黒いのはコーヒーと
晴れやかなすっきりとした青色。
そんな空が絵画のように窓から見える。
店内を茶色を基調としたシックなデザイン。
店員さんもクラシカルな制服を身に纏っていた。
(すごくおしゃれなカフェ。
こんな場所があったなんて知らなかった…)
本来ならゆっくりと過ごすことを目的とされたカフェだが、普段こういう場所に来ない俺にとってはとても落ち着かない場所だった。
「コーヒー1つお願いします。……海堂さんは」
「え、あ、えっと、ダージリン1つお願いします…」
そして何故か、今、俺は市ノ宮さんとお茶をしている。
いや、なぜ、というより、あの後突然、
「ねぇ、この後空いてる?それお金出してあげるからちょっと付き合ってくれない?」
と言われたのだ。
あまりにも突然の申し出に一瞬思考がフリーズする。
「え、いや、あの……」
当然悪いと思って断ろうとした。
でも、なんて断ったら傷つかないか考えてしまい、上手く言葉が出てこずに口が止まってしまう。
そんな俺を見て、ため息と同時に一瞬目を逸らしたかと思うと、俺の手から本を抜き取ってレジまで行き、お金を払ってしまったのだ。
「はい、これ」
「あ、あのお支払いします…!その本、高いですし…」
よく知らない人に1円でも払わせるのはおかしいとわかっているのに、この本は5,000円位するものだ。
だけど、慌ててお金を差し出しても受け取るどころか見向きもせず。
「別にいいよ。俺からしたら大した金額じゃないし」
そう淡々と答え、とにかくついて来いと言わんばかりに歩き出す。
入り口の自動ドアが開くと風が入りこみ、彼が着ている黒いコートをふわりと持ち上げた。
「………ぅぅ…」
お金を支払ってもらってしまった以上、条件を飲まないわけにはいかない。
俺は慌てて彼の後を追いかける。
…だから、仕方なくついていったというのが正解なんだ。
――――――――――――――――――――――――――――……
注文した飲み物が目の前に置かれる。
紅茶に俺の顔が映る。
「………」
相手は飲み物が届くまで、いや、届いてからも何も発しない。
俺も、緊張でせっかくの紅茶をなかなか飲む気になれなかった。
その顔をちらりを見る。
なんでだろう。どこかで見た気はする。
でも、誰だったか、いまいち思い出せない……。
ただ、言えるのは本当にきれいでかっこいい人だということ。
なんというのか、できる男というか、大人の魅力が溢れているというか、そんな感じだった。
身に着けてるものもどれも高級そうなものばかりで。
適当な格好で外出した自分を恥ずかしく思った。
ここでようやく彼がコーヒーを一口すすった。
その所作もすごくきれいだった。
そして、静かにカップを置いたかと思うと、おもむろにたばこを取り出し、火をつける。
(あ、たばこ吸うんだ…)
なんか意外。
とか思ったのもつかの間、突然質問が降ってきた。
「ねぇ、俺の事覚えてる?
前に一回会ったことあると思うけど」
腕と足を組んで俺をしっかり見てくる。
俺は頭の中で質問をもう一度繰り返した。
お、覚えてるか…だって?
「覚えてる?」
「え?えっと…はい、何となく…」
「なんとなく?」
「い、いえ!覚えてます…。あはは…」
改めて相手の顔を観察するも、やっぱりちゃんとは覚えてなかった。
何となく知ってるかも…?というくらいで自信を持って答えられない。
でもその回答はあまりよくなかったみたいで、相手がつまらなそうな顔をする。
「ふーん、覚えてないんだ」
「す、すみません…」
あっさり嘘は見破られ、萎縮してしまう。
でも相手はあまり気にする素振りもなく話を続けた。
「まぁいいや。俺、藤森の友人の市ノ宮って言うんだけど、ホテルにいた時さ、海堂さん乗り込んできて、藤森奪ったよね」
「え?」
「あれ、ここまで言っても思い出せないの?
10年前、ラブホの鍵が壊れてることをいいことに、藤森と俺の時間邪魔したよね?」
「…………あ!」
そこまで聞いて、ようやく思い出す。
そうだ、あの時、藤森と一緒にホテルにいた人だ。
確かに言われてみればそうだ。
大人っぽくはなっているが、確かこんな感じだったような気がする。
「ご、ごめんなさい…あの時、俺、その、必死であまり顔見てなくて…」
思わず謝る。
市ノ宮さんは最初の一口以降、コーヒーに口をつけず、今もタバコを吸っていた。
藤森が吸っているものとは別の甘い香りがする。
「…別にいいけど。
ところで、今日は別に久しぶりの再会を喜びに来たわけじゃないから」
「は、はい…」
「海堂さんって藤森に迷惑かけてるんだってね」
「はい………え?」
突然の話題。世間話なんて何もなく。
まったく予想していなかった投げかけに、思わず動揺する。
「え、えっと……」
頭が混乱する。なんとか意味を理解しようと必死に考える。
藤森に迷惑をかけている?俺が?
なんで、そんなこと言われるんだろう。
額から汗が流れた。
「もしかして自覚してないの」
「ご、ごめんなさい…」
また謝ってしまった。
そんな俺を見て、再度ため息をつかれる。
「俺、10年以上藤森の友達でさ。
日本に戻ってきたら一回は藤森と飲みに行くんだけど。
その時必ずって言っていいほど海堂さんの事話すんだよね」
「そ、そうなんですね…」
藤森はしょっちゅう友達やら会社の人やらいろんな人と飲みに行ってるから、わざわざ誰と行っているとかあまり気にしたことない。
それに何話したかなんて聞くつもりもなかったから、この人に俺のことを話しているなんて初めて知った。
「…そういえば海堂さん定職についてないんだって?」
「え?」
さっきの会話のことをまだ考えていたのに、質問を連投される。
どうしてそんな質問ばかりが出るのか意味が分からな過ぎて、目をぱちくりさせてしまった。
困惑する俺に構わず話を続ける。
「イラスト製作を副業で受けていて、その時間を確保するために今でも派遣社員してるって。
でもどっちの仕事も安定しないから生活費が足りない時は藤森が援助してたって言ってたけど」
「そ、そうですね…そんな時もまあ…はい…」
「へぇ…本当なんだ、藤森、俺がいないとあいつはダメだって、そう愚痴ってたよ」
若干見下すようにそう言う。
俺は冷汗が止まらない。
(俺がいないとあいつはダメだ…?)
藤森が、市ノ宮さんに、俺の事を愚痴っていた…?
たしかに、藤森に頼っていた時は、あったけど……。
付き合って3年ほど経った、ある日のことを思い出した。
「よ!お疲れー」
藤森が俺の家に来てくれた。
平日も週に1,2回、どんなに遅くなっても仕事終わりに会いに来てくれる。
今日も例外に漏れず。
「藤森もお疲れ様。今日はどんな感じだったの?」
「ん?別にいつも通り。生徒から無駄に恋愛相談されて、上司にミス指摘されてって感じかな!」
「あはは。そうなんだ」
藤森の話に相槌を打ってそんな彼を眺めた。
藤森はいつもちゃんとしてるな。
そりゃ、人前に出る仕事だからっていうのはあるだろうけど、毎日しっかり働いて、弱音吐かないし、いつも笑顔だし、ちゃんと運動してるし、食事も気を付けてるし、周りに慕われてるし、俺が困ってたらすぐ助けてくれるし。
…俺にはもったいないくらいかっこいい人。
そう、本当に、俺にはもったいないくらい…。
「あ、お前ご飯これから?」
「え?う、うん」
「じゃあ、なんか作ってやるよ」
突然そう言われたかと思うと、俺の冷蔵庫を勝手に開ける。
「あ、ちょ、ちょっと…」
「ん?お前冷蔵庫の中何も入ってないじゃん 」
そう、今、俺の冷蔵庫には文字通り何もないんだ。
いや、調味料くらいはあるけど…。
俺は恥ずかしくなって、弱弱しく白状した。
「えっと…、実は今月あまりイラストのお仕事取れなくて…派遣の仕事も一旦区切りついちゃったから、できるだけ節約してるんだ」
「節約って…」
藤森が俺のそばに来る。
そして突然体を触られた。
いやらしく、というよりはボディチェックみたいだ。
「わっちょっと、何…」
「お前痩せただろ。顔だってちょっとやつれてるし…ちゃんと食ってるか?」
思わず息が詰まる。
本当のことなんて言えない。
カップラーメンともやしで食い繋いでるなんて。
「………あはは、気にしないで」
何とか笑顔を作ってそう答える。
そういってまた机に向かって趣味で描いてるイラストの続きを始めた。
そんな俺を心配そうに見ている藤森。
「……なぁ、海堂」
「ん?」
「…いくらあれば足りる?」
「…え?」
ふと、藤森がぽつりと呟いた。
俺も思わず彼の顔を見上げる。
「いくらあればちゃんとした生活送れそう?」
そして、もう一度そう言われた。
その時から、藤森は俺が困ってるときにはお金を貸してくれるようになった。
「…うさん?海堂さん?」
はっとして現実に戻ってくる。
市ノ宮さんの視線はずっと俺に向けられていた。
冷めた表情を見て、ぐっとつばを飲み込む。
「で、でも、借りたお金は全部返しましたし、今はちゃんと貯金あるから、ここ数年はもうそういうことは無いです…!」
勇気を出して言い返してみた。
でも、相手もすぐ付け足してくる。
「ふーん。だけど当時は数万円単位で借りてたんでしょ」
「そ、そうですけど…」
「よく恋人にそんなにお金借りれるよね。
しかも一回だけじゃなくて何回も。
俺、その話聞いた時びっくりしちゃって」
「…………っ」
言葉に詰まる。
俺だって、そんなことわかってるよ…。
でも、なんで、なんでこの人はそんなことを聞いてくるの?
何なのこの人…。
「じゃあさ、これも聞いたんだけど、藤森、学年主任もしてすごく忙しいのに、今でも疲れた体であんたのとこに行って倒れないように料理作ってあげてるっていうのは?」
「うっ…」
また、追撃…。
「そ、それは……………」
「あれ、こっちは否定できないんだ」
「ち、ちが…」
「違くないでしょ。集中しすぎてご飯抜くときあるから定期的に様子見に行かないと心配だって藤森言ってたけど?」
「ぅ……」
これも、本当の話だ。
特に、イラストの仕事が波に乗ってから、徹夜で描き上げることが多くなって、何度も藤森に心配されて、その度にご飯作ってくれて、洗濯とかもしてくれて…。
「ふふ、俺からしたら本当にありえない」
「………」
市ノ宮さんはとても楽しそうだ。
反対に俺はどんどん泣きそうになる。
「そういえば、海堂さんのことだけじゃ申し訳ないからいいこと教えてあげようか」
「?」
おそるおそる顔を上げる。
目の前の人は2本目のたばこに火をつけた。
そして、体を乗り出すようにテーブルに両肘を乗せると、
「藤森、海堂さんと行為するとき上手じゃなかった?」
「えっ…」
そう聞かれた。
「な、何…」
行為って…まさか、性行為のこと…?
なんで……なんでそんな話も出てくるの?
やだ。
「普通、男性同士でやるのにはじめから上手なわけないよね。
なんでか知ってる?」
やだ。聞きたくない…。
「海堂さん、藤森に色々教えたのは」
やだ、やだ…、やだ………、やめて………!
「俺」
そして、彼は今までに見たことないくらいにっこりとした表情で俺を見た。
どくんと心臓がはねた。
息をすることを数秒忘れた。
聞きたくなかった真実だった。
…確かに、今まで疑問に思ったことはあった。
あまりにも手慣れている。
初めて抱いてくれた時も最初から最後まで、本当にスマートだった。
でも聞かなかった。
だって、聞いたら、確実に俺以外の人との関係が出てくるから。
そんなの、絶対嫌だって思っちゃうから、この10年絶対に触れてこなかった。
なのに。
それをこの人は何のためらいも無く告白した。
「…………っ」
息が、苦しい…。
市ノ宮さんは苦しそうに呼吸する俺を見つめ、口元に弧を描いたまま語りだした。
「初めて彼としたのは大学生になってすぐの頃からだったかな。
いやーかわいかったよ、当時の藤森は!
何をするにも初々しくってさ。キスすらも自分からできなかったし、セックスするにも顔真っ赤」
「セッ…っ」
ダイレクトな表現が出て、思わず反応してしまう。
やっぱり、性行為のことなんだ…っ。
「本当、結構したよ?
藤森から誘ってきたこともたくさんあるし。
少なくて週一回、ほぼ毎日してたときもあった。
それに色々話したし、お互い知らないことは無かったんじゃないかな」
「…や………やめ…………」
深く下を向く。
息が口からじゃないと呼吸できない。
涙が瞳にたまり始めた。
市ノ宮さんもふぅっと煙を吐き出す。
「……4年間一番近くにいた。
それこそ数えきれないくらい体を重ねた。
だから、藤森のことは誰よりも知っていた。
性格も、好きなものも、あいつの過去も、あいつ自身も気が付いてない癖も、全部、本当に全部……」
市ノ宮さんがタバコを消す。
ひねりつぶすようにぎりぎりと音を立てた。
「なのに…。
なのに、突然藤森はあんたに惚れたんだ。
まるで今まで見つからなかった道を見つけたように」
落ち着いたトーンなのに噛みつくような声。
下を向いていてもわかる。
「10年。この10年藤森から海堂さんの話を聞くのが苦痛だったよ。
当然だよね。あのホテルでの一件の後、すごくあんたのことを恨んだんだから。
絶対認められないって思ったんだから。
…それでも、それでもさ、当時は藤森がすごく幸せそうに、嬉しそうに付き合えたって話してくるものだから、友人としてなんとか祝福しようと努力したよ。
でも…無理だった。
それも年数が経てば経つほどに。
藤森からあんたの話を聞かされるたびに。
どう頑張ってもあんたのこと、認められるわけなかった」
そこまで言って、なんでかわかる?と尋ねられる。
俺は1ミリも動くことができなかった。
「あんたができる人ならまだしも、
定職につかない。
ミスしてばかり。
自己管理不足でしょっちゅう倒れる。
藤森にご飯作らせる。
感情だけで行動する。
話聞いてないことも多い。
遅刻もしょっちゅう。
その上、絶対に間に合わないときは藤森に車を出させる。
周りのペースに合わせられない能天気。
忙しいときは藤森に家事をさせる。
…藤森を頼ってばかり。
…藤森と釣り合わないことばかり」
ぽたりと、汗が零れ落ちた。
な、なんでそんなことまでこの人は知ってるの…?
さっきのエピソードだけならまだしも、こんなこと知ってるのは他に1人しかいない。
…藤森だ。
藤森が、付き合ってからの10年間、全部、本当にすべてを市ノ宮さんに愚痴っていた…?
「海堂さんさ、藤森に依存しているんじゃない?」
「………!」
「海堂さんが自立できてないから自分が世話しなきゃって藤森思っちゃうんだよ」
その言葉を聞いて、涙が一滴、すーっと流れた。
頑張って嗚咽は我慢してるけど、どうしても顔を、上げられない。
言い返せない………。
「ねえ、海堂さん。
正直言っちゃうとさ、藤森ってだいぶできた人間だよ?
それに対して自分は釣り合ってると思ってたの?」
「……………」
「わざわざ俺との時間を邪魔するほどの価値が、海堂さんにはあると思ってたの?」
「……………」
「釣り合ってない自覚あるんでしょ」
「……………」
「あるんでしょ?」
「…………………は……い………」
「じゃあさ、いい加減もう迷惑かけるのやめたら?
十分依存して満足したでしょ?
もう34歳なんだからけじめつけなよ。
藤森の事…自由にしてあげて」
その声は冷たかった。
胸にすべての言葉が突き刺さる。
自由にしてあげて……。
俺は、藤森にそんなにも迷惑をかけていたんだ…っ。
必死に我慢していた嗚咽が漏れた。
「じゃあ、俺が言いたいのはそれだけだから。
あぁ、海堂さんはお金払わなくていいよ。
ちゃんと藤森の事考えておいて。
…何が一番最善か、海堂さんの頭でももうわかると思うから」
それだけ最後に言うと、市ノ宮さんはカフェを出て行った。
後には、黒いコーヒーの香りとと不思議な甘い香りが入り混じって。
ただ一人、残された俺はしばらく動けなかった。
―――――――――――――――――――――――――――――……
「………ごちそうさま、でした…」
10分はそのまま動けなかった。
だけど、ゆっくり震える手を合わせるとそう呟いて、俺もカフェを出る。
足を引きずるようにとぼとぼと歩く。
「……………ぅ、うぅ…っ」
…何も、言い返せなかった。
市ノ宮さんが言ったことは全部本当で、藤森に迷惑をかけているというのも自覚があることで。
でも、何が悔しかったって。
市ノ宮さんがそこまで俺のことを知ってしまうくらい藤森に愚痴らせてしまったこと。
「ひくっ、うっ……」
藤森は優しかったから、いつでも頼れって言ってくれてたから、素直に何も考えずに甘えてしまっていた。
「…えっぐ……ぐすっ…」
…思い返せば藤森を困らせてばかりだった。
市ノ宮さんが言ったことなんてほんの一部だ。
他にもたくさん思い当たる点があって、思い出すたびに頭がずきんと痛む。
この10年、藤森はもしかしたら俺と付き合ったことを後悔していたんじゃないだろうか。
俺の存在をずっと迷惑に思っていたんじゃないだろうか。
でも、藤森は大人だから俺にはそんな表情見せなくて。
俺が泣くの分かってるから、別れようなんて言い出せなくて…。
だから、市ノ宮さんに全部吐き出していたんじゃないだろうか。
ははっと力なく笑う。
まさか、こんな形で気づかされるなんて。
「俺、やっぱり馬鹿だ…情けない…情けなすぎる…」
今だってほら、30過ぎても泣いている。
周りの人が見てても涙が止まらない。
弱虫。泣き虫。他に何がある?
「…別れよう…別れなきゃ」
きっと、別れ話したらあっさり終わるんだろうな。
藤森はきっとほっとした顔で受け入れるんだろうな。
でも、それが、それが最善なら………。
「ごめんね、藤森…。
今まで気が付かなくて、本当にごめん………」
スマホを取り出す。
そして、藤森を食事に誘った。
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