43 明るい未来
パーシヴィルタ辺境伯家のタウンハウスに到着すると、ライネとリアムがサンドラの到着を待っていた。
今、この屋敷に住んでいるのは彼ら二人だけであり、元パーシヴィルタ辺境伯にあたるライネの父は急遽建てられた敷地内の別棟に移動になった。
その彼を見張るために、ライネのおばあさまがやってきていて、ライネに仕事の引継ぎをしている。
パーシヴィルタ辺境伯家は難しい統治が必要というわけでもない。
継承者教育をきちんと受けていたライネならば特に問題はないだろうというのがフィランダーの見解だった。
ただ事情が特殊だからこそ、つけこまれる隙を生むことになる。出来るだけその隙を生めるためライネは一人前になるべく忙しく勉強やら仕事やらを詰め込まれていた。
「待っていました。サンドラ」
なのでこんなふうに出迎えに来る時間的な余裕はあまりないはずなのだが、無理にでも出迎えてくれたことはうれしい。
隣にいるリアムも、サンドラに子供っぽい笑みを浮かべた。
「やっと来てくれたね。サンドラ様。これで、お兄さまがまだかまだかって、うるさくなくなるよ」
「そんなに言っていたつもりはないのですが」
「そう? 顔に書いてあったけど」
リアムに指摘されてライネはキョトンとして顔を触ってみる。それからしばらくして「たしかに、そんな顔をしていたかもしれません」と肯定した。
サンドラが降りた馬車は少し移動して後ろから荷物が屋敷の中に運び込まれていく。
「あははっ、冗談だよ。大体いつも通りだったって」
「……なんだ、そうでしたか。そんなに顔に出ていたのなら恥ずかしいなと思ってしまいました」
仲睦まじく会話をする二人に、サンドラは少し前まではこんなふうではなかったと知っているが、とてもそんなことが想像できないような気持ちだった。
どこからどう見ても仲のいい兄弟であり、気弱な兄と元気な弟だ。
ノーマがいた間の彼らの現状を見たわけではなく、二人から聞いただけだからこそサンドラはそんなつらい関係があったとは信じられないほど、屈託のない笑みだった。
「いつまた会えるかと心待ちにしていたのは事実ですから。……これからは共に暮らせると思うとどこか日常も浮足立ってしまって、リアムに察されてもおかしくありません」
「えー? 大丈夫だって、お兄さまは言うほど顔に出てないから……ああでも、今は、書いてあるね。会えてうれしいって」
「そう見えますか」
リアムからの指摘に目を細めて、ライネはサンドラの方へと視線を向けて問いかけてくる。
少し頬を染めている彼が愛おしくなってサンドラは「もちろん。わたくしも会えてうれしいですわ」と口にして屋敷の中に入ったのだった。
数日たてば、寂しさに負けて息子はノーマの元に帰ってくるだろうと予測していた。
しかし、実家のマナーハウスに戻り、幾度かの屈辱を受けて耐え忍んでいたが一向にリアムからの連絡はなく、やってこない。
身の回りの世話をするだけの愛想のない年増の侍女に問いかけると、煙たいような顔をされて返答は返ってこない。
ほんの数カ月前まで、まるで屋敷の全員がノーマのことを信仰しているみたいだったのに今の自分はまるでお荷物、無価値な存在の様だった。
出される食事は何度言っても改善されず、部屋は簡素で使い勝手が悪いまま、持っていた私物は取り上げられて、売り払って王都に戻るための旅費を稼ぐこともできない。
いつもの侍女が監視のように部屋に張り付いていて、気味が悪い。
……リアム……わたくしの可愛いリアム、早くお母さまをこんな場所から救い出して?
手紙をつづってノーマは彼の気を引こうと考えた。書いてあるのは、自分がいかにひどい状況にさらされているのか、今までの彼との思い出、すべてはリアムの為であったという思い。
だから、一時の反抗期などから目を覚まし、救い出して欲しい。
そう願って書いた。
「……手紙? お送りすることはできませんよ。慰謝料を払って離婚を突きつけられたのと同時に、接触禁止を言い渡されているのですから」
しかし侍女に渡すとにべもなく断られ、ノーマはこの女を殺してやろうかと考えた。
頭に血が上って目の前がちかちかする。どこから間違ったのか。
あの時の言葉を間違えていたのだろうか。それともカルティア公爵家に謝罪に行かせたことだろうか。それともリアムにも、もっと厳しく躾けをしなかったことだろうか。
だからつけあがって、母親を見捨てる様なクズに成り下がってしまったのかもしれない。
とにもかくにも、こうして軽蔑するような目線をおくってくる侍女に腹がたって、拳を振り上げた。
「っ、いっ゛」
「……護身術の心得があることはお伝えしておりませんでしたね。あなたのお世話をするにあたって、こういう場合には対処をすることを許されています」
しかし、いとも簡単にその腕を掴まれてひねりあげられる。
痛みに脂汗がにじんで、なんてことをするのだと思う。
こんなことをするだなんて野蛮だ。なってない。主人に抗うなどそもそも従者としての矜持がないのだろうか。
「大人しく余生をお過ごしください。これ以上、主様たちの家名に傷をつけず、静かになさってください」
「こ、こんなことがぁ許されると思ってるのッ! わたくしは、辺境伯夫人ですのよ!! あなた達とは格が違うのよ!!」
「お静かになさってください。もう辺境伯夫人でもなんでもありません」
「黙りなさい!! あの子が迎えに来る間こうしているだけですから! ライネをたぶらかしたあの女にも復讐してやる!!」
「そんなことをおっしゃられましても、立場が悪くなる一方です。王都からは遠く離れ、あなたの息子も、あなたを守る立場も、何もかも失ったのですから」
どんなに抵抗しても制されてノーマはまともに動くこともままならない。腕が痛くて、呻くだけになるとやっと彼女は手を放して、ノーマはそのまま絨毯も引かれていない床に膝をついた。
……まだ、まだ何とかなるはずです! だってあんな前妻の醜い子供なんてああして当然だったのだから!! そんなことでわたくしが排除されるはずありません!!
拳を握って床に叩きつける。
惨めな自分を見ないように、気が付いてしまわないようにノーマはぶるぶると震えながら歯を食いしばる。
いっそあの時に殺しておけばよかったのだ。あんな子供も、言う事をきかない息子も、思い知らせてやればよかった。
もっともっと、出来ることはあったはずだし、まさかあんなに良くしてあげていた息子が情も涙もない人間だとは思わなかった。
……それにあんなに躾けてあげたのになんて恩知らずな! リアムだってわたくしの元に来て当然なのに!
こんな目に遭って誰もわたくしが可哀想だと思わないんですか!?
「……はぁ、やはり改心しようとする気持ちはかけらもないようですね。本当に……醜い」
吐き捨てるように言われて、ノーマはそんなことを言われる筋合いはないと顔をあげる。
自分が醜いはずないのだ。
醜いのはああいうライネのような子供で……。
すると簡素なキャビネットの上に置いてある鏡にきらりとノーマは反射した。
憎しみに感情をたぎらせて、吊りあがった眼で歯を食いしばり、自分の幸福しか追い求めることしかできない鬼の姿がそこにはある。
駆け出してすぐに鏡を叩きつけて割った。
それから狂ったように叫び出したのだった。




