渡したくありません!
触れていたのは多分一秒くらいだったと思う。
そんな短い時間だったが、突然唇に伝わった感触はその場の時間を停止させるには十分だった。
俺も動けず、さすがの市ノ宮も一瞬動きが止まったようだった。
ゆっくりと海堂が離れる。
俺のワイシャツをきゅっと掴んで離さないまま、また下を向く。
その顔は真っ赤で、汗が流れていた。
息を止めたからか、緊張からか息を弾ませている。
それを見て脳内処理が追いついてきた頃、俺も一気に顔が熱くなるのを感じた。
まさか海堂が、海堂がキスしてくるなんて1ミリも思っていなかった。
「か、かい………」
いまいち回らない頭でなんと言葉を発しようかと考える。
心臓がうるさい。体が熱い。
目の前の人から目が離せない。
「へえ、海堂さん彼女いるんじゃなかったの。
もしかして自分も浮気してやろうとかいう魂胆?」
横から声がして、はっとする。
市ノ宮が腕を組んでそう口を開いたのはキスからしばらく経ってからの事だった。
普段クールな市ノ宮にしては珍しいくらい早口でイライラしているのが、見てわかる。
海堂が市ノ宮の方を見る。
そして、俺の顔を見た。
少し青みがかった、潤んだ瞳が俺を捕らえる。
あぁ、そうだ。
海堂には彼女がいるんだ。浮気されててもこいつには彼女が…。
「……別れました」
「………え?」
ぽつりと発した言葉。
また俯いて、涙声で話し始めた。
「あの後、あずさ…東山さんに聞いたんです。
浮気、認めました。
謝ってくれたけど俺じゃ幸せにしてあげられないと思って、別れました…」
きっと辛い場面だったのだろう。
海堂の手が震えているのはシャツ越しに十分わかった。
すぐさま市ノ宮が言い返す。
「ふーん、じゃあ、告白してくれた藤森なら乗り換えられるって思ったんだ。
…海堂さんって、やっぱりわがままだね」
「……そうですね、俺、本当に自己中でわがままです」
まだ震える声で少しずつ言葉を紡いでいく。
「俺、正直に言ってしまうと、藤森の事嫌いだと思い込んでいたんです。
男から、友人から告白されるなんて考えたこともなかったし、そんな経験今までなかったので…。
それに浮気の直後だったし、ショックで、パニック起こしちゃって、どうすればいいかわからなくて…。
だから、きっと俺のことからかったんだってとっさに思っちゃって、藤森にひどいこと言ってずっと逃げちゃいました。」
「…」
あの時のことを思い出す。
やっぱりそうだったんだ。俺は、海堂の気持ちなんか考えずにすごくつらい思いをさせてしまって…。
だけど、海堂が再び話し出した。
「でも、あの後すごく考えたんです。
藤森と遊んだ時に感じたすごく楽しいって気持ちや藤森が俺のこと色々考えてくれて行きたい場所に一緒に行ってくれたこと、え、エッチ…したときにも俺の目ずっと見ていっぱい撫でてくれてたなって。
一緒にいて安心できる存在だなってずっと思っていたんです。
そうやって考えてたら俺も藤森のこと好きだったのかなって思ったり、でも考えすぎてやっぱり違うのかなって悩んだり…」
そこまで話していったん区切る。
きっと頑張って話してくれてるんだ。
息が少し苦しそうで口で呼吸をしていた。
「だけど…さっき、ホテルに2人で入るところ見てパニックになりました。
初めに浮かんだ感情は嫌、でした。
気が付いたら追いかけてました。
そして、なにより、藤森の隣にいるのは俺だって心で叫んでいました。
俺だけ見ていてほしいって…思いました……」
ぽたぽたと大粒の涙が瞳から溢れ出す。
俺は、ただただ目を見開きながら海堂を見つめることしかできなかった。
心臓が早鐘を打つ。顔がほてってくる。
何か、何か言わなきゃ…。
だけど、海堂に対してイライラしたままの市ノ宮がすぐに反撃する。
「…何それ。勝手。本当に勝手すぎない?
海堂さん、自分が何言ってるかわかってるの!?」
「い、市ノ宮…?」
市ノ宮が声を荒げた。
こんな、こんな声を荒げて余裕が無い、感情を抑えられないこいつ、初めて見た…。
そんな彼に対して、海堂がゆっくり向き合う。
「ごめんなさい、俺も何言ってるんだって思います… 」
「じゃあ…!」
「でも、でも!俺は、貴方が誰だか俺は知らないですが」
そこまで言って、大きく息を吸い込む。
そして、
「藤森を渡したくあり、ません………っ!!」
全力で叫んだ。
「…………っ」
市ノ宮が一瞬ひるむ。
だけど、すぐ、
「いや、だから…………ッ」
何かを言いかけた市ノ宮だったが、次の瞬間声が消えた。
「…………………っ!」
気が付いたら、俺が、海堂を抱きしめていたからだ。
嬉しかった。
ただただ、海堂が言ってくれたすべてが嬉しかった。
「海堂…ッ」
きつくきつく抱きしめる。
海堂も泣きながらシャツの背中をぎゅうっと強く握りしめた。
「藤森ぃ…っごめんね、ごめんね…」
「いい、別にいいから、謝るな…!」
海堂の涙がシャツに染みようともう知ったことではなかった。
…それを目の前で見せつけられた市ノ宮が、その時どんな表情をしていたんだろうか。
かすかに聞こえたのは、思わず息を止める音…だったような気がする。
ふと、頭にこつんと何かがぶつかり痛みが走る。
下を見るとこの部屋のカードキーが落ちていた。
飛んできたほうを見た先にいたのは市ノ宮で。
「………………。
………………………………。
……………あっそう。じゃああとは2人で好きにすれば?」
市ノ宮が突き放すような口調でそう言った。
自分の荷物を持つと目を合わせることなくさっさと部屋を出ていく。
「い、市ノ宮!わりぃ!後で連絡するわ!」
「………」
友人の存在を忘れていていたことに焦り、海堂を抱きしめたまま慌ててそう背中に投げかける。
でも、返事はなかった。
そのまま扉はバタンと大きな音を立てて閉まった。
正直、なんで市ノ宮があんなに怒ったのか、今でもよくわからない。
海堂が入ってきたことが嫌だったのか、海堂が言い返したことが嫌だったのか。
はたまた俺のせいなのか。
いずれにしても、この時の俺は海堂のぬくもりを感じることに必死で、あいつを追いかけるなんて選択肢は無かった。
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