さようなら
この国に幸せな思い出なんてない。
「…うん、あともうちょっとで飛行機乗るから、迎えよろしく」
空港の待合ロビー、スーツケースを片手に秘書に電話する。
そしてスマホをしまいながら窓の外を見た。
もう来ることのない日本。
ぼんやりと遠くを見ながら、景色を目に焼き付ける。
…といっても日は落ちてるからもう殆ど見えないけど。
(…結局何も変わらなかったな)
自分で自分の首を絞めていたのはわかっている。
望んだ未来が訪れる可能性だってほぼないこともずっと前からわかっていた。
あまりに軽率な行動ばかり。
本当に、俺らしくない。
…それでも、一度でいいから幸せになりたかった。
愛されてみたかった。
『まもなく搭乗手続きを開始します――…』
アナウンスが流れる。
搭乗口に向かおうとする。
「市ノ宮!!」
その時、後ろから息を切らした声でそう呼ばれた。
その方向を見る。
バタバタと走ってくる2人組の姿が瞳に映った。
よく知っている姿。
…二度と見ることも無いと思ったし、見たくなかった姿。
「藤森…」
そう、誰にも聞こえないくらいの音量でぽつり呟く。
胸がギュッと締め付けられる感覚に陥った。
(……だめだ、顔に出すな)
あくまでもポーカーフェイスを貫こう。
感情をもうこれ以上悟られたくない。
あんな泣き顔、もう見られたくない…。
ふと、もう一人の人物に視線を移動させる。
…海堂さんだった。
体力がないのだろう。
藤森以上に息を切らせて膝に手をついていた。
なんで、この人まで此処に…?
「…何しに来たの。ひやかし?
というか、なんで俺が乗る便知ってるの?気持ち悪いんだけど」
なんの感情も交えない声でそう聞く。
よっぽど急いで走って来たのか、藤森は息を整えながらこう言った。
「お前の秘書が教えてくれた…!」
「秘書?」
「何かあったらここに電話してって教えてくれた電話番号にかけたんだよ」
「…あぁ。よく覚えてたね」
起業してすぐに、藤森へ教えた社長室の番号。
そして、今部屋を守っている秘書の顔を思い浮かべ、ため息をつく。
(…あの紅茶好きが。余計なことを)
本当、そういう無駄に真面目なところが嫌いだ。
不在とだけ言っていればいいのに。
…そうしたら、最後にこんな惨めな気持ちにならないで済んだのに。
もう一度目の前のカップルを見る。
きっとこれから2人して俺のことを非難するんだろう。
仕方ないことだけど………できれば会わずに終わりたかった。
「で、なに。俺もう飛行機乗らないといけないんだけど」
そう目線を合わせずに淡々と話す。
すると、少し沈黙が訪れた後、
「…二人で少し話がしたい」
そう彼は言った。
「話?そんなの散々したでしょ。…もう話すことなんてない」
呆れたように俺は返して背を向ける。
スーツの持ち手を掴んで搭乗口に向かおうとする。
「い、市ノ宮さん……俺からもお願いします…」
だけど、今度は別の声が俺を引き留める。
ちらりと見ると、藤森の後ろにいる海堂さんが俺に頭を下げてきて。
少しビクついてる。
…なんのつもり。
「…10分だけね」
ため息をつく。
そう静かに答えると人気のない方へ藤森と移動した。
プレミアムラウンジの中。
ただでさえランクの高い会員しか利用できない上に遅い時間だからか、誰も人がいない。
海堂さんはさっきの場所で待っていると言っていた。
てっきりあの人への謝罪希望で来たのかと思ったのだけど…。
椅子に座って向かい合う。
「で、何の用」
なかなか口を開かない藤森に対して腕を組んで話しかける。
……俺だって2人でいるのつらいんだから。
さっさと終わらせて日本を出ていきたい。
「ん、あぁ……」
相手が、首の後ろを擦る。
(…相変わらずその癖あるんだ)
出会ったときと変わらない癖。
困ったり悩んだときにやる癖。
初めて指摘したとき、すごく驚いてた。
全く気づかなかったって、笑いながらそう言ってくれた。
(あぁ、嫌だな。何で今思い出したんだろう)
はぁ……とため息をまたついてしまい、自己嫌悪に陥る。
そんな俺を見てか、意を決したように相手は真剣な眼差しをこちらに向けてきた。
「市ノ宮!やっぱり俺、お前と友達でいたいんだ!」
「…え?」
思ってもいなかった希望を言われ、思わず瞬きする回数が増える。
「今まで色々あったし、この前はきついことも言った。
正直お前がしたことを全部許せるほど俺は心が広いやつじゃないけど…でも」
そこで、もう一回息を整える。
「お前とは、これからも笑って色々話したい!
勝手かもしれねーけど…お前には一番の、親友でいてほしい!」
まっすぐと俺の目を見つめる。
嘘なんてこれっぽっちも感じられなかった。
…というより、藤森は嘘をつけるような器用な人間じゃないことくらい、十分知っている。
だけど、俺はあの居酒屋での怒号を思い出す。
「……なにそれ、都合よすぎない?もう絶交する方向で決定したでしょ。
………今更、戻れるわけないでしょ…」
思わず組んでいる腕に力が入った。
震えそうになるのをぐっと押さえつける。
俺の言葉を聞いて、藤森はまた首の後ろを触る。
「そうだな、本当に俺、勝手だよな…」
そう小さく返事すると、また沈黙が訪れた。
タバコ吸いたい。すごく落ち着かない。
でもここは禁煙だから仕方なく水を飲む。
というより、勝手だとわかってるならなんで、そんなこと言うのか。
氷を1つ、噛み砕いた。
「…………俺さ、お前が言う通り本当に鈍感なんだと思う」
またぽつりぽつりと話し始めた。
コップを机に置く手が止まる。
「お前が海堂のこと傷つけたくなるくらい、俺もお前のことたくさん傷つけてたのに気がついてなかった。
……ましてや、気持ちを教えてくれたのに、それに対して何も言ってやれてなかった」
「っ」
俺も大人しく耳を傾けるけど。
あぁ、やっぱりその話。忘れてほしいのに。
あんなみっともない姿、迷惑になるのわかってたから本当は言うつもりなんて無かった話。
「……………っ」
嫌だ、また、また泣きそうになるなんて。
泣きたくない。泣きたくない……!
「……何が。別に俺は傷ついてない。話は終わり?俺もう戻る」
顔を見られたくなくて下を向く。
そして、早口でそう伝えると立ち上がって待合室に戻ろうとした。
「!い、市ノ宮!!」
その時、また名前を呼ばれる。
椅子が動く音が聞こえたけど、振り返ることなく俺は出口に向かって歩く。
その時、右腕を掴まれた。
「だから何!」
反射的に思わず叫んでしまう。
だけど次の瞬間、ぐいっと引っ張られて。
「………っ」
気がついたときには、俺は藤森に抱きしめられてた。
「ふ、じ……」
一瞬何が起きたか理解できなかった。
でも、ぎゅうっと抱きしめられて、すごく懐かしい感じがする。
大学時代の記憶が一気に蘇ってきて…。
(あぁ、そうだ。藤森、体温高いからあの時もいつも温かくて…)
瞼が自然に下がろうとする。
このまま、ずっと、縋っていたい…。
でも、すぐにハッと我に返った。
「……へぇ、藤森も頭おかしくなったの。
海堂さん近くにいるのに、俺のこと抱きしめるとか意味分からない」
冷静を装って急いで離れようとする。
でも、力が強くて抵抗しても離してくれない。
「…海堂には許可とってる」
その時、ぽつりとそう言った。
「え?」
「というより、海堂から抱きしめてあげてって、そう言われたんだよ」
「な、なにそれ…」
ますます意味がわからない。
海堂さんのお願い?
だって、海堂さんは藤森の恋人で、俺は海堂さんのこといじめて…。
なんで、何かの罠?
色々考えるけどこれという答えが出ず。
「市ノ宮、ごめん」
「!」
そして、突然耳に届いた謝罪の言葉。
思わず固まる。
「今までずっと、お前と出会ってから、本当にごめん…。
俺馬鹿だからさ、まさかお前が俺のことずっと好きでいてくれたなんて思わなかったんだよ。
気づいてあげられなくてごめん」
「な、何を今更……」
「……そうだな、本当にそう思う。
でも、海堂に怒られたんだよ、俺。
お前の告白スルーしたら、そんな酷いことよくできるなって。
なんだっけ、バカアホろくでなしとか散々な言われようだったぜ」
言われたときを思い出したのか、ははは…と苦笑いする。
「そこまで言われてようやくわかったんだ。
お前のこと一方的に責めてたって。
お前が相当追い詰められてたって全く考えが至らなかったんだ……」
「海堂さんが…?」
海堂さんが、怒った?
俺のために?
それで、藤森をここまで連れてきてくれた…?
どんどん頭が混乱する。
だって、俺はあの人に対して……。
「市ノ宮はあの時、所詮ただの友達って言ってたけどさ。
…でも、俺は一度もお前のことをそこら辺の友達と同じなんて思ったことない。
世界一の友達だって、本気で思っていたんだ。
頭良くて世の中を渡っていくのも上手だし。
尊敬だっていっぱいしてた。
ずっと、俺だってお前と仲良くできたら思ってたんだよ。
方向性は違っちゃってたけどさ…」
「……………」
俺は何も言えず。
ただ目を見開くことしかできず。
藤森は、言葉を発する度にどんどん泣きそうな声になっていった。
俺を抱きしめる力がどんどん強くなる。
体が震えて、俺に伝わる。
「………市ノ宮、本当にごめんな。
お前の気持ち、いっぱい踏みにじっちゃってごめんな。
海堂のこと、好きになっちゃってごめんな。
それで相談もしちゃってごめんな。
ホテルの時も追いかけてあげられなくてごめんな…っ。
きっと、あの時本当に辛かったんだよなっ。
………ごめん、本当に、」
「もういい!」
…気がついたら叫んでした。
そこで、藤森も驚いて謝罪が止まる。
「もう…謝らないで…よ…」
そして、俺も震える声で、そう呟いて藤森を抱きしめ返した。
「市ノ宮…」
「…俺だってさ、完全に思いやりとか忘れたわけじゃない。
藤森には、幸せになってもらえたらそれでいいから。
…………藤森に、俺の気持ちが伝わればそれでもういいから…っ」
すーっと涙がついにあふれて、藤森の服に染み込んだ。
最後にぬくもりを感じるかのように頬を肩に摺り寄せた。
「市ノ宮…俺の事、好きになってくれてありがとう」
「別に…俺も……ごめんなさい」
無意識のうちに素直に出てきた謝罪。
『好きになってくれてありがとう』
その言葉が本当に嬉しかった。
ようやく、藤森に伝わったんだって。
そう思ったらポーカーフェイスなんてもう無理だった。
藤森はそんな泣いてしまった俺の背中をぽんぽんと優しく叩いてくれる。
そしてゆっくり離れた。
「わりぃ、また泣かせちゃった?」
「泣いてない。藤森よりは泣き虫じゃない」
ちょっとからかうかのように泣いたことを指摘され、少しむっとして言い返す。
指でぐいっと涙を拭うと、
「……親友になれるかはごめん、今すぐ答えられない。
でも…、海堂さんには、ちゃんと謝るよ」
そう伝えた。
「市ノ宮…ありがとう」
藤森は最後にそう言ってくれた。
俺の大好きだった笑顔で。
――――――――――――――――――――――――――――……
「あ!おかえりなさい。えっと、その………」
戻ってきた俺たちの姿を見つけて、急いで立ち上がる海堂さん。
上手く仲直りできたか心配だったという顔をしている。
…この人も本当にわかりやすい人。
「あの、市ノ宮さん…その、申し訳ありませんでした」
「…海堂さんまで謝るんだ」
藤森に続いて海堂さんまで謝ってきてまた瞬きが多くなる。
思わず頭に浮かんだ言葉を素直に口にしてしまった。
「えっと…俺、市ノ宮さんが、俺が藤森といて辛い気持ちにさせてたの気が付かなくて…」
そう、つまりながらも感俺に伝えてくる。
それを俺は静かに聞いて、それから口を開いた。
「…ねぇ、1つ聞いてもいい」
「?」
「自分を傷つけた人を恋人から切り離すチャンスだったんだよ。
それなのに…」
なんで、こんな真似するのか。
純粋に気になってしまった。
だから率直に聞いてみる。
すると、目の前の人は少し困りながらも微笑んで、
「お2人に後悔してほしくなかっただけです」
そうとだけ言った。
「……………」
あぁ、この人はきっと藤森のことも俺のことも信じてくれてたんだろうな。
優しいのか、ただのお人よしなのか、先のことを考えきれてないのか。
ただ、本当に純粋な人なんだと思う。
感情のままに動いて、得とか損とかそういう概念が無くて、俺とはまったく正反対。
…だけど、そんな姿を見て、
―――藤森がこの人を好きになった理由がわかったよ―――
初めて心の底からそう感じた。
「…海堂さん」
「!え、あ、はい」
海堂さんの前まで歩く。
突然名前を呼ばれてびっくりしてたけど、逃げなかった。
そして。
「たくさん傷つけて、申し訳ございませんでした」
頭を深く下げてそう謝罪の言葉を述べる。
突然頭を下げられて、海堂さんが慌てているのが雰囲気で伝わった。
「か、顔上げてください!俺だって悪いんですから!」
「いえ、自分の中でけじめを付けないといけないことでした。
海堂さんを傷つけていい理由にはならない」
「い、市ノ宮さん…」
「なにかお詫びさせていただきます」
「え、えと…そ、そんな、俺は…」
なかなか顔を上げない俺に対して、どうしようと何度も呟いている。
だけど、急に「あ!」と声を出すと、
「………あの、お詫びといったらなんですが…。
俺も、市ノ宮さんと友達になれませんか…?」
そう提案してきた。
「え?」
「海堂?」
その返しに俺も藤森もびっくりする。
海堂さんは恥ずかしかったのか、少し赤くなって、
「い、市ノ宮さんなんでもできる人で社長さんだって聞いてるし、俺不器用だから正直羨ましくって…。
かっこいいし、すらっとしてるし、スーツ似合ってるし!
よ、よかったらなんですけど、色々お話したいなって……あはは…」
言ってから恥ずかしくなったのか、両手で顔を覆う。
迷惑だったら断ってください!と繰り返し伝えてきた。
「……ふふ」
そんな彼を見ていたら思わずくすりと笑ってしまった。
「あ、あの、すみません…」
「いや、まさかそんなに褒めてくれるとは思わなくて…」
そう感想を述べるとさらに恥ずかしそうに顔を赤くしてしまった。
「……海堂さんには叶わないな…」
誰にも聞こえない声でぽつりとそう呟く。
それから、ふとあるものを思い出し、スーツケースを開ける。
「海堂さん、これ返すよ」
そう言っておもむろに手渡したのはクリーニングの袋に入ったパーカーで。
「?」
海堂さんはなにこれ?という顔をしていたけど、隣でのぞき込んだ藤森が、
「おま、これまだ持ってたのかよ!」
すぐに気がついた。
俺はそれを聞いて目を伏せる。
「……もっと前に返さなきゃって思って帰国する度に持ち歩いてたんだけどね。
あの時は、本当に嬉しかったよ。
…改めて助けてくれて本当にありがとう」
「え?いや、まぁ、あのときは必死だったというか…助けないほうがおかしいというか」
突然お礼を言われたのが意外だったらしく、照れたようにそう言うが、
「てか、返すなら俺じゃ…」
当たり前のつっこみを付け加えられる。
「え?これ藤森のなの?」
海堂さんはへぇーとよくわかってないような反応をしながらそれを藤森に手渡そうとする。
「いいんだよ、海堂さんが持ってて。
どうせ今の藤森じゃ着れないだろうし。
きっと海堂さんが着た方が似合うよ。…藤森だって見たいでしょ」
「い、市ノ宮…っ」
突然の意地悪な提案に藤森もびっくりしたようだ。
すこし頬を赤くして、海堂さんとパーカーを見比べている。
「まぁ、そりゃ、確かに…」
ボソボソと照れくさそうに呟いていた。
「わかりました!藤森、市ノ宮さんありがとう!!」
やっぱり海堂さんはよくわかってなさそうだったけど、
「絵の仕事するときに着よー」
と、嬉しそうに眺めていた。
そんな光景をしばらく眺めたあと、ふと真顔になる。
「藤森。…すぐには無理かもしれないけど、落ち着いたらアメリカ案内するよ」
「あぁ、いつでも待ってるからな」
藤森もちゃんと俺の顔を見てそう言ってくれた。
「そのときは海堂さんも一緒においで」
「!!いいんですか!?」
名前を呼ばれ、パーカーから目を離して勢いよく俺の顔を見る。
「うん。だから英語はちゃんと勉強しておいて」
「!はい!ありがとうございます!」
海堂さんが今まで見たことないくらい嬉しそうな笑顔を見せた。
そんな彼に対して、少し微笑む。
「市ノ宮…ありがとな。また連絡する」
「別に。それじゃ」
藤森が微笑む。
俺も微笑んだままゆっくりと瞬きをすると、背を向けて飛行機へ向かった。
飛行機の中、ゆったりと座る。
日本から離れる。
どんどん小さくなっていく。
本当に小さな国。
生まれてから今まで、色々あったけれど、決していい思い出とは言えないけれど。
きっとこれが俺の人生。
あとはもう、一人で生きていくだけ。
その現実を受け入れるときが来ただけ。
誰にも愛されなくてもきっと大丈夫。
また、2人に会うときは心の底から笑えるように生きていこう。
だから、
「さようなら、お元気で」
そう唇だけ動かした。
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