39 善意
「……」
リアムは何も後ろめたいことなどないかのようにサンドラと目を逸らさない。
怯えたりもしない、こんなにきついだの怖いだのと言われている顔つきなのに、サンドラが不機嫌に見つめてもすくみあがらない。
あまりにきちんと見つめて来るものだから、逆に嘘をついているのかと考える。おどおどしていないし、本当のことを言っているように見えるけれどもどこか違和感がある。
まるでじっと目を見て、疑わせないために堂々と振る舞う人みたいだ。
では彼は嘘をついているのか。
……嘘というよりも、言葉を選んで本音を言っていない……なんてことがあったりするかしら。
「……リアム、あなた、本音を言わないことって嘘をついていることになると思う?」
問いかけてみた。
すると彼は、困惑するように目を見開いて、サンドラを警戒するように背もたれに体を預けてサンドラを見やる。
「ぼ、僕が嘘をついているって言いたいの? そんなことないよ。本当に。僕だってお兄さまがきらいだ。好きになれる要素がそもそもない」
「……」
「そりゃ僕だってあの状況にいたらどうなっていたかわからないけど、でも陰気で、頭が悪くて僕の方が困っちゃうよ。ちょっとぐらい自分で判断して動いてくれないと」
サンドラの言葉に焦ってリアムは言葉を紡ぐ。その様子に、まだまだ幼いなと少し微笑ましい気持ちになった。
「いつか取り返しがつかないことになる。それが僕は怖くて仕方ないよ。いつかどうにかなってしまうんじゃないかって……僕は」
リアムは、声を震わせてサンドラに言った。それでも彼はすべてを口にしない。
それは母だけを想っているとも、ライネを想っているとも思える言葉であり、はっきりさせるためにサンドラは問いかけた。
「……ねぇ、リアム。あなた、本当は誰の味方なんですの? わたくし、あなたのことがよくわからないわ」
「だ、誰って……」
「どうしたいんですの?」
誘いをかけるように問いかける。すると彼は、すぐに口を閉ざして何も言うまいとする。
しかし、堪えられなかったのかすぐに口を開いて「悪いの?」と逆切れするように言った。
「お兄さまの味方だ。僕は、君みたいな人を好ましくなんて思わないよ! お母さまみたいな人も、マルガリータみたいな人も僕は大っ嫌いだよ! 見ていられない、お兄さまの方がまだ一緒にいて楽しい」
彼は、母への分もマルガリータへの分もすべてひっくるめてサンドラに向って怒っているようだった、手負いの獣の様に毛を逆立てて怒っている。
「お兄さまもお兄さまだ! 抵抗もしないし、何もかも諦めて、ああでも、少しは自分なりに頑張ったんじゃない!? 結局、君みたいなあくどい人に利用されて逆戻りだけどさ」
小さな拳が真っ白になるまで握られている。
その様子を見てサンドラは、なんだか感動してしまっていた。
「かっこよくないけどさ、強くないけどさ、良いところないみたいに見えるかもしれないけどさっ! よっぼど綺麗だよ、あの人の方がよっぽど綺麗だよ」
「……」
「お母さまがあんなことをして、僕は優遇されて見せつけられて、つらいはずなのに、僕のこときらいになったことなんてないって、いつもそういう顔してる」
呼吸を忘れて、気持ちを吐き出すように苦しそうにリアムは続けた。
少し顔が赤くて必死なことが酷く伝わる。
「こんな歳で、男の子なのにこんなことを言うの変だけど、お兄さまの方がずっと綺麗だ。君達よりずっと心がきれいだ、優しい人を蹴落として、虐めて笑っている人よりずっと綺麗だよ!!」
叫ぶような声に、その場にいた使用人たちもどよめいて、彼を制止しようかと寄ってくる。
まだ精神的に幼い部分のある貴族の子がやりすぎないように、そうするのも大切なことだし、当たり前のことだ。
しかし、サンドラはそれをとがめるつもりもないし、むしろリアムの本当の心が聞けてとてもうれしい。
彼の侍女に大丈夫だと制止して笑みを見せる。
「っ、お母さまに言うなら言ったらいいよ。僕は否定するしかないけど、少なくとも、僕は、君みたいな心の醜い人と一緒んなんかなりたくないから!!」
捨て台詞のようにそういうリアムの目には決意が宿っている。
それは、ライネに似てとてもきれいな色をしている。どうやら彼ら兄弟は二人そろってとてもよい人で、素敵な絆があるらしい。
……それに、世の中、悪意にまみれてばかりではありませんのね。
誰かが誰かをどうしようもなく貶めて、ボロボロにしたとしても、たとえ閉ざされた場所で見方がいないように見えても……。
誰かが見ている。
世界と完全に切り離されて存在することはできないのだから、正しい価値観を持った人は必ずいて、機会を待っている。
手を差し伸べる人もいる。
そのことがサンドラはなんだかとても嬉しい。リアムの心はとてもまっとうに正しい善良な気持ちだ。
悪意などかけらもない、彼は本当にライネを想ってくれていた。
それが自分のことのようにうれしくて、少し鼻の奥がつんとして涙が浮かんだ。
「っ……」
「な、あ……ごめんなさい。言い過ぎた。女の子に……こんな……ごめん……ただ、誰もひどい目に遭って当たり前の人なんて……いないから……」
リアムのつぶやきにサンドラは大きく頷く。
それは至極当たり前のことで、改めて言うまでもない言葉だ。
けれどもそうではない人間が、善良な人間を食い物にしている現状があり、支持されることは多くの悪意がある世の中では難しい。
それでも、負けるべきではない。
「そのとおりですわ。リアム、あなたはとても素敵な子よ」
だからこそ抗っていかなければならないと改めてそう思えた。




