40 責任
……僕は自分が情けなくて、どうしようもなく力のない存在だと知っています。
目の前に座っている母に向かってそう思った。
彼女は先ほどまで良かった機嫌を急激に悪くさせてライネのことを睨みつけている。
「サンドラに迷惑をかけるわけにはいかないので、彼女にはリアムとの話し合いをお願いしました。そのために、心にもないことを口にさせたのは申し訳ないと思っています」
「…………」
「ただ、これが本来の僕の目的です。母上、自分は醜く誰よりも劣っていてずっとああして虐げられていることが当然だと思っていました」
ノーマに語り掛けるように口にする。
ライネをはさむようにレイラとカルティア公爵がそばにおり、サンドラのように炎の魔法を持っている彼らがいれば、いざというときでもきちんと対等でいられる。
ノーマの隣に座っている父は、ライネの行動にノーマがどんな反応をするかと怯えるように彼女を見ていた。
「僕に関わるだけで不幸になるのだし、僕だって誰かをそんなふうにはしたくない、ならばこのままで居続けることが一番だと、そう考えていました」
「よく、わかっているじゃないの」
絞り出すような声でノーマは言う。
その声は怒りに震えていて今にも爆発しそうで、そんな様子の母上が恐ろしくてライネの体は震え出しそうだった。しかし、啖呵を切ったのだ。情けない所を見せるわけにはいかない。
こうして、協力を仰いだからには、自分で成し遂げなければならない。
「はい。けれど、関わらないことのできない幸せにしたい相手が出来ました。その状況をサンドラは僕に与えてくれました。新しい価値観も、優しさも、愛情も、多くの物を与えられるばかりで、自分は何一つ彼女に返すことができていません」
「だからわたくしを排除するっていうの? あなたの母親なのに?」
「はい。カルティア公爵も僕に協力をしてくれるそうです。おじいさまやおばあさまにも連絡を取りました。継母に迫害を受けているという話は、薄々勘付いていた様子で認めてくださいました」
カルティア公爵家でお世話になっていた少しの間で出来ることは多くなかった。それでも、出来る限りのことはしたと思う。
ご隠居たちと言って、父や母がやっかんでいた彼らも、もちろん完全に善良な人々ではない。
それでも一個人の外見よりも、将来の家系が続いていくこと、魔力を強くして反映することを第一に考えてくれる。
彼らはライネの味方ではないものの、協力者としては適任だった。
彼らは貴族として爵位を持っているわけではないものの、領地の収入源の多くを手札として持っている。
そのうちの一つが街道をよく使い多くの税を支払っている旅商人との太いつながりだ。
「関税の収入源になっている街道を行き来している旅商人の一団に話が回っているはずです。爵位継承を拒絶することもできませんし、父とは離婚していただきます」
ライネが言ったことが記載されているおじいさまからの手紙をテーブルの上に置き、再度ノーマへと視線を移した。
「……親に反抗して楽しいですか?」
「そういうつもりはありません」
「わたくしが厳しくあなたを躾けていたから、こんなことをされるなんてとても不義理でしょう?」
「自分は、義理を立てるべき相手をサンドラだと思っています」
「ぽっとでの女によくされて……先ほどの言葉は嘘だったと言いましたけれど、そんなことないわ。騙されているのよ。ライネ、そんなに醜いあなたにどうしてあんなよくできた子が惹かれる道理がありますか……ねぇ、カルティア公爵閣下」
ライネでは埒が明かないと考えたのか母は、ライネの隣にいるカルティア公爵に視線を向けた。
「娘さんの今後を考えればわかるはずです」
「……生憎、我が家は放任主義だ」
「そんなの無責任ですよ。ライネ、あなたは騙されて気が大きくなっているだけです。怒らないから一度、屋敷に戻ってきなさいよく話し合いをしましょう」
ノーマは頬を引きつらせながらも、取り繕って策を巡らせる。
しかしそんなわかりやすい誘いに乗るつもりはない。
「戻りません。もう共に暮らすつもりはありません。僕の行動のすべてが正しいとは思っていませんが、正当性はあると考えています」
「正当性があるだなんて、だからと言って、親を捨てるなんて罰当たりですよ」
「罰が当たったとしてもかまいません」
「っ、……なぁに……はぁー、復讐のつもりだっていうの?」
彼女は、聞き分けの無い子供にイラつくみたいに、額に手を当てて勢いのいいため息をついた。
いつものノーマからすると、ここまでよく正気を失っていないなと感心するぐらいだがそろそろ限界が近いらしい。
「……復讐なんてそんなもの人生で一度だって考えたことはありません。ただ、僕だってあなただって、正直に生きているだけですから。僕の意見を通すことはあなたにとって不利益かもしれませんが鑑みるつもりはありません」
「意見? 育ての恩があるわたくしを不幸にして通すものなんてわがままだけだわ!」
「そうおっしゃられようと、あなたをサンドラに関わらせたくありません。……サンドラは、僕がこうして悪い状況にいるときっと助けようとしてくれます。僕に価値があると言ってくれて、見捨てたりしません」
ライネはずっと恨みとか怒りで動いているわけではない。そういうものをもっていたら端からノーマの思い通りになどなっていない。
彼女の思い通りになることが、たとえライネ自身が酷い目に遭うことだとしても、誰も傷つかないのならそれ以上のことなどなかった。
ずっとそうして、生きてきた。
ただ状況が変わって、守りたい人が出来た。
関わらないことも後戻りもできなくて、こうなったからには、ライネはサンドラを選ぶ。
だからこうしているだけだ。未だに、サンドラの言うライネ自身の価値については真の意味で理解できていない。
けれども、サンドラがああまで言うから。
そばにいるだけで幸せになれるなんて言うものだから、そしてそれを本当なのだと疑いの余地がないほどに、示すから。
彼女がまっとうにライネを愛してくれるから、幸せに生きることを望んでくれるから。
だから、彼女が望む形を手に入れたい。与えられてばかりのライネでも役に立たなくとも守るために矢面に立つぐらいは出来る。
「だからこそ、あなたとは縁を切りたい。ノーマ、あなたの悪意にさらされたままでは、サンドラが悲しむのです。嘘を付くのはやめてください。あなたに善意などありません。母としての思いやりも、僕の成長を望む気持ちも無いことなどわかり切っています」
「っ、この…………」
ノーマはぐっと拳を握って、ライネのことを睨みつけていた。




