
杵塚先輩もコートを羽織り、カバンを掴んだ。
「兎木緒君、僕たちも行くぞ! 現場で何か役に立てることがあるかもしれない!」
俺も頷いて立ち上がる。
だが、その行く手を遮る影があった。
臼伊賀管理官だ。
「待て」
冷たい声が足を止める。
「お前たちはここに残れ」
「えっ……?」
杵塚先輩が呆気にとられる。
「なぜですか? 第一発見者は僕たちです。現場の状況を誰よりも把握しています!」
「だからだ」
臼伊賀は鼻で笑った。
「お前のような、いちいち口出しをしてくる目障りな部下は現場に必要ない。手柄は私が取る。私が直々に現場へ行き、弘樹ちゃんを助け出し、知事へ直接お渡しする。それが一番美しい絵になるからな」
「そんな……」
「お前たちはここで残務処理でもしていろ。それがお似合いだ」
臼伊賀は杵塚先輩の肩をわざとぶつけるようにして通り過ぎ、取り巻きを引き連れて出て行ってしまった。
残された会議室。
杵塚先輩は、悔しさで唇を噛み締めていた。
手柄を横取りされたことではない。緊急時に、戦力として数えられなかったこと、そして何より、弘樹ちゃんを助ける現場に行かせてもらえないことが悔しいのだ。
俺は溜息をついた。
あの臼伊賀って奴、本当に性格が悪いな。
だが、杵塚先輩はすぐに顔を上げた。
「……了解しました。残務処理をしておきます。お気をつけて」
去り行く背中に向かって、深々と頭を下げる。
どこまでも真っ直ぐな人だ。
「先輩、いいんすか? あんな奴の言うこと聞いて」
「命令は絶対だ、兎木緒君。それに、ここでもできることはあるはずだ」
その時だった。俺のスマホが震えた。
タクシー会社からの通知だ。『依頼されていたドライブレコーダーの映像データをクラウドにアップしました』。
俺は念のため、そのデータを確認することにした。
犯人の居場所は廃工場で決まりのはずだが、何かが引っかかっていた。
先ほどの犯行声明ビデオ。弘樹ちゃんの後ろに映っていた壁。コンクリート打ちっぱなしだったが、どこか湿気ていて、微かにカビのような黒ずみがあった。それに、背景の隅に一瞬だけ映り込んだ物体。あれは……船の碇のマークが入った木箱じゃなかったか?
俺はクラウド上の動画を開いた。
廃工場付近を通過したタクシーの映像。
そこには、衝撃的な光景が映っていた。
廃工場の裏口から、覆面をしていない男が、怯える弘樹ちゃんの手を引いて出てくるところだ。
そして、二人は流しのタクシーを拾い、どこかへ走り去っていく。
時間は、廃工場に入ってからわずか十分後。
「……移動してる」
俺はすぐさまそのタクシーの行方を追った。別のドラレコ映像を繋ぎ合わせる。
タクシーが向かった先は――港だ。
港湾地区にある、古い赤レンガ倉庫。
「先輩! これを見てください!」
俺は杵塚先輩を呼んだ。
「犯人は廃工場にはいません! 裏口から抜け出して、港の倉庫へ移動してます!」
「なんだって!?」
杵塚先輩は映像を食い入るように見つめ、目を見開いた。
「本当だ……! くそっ、廃工場は囮だったのか!」
あの「新世界シューター」とかいう犯人、イカれた思想犯に見えて、意外と狡猾だ。警察がNシステムやカメラで追跡してくることを読んで、車を乗り捨てたのだ。
「兎木緒君、すぐに管理官へ報告だ!」
杵塚先輩は無線機を掴み、叫んだ。
「臼伊賀管理官、至急報告があります! 犯人と弘樹ちゃんは廃工場にはいません! タクシーで移動し、現在は港の倉庫にいます!」
無線からは、サイレンの音と共に、臼伊賀の怒声が返ってきた。
『バカヤロー!! 何を寝ぼけたことを言っている! 港の倉庫だと? ここから真逆の方向じゃねえか! 我々はもう廃工場の目の前だぞ!』
「ですが、映像で確認しました! 間違いありません!」
『仕方ない。半分の捜査員は廃工場を確認、残りは港倉庫へ向かえ!』
ブチッ、と通信が切られた。
先輩はコートをひるがえし、俺を見た。
「行くぞ、兎木緒君!」
「え? どこへ?」
「港へ決まってるだろ! ここからの方が港倉庫へ早く着く。僕たちで弘樹ちゃんを助け出すんだ!」
「……命令違反ですよ? クビになりますよ」
「クビ上等だ! 子供一人の命も守れなくて、何が警察官だ!」
その言葉に、俺は思わずニヤリとしてしまった。
暑苦しい。本当に暑苦しい人だ。
でも、悪くない。
「了解っす。どこまでもついていきますよっと」
俺たちは部屋を飛び出し、覆面パトカーへと走り出した。
パトカーを飛ばしながら、俺たちは港へと急行した。
その途中、本部の情報分析班から、驚くべき情報が入った。
タクシーのドラレコに映っていた犯人の素顔。顔認証システムが弾き出したその正体は、元傭兵の日本人。長年海外の紛争地帯を渡り歩き、『音無き死神』と呼ばれた凄腕のスナイパーだった。
相手はプロ中のプロだ。
県警は慌ててSATの出動を要請したが、到着には時間がかかる。
廃工場へ向かった本隊がUターンして港へ着くのにも、三十分はかかるだろう。
だが、俺たちは違う。
俺の(何度も時間を戻して事故を回避した結果身につけた)神懸かり的なドライビングテクニックで、渋滞をすり抜け、赤信号をショートカットし、最短ルートを爆走していた。
「見えたぞ! あの倉庫だ!」
潮の香りがする港の片隅。朽ちかけた赤レンガ倉庫が不気味に佇んでいた。
時刻は午後5時50分。
犯人の指定したタイムリミットまで、あと10分。
俺と杵塚先輩は、現場へ一番乗りで到着した。
静かだ。波の音だけが聞こえる。
入り口の鉄扉は錆びついており、少し開いていた。
先輩と目配せをし、俺たちは中へと踏み込んだ。
港の赤レンガ倉庫へ一番乗りで到着した時、犯人が指定したタイムリミットまでの残り時間はあと10分だった。
夕闇が迫る港湾地区は不気味なほど静まり返り、潮の香りと錆びた鉄の匂いが鼻をつく。
俺と杵塚先輩は、いくつもの倉庫を警戒しながら捜索し、最奥にあるひときわ大きな倉庫の前にたどり着いた。
重厚な鉄扉の鍵が、壊されたように開いている。
ここだ。間違いない。
杵塚先輩が腰の拳銃を抜き、カチャリとスライドを引いて構える。そして俺にも銃を抜くよう、鋭い視線で合図を送ってきた。
俺もニューナンブを取り出し、深く呼吸を整える。
隣の杵塚先輩の目つきが変わった。普段の能天気な笑顔は消え、獲物を狩る刑事の目だ。
「行くぞ!」
先輩が鉄扉をゆっくりと開け、薄暗い倉庫の中へと忍び足で踏み込む。




