お幸せに
市ノ宮は静かにそう話し終えると、ゆっくりと目を閉じた。
長いまつ毛が細かく震えている。
そしてまた、すぅ…と涙が流れ落ちた。
俺は、真顔のまま動けずにいて。
でも、心臓がずっとどくどく五月蠅く鳴っている。
さっきから、ずっと俺のことが好きだったという話。
受け入れるにはあまりにも慣れない。
吸っているたばこの煙が揺らいで消えた。
こちらを見ようとしない相手に、俺は一つだけ聞いてみた。
「…なんで、今まで話さなかったんだよ。
俺ばかりあんなに吐き出して…お前からそんな過去、一度も聞いたことねぇよ」
共感できたのなら、なんで俺には共有してくれなかったのか。
純粋にそれが気になってしまった。
市ノ宮は、「あぁ」と、力のない声で反応をする。
「だって俺も吐き出したら、藤森、同情して俺に甘えられなくなるでしょ。
あんた、そういうところしっかりしてるから…俺のこと、必要としてくれなくなるじゃん」
「…結局依存させるためかよ」
何もかも、こいつの計算だったというわけか。
どれだけ腹黒いんだよ。
俺の表情を読み取ったのか、少し悲しそうな顔をしたような気がした。
またゆっくりと話し出す。
「藤森にとって海堂さんが新鮮な人だったみたいに、俺にとっての藤森も同じような感覚だったよ。
だって、今まで大した人付き合いしてこなかった、あんなに誰彼構わず寝てた俺といつも一緒にいてくれて、4年間飽きずに夜を共にして。
…あんた、本当にお人好しだよね。
今思い出すと馬鹿正直すぎて笑っちゃう。」
俯いたまま、力なくふふっと笑う。
「…………でも、」
そこで一旦ため息をつく。
「…その内にじわじわと実感してさ。
あぁ、これが好きってことなのかなって。初めての感覚だった。
正直、親から愛されなくなった時点で愛だの恋だのほんとどうでもよくなってたんだけど、もう一回信じてみてもいいのかなって」
「だ、だけどお前、そんなそぶり一度も…」
思わず、突っ込む。ずっと動揺してしまう。
…正直、信じたくなかった。
俺はそんなつもり全くなかったから。
ずっと友達としてしか見てこなかったから。
「…さっきから言ってるでしょ。そんなの、藤森が鈍感なだけだよ」
「でも、告白する機会なんていくらでもあったのにしてこなかったじゃねぇか…」
さらにそう言い返す。
すると、市ノ宮はさらに俯いて。
「…告白しなくても大丈夫って、なんか思っちゃってたんだよね」
「え?」
「きっとずっと藤森のそばにいて、無意識の内に自分が一番だって、こんなに体重ねて今更離れるわけないって勘違いしてたんだろうね。
気持ちを伝えなくたって、藤森も同じだろうと。
だってこんなに俺といてくれるから。ずっと一緒にいたから。
まぁ…そう感じてたのは俺だけだったみたいだけど」
――――もうこんな関係終わりにしよう――――――
「そう宣言された時、なんて言えばいいのか、頭の中が真っ白になった」
「…………」
また、黒い瞳から涙が溢れ出す。
それを隠すように顔を手で覆って。
「…本当は、アメリカなんて行きたくなかった」
「は?」
予想してなかった心情に、また驚いてしまう。
アメリカ行きたくなかったって…。
確かに、あの時あまり浮かばれない顔してたけど…。
「な、なんでだよ…。アメリカで仕事なんてすごいじゃんか…」
「………………………だって藤森と離れちゃうから」
「!」
「だから人事の人に日本の支社にしてほしいって言うつもりだって。
あの話の続きであんたに言うつもりだった。
関係だって終わりにしたくない。
もう誰とも遊ばないから藤森とだけそういうことしたい。
そうも伝えようと思ってた。
………言いたかった。なのに………」
『俺さ、やっぱり大切な人見つけたいんだ』
『俺、お前とは普通の友達でずっといたいと思ってたんだ』
「藤森は…俺と普通の友達になりたいって、他に好きな人見つけたいって。
そう言うからもう何も言えなくなっちゃったんだよ…」
「………」
そう言った市ノ宮の体は震えていて。
嗚咽も聞こえた。
見たことない姿ばかり…。
「他に道なんてなかった。
ここで無理にまた関係を迫ったら藤森は俺から確実に離れてく。
じゃあ、友達としてそばにいればまだチャンスはあるかもしれない。
いつか藤森も俺のこと見てくれるかもしれない。
……そう無理やり自分を納得させるしかなかった」
そこでようやく顔を上げる。
その顔は涙を流しながらも歪んだ笑みを浮かべていた。
瞳に光が無い。
闇のように真っ黒な世界しか広がっていない。
「なのに、案の定、藤森は俺がいない間に他に好きな人作っちゃうんだもの。
それも俺と全く違うタイプの人。俺の大っ嫌いなタイプの人。
…あの電話の時、なんて言ったら諦めてくれるか必死だったのに…俺のアドバイス全く聞かないんだものね。
藤森からの電話だったから出勤時間迫ってたけど対応したのに。
声聞けて嬉しかったのに。
…その内容が『他の男を好きになりました。付き合いたくて仕方ありません』
………本当、一番聞きたくなかった言葉。
スマホ、握りつぶしたくなったよ」
「………海堂に、あんなことしたのは俺があいつと付き合ったからか?
その腹いせか?…こんな10年も経ってから?」
俺も相変わらず真顔で、相手の顔を見つめる。
俺も、きっと相手からしたら瞳から光が消えている。
そう映ってると思う。
俺の質問を受けて、市ノ宮から笑みが消えた。
悲しそうに目を伏せる。
そして、ぽつりと答え始めた。
「…別に、海堂さんにあんなこと言うつもりなんて無かった。
いつも藤森が楽しそうに海堂さんの話するから苦しかったけど、聞きたくなかったけど…認めてあげないといけないって、否定しちゃいけないって思ってた。
でも、偶然、本屋さんで同じ本を手に取って、顔を見た瞬間…」
(この人が…10年前邪魔しなければ…………!)
「…黒い感情が出てきちゃったんだよね。
そのときはっきり気が付いたよ。
…なんでこんな人に負けたんだって。
…気が付いたら全部吐き出してた」
「…………………」
ようやく、本人の口から海堂にあんな仕打ちをした理由を聞き出せた。
だけど、どんな理由であれやっていいことと悪いことがある。
…今回は、完全に悪い方だ。
俺は目を閉じる。
市ノ宮の心情はよくわかった。
でも、俺が今日こいつと会ったのはそんな話を聞くためじゃない。
もう、同情なんかしたらだめだ。
俺の大事な人のためにも、きちんとけじめをつけさせないといけない。
再び目を開くと市ノ宮に問いかけた。
「……市ノ宮、話は以上か」
「……」
「お前の言い分はわかった。
でも今俺が言えることは一つだけだ。
……海堂に謝れ」
感情を含めずにそうとだけ命令した。
まっすぐ目の前の人物を見据える。
市ノ宮が動きが止まった。
蝶が羽を動かすようにゆっくりと、瞬きをした。
「………悪いけど、無理」
だけど、ようやく出てきた言葉は俺が願っていたものではなく。
「市ノ宮!!」
思わず立ち上がって怒鳴ってしまった。
また俺の顔を見ようともしない。
だけど、涙は止まって、声はいつもの冷めた口調に戻っていた。
「だって、また海堂さんの顔見たら何言っちゃうかわからないし、最初に言ったけど、そもそも俺は事実しか述べてないし。
藤森から謝っといて」
そう淡々と言い返される。
俺は愕然とした。
押さえていた感情が一気に爆発する。
「お前、いい加減にしろよ!
それでいいわけねぇだろ!!
あいつどれだけ傷ついたと思ってるんだ!
あんなに涙流して、一人で抱えこんで、自分を責めて、ひどくやつれて…っ」
恋人の姿を思い出す。
市ノ宮の悪口を一度も言うことなく、ずっと俺に謝り続けていた。
涙を流しながら俺の腕の中で眠っていた。
朝起きたら辛いことなんてなかったかのように微笑んで送り出してくれた。
感情的になって今度はこっちが涙を浮かべそうになる。
でも拳に力を入れて、ぐっと堪えた。
そして、相手を睨みつける。
「正直、俺はお前を許さねぇ。
でも、せめて謝ってくれればと思っていたのに…!
………謝らないなら…………………………」
「絶交する?」
なかなか言い出せない俺に代わって市ノ宮があっさりそう代弁した。
「っ!………そうするつもりだ」
そう言い放つと沈黙が訪れた。
空気が重い。でも、負けるわけにはいかない。
市ノ宮は微動だにしない。
うつむいたまま、何を考えているかもわからない。
しばらく、時が止まったように感じた。
「別にいいよ」
そして、彼が発した言葉によってまた動き出した。
短くそう言うと、静かに立ち上がってスーツを整える。
「どうせ海堂さんに言ったことがいつか藤森の耳に入るのはわかってたし、もうあんなこと言った以上、あんたも今までのように接してくれないのも承知だったし。
…どうせ自分の存在はいつか藤森にも海堂さんにとっても邪魔になるんだろうとも気づいていたから、むしろいい機会だったのかもね」
タバコの箱を胸ポケットにしまうと扉をゆっくり開ける。
ご飯はもちろん、飲み物にも手を付けていない。
そんな彼に思わず声をかける。
「おい…」
「安心して、もう日本に帰ってくることも無いから。
……お幸せに」
背を向けながらそれだけ最後にポツリと言って、市ノ宮は出て行った。
読んでいただきありがとうございます!
この小説を読んで
「面白い!」
「続きが楽しみ!」
少しでも思ったら、↓の★★★★★を押して応援してくれると嬉しいです!
ブックマークもお願いします!
あなたの応援が、作者の更新の原動力になります!
よろしくお願いします!